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──復讐を司るもの
死んでいた。
あらゆる魔族が死んでいた。
エルザは生存者を探したが、そんなものは存在しなかった。
剣で切り殺されてたメイド。斧で頭を割られた料理人。弓矢をハリネズミのように浴びた兵士。あらゆる魔族が等しく殺されていた。
中には人間の手にかかる前に自決することを選んだものたちもおり、毒薬の瓶の周りに若い女性の魔族たちが横たわっていた。静かな死だが、死は死である。眠っているようでも、死んでいるのである。
死人、死人、死人、死人、死人。
あらゆる場所に死人が倒れている。その血が床に染みつき酸化している。エルザが気絶してからいったいどれほどの時間が過ぎたというのだろうか。それすらもエルザにとっては定かではなかった。
分かっていることは城の大部分が陥落したということ。
そんな状況でエルザは死体の山を乗り越えて、王妃の部屋を目指した。
せめて、せめて母が生き残っていれば望みはある。そう考えてのことだった。
だが、そのエルザの儚い希望は打ち砕かられた。
母も自決していた。目を閉じ、ベッドに寄りかかり、傍らには毒薬の瓶が落ちている。これは1滴で眠り、2滴で昏睡し、3滴で二度と目を覚まさなくなる毒薬だ。
「お母様……」
エルザはまだ中身のある毒薬の瓶を拾い上げる。
「どうして死ぬことを選んでしまったのですか? どうして私を見捨てて逝ってしまったのですか? どうしてヴェルナーもお母様も私をひとりにするのですか?」
そう問いかけても既に死んでいる王妃からの返事はなかった。
エルザは毒薬の瓶を拾い上げると、ポケットに仕舞い、力なく王妃の部屋を出た。
もう望みなどない。
望みなどどこにもない。
みんな死んだ。みんな死んでしまった。
髪型をアレンジしてくれた仲の良かったメイドも、つまみ食いを許してくれた気のいい料理人も、一緒に遊んでくれた面倒見のいい兵士も、ヴェルナーも、王妃も、みんな死んでしまったのだ。エルザただひとりを残して、皆が敵の手にかかった。
「どうして私だけ……」
会議が開かれていた軍議の間も虐殺の現場になっていた。
老いても戦おうとした将軍たちは容赦なく斬り捨てられ、宮廷貴族たちも抵抗を試みたようだがその刃に血が付いていないところを見るに、敵に一矢報いることはできなかったようである。結局は全てが無駄だったのだ。
「皆さん、今は安らかに」
エルザは彼らのために祈ると、ただ茫然と広間に出た。
そこで彼女は思い出した。
この黒の城には何万もの避難民が逃げ込んできているのではなかったか。
エルザの背中がぞっとした。
そんあことはあり得ない。あり得てはならない。そう思いながらもエルザは最悪の光景を思い浮かべた。いくら敵が魔族を憎んでいるとしても何万もの無抵抗の避難民を殺すはずがない。そのはずだ。きっとそのはずだ。
エルザは足早に城門を目指す。
そこでエルザは体がしびれるような感触を覚えた。
「これは神気……」
神気とはバロールの領土の多くを覆う瘴気とは正反対の属性を持つもので、瘴気が人間にとって害があるように魔族に対して致命的な影響を及ぼす。いわば、性質的には化学兵器に近い代物だ。
エルザの体が神気でしびれていき、エルザは城門の先を見た。
死んでいた。
避難民が城門に向けて押し寄せるようにして死んでいた。
子を抱いた親が、年老いた両親を両手で引っ張っている若者が、恋人を神気から守ろうとして覆いかぶさった男性が死んでいた。あらゆるものが死に絶えていた。
「そんな……」
敵は攻撃を開始した時点で神気を発生させて、城の守りを破ったのだろう。
そして、城の外で難民キャンプを築いていた避難民が巻き込まれた。
避難民は必死になって逃げまどい、黒の城の中に入れてくれと懇願しただろう。だが、城門を開けてしまえば敵に突破される。避難民は見捨てられた。
避難民は神気の中で体がマヒしていき、呼吸ができなくなり、苦しみながら死んでいった。その様子を想像することはエルザにとって容易いことだった。実際に彼女は神気で体がマヒしていき、呼吸が苦しくなってきているのだ。
「この、まま、死ぬのかな……」
エルザは城門から流れ込む神気を前にそう呟いた。
父であるフリードリヒの言っていたことが思い出される。我々は竜の血をひくものとして立派に生きていかなければならないという言葉が。
だが、今のエルザに生きていく希望はなかった。
「死にたいのか?」
不意に声がかけられたのはそんなときだった。
「誰……?」
「私の質問に先に答えろ。死にたいのか、貴様?」
背後から聞こえてくる声にエルザが振り返る。
女性がいた。
くるぶしまで伸びた長い黒髪。芳醇なワインのように、流れ落ちる血のように赤い瞳。その整っているが威圧感を感じる顔立ちには厳しい表情が浮かんでいる。背丈は高く、エルザより頭ふたつは背が高い。
そんな女性が神気で体がマヒしていくエルザを見下ろしていた。
「分からない……」
「分からないとはなんだ。貴様は自分の生き死にも決められないのか。愚鈍な」
エルザが告げるが、女性は納得しない。
「答えろ。貴様は友人知人家族を殺された。それでも黙って死ぬのを良しとするのか。すごすごと負け犬のように惨めに死んでいくことを良しとするのか。これだけの仲間が無残にも殺されてもただ死を受け入れるのか」
エルザの胸がトクンと大きく脈打つ。
そうだ。これを許していいのか。こんなことをされて大人しく死んでいいのか。これを行った人間たちは今も悠々と暮らし、今頃は戦勝祝いでもしているだろう。自分にどこまでも尽くしてくれたヴェルナーを殺した剣を酒盛りのテーブルの脇に立てかけ、母を死に追いやった兵士たちが、愛すべき臣民たちを虐殺した神気を漂わせながら。
やつらはこれだけの悲劇などまるで気にしていない。
それどころか誇りにすら思っているだろう。
それは許せない。
絶対に許せない。
「死にたく、ない」
「……では、どうしたい? 生きて、何をなす?」
エルザは神気でマヒしつつある体でしっかりとそう告げる。
「生きて、復讐をなす。この惨劇を起こした者たちに報いを受けさせる」
エルザは生まれて初めて憎悪をむき出しにした。
これまで彼女は誰かを恨んだり、嫌ったりすることはなかった。箱入り娘ということもあろうが、彼女には憎悪を発露するような場面はなかった。
だが、それでも、これは許せない。
ヴェルナーを殺し、使用人や兵士たちを殺し、王妃を自殺に追い込み、神気を使って大量虐殺を行った人間たちは絶対に許せない。奴らには報いを受けさせなければならない。エルザはそう決断して憎悪をむき出しにした。
奴らは死ななければならない。
奴らは死ぬべきだ。
奴らに死を。
「……やはり復讐を望むか。いいだろう。その願いを手助けしてやる」
「その前に、私の問いに答えてください。あなたは何者なのですか?」
エルザは女性にそう尋ねる。
正体が分からない。いきなり現れた女性の正体が分からない。
いったいどこから現れた? そしてどうしてエルザにこんなことを問いかける?
彼女はいったい何者なのだ?
「私はフォーラント。復讐の権化だ。復讐の女神でも、復讐の天使でもない。ただ復讐を司っているものだ。今、貴様が知っておくべきことはそれだけでいい」
そう告げてパチリとフォーラントは指を鳴らした。
「体が……」
「あそこに溜まっている神気はやがて消える。ここは瘴気が濃いからな」
神気によってマヒしつつあったエルザの体に自由が戻る。
さらには外から流れ込んできていた神気も薄くなり、もう体がしびれるような感触は抱かなくなっている。この城の死人たちは生き返ることはないが、エルザは生き延びることができそうであった。
「さあ、来い。復讐を望む娘。だが、後悔はするな。決めた以上はやり切れ。それが復讐というものだ。復讐に妥協は決して許されない」
フォーラントはそう告げると城の奥に進んでいく。
エルザはそのあとを追った。
この復讐を司る者と半竜の姫の出会いが、世界を大きく変えていくことになる。
幸福へ? あるは破局へ?
今はその結末を知るべきではない。
いずれ、全てのものがそれを知る時がくるのだから。
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