亡国の姫に復讐の剣を

そして、彼女は復讐を遂げるか
第616特別情報大隊
第616特別情報大隊

敵意と恐怖

公開日時: 2020年9月1日(火) 07:00
文字数:3,561

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 ──敵意と恐怖

 

 

 塔を登る。

 

 砦は数十年も昔に放棄されたものであり、荒れ果てている。塔とてそうだ。

 

 今にも崩れそうなこの塔の外壁は剥がれ落ち、うっかりすれば転落死という状況だった。今、エルザが登っている階段にしてもエルザが体重をかけるたびにパラパラと破片や埃が落下するほどに朽ち果てていた。

 

「あの人狼の姉ちゃんに頼むつもりか? 手を貸してくれって?」

 

「ええ。そのつもりです。今の私には彼女の助けが必要ですし、私もまた彼女の活動を手助けしたいと思っています」

 

 “エリニュスの狂乱”は怪訝そうに尋ねてきた。

 

「無駄と思うがね。あの姉ちゃんはあんたに協力する気なんてさらさらないよ。最初の印象が最悪過ぎた。もっとまともに接触していれば望みはあったかもしれないが、それでもあの姉ちゃんは酷く気難しい女だよ」

 

「それでも私ひとりで復讐を成し遂げるのは不可能です。私には……」

 

 本当に戦える力があるのか分からない。

 

 あの騎兵の集団を見たとき、思い浮かんだのは復讐ではなく、恐怖だった。人間を見た途端に恐怖を覚え、震えるだけになってしまった。ミリィたちの襲撃を受けても、人間たちが倒れていっても、エルザは動けなかった。

 

 これで本当に復讐が行えるのか?

 

 本当に自分には戦うための力があるのだろうか?

 

 エルザはそういう思いを抱えて、悩み続けていた。

 

「復讐は他人任せにしちゃいけない。自分の手でやらなければいけない。フォーラント様ははっきりそう言っていたはずだぜ。それが自分でやるのが怖くなったから、他人を頼るというのはどうにも受け入れがたいな」

 

「そういうわけでは……。ただ、あの人の下で戦えば人間に対する恐怖心も薄れるのではないかと思っているのです。私は正直に言って人間が怖いです。人間たちは魔族をゴミか何かだと思っています。だから、あっけなく殺すし、残虐に殺せる」

 

 エルザはそこでふうと息を吐いた。

 

「私はだから人間が怖いのです。彼らに対話は通じません。ただただ力をぶつけ合うしかないのです。私はそんな世界に生きて来なかった。知っているのは国境線の小競り合いで倒れた負傷兵を介護したことぐらい。本当の敵意や殺意を知らないのです」

 

「そうかい。でも、既に敵意も殺意も知っているはずだぜ。何せ、あんたが復讐を選択した時点で、それはあんたの中にあったんだからな」

 

「そうでしたね……」

 

 エルザは間違っている。

 

 エルザは敵意も殺意も知っている。フォーラントと話したときにそれを露わにし、復讐を誓ったのだから。今の彼女は人間に対する敵意も殺意も持ち合わせているのだ。

 

 ただ、自分に敵意と殺意が向けられることには慣れていない。そう言えるだろう。

 

 これまでエルザは恵まれた環境で育ってきた。

 

 誰からも愛され、敵意など向けられない日々を送ってきた。

 

 この戦争が始まるまでは。

 

 初めて遭遇した狂ったような戦場の敵意と殺意の渦を前に、復讐を決意したはずのエルザは足が竦み、自分が頼れると思ったミリィを頼ろうとしているのだ。ミリィはあの敵意と殺意の渦の中でも平然と指揮を執り、エルザにああならなければならないと思わせるだけの胆力とカリスマを発揮していた。

 

 だが、“エリニュスの狂乱”が言うように復讐とはひとりで成し遂げるものだ。人を頼らなければならない復讐というのは本当の復讐とは言えない。それはただの人殺しに過ぎない。動機が欠如した、ただの野蛮な行いだ。

 

 いや、復讐もただ理由を付けただけの野蛮な行いなのかもしれないが。

 

 この世の中に崇高な人殺しなどあるのだろうか。邪悪な存在だと言われていた魔族を殺した人間たちは自分たちの行いが崇高なものだと感じていたのだろうか。そんな人間たちを殺した魔族たちもそれを崇高な行いだと思ったのだろうか。

 

 戦場においての存在はふたつだけ。

 

 敗者と勝者。それだけだ。

 

 崇高な人間などというカテゴリーは存在しない。

 

「復讐は私がやり遂げます。ただ、あの方には私が復讐を果たせるようにしてもらいたいのです。つまりは……」

 

「人を恐れず、人を殺すことのできるように、か?」

 

「はい。その通りです」

 

 ミリィの下で戦っていけば、彼女の持っている胆力が身につくかもしれない。ただ、ひとりで森の中に潜み、復讐すべき相手に怯えているよりもずっといいはずだ。

 

 エルザは人を殺せるようにならなければならない。これから殺す敵の敵意と殺意が向けられるのに打ち勝ち、敵を殺さなければならないのだ。

 

 人間で数えれば15歳。それだけの年齢の娘がそのようなことをしなければいけないというのは、痛ましいことだ。だが、世界とはそのような棘のある拷問器具のような車輪で、多くの人間を傷つけながら進んでいるのだ。

 

 エルザだけがその輪から逃れられるわけではない。

 

「あの方は私が下について戦うことを許してくださるでしょうか?」

 

「どうだろうな。印象は最悪。あんたはみんなが敵を殺しているときに震えあがって隠れていた。そんな人間を軍隊に採用するかと言われれば微妙なところだ。まあ、頼むだけならただだ。頼んでみればいいんじゃないか?」

 

「そうしてみます」

 

 確かに印象は最悪だった。

 

 エルザは戦場を前にして怯え、何もできなかった。それに加えて、助かる見込みのない傷病者をミリィが安楽死させるのにも文句を言った。

 

 ミリィはエルザのことを兵士ではなく、ただの小娘だと思っている。間違いない。

 

 だが、それでもエルザは戦って復讐すべき人間たちを殺せるようにならなければならないのだ。そのためにはミリィの下で戦わせてもらわなければ。

 

「ミリィさん」

 

 塔の最上階にミリィはいた。

 

「あ? 何か用かい? あたしはあまり機嫌がよくないんだけどな」

 

「ご飯を食べてないと聞きましたので持ってきました」

 

 ミリィが青い瞳でエルザを睨みつけるが、エルザはそう告げてスープの入った椀をミリィの方に差し出した。

 

「はあ。食欲はないが、食っておかないとこれからいつまた食事ができるか分からないからな。一応礼を言っておく。ありがとよ」

 

「いいえ」

 

 ミリィが流し込むようにスープをかき込むのを見ながら、エルザはそう告げた。

 

「で、これだけが用事ってわけじゃないだろ。さっさと言いな」

 

「あなたの下で戦わせてください」

 

 エルザは率直にそう告げた。

 

「はあ。死にかけの人間相手にビビっていた奴に何ができる。足手まといだ。あたしたちは戦争をやってるんだぞ。首都の闘技場でやっているような戦争ごっこをやっているわけじゃない。相手はあたしらを皆殺しにする気だし、あたしらも敵を皆殺しにするつもりだ。それなのにあんたみたいなビビりが何ができる」

 

「できるようになりたいんです!」

 

 ミリィが空になった椀を置いたとき、エルザが叫ぶような声で告げた。

 

「私は復讐を成し遂げたいのです! 父を殺し、母を死に追い込み、騎士を殺し、臣下たちを殺し、臣民たちを殺した人間たちに復讐がしたいのです! そのために今ここにいるのです! 私は死んでいったものたちのために復讐を成し遂げたいのです!」

 

 エルザは叫び続け、息を切らせた。

 

「……国境線が慌ただしくなって、伝令が送られた。その次の時間には敵は国境線を蹂躙し始めた。私は親父が国境警備隊長だったから、何も考えずに国境に向かった。伝令の報告を受けて、近衛兵団と黒山羊騎士団が来てくれることを期待して」

 

 ミリィはそう告げながら、ワインの入った革袋を傾けた。

 

「だが、近衛兵団も黒山羊騎士団も来やしなかった。国境線は滅茶苦茶に蹂躙されて、今度は後方に突如として敵が現れた。それからはひっちゃかめっちゃかさ。暫くして国境に偵察に向かわせた兵士から親父が死んでいたことを知らされた」

 

 ミリィはワインの入った革袋を握り締める。

 

「王族は、あれだけ威張り腐っていた王族はどこで何をしていた!? どうして国境線に助けに来なかった! 近衛兵団も黒山羊騎士団もどこで遊んでいた! 臣民を守るのが王族の務めじゃなかったのかよ!」

 

 ミリィは叫んだ。ただ怒りをぶつけるように叫んだ。

 

「近衛兵団も黒山羊騎士団も戦いました。そして父も死んだのです」

 

「……分かってるさ。あたしらは人間どもにいいようにしてやられたってことはな。だが、今になって王族がやってきて戦いたいと抜かすなんて腹が立つ。お前ら王族は必要な時にいなかったんだ。それを今さら」

 

 エルザが静かに告げ、ミリィが首を横に振った。

 

「王族ではありません」

 

 エルザが告げる。

 

「バロール国は今は滅びています。王族も何もありません。私はただの兵士として戦いたいのです。お願いします」

 

 深々と頭を下げたエルザをミリィが睨むように見つめた。

 

「もうちょっと考えろ。話はそれからだ」

 

「しかし……」

 

「しかしも、でも、もなしだ。考えろ。そして、今は失せろ」

 

 ミリィはそう告げ、それから一言も発さなかった。

 

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