亡国の姫に復讐の剣を

そして、彼女は復讐を遂げるか
第616特別情報大隊
第616特別情報大隊

第一章

プロローグ

公開日時: 2020年9月1日(火) 07:00
文字数:3,574

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 ──プロローグ

 

 

『我々は偉大なる竜の血を引いている』

 

 お父様はそうおっしゃいました。

 

『竜とはこの世の全ての生き物の頂点に立っている。竜とは誇らしい魔族だ。いや、魔族や人間を超越した存在だと言っていい。創造主アラシャムス様は人間や魔族を作られたが、竜は己の力でこの世に生まれてきた。それほどまでに強大な存在なのだ』

 

 お父様はそこでいつも微笑みます。

 

『我々、竜の血を引く者たちは誇らしく生きなければならない。竜の名を汚すことがないように。全てのものを守り、怯えるものを安心させ、飢えるものを満ちさせ、病に苦しむものを癒さなければならない』

 

 そして、お父様は私の頭を撫でてくれました。

 

『お前も立派な竜の血を引くものであり、次の魔族王だ。誇らしく生きるんだぞ、エルザ。いつでも、誰にでも恥じることのないように生きるのだ』

 

 ですが、お父様。

 

 今の私には生きていこうとする希望が全くないのです。

 

……………………

 

……………………

 

 それは今から3年前の物語。

 

 魔族の国。魔国バロールは大陸の北に位置し、魔族が生存することそのものをよしとしない人間たちと国境争いを毎年のように繰り広げていた。だが、それは表面的な戦争であって、決して国家を揺るがすようなことではなかった。

 

 今年も人間の軍隊は国境線付近に陣取り、幾たびかの国境侵犯を行うと、バロール軍によって撃退され、野営地を畳み、それぞれの故郷に去っていった。

 

 毎年のような出来事。

 

 怪我人もほぼなく、申し合わせたようにふたつの軍隊は正面衝突することなく、軽い衝突が起きただけで、今年の戦争は終わった。もはや毎度のことであり、いちいち戦勝祝いなど開かれることもない戦争であった。

 

「ここにエルザ・デア・バロールの功績を認め、王太女とする」

 

 王座の間にて吸血鬼の大主教がそう宣言する。

 

 エルザ・デア・バロール。

 

 年齢は12歳ほどだろうか。輝くようなプラチナブロンドを長く伸ばし、その肌は雪のように白く、その小柄な体が純白のドレスに包まれている様は雪ウサギを連想させた。だが、その側頭部に丸く曲がってついた角が彼女が人間ではないことを示している。

 

 エルザは半竜人だ。竜の血を引くものたち。かつて偉大なる竜と交わったものたちの子孫だと言われている。かつて、世界には竜がいた。竜は聡明にして、強大で、時として荒々しかった。だが、その存在は地上のものたちの敬意を集め、今も竜の血を引く半竜人は魔族たちから王族として戴かれていた。もっとも同じ地上に住むものたちでも、人間たちからは魔族の一種として忌み嫌われていたものの。

 

「面を上げよ」

 

 そして、このバロールの頂点に立つ魔族王フリードリヒ・デア・バロールが荘厳な式典に相応しい声を上げ、エルザが跪いた姿勢から父の顔を見上げる。

 

 エルザの顔立ちは母親である王妃によく似ていた。人形のように整っているが、幼さを残すあどけない顔立ちで、その瞳は深紅の色。ふっくらとした唇はこの祭典に合わせてルージュが塗られており、少なくとも幼さを理由に式典を否定するものはいなかった。

 

「第54代バロール国王。フリードリヒ・デア・バロールの名に置いて、汝を王太女として認める。ここに誓約せよ。汝はバロールの王太女として、バロールの国民を守り、バロールの領土を守り、バロールの恵みを守ることを誓うか」

 

 フリードリヒはあまりエルザに面影を残せなかったようで、しいて言うならばその深紅の瞳だけは娘であるエルザに引き継がれていた。

 

「神々とエルザ・デア・バロールの名に置いて。誓います」

 

「よろしい。汝はこれよりバロール王太女だ」

 

 そこでようやくフリードリヒは微笑んだ。

 

「宴だ! 娘の晴れ舞台である! 音楽を鳴らせ! 酒をたっぷり持ってこい!」

 

 荘厳な雰囲気は取り払われ、バロールの王城に活気が満ちる。

 

 このバロール国王の座する城をバロールの庶民たちは『殿様の城』とか『王様の城』と呼ぶ。正確な名称は『黒の城』だが、そう呼ぶ庶民はごくわずかだった。

 

 その黒の城ではエルザ・デア・バロールを王太女とする儀式が執り行われ、教会による宣言と国王による宣言、そしてエルザ自身の誓約が終わり、今は酒と肉がふんだんに振る舞われるにぎやかな宴の中にあった。

 

 黒の城の城下町でもエルザの王太女への任命もあって、お祭りムードだ。

 

 エルザは今の地位につくまでにバロールと人間の国境線での争いに巻き込まれた市民や負傷した兵士たちの治療に当たり、ノブレス・オブリージュとして──王族として相応しい振る舞いをしてきた。その国に尽くす立派な振る舞いをしてきた王女が次の魔族王になることが決まったということに、大衆も思わず喜びの声を上げているのだ。

 

「エルザ殿下に幸運を!」

 

 そう祈る声はバロールのあちこちで聞かれた。

 

「エルザ殿下、万歳!」

 

「我らがバロールに繁栄を!」

 

 黒の城の宴の間でも同じような声が響き渡っていた。

 

 黒の城で声を上げるのは高位の軍人や貴族たちである。彼らはこのめでたい日に黒の城に集まり、エルザを祝福していた。

 

「この豚はよく焼けておりますぞ。外はカリカリ、中は脂でジューシーな焼き具合。まさにこのめでたい日に相応しい料理ですな。小官めが切り分けて差し上げましょう」

 

「いやいや。こちらの鶏肉こそ美味なるものよ。香草の香りがしっかりと肉に馴染んでいて、葡萄酒によく合います。おっと。葡萄酒はまだ殿下には早かったですな。ですが、この香草焼きをご賞味ください。きっとお気に召しますよ」

 

 この宴の主役であるエルザの前には参加者たちが次々に料理を運んでくる。

 

「こ、このようにたくさんは食べられません……」

 

「なんと。お体の具合はよろしくないので?」

 

「い、いえ。単に量が多いと言いますか……」

 

 エルザの前には肉、肉、肉と肉の山が積み重ねられていた。

 

「このぐらいの量はあっという間ですよ。さあ、お食べください。料理人も殿下のために腕を振るいましたぞ。それに殿下は恐れながら小柄でいらっしゃる。もっと食べて、大きくなられるべきです。我らが国王陛下のように!」

 

 そう告げて出席者の視線がフリードリヒに向けられる。

 

 フリードリヒは骨付き肉を豪快にむさぼり、葡萄酒で胃袋に流し込んだ。

 

「うむ。美味い。この城の料理が美味いということは、民も美味い食事を食べている証拠だ。この城では食料の調達予算を最低限にしているからな。民が食べている食事が、この城の食事だ。民はいいものを食べている」

 

 フリードリヒはそう告げてエルザを見る。

 

「しっかり食べなさい。王の体が細くては民が心配する」

 

「は、はい、国王陛下」

 

 エルザはそう告げて肉をフォークとナイフで切り分け、かき込むように口に運んだ。

 

 確かに絶妙な焼き加減だ。食感が口を喜ばせ、肉の旨味が口をさらに喜ばせる。

 

「あまりがっついては王女らしくありませんよ、エルザ。上品にお食べなさい。それからデザートもあるのだから、お肉だけでおなか一杯にならないようにね。今日はあなたのために準備したとっておきのリンゴのパイがあるのよ」

 

「はい、王妃陛下」

 

 王妃──エルザの母に当たるカミラ・デア・バロールは微笑みながらそう告げた。

 

 何もかもが幸せな空間だった。

 

 父は逞しく、頼りになり、母は自分のことを常に心配してくれる。

 

 エルザは今年で150歳。長命な半竜族としては人間に換算すれば15歳となる。そろそろ大人にならなければならないのだが、ついついに両親の優しさに甘えてしまう。自分は本当に立派な魔族王になれるのだろうかと心配になるときもある。

 

「心配はするな」

 

 そんなエルザの心中を察したかのようにフリードリヒが告げる。

 

「お前はひとりではない。お前を支える忠臣たちがいる。これからは国の統治についても学ぶだろう。お前が国を継ぐときには胸を張って、私から国を引き継下」

 

「はい、国王陛下」

 

 エルザはフリードリヒの言葉に力強く頷く。

 

「まだまだ時間はありますもの。エルザ、あなたは少しずつ成長していけばいいのよ。いきなり国王陛下のように立派な統治者になれだとは言わないわ。少しずつ成長していって、あなたらしい魔族王になりなさい」

 

 そして、カミラが優しく付け加える。

 

 自分は幸せ者だとエルザは思った。これほどの愛情を受けている者もこの世には少ないだろう。皆が自分を祝福してくれている。皆が自分のことを思っていてくれる。それだけでエルザはとても幸せな気分になれた。

 

「さあ、エルザ殿下。まだまだ美味なる料理はありますぞ」

 

「どんどんお食べください」

 

 吸血鬼の貴族と人狼の軍人は相変わらずエルザに肉ばかり勧める。

 

 だが、これも幸せの証だ。

 

 エルザはたらふく料理を食べ、デザートのリンゴのパイまで平らげると、その日の宴は終わったのであった。

 

 エルザは王太女となり、皆から祝福された。

 

 少なくとも魔族たちからは祝福されていた。

 

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