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──埋葬と前進
エルザが黒の城に戻ってから始めたのは埋葬だった。
流石にエルザひとりで全ての人間を埋葬できない。だから、彼らの髪を切って、共同墓地として埋葬することにした。
その中でも例外なのはヴェルナーと王妃カミラの遺体。
「おい。大丈夫かよ、嬢ちゃん」
「大丈夫です。なんとかします」
“エリニュスの狂乱”が声をかけるとエルザはヴェルナーの鎧を脱がせて、抱えた。それでもかなりの体重があるものをエルザは一歩、一歩確実に運んでいく。
ずっしりとした死者の重みがエルザの体を軋ませ、エルザは歯を食いしばって、ヴェルナーの遺体を運び続ける。ヴェルナーから力が全く伝わってこないことから、ヴェルナーの死を再確認し、エルザはまた涙が溢れそうになるのをこらえた。
そうやって荒れ果てた黒の城の内部を進み、エルザは裏庭に出た。
ヴェルナーと出会った場所。ヴェルナーが自分をエルザの騎士にしてほしいとの頼んだ場所。エルザとヴェルナーが長い時間を過ごした場所。ヴェルナーがエルザのために珍しい植物を見つけてくれた場所。ふたちの思い出の場所。
そこまできて、エルザは崩れ落ちるように膝をついた。
「大丈夫か、嬢ちゃん?」
「大丈夫、です。ただ、ここにいると昔のことを思い出してしまって、それが……」
“エリニュスの狂乱”が心配そうに声をかけてやると、エルザの目から涙が零れ落ちた。拭っても、拭っても、涙が零れ落ちていく。
ここで自分の騎士になった少年はもう死んだ。ここで一緒に思い出を作った少年はもう死んだ。自分を置いてひとりだけで逝ってしまった。
その事実が再確認されたことにエルザの目から涙が零れ落ち続けた。
あの時、意地悪な庭師の目を掻い潜って一緒に珍しいバラの花をスケッチしたのはいつのことだっただろうか。あの時、蜂に驚いたエルザのことを身を盾にして守ってくれたのはいるのことだったろうか。
思い出がぐるぐるとエルザの頭の中を巡る。
「流石に疲れただろう。残りは明日にしようぜ」
「そうはいきません。ヴェルナーをこのままにしておくだなんて」
そう告げてエルザは王妃のために墓穴を掘ったスコップを手にし、裏庭の前に墓穴を掘り始めた。ざっざと土を掘り返して、また掘り、手足の感覚がなくなるまで、手足の感覚がなくなってもなお、エルザは墓穴を掘り続けた。
どれくらいの時間がかかっただろうか。
朝日は既に夕日となって地平線に沈み、真っ暗な中エルザは墓穴を掘り続けていた。そして、ようやくヴェルナーの収まる墓穴が完成した。
エルザは深々と息をつくと、ヴェルナーの遺体を見た。
「ヴェルナー。お別れです。思い出の場所でゆっくりと眠ってください……」
エルザはそう告げて、ヴェルナーの遺体を感覚のない腕で抱えると、墓穴の中に丁寧に収めた。そして、ヴェルナーの遺体の額に軽く接吻すると、掘り返した墓穴を埋め始めた。再び手足に鞭打ち、ひたすらに墓穴を埋める。
エルザ以外誰もいない葬儀は1日かけて行われ、王妃とヴェルナーの遺体は葬られた。祈りの言葉も、宗教的な儀式もなく、ただ深い悲しみだけがある葬儀はエルザの手で行われ、エルザの手で終わった。
「疲れただろう。今日は休め。体調が万全じゃないのに出発しても躓くだけだ」
「そうですね……。今日は休みます……」
そして、最後にエルザはヴェルナーと王妃の墓を振り返った。
「最後にこれを」
エルザは庭から切ってきた赤いバラと青いバラを王妃とヴェルナーの墓に置いた。
「私は決して忘れません。必ず復讐を成し遂げます。待っていてください」
かつてヴェルナーがエルザに誓ったようにエルザはヴェルナーの墓に誓った。
「もう敵襲の心配はしなくてもいいのでしょうか?」
「再び瘴気がこの付近を覆い始めてるんだ。神気で中和しない限り行動できない。今は大丈夫だ。何かあれば俺がたたき起こす。だから、安心して眠れ」
「ありがとうございます、“エリニュスの狂乱”さん」
「だから、敬語は……。まあ、名前は縮められないんだけどな。こいつは呪術的な意味合いのある名前だから。別の名前で呼ばれても反応できない。そこのところは用心しておいてくれよな」
「分かりました」
エルザは自分の部屋まで戻ると、そこでいつでも動けるようにブーツを履いたまま、枕の脇には“エリニュスの狂乱”を置いたまま、横たわって目を閉じた。
夢の中ではいつもと変わらない黒の城の様子が見れた。国王と王妃は生きており、エルザに優しい微笑みを向け、ヴェルナーはいつもと変わらない態度でエルザに付き添っている。時々、彼が笑うのが嬉しかった。
だが、突如として周囲が血まみれになった。何もかもが真っ赤に塗りつぶされ、国王と王妃の笑顔も、ヴェルナーの笑顔も見えなくなる。
疲労から眠っていたエルザの瞳から涙が枕に零れ落ちる。
何滴も、何滴も涙が零れ落ち、枕が濡れていく。
その様子を“エリニュスの狂乱”は黙ってみていた。
(人の世の中ってのはひでえもんだよな。こんなに小さな子が復讐という業を背負って、生きていかなければならないだなんて。こんな小さな子があれだけの覚悟で復讐に向かわなければならないだなんて。世界ってのはトチ狂っているのかねえ)
“エリニュスの狂乱”はぼんやりとそんなことを考えながら、ただの剣としてエルザの傍らで横たわり続けた。
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翌朝。
相変わらず黒の城は死臭に満ちている。
エルザが気絶していた時間が何時間か、あるいは何日かは分からないが、既に腐敗の始まった死体もあるようだ。エルザは鼻に残る死臭も、復讐への気力へと変えて、“エリニュスの狂乱”を腰の剣帯に下げると部屋を出た。
「起きたか」
フォーラントは昨日と同じ部屋にいた。
「随分と疲弊している様子だが、それで大丈夫か?」
「疲れは既に取れています。昨日はゆっくり眠りましたから」
「それは結構。体力が残っていなければ復讐することはできん」
フォーラントはそう告げてじろりとエルザを見つめた。
「“エリニュスの狂乱”。この娘は本当に休んだのか?」
「あんな光景を目撃して昨日の今日ですよ。満足に眠れるはずがありませんや。悪い夢も見ていたようですし、もうしばらくは休んだ方がいいと思います」
そしてフォーラントの問いに“エリニュスの狂乱”が答える。
「大丈夫です! 行かせてください!」
「行くなとは言っていない。だが、そんな状況で戦闘に耐えられるのか。前線までの長い行軍に耐えられるのか。それを問うているだけだ。自信があるなら行くがいい。途中で野垂れ死なぬようにな」
フォーラントの言葉は冷たく、そして厳しかった。
「嬢ちゃん。悪いことは言わないからもう1日ぐらい休んでから行こうぜ? な?」
「いえ。もうこれ以上延ばせません。行きます」
“エリニュスの狂乱”が諭すがエルザは言い切った。
「ならば、行け。だが、そのドレスで行こうなどとは思うなよ。そんな上等なドレスを着てうろうろしては格好の標的であるし、そもそも戦闘に適さぬ。これにでも着替えておけ。使用人の私服だ。目立たぬだろう」
「分かりました」
エルザはその使用人の私服を受け取ると、ドレスを脱ぎ始めた。
エルザには何十人という使用人がついていたが、着替えは自分で行っていた。使用人に任せるのは細かな調節だけだ。それは父が王族たるもの自活できる必要があるという教えを説いていたからである。
「あのー……。ここで着替えられると目のやりどころに困るんだが」
「黙っていろ、“エリニュスの狂乱”。目を閉じていればいい。貴様の主は今はこの娘だ。片時も離れずにその復讐を成し遂げさせろ」
「あいあい……」
実際のところ、“エリニュスの狂乱”の目を開けているか閉じているかなど外から見ては分かり様もなかった。そもそも剣に目を閉じるという行為が行えるかすらも不明だ。
エルザはいくつもの丁重に飾られたボタンを外し、その絹のような肌に吸い付く布地をゆっくりと払っていき、少しずつ裸体を見せ始める。ものの15分程度で豪華なドレスは脱ぎ捨てられ、それから5分で使用人の私服に着替えた。
使用人の私服は継ぎ接ぎが僅かにあるが、しっかりとした布地で、色あせた地味な緑色のチュニックに灰色のスカート、そして黒い外套だった。黒い外套は贈り物なのかよく手入れされた毛皮で、すっぽりとエルザを包んでくれた。
「それで寒さも凌げるだろう。まだ少し夜は冷える。それに包まれて眠るがいいい」
フォーラントはそう告げた。
「さあ、復讐を望む娘よ。行くがいい。行って復讐をなせ」
「はい。ありがとうございました」
エルザはひとつだけ身から離さなかった王族であることを示すブローチをチュニックの中に顰め、城の城門に向かった。
エルザは最後にフォーラントの方を振り返ったが、彼女は現れたときと同じように忽然と消え去っていた。
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