ジュディンはレディースクリニックの待合室で、処方された薬を夫に飲んで貰った時のことを思い出していた。結婚して四年、自分も夫のホーマックも子供がいなくても二人で楽しく過ごせていければそれでいいと思っていた。しかし、親戚などの、特に夫側の人達からの無神経な言葉で、ジュディンの心は擦りきれていった。
ホーマックにも話して勇気を出して二人でクリニックを訪れてみた。診察方法は分かっていたが、やはり少し怖かった。夫側の精子も調べる必要があるということで、昔のカメラフィルムケースのような半透明な容器を渡された。
「手伝おうか?」
「え、あ。大丈夫」
スマホを持ったホーが寝室に入っていくのを見送った。なんだかモヤモヤとした気持ちにジュディンはなったが、「はい、これ 」ホーが遠慮がちに渡してきた容器の中のとろとろとしたのを見るや、すぐさまクリニックで教えられた通りに容器を冷やして持っていく行動にテンションが高まった。
「日本で開発された新薬です」
ヤンミョン・レディースクリニックの院長サカリナ・ヤンミョンがジュディンに言った。
「タイミング療法に向いている」
「はあ」
カナダでは体外受精は一回一万ドル近くもする。一部の富裕層か余程の覚悟を決めた者しか試す事は出来ない。しかも、一度目で上手くいく確率は、ホッケーのパックを自陣から相手ゴールにぶちこむよりも低い。
「タイミング療法の問題は 」サカリナが一度軽く咳払いを入れて言った。「ぶっちゃけ、《釣った魚に餌をやらない問題》なのね」彼女はくるっと目を回して肩をすくめた。
「ええ ?」
「旦那の精子さ、してあげた?」サカリナが空の容器を振りながら聞いてきた。
「えっ?あ、その 」
このクリニックは女医の院長で、とてもリラックスできるとレビューにも多々あったのでジュディンは決めたのだった。実際サカリナ・ヤンミョンはとても上品な言動の医者だった。それが 。
「旦那さん、スマホ持って部屋に入ってたんでしょ?」
「え?あ、何でそんなこと 」
「あーごめん。でもまー、半分以上、てかほとんどそんなもんらしいから。あんまり気にしないで」
「いったい何の話をしてるの?」ジュディンはたまらずに言った。
「つまり、レスってこと。問題なのは」サカリナは容器を机の上に置いて言った。「付き合ってた頃とかしつこく言い寄ったり、ガンガンきてたくせに、自分のモノにしたと思ったとたんにほったらかし」《釣った魚に餌をやらない問題》とサカリナは手のひらを上にしてかぶりをふった。
「あたし達は別に」
「女のプライドもこの問題の一部になってるわ」
「 」
「まー当然よね」
「不妊とどういう関係が」ジュディンはイラつき始めていた。
「そりゃ大有りでしよ。ヤらなきゃ出来ない訳なんだし。ガンガンやっる方がしないより良いに決まってる」
「やればいいって訳でも」
「そりゃそうよね」サカリナは額にかかった黒い髪を片手でかきあげた。「男ってさ、結婚した相手に遠慮っていうか、今さら照れてきてるらしいんだよね。それで誘うのに妙なプレッシャーがあるみたい」
「は?意味 」
「分かんないよね、まったく」サカリナは机の上にあった緑の錠剤がブリスターパックされたシートをかざした。「これはね、ひ弱なメンタルの男どもをサポートしてくれるものなの」
「サポート?」変な向精神剤でも飲ますのだろうかとジュディンは思った。
「危ないクスリとかじゃないから」“クスリ”というところでサカリナは両手の指をくいくいと曲げ伸ばしした。続けて「名前はね 」と言ったきり口に拳を当てて黙った。
「あの 」
「絶対に笑っちゃ駄目よ」
「はあ」ジュディンは首を前に出してうなずいた。
「じゃあ言うわよ」こほんと咳払いをしてサカリナ・ヤンミョンは言った。「『汎超早漏薬』、よ」
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