異世界転移するって話だったのに途中キャンセルされたんですが……。

トーリ
トーリ

5話

公開日時: 2020年10月27日(火) 11:42
更新日時: 2020年10月27日(火) 16:22
文字数:9,399



 流石に12階まで登るのは諦めた。

 レベル上がった今の俺ならば出来なくもないのだが、彼女が怯えてしまう。

 仕方ないので異空間収納にジャケットとマフラーをしまって、入れっぱなしになっていたベージュのコートを上から羽織って入り口から入ることにした。


 一応、彼女の目の見えないところから服を取り出したのだが「え、どこから?」と首をかしげていた。

 現実離れした身体能力を見せつけてはいるが、魔法やスキルの存在にまで行きつかないみたいだ。


1階にいた管理人さんが「あれ?」みたいな顔をしていたが、不審に思われる事も無く自分の家まで戻れた。


「……ここに住んでるんですか?」

「ああ、最近引っ越して来たばかりで足りない物だらけなんだだけどね」

 彼女を招き入れると、リビングのテーブルに座って貰った。


「コーヒー飲める? それともジュースの方が良い? オレンジならあるけど」

「あ、その……コーヒーで。沁みるので」


 言われて彼女が吉田の暴行で口の中を切っていることを悟った。


 よし、ここは先ほど覚えた回復魔法を使ってみるか。

 俺は彼女の近くに歩み寄り、膝立ちで見上げる様しゃがんだ。


「あの……ど、どうしたんですか?」

「傷、痛む? 大丈夫?」


 声を掛けつつ彼女の傷などを鑑定で特定してゆくと、意外と細かい傷が多かった。

 どうにもあの場に居た下っ端共に随分とひどい目にあわされていたようだ。顔をしかめそうになるのを堪えながら、傷の位置を全てマーク付けていく。

 すると下腹部にまでマークが付いたときは「アイツら殺しておけばよかったか」と本気で思ってしまった。


 深呼吸して気分を落ち着かせる。

 そんな俺を不安そうな目で見つめる明美。


 これまでのスキルのように心の中で回復魔法を念じる。

 すると――。


「え、なにこれ……」


 俺と彼女の身体が淡い緑の光に包まれた。

 やべえ、これ光るのかよ。



「落ち着いて、今君の怪我を治してるから」

「え、怪我を……治す?」


 混乱してる様子の彼女だったが、すぐに変化が訪れた。

 まずボサボサだった髪が艶のある綺麗な状態に戻り、顔の腫れも引いて行った。

 だが、どうにも「まだかかる」感じがしたのでそのまま回復魔法を施す事5分弱。


 すると、明美はハッとした様子で手をお腹に当てた。

 恐らく治ったのを感じたんだろう。俺もはっきりと「完治した」と手ごたえを感じた。


 驚く様に目を見開いて俺を見つめる明美。

「そん、うそ、だって、な、なんで」


 混乱で言葉が上手く出ない彼女に声をかける。

「もう大丈夫だ。もう、全部治したから」


 その言葉に彼女は顔をくしゃりと歪めて、声を上げて泣き出した。

 胸に飛び込んで来た彼女を受け止め、わんわん泣き続ける明美の頭を撫でる。


 これほどまでに傷ついていたことに胸が痛むと同時に、助ける事が出来て本当に良かったと心から感じた。








 それから1時間後、落ち着いた彼女にオレンジジュースを出してあげることにした。

 鑑定の結果だと「甘い物好き」と出ていたのでこっちの方が良いはずだ。


 恐る恐る口に付けて「痛くない」と呟くと、彼女は僅かに頬を緩ませてジュースを飲んだ。



「とりあえず自己紹介をするね。俺の名前は斎藤一だ」

「斎藤さん……、私は日野明美です。えっと大学に通ってます」

「色々聞きたいことがあるだろうけど、まず話を聞いてほしい。いいかな?」

「は、はい」


 俺はそこから自分の持つ不思議な力について話した。

 回復魔法やら身体強化、さらには異空間収納というスキルを目の前で見せてみると驚きはしたが怖がる様子もなかった。



 逆に彼女の置かれている立場というか状況を知れば知る程、相当面倒なことになっていることが湧かった。

 まず、何故明美があのような場所で働かされていたかと言えば大学サークルの奴らが裏で手を引いていたことが原因だ。

 元々明美は大人しい性格で、人前に出る事無くひっそりと過ごすのが好きなタイプだったのに去年の大学イベントでミスコンに選ばれてしまったそうだ。


 普段はおしゃれもしない彼女だったが、一部のウェイ系が「お前出てみろよ」とネタにするつもりで引っ張り出したところ、彼女が予想以上に原石だったことが其処で露呈。

 多くの生徒が彼女に釘付けになってしまい、それを嫉妬で逆恨みしたウェイ系女に陰湿ないじめを受けるようになってしまった。

 最初は周囲の者達も庇ってくれたそうだが、苛められても余り抵抗しない明美に対し段々と「こいつは虐めてもいい」みたいな風潮が伝染していったようだ。


 守ってくれていた人物らもそんな集団の中でひたすら守り続けるのが困難になり、徐々に離れて行き今では完全に孤立。

 そして先月になって、遂にウェイ系男に強姦されその動画を脅しの材料として裏風俗で働くように言われたそうだ。


 ……よく持ったよな。普通に耐え切れなくて自殺もあり得るレベルの虐めだぞコレ。


 思い出して暗い表情でうつむく彼女に質問した。


「復讐、したいか?」

「え」


 俺の言葉に弾かれる様に彼女が顔を上げる。

 驚きと困惑が入り混じった表情、それでいて俺をまっすぐ見る。


「そいつらを同じ目に合わせたいか?」

「どうしてそんな事を?」

「俺なら手を貸せるぞ」



 何の救いにもならないと分かってた。だけど、俺は彼女が望むのなら手を貸してやってもいいとすら思っていた。

 たぶん、話を聞いただけならそこまで思わなかった。

 だけど鑑定で調べれば調べるほどそのサークルの奴らを許せなかった。


 アイツら、明美以外にも似たような被害者を何人も出してやがった。

 正直生きてていい奴とは思えないレベルだ。


 だが明美から帰って来た言葉は俺の創造とは異なった。

 静かに首を横に振る明美。


「いいのか? 仮に奴らに殺意を覚えてもソレは正当だと思うけど」

「ありがとうございます。本音を言うと私も殺したい位憎いです。それこそ同じ目に合わせてやって、その上で「助けがない」事を知らしめてやりたいくらいです」


 だけど彼女は一瞬間をおいてから「でも」と続けた。


「あの人達と同じになりたくないんです。ひたすら、あのレベルになりたくないんです」


 その言葉に思わず感心してしまった。

 この人はほんとにすごい。心が強いなんてもんじゃない。

 俺だって怒りやら憎しみで直接的な報復を考えたのに、被害者である明美本人はもっと高い次元での目線を持っていた。


「凄いね、本当に」

「そんな、凄いのは斎藤さんの方ですよ。わたしはあんな力持ってませんし、人を助けるなんてとても……」

「いや、凄いよ」


 俺は明美の手をソッと握って正面から彼女を見つめる。

 手を触れるとびくりと震えるが、振り払ったり叫んだりしない。


 怖いはずなのに、それでもしっかりと耐えて俺を見つめ返している。


「わかった、とりあえず暫くは俺の家にいるといい。ちょうど空き部屋もあるし、大学にも送り迎えをする。ついでに何か問題があればいつでも助けに行くよ」


「そ、そんな……そこまでしてもらう訳には」

「いや、俺がそうしたいんだ。俺の助けた人がまたどこかで不幸になるのは我慢ならない」

 

 俺の言葉を聞いた明美が少し驚いた顔でこちらを見つめ、呟く。


「まるでヒーローみたいですね」


「ヒーロー?」


「あ、すみません。その、なんというか……周りから見れば「誰かのために」なんですけど映画に出てくるヒーローって自分の中にある「譲れないルール」に従って動いてるんです。なんとなく、その姿と今の斎藤さんが被って見えたので」


 言われた言葉がスッと胸の奥にはいってきた。 

 憧れてたヒーロー。でも人助けし続ける人生って辛いと思ってもいた。その内助けられるのが当たり前になって「なんで助けてくれなかったんだ」って文句をいう奴も出て来るって思ってた。

 だけど、彼女の言う「譲れないルール」ってやつに従った人助けなら続けられるかもしれない。


 誰かに強制されてるんじゃない。

 俺がやりたいからやってるだけの人助け。


 偽善だ。でも「やらない善よりやる偽善」だ。

 そもそも俺は神様でも何でもない。夢に出た神様ならあるいはできるかもしれないけど、俺にはすべての人を救うなんてまず無理だ。

 だったら、俺なりのヒーローを目指せばいい。


 まだ理想像なんて決まらないけど、それもじっくりこれから考えればいい。

 難しく考えすぎたんだな。


「よし、俺は今日からヒーローになるぞ」


 立ち上がって握り拳を作ると、クスクス笑う声が聞こえた。

 

 明美と目が合って気恥ずかしさで頬が熱くなる。

「いいと思いますよ。斎藤さんはヒーローにぴったりです。まっすぐで、素直で、それでいて良く考えてる。応援します」


「ありがとう」



 それから暫く落ち着いて話し合うと明美は「なら私はヒーローを影で支えるヒロインになりたいですね。もちろん、秘密はばらしたりしませんよ。2人だけの秘密です」とここにきて自然な笑みを浮かべ、浴室へと向かって行った。

 



 ヒーローが出る物語にはヒロインが必須。

 いきなり可愛いヒロインと同居するヒーローなんているだろうか。

 俺は内心ドキドキしながら、明日から彼女を護衛する方法を考えるのだった。








 翌朝、自室で目が覚めるとなにやらいい匂いがしてきた。


「ん……?」


 寝ぼけた目をこすりながら身体を起こし、部屋を出るとジュウジュウとキッチンから料理をする音が聞こえた。

 もしやと思って近づいてみるとそこには明美が何やら料理を作っている所だった。


 俺に気付いた明美は花が咲く様な笑みを浮かべた。

「おはようございますハジメさん」

「ああ、おはよう……んん?」


 さらっとしたの名前で呼ばれたことに気付くと、彼女は少し照れ臭そうにしながら笑う。

「その、暫くお世話になるのに「斎藤さん」じゃ他人行儀過ぎますからね」

「そ、そうか……よろしくな。明美」


 こっちも下の名前で呼ぶ。

 心の中では何度もそう呼んでいたが、口に出すとすごく恥ずかしい。というか嫌じゃないだろうか……。

 不安になりつつ彼女の様子を伺うと、これまたいい笑顔で「はい」と頷いてくれた。可愛い。


 



「あ、勝手に冷蔵庫の中にあったのを使っちゃってすみません」

「いやいいよ。どんどん好きに使ってくれ、足りない物は無かった?」

「えっと……ちょっとだけ調味料が少なかったです。というかほとんどなくて……塩コショウとマヨネーズはあったんですけど」


 すまん、それは俺がものぐさなせいだ。ついでにマヨネーズだけは完備してるのは俺が好きな調味料がマヨネーズってだけだ。


 目を逸らすとくすくす笑って「今度買い物に行きましょうね」と言われれ頷いた。

 ……これってデートの約束だったり?



 そんな事を考えながらリビングのテレビを付けるとニュースが流れていた。

 ニュース番組とバラエティーが混ざった様な放送の様で、最近話題の芸能人の顔が画面左上で四角く表示されている。


『昨日、神奈川県横浜市の中華街にて、同日事件を起こしていた指定暴力団鷲田組員が逮捕されました』


 お、さっそくテレビに出てるな。


『捕まったのは鷲田組、若頭補佐の吉田勝容疑者(35)と同事務所の岡田正志容疑者(30)の二名で、彼らは東京駅で「肩がぶつかった」と通行人に声を荒げ暴力を振るい、全治2ヵ月とされる大けがを負わせました。その直後通報を聞き付けやってきた警官に、取り巻きの構成員は逮捕されましたが両名は逃亡。その後の足取りがつかめず捜査が難航していました。

 ですがそのおよそ4時間後に謎の男によって拘束された状態で、中華街にある交番前に連行されてきたそうです』


 すると画面が切り替わり、モザイクが入った通行人がインタビューを受けていた。


『もーすごかったです、軽々と男の人を2人も抱えてたしどこからともなく現れたんです!』

『友達がその場に居たんですけど、空から降って来たっていてました! あまりにも凄すぎて、最初何かの撮影かと思ったくらいだったって!』

『しかも警察の人が話を聞こうとしたら「待たせてる人がいる」って言って、またジャンプしてビルの屋上に消えたんです!』

『あれなんなの? なんか新しい撮影か何か? まったくもう、道の真ん中でいきなりやめてほしいわ。びっくりして肉まん落しちゃったわよ。え? 撮影じゃない? まさか、何言ってんのよ。生身の人間が空飛べるわけないじゃない……え、うそでしょ? ホント?』



 聞けば聞く程超人である。

 しかもあの時のやり取りを途中から撮影してた人がいたらしく、それがテレビで流れる。


 そこには全身真っ黒で赤いマフラーをした俺の姿。

 顔は殆ど隠れているが背格好は何となくわかる。……もうちょっと変装拘ればよかったかもしれない。


 警官と何やら話してる姿に「なになに、さつえい?」みたいな撮影者らしき声が入っているが、男二人を下ろしたところで警官が男に近付き……空へと消えた。

 その瞬間、撮影者が「うそ!? とんだ!? まじ!?」という声が上がってそこで終わる。


 スタジオに画面が戻ると、出演者たちが各々に話し合う。

 なにかのパフォーマンスなのか、それとも本当に空を飛んだのか。


 すると真面目腐ったオジサンが


『空を飛べるわけないですよ。きっと屋上かどこかに吊り上げる道具が用意されてて、それを使ったんでしょう』


 と意見を述べる。

 対して若い芸能人が首をかしげる。


『そうですか? それにしては加速が凄くないです? 逆バンジーやったことありますけどそれ並に早かったですよ? そんな紐見えました? それにそんな機材を持ち込んでたらバレますよ』


 と真っ向から「本当に飛んだ説」を推す。

 恐らく対抗馬として喋った方が盛り上がるし、面白いからと言う理由なのだろうが実は的を射ている反論だった。




 そんなやり取りをテレビで見ていると、いつの間にかテーブルの上に料理が並べられている。


「おお……ちゃんとした朝食は久々だ」


「喜んで貰えてうれしいです。お口に合うと嬉しいです――それより、この映像ハジメさんですよね」


「そうだね」


「ふふ、テレビで話題の人が目の前で私の御飯を食べてくれてるって、ちょっと変な気分です」


 そう言って笑う彼女を見てホッと息を吐く。

 昨日もそうだが笑えるようで本当に良かった。


 鑑定で見てしまった彼女のこれまでの扱いを鑑みると、トラウマで男を心底嫌いになってもおかしくない位だった。

 それでも笑えるのは彼女の心の強さ故なのかは不明だが、とりあえず今は穏やかな時間を喜ぶことにする。








 朝ご飯を食べ終わった後、俺は彼女に今後の予定を聞くことにする。

 今回助けることに成功したが、彼女は事件の被害者ではない様になっている。あの場に居合わせた錦と言う若頭に明美があそこにいたという痕跡を全て消して貰っているからだ。

 ちなみに吉田たちが捕まった時に、あの裏風俗もしっかり検挙された。


 錦は現場から既に居なくなっており、代わりの部下が警察の事情聴取を受けているらしい。



 そして、明美を陥れた奴らは現在警察に今回の事がばれると思ってびくびく縮こまっているようだ。

 ざまあみろ。暫くいつ来るか分からない警察に怯えて過ごせ。

 明美は復讐をする気が無いと言ったが、俺個人が何もしないとは言っていないぞ。お前らには安寧は訪れないと心しておけ。


 そう、俺はヒーローを目指すが絵に描いたような博愛主義じゃない。

 守りたい奴だけを守る、エゴを持った「俺だけのヒーロー」になるって決めたんだ。



「明美はこれからどうするんだ?」

「これから……そうですね。いつまでも大学を休むわけにもいきませんし」

「そうだな、親はどうしてるんだ?」

「両親は青森に住んでいるので……」


 ずいぶん遠くから来たんだな。しかしそれほど遠くにいるんじゃ、泣きつく事も出来ないか。

 両親も災難だな。送り出した娘が東京であんな目に遭っていたなんて、聞いたら卒倒するぞ。


「よし、とりあえず暫く大学への送り迎えは俺がやろう」

「え、そんな……わるいですよ」

「だめだ。これは俺の我儘でもあるんだ。明美を守るって決めた以上は手を抜かない。もちろん、明美のプライベートまで踏み込むつもりはないが、アイツらもそのルールを守るとは限らない。大学の中まで守る事は出来ないが……それでも、送り迎えで牽制する事くらいは出来る」


 嘘だ。

 鑑定を使えばいつでも明美の状態を確認できる。

 もし、悪質な虐めが発生するようなら俺は顔を隠して大学へ乱入する気満々だ。

 明美を傷つける奴は俺が容赦しない。


 俺の真意に気付いたのかは別として、明美は少しだけ嬉しそうに笑って「おねがいします」と頭を下げた。



 とりあえず送り迎えようの車を買わないとな。



「よし。今日は買い物に行こうか」

「え」

「別にすぐ学校行かなきゃダメって事じゃないだろ? だったら1週間だけ休もう。別に出席が足りないって事は無いよな?」

「え、はい。まあ、1週間くらいなら何とでもなりますけど」

「よし、この1週間のうちに全部終わらせるぞ」


 一時間後、俺は混乱する明美を引っ張って買い物へ向かうことにした。

 真っ先に向かったのはカーディーラー。


 店内に入ると俺たちを向かい入れる40過ぎほどに見える男性店員。


「いらっしゃいませ。どのようなお車をお探しですか?」

「中古車なんだが、とにかく早くほしいんだ。あと見た目も優れてると嬉しいな」

「失礼ながら、運転の経験は?」

「ほとんどない」

「でしたら最初はあまり見た目にこだわらず、使いやすさを選ばれた方がよろしいかと。お客様のように見た目で選び、高額な車体を買われますと傷がついた時のショックも大きいので……」


 ちらりと隣に立っている明美を見て苦笑いを浮かべる。

 この店員さん良い人だな。普通ならば高い物を買いたいという客は上客にもかかわらず、その客が後々後悔しない様に苦言も呈する事が出来る。

 だが今はそれが少しばかり困る。


 最初は俺だって同じことを考えていた。だけど今回の事で見た目の良い車を用意する必要があった。

 理由は簡単だ。彼女を送り迎えする車がどこぞの安い車だと簡単に馬鹿にされる。

 だが、高級車もしくはそれに近しい美しさを持った車で送り迎えしてくれる人間が居た場合、学生は大抵驚き、警戒するものだ。


 俺はこの車で明美を送り迎えして、いじめをしている奴に牽制するつもりなのだ。


「明美、悪いんだけどちょっと待っててくれるか?」

「え、はい」


 ポカンとした様子で車を眺めている明美から離れて、店員と少し離れた場所まで移動する。

 ……うん、ここなら声は聞こえないだろう。



 彼や他の店員も困惑した様子で俺を見ている。


「すまない、事情があって見た目で舐められない車が欲しいんだ」

「……失礼ながらお伺いしても?」


 俺が離れた場所に連れてきたことで、おおよその予想が出来たらしい店員はちらりと明美を見る。

「予想付いてるかもしれないが彼女関連だ。彼女は見た目が良いのだが、気が弱くて大学で苛めに遭ってるんだ。俺としてはそれを何とかしてやりたい……が、下手に口を出して揉めても駄目だろう?」

 その言葉に男性店員も頷く。


「そこで、俺と言う金を持ってそうでヤバそうな奴が裏にいるって思わせれば下手な行為をしないと思ったんだ」

「つまり見掛け倒しにしたいと」

「そう、店員さんの気遣いもうれしいが今は急務なんだよ。金に糸目をつけるつもりはない。車検が残っているかとか、カラーだとかが納車までの短縮に絡むはずだ」

「……予算をお伺いしても?」


 少し考える様な顔で店員が聞いて来る。

「この際だから600から1000までなら許容だ」


 奥義、札束ビンタだ。


「本気みたいですね」

「でなきゃあの子を連れてここに来たりしないさ」


 チラッと見ると車を物珍しそうに見ていた彼女が、こちらの視線に気づいて照れくさそうに笑った。 

 それに笑みを浮かべて手を振る。


「畏まりました。1つ心当たりがあります。限界入りギリギリになるかと思いますが、宜しいですか?」

「ああ、納車は何時になる?」

「そうですね。本日必要書類はお持ちで?」

「勿論ある」

「でしたら、全てここで済ませて頂ければ1週間……いえ、4日後には納車が可能かと思われます」

「うん、さっそく資料を見せて欲しい」



 それから店員は資料を取りに奥へ向かい、俺だけが一足先に明美の所に戻った。


「何を話してたんです?」

「欲しい車があるか相談してたんだよ。そしたらいいのがあるって言うんで、資料を見せてもらおうかと思ってね」

「へえ、何を買うんですか?」

「見てからのお楽しみだよ」


 というか俺も何が来るか分からないんだけどね。


 ワクワクして待っていると、店員が戻って来た。

 彼の持ってきた資料の中に見覚えのある文字を見つけた。



「ポルシェ……」


 明美もそれに気づいたらしく、思わずと言った様子でそれを読み上げる。

 店員さんが用意した資料と言うのはこれまたシンプルかつ、車の分からない素人でも高級感が伝わる車種を選んでくれた。


 サイズとしては二人乗りで大人数では使い辛いのだが、代わりにボタン1つで天井が開きオープンカーとしても使える。

 ちゃんと後ろにトランクもあるし、なにより見た目の流線形が綺麗だった。


 車の事は大して詳しくないが、それでもカッコいいと感じてしまうのはやはり男だからだろうか。

 そしてシートも国産の皮を使っているとかで、乗り心地の良さもこれでもか説明してもらう。


 だがその額、驚きの980万円。


 明美がそれに気づいてパクパクと口を開けたり閉じたりしている。

 ちょっとドッキリ成功したみたいで楽しい。……お財布的には、コッチがどっきりしたけどな。


 まあ、予算として組んでいた以上、許容だ。それにこれまで集めていた宝くじも換金すればほとんど相殺できる。


 そうだ、これは必要経費だ。

 なによりカッコいい車に乗れるんだから、いいじゃないか。


 ちょっと額が多すぎて引きそうになるのを自分で鼓舞しつつ、購入手続きを進める。

 隣で見ていた明美が「え、い、いっせんまんですよ!?」みたいな顔をしてるが「欲しかったからね。大丈夫お金はあるんだ」と笑って答えると「……ハジメさん凄すぎますよ」と妙な関心をされてしまった。



 ともあれ、手続きをすべて終えて現金一括で支払いを済ませる。

 最後に店員さんがやって来て。


「お買い求めありがとうございました。……それと御武運を祈っております」

 といって名刺を差し出してくれた。

 おっと、ずっと店員さんって呼んでたけどこれだけよくしてくれたんだ。ちゃんと名前を憶えなきゃな。


 なになに代表取締役、宮野龍之介……んん?

「え、代表取締役!?」

 横から覗き込んだ明美が驚きの声を上げる。

 驚いて顔を上げるとニコニコ顔で店員さん改め、宮野社長がこちらを見ていた。


「本日は良い契約をありがとうございます。店舗を回って店の空気を楽しむのが趣味だったんですが、今日ほど驚かされた事は無いですよ」

「そ、それはこっちの台詞ですよ」


 ハッとして周りを見ると店員さんが申し訳なさそうに頭を下げた。

 ……なるほど、ちょくちょく他の店員がこちらを心配そうに見るのは俺じゃなくて、店長の事を気にしていたからのか。


 趣味悪いぜ。


 すると顔に出ていたのか、宮野社長は笑いながら話し出す。

「騙したようで失礼しました。ですが、これでも誇りをもって仕事をしてますからね。ご契約いただいたお車は責任持って私が担当しますよ。また何かご入用があればご相談ください。日本車から外車、特殊な車までそろえてみせますから」


 笑いながら言い切る彼に「いやいや、そんなに買いませんから」と答える。

 しかしこの縁が後々俺を大きな舞台に引っ張り出す奇縁となる事を、この時の俺はまだ知らなかった。


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