妖魔の美少女とスローライフ!

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スローライフ第五話 山道を往(ゆ)けば道祖神

公開日時: 2021年6月17日(木) 13:41
更新日時: 2021年11月9日(火) 00:58
文字数:3,001

 その晩のあくる朝の、さらに翌日(よくじつ)の朝のことだ。出来上がった鹿の干し肉を大きな葉っぱに小分けにして包んだ。あけびの蔓(つる)を編んだ軽い背負い籠(かご)に入れる。籠は二つ。リンラの分とおれの分。


 包みに使う大きな葉っぱは、いつの季節も緑のままだと聞いた。程(ほど)よく肉厚で、柔らかくてしなやか。食べ物を包むのにちょうどいい。だいたい人の身の丈ほどの木に生えている。《包みの木》と村人は呼んでいる。おれはこの世界で初めて見た。葉と枝をつなぐ茎の部分は長く、それを使って葉で包んだのを外側から結わえる。これで解けてしまう心配もいらないってわけだ。


「それじゃ出かけようか」

 リンラが言ったのでおれはうなずく。これからけっこう歩くのにリンラは元気だな、おれはそう思った。まるで遠足に行く前の活発な小学生みたいに活き活きしていた。


 目指す海辺の集落とこの村の間には、山より丘に近いような小さな山がある。そこを越えて向こう側に、これから交換してもらう予定の、海塩(かいえん)と魚醤(ぎょしょう)を作っている集落がある。その集落も、海からはまだ少し離れているけれど、そこに行くといつも、かすかな潮(しお)の香りを感じるのだ。


「リンラは、海辺の集落には行ったことあるのか?」

「ないよ。山奥の方には何度も行ったよ。交換より、木の実拾いが目的だったけど」

「そうか。海の側(そば)に行くのは楽しみか?」

「うーん、そうだね。出来れば海を見て帰りたいな」

「それだと、かなり遅くなるぞ」

「泊めてもらえないかな、その集落に。何か仕事を手伝うよ」


 その時、リンラの背後から声をかけてきた人がいた。


「それなら網(あみ)を直すのをを手伝うといいわ」

 若くてきれいな人で、日に焼けた健康的でツヤツヤした肌が印象的な人だ。濃いめの褐色の髪は長くて、ゆるくウェーブしている。

 おれたちはセイナさんと呼んでいる。

 網(あみ)か。海での漁に使う網を直す作業だな。根気のいる仕事だ。網は、葛(くず)と呼ばれる、細いが丈夫な蔓草(つるくさ)を編んで作られる。

 葛は根っこを粉にしてお湯にとかすと、栄養のある飲み物にもなる。そんな温かい飲み物からしか取れない栄養があるのだ。


「リンラちゃん、手先が器用だからきっと喜ばれる」

 セイナさんが言った。いつも優しくて穏やかな人だ。





「そうですね、セイナさん。それなら私にもできそうです」

「おれも何かやった方がいいですよね?」

「まだ寒くないから、あなたは外でも大丈夫でしょう? 草を編んだゴザをあげるわ。毛皮の上着を持っていきなさいよ」

「あ、ゴザはお返ししますよ。ありがとうございます」


 背の高い丈夫な草の茎から繊維を取り、それをより合わせて太めの糸にして、それを細かく編んで作った服をみんな着ている。

 それだけでは寒い時には、毛皮で出来たマントや丈の長い上着を身につける。

 毛皮のマントや上着は、元いた世界での毛布の代わりにもなっているのだ。

 糸を編んだ服の形は、向こうの世界での作務衣(さむえ)や、甚平(じんベい)と呼ばれている物と似ている。よく夏になると男が部屋着にする、カジュアルな和服風のあれだ。春先や秋口から冬にかけては、何枚か重ね着をする。いよいよ寒くなると、毛皮の出番ってわけだ。


「セイナさん、ゴザ、本当にもらっていいんですか?」

 おれは気になって尋ねた。草を編むのもけっこうな手間なのだ。

 この世界では、稼ぎのためにしんどい労働をすることはない。皆ゆっくりと時間を掛けて、のんびりと、しかしていねいに仕事をする。それでも、手間ひまかけた物をタダでもらうのは気が引けた。

「いいのよ、ゴザくらいもらってちょうだい。あなたが《向こう側》から来てくれて以来、とても助かっているし、リンラちゃんも楽しそうにしているし、ありがたいと思っているのよ」

「そ、そうですか? それなら、ありがたくもらっておきます」

 おれは元気よく答えた。でも、少し照れくさいな。


 セイナさんからゴザを受け取ると、おれとリンラは背中に大きな籠(かご)を背負って、海の近くの集落へと出発した。

 まだ朝は早い。太陽が山から昇ってからまだ間もない。秋の晴れた早朝は、とても涼しかった。空気は澄(す)んでいる。おれは胸いっぱいに澄んだ空気を吸い込んだ。空気が美味しいとはこのことだ。

 今出たら、夕暮れ時にはここに戻れるだろうな。


「では、行ってきます!」

「行ってきますね」

 おれとリンラは、セイナさんたち見送ってくれる人たちに手を振って、海辺の集落に向かった。


 海辺に向かう途中にある山の中には、美味しそうなきのこがたくさん生(は)えていた。摘(つ)んでいきたいが、今日の目的はあくまでも塩と魚醤(ぎょしょう)を手に入れることだ。余計な時間と荷物は無駄になる。

 残念そうにしているおれを見て、リンラが言った。


「塩も魚醤も重いからね。籠(かご)いっぱいは無理だよ。帰りにきのこを取って帰ろうよ。日が沈むまでに、それくらいの余裕はあるはず」

「そうだな、リンラの言う通りだ。そうしよう」


 おれたちは小山を登り、歩き続けた。

 昼ごろになる前に頂上に着いた。来た道を振り返り、見下ろす。良い眺めだった。おれたちの村の様子が一望出来る。こじんまりとした小さな村だ。南の森と川、北の森の様子もよく分かる。

 この山の上では、空気が村にいる時よりさらに澄んでいるように感じられた。

 おれは深呼吸をして、爽やかな香りのする風を胸いっぱい吸い込んだ。


「じゃあアイルーン、ここで休憩(きゅうけい)にしようよ」

「よし、そうしよう」

「ここ、いい眺めだね」

 ちょうどおれが思っていたことを、リンラが言ってくれた。それだけで何とも言えず幸せだった。同じ気もち、同じ思いを共有している。なんて素晴らしいのだろうか。


 海の近くの集落への道は、すでに先にここを歩いてきた人々が目印を作ってくれているので、とても分かりやすい。

 木々に荒縄(あらなわ)が締(し)められ、石柱(せきちゅう)も等間隔(とう かんかく)に並べられている。

 石柱には何か顔や手足が彫(ほ)られているのもある。おれは元いた世界にあった道祖神(どうそじん)を連想した。それほど精巧な像ではない。素朴で簡素、でもどこかしら神聖な雰囲気があった。密かに見守っている、山の精霊のような姿だとおれは思った。


 この頂上には、特に大きな、顔のある石柱が立っていた。おれはそれを見て、それからそっと手を合わせた。


「ここにいるのはね、道とそれぞれの集落の守り神なんだよ」

 リンラが説明してくれた。

「守り神、か」

「そうだよ、時々お供えもするんだ。ま、今はしなくていいよ。また今度ね。決まった日にするから」

「決まった日? 今度って?」 


 それに答えるリンラは、楽しげに目を輝かせている。


「海の近くの集落と、麓(ふもと)のアタシたちの村で、それぞれお祭りがあるんだよ! 同じ日にやるからね、お互いにここまで人が何人か来るの。それでこれからもずっと、仲良くしていく約束をするの」


 おれはそれを聞いて嬉しくなった。とてもホッとする気分にもなれた。


「そうか、祭りの日が楽しみだな!」

 おれはリンラがびっくりするような大声を出した。すぐそばで驚いた鳥が、飛び立って逃げていった。



 元いた世界では、争いが絶(た)えなかった。


 でも、ここは違う。


 そうだ、違うんだ。


 おれは、この世界に来られてよかった。


 本当によかったよ、リンラ。

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