その晩のあくる朝の、さらに翌日(よくじつ)の朝のことだ。出来上がった鹿の干し肉を大きな葉っぱに小分けにして包んだ。あけびの蔓(つる)を編んだ軽い背負い籠(かご)に入れる。籠は二つ。リンラの分とおれの分。
包みに使う大きな葉っぱは、いつの季節も緑のままだと聞いた。程(ほど)よく肉厚で、柔らかくてしなやか。食べ物を包むのにちょうどいい。だいたい人の身の丈ほどの木に生えている。《包みの木》と村人は呼んでいる。おれはこの世界で初めて見た。葉と枝をつなぐ茎の部分は長く、それを使って葉で包んだのを外側から結わえる。これで解けてしまう心配もいらないってわけだ。
「それじゃ出かけようか」
リンラが言ったのでおれはうなずく。これからけっこう歩くのにリンラは元気だな、おれはそう思った。まるで遠足に行く前の活発な小学生みたいに活き活きしていた。
目指す海辺の集落とこの村の間には、山より丘に近いような小さな山がある。そこを越えて向こう側に、これから交換してもらう予定の、海塩(かいえん)と魚醤(ぎょしょう)を作っている集落がある。その集落も、海からはまだ少し離れているけれど、そこに行くといつも、かすかな潮(しお)の香りを感じるのだ。
「リンラは、海辺の集落には行ったことあるのか?」
「ないよ。山奥の方には何度も行ったよ。交換より、木の実拾いが目的だったけど」
「そうか。海の側(そば)に行くのは楽しみか?」
「うーん、そうだね。出来れば海を見て帰りたいな」
「それだと、かなり遅くなるぞ」
「泊めてもらえないかな、その集落に。何か仕事を手伝うよ」
その時、リンラの背後から声をかけてきた人がいた。
「それなら網(あみ)を直すのをを手伝うといいわ」
若くてきれいな人で、日に焼けた健康的でツヤツヤした肌が印象的な人だ。濃いめの褐色の髪は長くて、ゆるくウェーブしている。
おれたちはセイナさんと呼んでいる。
網(あみ)か。海での漁に使う網を直す作業だな。根気のいる仕事だ。網は、葛(くず)と呼ばれる、細いが丈夫な蔓草(つるくさ)を編んで作られる。
葛は根っこを粉にしてお湯にとかすと、栄養のある飲み物にもなる。そんな温かい飲み物からしか取れない栄養があるのだ。
「リンラちゃん、手先が器用だからきっと喜ばれる」
セイナさんが言った。いつも優しくて穏やかな人だ。
「そうですね、セイナさん。それなら私にもできそうです」
「おれも何かやった方がいいですよね?」
「まだ寒くないから、あなたは外でも大丈夫でしょう? 草を編んだゴザをあげるわ。毛皮の上着を持っていきなさいよ」
「あ、ゴザはお返ししますよ。ありがとうございます」
背の高い丈夫な草の茎から繊維を取り、それをより合わせて太めの糸にして、それを細かく編んで作った服をみんな着ている。
それだけでは寒い時には、毛皮で出来たマントや丈の長い上着を身につける。
毛皮のマントや上着は、元いた世界での毛布の代わりにもなっているのだ。
糸を編んだ服の形は、向こうの世界での作務衣(さむえ)や、甚平(じんベい)と呼ばれている物と似ている。よく夏になると男が部屋着にする、カジュアルな和服風のあれだ。春先や秋口から冬にかけては、何枚か重ね着をする。いよいよ寒くなると、毛皮の出番ってわけだ。
「セイナさん、ゴザ、本当にもらっていいんですか?」
おれは気になって尋ねた。草を編むのもけっこうな手間なのだ。
この世界では、稼ぎのためにしんどい労働をすることはない。皆ゆっくりと時間を掛けて、のんびりと、しかしていねいに仕事をする。それでも、手間ひまかけた物をタダでもらうのは気が引けた。
「いいのよ、ゴザくらいもらってちょうだい。あなたが《向こう側》から来てくれて以来、とても助かっているし、リンラちゃんも楽しそうにしているし、ありがたいと思っているのよ」
「そ、そうですか? それなら、ありがたくもらっておきます」
おれは元気よく答えた。でも、少し照れくさいな。
セイナさんからゴザを受け取ると、おれとリンラは背中に大きな籠(かご)を背負って、海の近くの集落へと出発した。
まだ朝は早い。太陽が山から昇ってからまだ間もない。秋の晴れた早朝は、とても涼しかった。空気は澄(す)んでいる。おれは胸いっぱいに澄んだ空気を吸い込んだ。空気が美味しいとはこのことだ。
今出たら、夕暮れ時にはここに戻れるだろうな。
「では、行ってきます!」
「行ってきますね」
おれとリンラは、セイナさんたち見送ってくれる人たちに手を振って、海辺の集落に向かった。
海辺に向かう途中にある山の中には、美味しそうなきのこがたくさん生(は)えていた。摘(つ)んでいきたいが、今日の目的はあくまでも塩と魚醤(ぎょしょう)を手に入れることだ。余計な時間と荷物は無駄になる。
残念そうにしているおれを見て、リンラが言った。
「塩も魚醤も重いからね。籠(かご)いっぱいは無理だよ。帰りにきのこを取って帰ろうよ。日が沈むまでに、それくらいの余裕はあるはず」
「そうだな、リンラの言う通りだ。そうしよう」
おれたちは小山を登り、歩き続けた。
昼ごろになる前に頂上に着いた。来た道を振り返り、見下ろす。良い眺めだった。おれたちの村の様子が一望出来る。こじんまりとした小さな村だ。南の森と川、北の森の様子もよく分かる。
この山の上では、空気が村にいる時よりさらに澄んでいるように感じられた。
おれは深呼吸をして、爽やかな香りのする風を胸いっぱい吸い込んだ。
「じゃあアイルーン、ここで休憩(きゅうけい)にしようよ」
「よし、そうしよう」
「ここ、いい眺めだね」
ちょうどおれが思っていたことを、リンラが言ってくれた。それだけで何とも言えず幸せだった。同じ気もち、同じ思いを共有している。なんて素晴らしいのだろうか。
海の近くの集落への道は、すでに先にここを歩いてきた人々が目印を作ってくれているので、とても分かりやすい。
木々に荒縄(あらなわ)が締(し)められ、石柱(せきちゅう)も等間隔(とう かんかく)に並べられている。
石柱には何か顔や手足が彫(ほ)られているのもある。おれは元いた世界にあった道祖神(どうそじん)を連想した。それほど精巧な像ではない。素朴で簡素、でもどこかしら神聖な雰囲気があった。密かに見守っている、山の精霊のような姿だとおれは思った。
この頂上には、特に大きな、顔のある石柱が立っていた。おれはそれを見て、それからそっと手を合わせた。
「ここにいるのはね、道とそれぞれの集落の守り神なんだよ」
リンラが説明してくれた。
「守り神、か」
「そうだよ、時々お供えもするんだ。ま、今はしなくていいよ。また今度ね。決まった日にするから」
「決まった日? 今度って?」
それに答えるリンラは、楽しげに目を輝かせている。
「海の近くの集落と、麓(ふもと)のアタシたちの村で、それぞれお祭りがあるんだよ! 同じ日にやるからね、お互いにここまで人が何人か来るの。それでこれからもずっと、仲良くしていく約束をするの」
おれはそれを聞いて嬉しくなった。とてもホッとする気分にもなれた。
「そうか、祭りの日が楽しみだな!」
おれはリンラがびっくりするような大声を出した。すぐそばで驚いた鳥が、飛び立って逃げていった。
元いた世界では、争いが絶(た)えなかった。
でも、ここは違う。
そうだ、違うんだ。
おれは、この世界に来られてよかった。
本当によかったよ、リンラ。
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