森の中へ入り、体感で十五分ほどは歩いた。その先に獲物はいた。それはキジだった。オスのキジで、羽根がなかなか美しい。この羽根は、リンラへのいい贈り物になるかも知れない。
おれはそう思って、リンラの様子を見た。いつもと変わらず、気丈で冷静な様子だった。羽根を見てもあまり感心した様子はなかった。少なくとも、今のところは。
まだ、キジを捕まえていないからな。おれはそう思う。
「キジだね」
リンラが言った。
「うん」
「出来る? 自分一人で」
「やってみるよ」
出来る、と即答はしない。やってみるとしか、今は言えない。
それでもおれは意を決して、横に並んで歩いていたリンラより先に立って歩き出した。
リンラはすぐにおれの隣りに並んで付いてきた。リンラはすばしっこくて、まるで小鹿みたいだ。かわいくて優雅な動きまでそっくりだ。本当に愛らしい。
リンラはおれの目線の先を見て、おれに付いてきているようだった。
「リンラ、あそこだ」
おれは少し離れた位置の草むらを指差した。そこだけは木があまり生えていなくて、日の光が地面に届くので草が密に茂(しげ)っている。
草むらからキジの頭が見える。まだ動いている。まだ。
おれは近づいて行って、黒曜石のナイフをかまえた。リンラに教えてもらった通りにキジの首を押さえ、かき切った。思い切って。
温かい血が流れる。生命の流れだ。
ごめんな、でも決してムダにはしないよ。
この世界ではこうして血を流さなくては肉を食べられない。無駄にはしないし、出来ない。毎日どこかの店で、大量に食料が捨てられる世界ではないのだ。
「それだけじゃ血抜きができないから。首、落とせる? 出来ないなら、アタシやるよ」
おれはそっと息を長く吐き出した。気持ちを落ち着けるためだった。
「大丈夫だよ、リンラ。おれはやる」
黒曜石ナイフの切れ味は確かだ。それはたった今確かめた。キジはすでに命を落とした。もう苦しまない。あっという間だったはずだ。
「はい、それじゃこの石の上でね?」
リンラはどこからか大きめの平らな石を持ってきてくれた。おれが、キジの首から流れる赤い血をながめている間に、だろう。
おれはそれを受け取る。
おれは、それを地面に置いた。
ゆっくりとした呼吸が六、七回ほどの間。
「よくやったね! えらいよ!」
「う、うん……」
リンラはそう言って褒めてくれたが、実のところ、おれがこの世界に来た時には、肉を食うのは好きなのに血が流れるのを見るのは嫌なのは、とてもとても奇妙なことだと考えられていた。
元の世界の話をしても、上手くは伝えられなかった。そのうち、おれはそういう人間なんだと受け入れてもらえた。
リンラがおれにいろいろ教えてくれて、今日はいよいよ血に慣れる日の始まりというわけだった。
キジを尾から近くの木の枝に吊り下げて、血抜きが終わるのを待った。リンラは持ってきた土器で血を受け止めた。土器には少しずつ血がたまってゆく。
その頃にはすでにふるえと衝撃は治まり、落ち着いた気分だった。不思議な感覚、奇妙とも言える達成感があった。
「血抜きが終わったら、次は腸(はらわた)を抜かないといけないんだけど、それはアタシがやるからいいよ」
それを聞いておれはほっとした。
「う、うん。助かるよ」
「でも、ちゃんと見ていてね」
「うん、分かった」
リンラは手速く器用にキジの腹をさばき、内臓を取り出した。腸は捨てるが、他は持って帰る。
実に手慣れたもので、ほれぼれするくらい見事な手さばきだ。
「はい、終わり。これ持って」
リンラは腸(はらわた)を抜いたキジをおれに渡してきた。尾の付け根辺りを持って逆さにしたキジを。もう、血はほとんど流れなくなっていた。
おれは、首を切り落としたキジを背負って帰りを歩き始めていた。
このオスのキジのきれいな羽根の付いた頭部は、リンラが背負いカゴに入れて運んでいった。
森の中、帰り道。ここ辺りまでは人がよく来るらしく、自然に出来た通り道があった。
うっかりよく分からない獣道に迷いこまないように、とは元の世界でもよく言われていた。おれはその見分け方もリンラに教わったのだ。
「獣道はね、獣の毛とかフンがよく落ちてるよ。それによく見ると足跡がたくさんある。それで分かるから」
リンラは以前、森の中におれを連れて来て、実物を見せながらそう説明してくれたのだった。
「でもアイルーン、このあたりなら、人がよく通る道には木に印(しるし)付けてるからね。石の飾りを付けた縄を巻いてあるよ。それが目印。獣道には、罠を仕掛けておくといいんだけど、そのやり方はまた今度ね」
「うん、ありがとう。リンラ」
おれは早くいろいろなことができるようになりたい。
リンラのために。村の人々のために。そして何より自分自身のために。
おれたちは、また十五分くらいを歩いて、村に帰り着いた。
もう夕暮れだった。煮炊きをしているときの良い匂いが、あたり一面にただよっていた。
おれたちは、そこでこの村の長老を見つけた。
「ありがとう、よくやってくれたね」
村の長老がそう言って、おれを労(ねぎら)ってくれる。
「いや、リンラのおかげですよ」
「そんなことないよ! アイルーンが頑張ったの」
横からリンラが大声で言う。こんなとき、リンラは決して自分の手柄(てがら)にはしないのだ。
「う、うん。やってみたらどうってことなかったな」
「そうかい。それはよかった」
小柄な体の長老は、そう言って目を細めて温かい笑みを見せた。
「君が来てくれて助かっているよ。覚えも早いし、気が利くし、素晴らしい若者だと思っている」
「ありがとうございます……!」
おれは嬉しかった。こんな風に手放しで褒められたのは、転生前の人生を入れても、生まれて初めてだった。
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