獲物を探すためにおれは、森の中のいつもより深い場所まで入っていった。ありがたいことに、今回はリンラも一緒に来てくれた。
「たぶん、今回の獲物はまだ生きていて、おれがトドメを刺さないといけない、と思う」
「そっか。まあこれも経験だよ。アタシも狩りはしたことないけどね。ウサギや鹿を捌(さば)くのはやってるから。アイルーンも、そろそろ血に慣れたほうがいいよね」
おれはうなずいた。ここは美しくて優しい世界ではあるが、コンビニに行けば肉が調理済みパッケージで売っている、なんて世界ではないのだ。
リンラに言われて、おれもようやく覚悟を決めることができた。
村の職人にもらった黒曜石のナイフを握りしめている。トドメを刺すならためらいなくきちんとやらないと、かえって獲物は苦しむだろう。
ここに来るまでに、リンラからやり方をしっかり教わってきた。
おれは緊張をほぐすために、軽くゆっくりと息を吐き出した。
本当は魚釣(つ)りくらいで済ませてほしかった。
今はリンラに釣りを教わっているが、まだそれほど上手くは釣れない。
「大丈夫、そのうちちゃんと釣れるようになるよ。アイルーン、やり始めたばかりにしては上手くやってるから」
リンラはそう言ってはげましてくれた。
「ありがとう、おれがここでやっていけているのはリンラのおかげだよ」
「そんなことない。アイルーンが前向きで、この村を、ううん、この世界全体を愛してるからだよ」
おれがこの世界を愛している?
そうなんだろうか。考えたことはなかった。
「ここに来られて良かったと思っているよ。心からね」
それを聞いてリンラもにっこりしてくれた。
どんどん森の奥に入っていく。熊(くま)はいないらしいが、たまに狼(おおかみ)は現れると聞いた。狼が出たら、急いで木に登るのだ。火があれば追い払えるのだが、それよりも木に登るか、地下の住まいに隠れたほうがいい。
「狼が出たら、リンラが先に木に登れよ」
「なんで? 二手に別れて、別々に登ったほうがいいじゃない」
「でもリンラがもしも──」
「何言ってるの、アイルーン。アタシが登ってるあいだ、何も狼を待ちかまえていなくていいでしょ? 二手に別れたほうが狼だってねらいを一つにできないし、アタシが木に登ってるあいだに、アイルーンが襲われるなんて嫌だからね」
「うーん、そう言われればそうなんだけどさ」
リンラの言っていることは筋が通っている。それでもリンラを一人にして逃げるのは嫌だった。
「絶対、そうするの! いい? 囮(おとり)になってアタシを助けようなんて考えなくていいからね。二人で逃げのびるんだよ、絶対にね」
「そうだな、リンラの言うとおりだ。おれが囮になっても、そんなにはもたない。それよりも二人で別々に登ったほうがいい。リンラはおれより木に登るのが速いし」
「分かってくれたんだね! よかった」
リンラはまたにっこりした。きれいな澄んだ緑の目が、じっとおれを見つめている。
森の木々の葉のあいだから、太陽の光がもれている。リンラの銀色の髪にきらりと光る。
おれはそんなリンラの姿を見てドキドキした。
もし仮に、仮にだ。
突然恐ろしい狼の群れか巨体熊が村を襲(おそ)ってきて、誰も彼もが殺されてしまったら。
リンラも。
そう、リンラもだ。
もし、そんなことになったら。
おれは考えただけで涙が出てきた。
もしもそうなったら、おれはどうなるんだろう。
おれは熊を追うだろうか。復讐のために。怒りと絶望に身も心も焼き尽くして。
おれは自分自身のすさまじい妄想に、ふるえが来た。
首を激しく横に振って、くだらない想像を振り払う。
「どうしたの、アイルーン? 様子が変だよ?」
「いやあの、狼の群れに出くわしたら怖いだろうなって……。ふ、二人とも無事に村へ帰らないとな!」
「大丈夫だよ、狼はそんなに怖くないよ。今まで狼で死んだ人はいないの。熊で死んだ人もいないの」
「い、いないのか?!」
「うん、いないよ」
おれは心から安心した。思わず地面にへたり込みそうだった。
そうだった。ここはおれが求めて来た世界だ。優しくて美しい世界だ。リンラや村の人たちが熊や狼に襲われて死ぬなんて、そんなことになるわけがない!
そうだ。おれには復讐に狂う英雄なんて似合わない。そんな根性もない。
根性。そうだ、復讐が悪いことかどうかは別にして、強大な敵を相手に復讐をあきらめないのは、少なくとも並の精神じゃないのだ。良い悪いは別にしても。
無理無理、無理無理。絶対に無理。
おれには無理だ。
リンラも他の村人もみんな殺されてしまったら、おれは、どうなるんだろう。悲しくて正気を失うかも知れない。おれには復讐なんてできないし、そんな根性もない。
「アイルーン、本当にどうしちゃったの? 変だよ?」
「ああ、向こうの世界にいた時に、聞いた作り話を思い出したんだ。怖い話だった。まったく癒(い)やされなかった」
「そんな怖い話、なんのためにするの?」
「なんのためだろうな? きっと刺激が欲しい人がたくさんいたんだ」
「ふーん」
リンラは可愛らしく小首をかしげた。
「なんで刺激が欲しいのかな」
おれはどう答えたらいいか、迷った。少し考えてから、
「退屈だから、かな」
と、言ってみた。
「退屈かあ。アタシにはよく分からないな。毎日やることたくさんあるし」
「分かるよ。リンラ、ここは平和だけど退屈ではない」
そんな話をしながら歩いていった。おれは獲物が近いのを感じていた。
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