山の麓(ふもと)までおれたちは下りてきた。目指す集落はここからまだ離れている。立ち並ぶ小屋の、それぞれの窓から煙(けむり)が見えた。煮炊きをしているのだろう。おれたちのむらと違い、炊事も家の中でやるらしい。
「面白いね。地上にだけ住むところがあるのかな」
リンラは好奇心に目を輝かせている。
「ああ、そうらしいな」
おれたちが住んでいる村では、地下に穴を掘って暮らしている。まずは縦(たて)にいくつもの穴を掘る。それらを横穴でつないでいく。ところどころに、広い空間となる場所も掘る。
穴の中の住居ではなく、雨の降らない日に外で作業をする。
調理をしたり、草から繊維を取って服を編んだり。動物の骨やシカの角(つの)をけずって、釣(つ)り針やアクセサリーや、お守りとお部屋のインテリアを兼ねた置き物を作ったりもする。
このうち、今のおれにできるのは、草から繊維を取るのと、調理を手伝うことだけだ。リンラは器用だから、このどれもを誰よりも上手にできた。
「焦ることないよ。少しずつ覚えていけばいいからね」
リンラはそう言って、おれをはげましてくれた。
村で作るお守りの彫刻は、あらゆる動物や人間を、思い切りデフォルメした形だ。おれにはカワイイともキレイだとも思えないが、それでも不思議な魅力がある。もしも元の世界に持っていけたら、けっこう高く売れるのではないだろうか? そんな考えが浮かぶ。
元の世界に持っていけなくとも、近くの集落には持っていける。物々交換をするためだ。食べ物や着る物、別な彫刻と取り替えてもらう。
食べ物だけでなく、着る物の編み方や彫刻にも集落によって違いがある。リンラの言うとおり塩さえあれは、他はなくとも村で自給自足できるのだが、やはりそれだけでもつまらないのだ。
とは言え、今回持ってきているのは鹿の干し肉だけである。交換したい物も塩と魚醤(ぎょしょう)だけである。楽とも言えるが、少し退屈な仕事のようにも思えた。
「リンラ、ここで作ってる腕輪とか首飾りは欲しくないか?」
「いいよ、また今度にしよう?」
「でもせっかく来たんだからさ。リンラはここに来るのは初めてだろう? 記念に何か交換してもらってもいいぞ」
「交換してもらえる物で、余分なのは何も持ってきてないからねぇ。まあ、見るだけなら」
おれはニヤリとした。
「なあリンラ、珊瑚(さんご)って知ってるか?」
「知らない。何それ」
リンラは、緑色の目を驚いたように見開く。
「海にある、そうだな、翡翠(ひすい)と同じくらいの値打ちがある物だよ」
「そうなの? それはキレイな物?」
「キレイだよ。リンラの唇みたいに薄い紅色で、でも硬くて細い木の枝みたいな形してる」
「へえ」
「それを細工して、身を飾る物にするんだ。もちろん、そのまま交換用に取っておいてもいい」
「何だか不思議だね。そんなのが海の中にあるなんて」
「言われてみれば、そうだな」
珊瑚がなぜ海にあるのか。おれは知っていたかもしれない。だが忘れてしまった。
「今回は珊瑚を見るだけにするよ。また今度、いっしょに来てよ」
「分かった。また今度な」
おれたちは集落まで歩いた。そこの人々はすでにおれの顔を覚えていて、行くと歓迎してくれた。彼らはリンラを見て、あまりに可愛いので驚いている。妖魔は海の近くにはいないものなのだ。
妖魔は、人のいない山の奥や森の奥にいて、ごくまれに、人里近くに赤ん坊が捨てられているのが見つかる。妖魔は人間よりずっと成長が速く、若いままで長く生きる。だいたい百歳までだ。
人間はこの世界では六十から七十までの寿命がある。九十まで生きられる人も、たまにいる。
「その女の子とは初めて会うね。妖魔の子が海の近くに来るのは珍しいよ。潮風(しおかぜ)は苦手ではないのかい?」
集落でいつも交換に応じてくれるおじさん、マーゲルさんが言う。
「たぶん、大丈夫だと思います」
リンラが笑顔で答える。
「でも分からないよな。妖魔が山奥や森林の深い場所で暮らすのは、海が苦手だからかも知れない」
おれは少し心配だった。
「実際に、もっと近くに行ってみないと分からないよ」
リンラはマーゲルおじさんではなく、おれに言った。
「でもリンラ、万が一、調子が悪くなったらどうするんだよ?」
「そしたらアイルーンが背負って山まで戻ってよ。大丈夫、山の麓まで着いたら休んで、また二人で集落に戻って塩を受け取ればいい。集落までならアタシも大丈夫だから。村に着くのは夜になってしまうかもしれないけど」
「その時には、おじさんも手伝ってあげよう」
「ありがとうございます!」
リンラと二人で礼を言った。
おれたちはマーゲルさんの小屋の前に立っていた。出入り口から、マーゲルさんの奥さんが出てきた。長くてツヤのある黒髪で、その黒さにおれは親近感を感じていた。奥さんの方は、どうだか分からないが。
「今回は鹿の干し肉を持ってきました。塩と魚醤に交換してもらえますか?」
おれがそう言うと、奥さんは小屋に入り、また出てきた。手には二つの大きな土器があった。それぞれの土器の中には、塩と魚醤がたっぷり入っていた。
「やったな!」
おれは思わず声を上げた。
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