妖魔の美少女とスローライフ!

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スローライフ第三話 鹿の解体だぞ

公開日時: 2021年6月9日(水) 19:51
更新日時: 2021年11月6日(土) 18:22
文字数:2,129

 おれも含めて村人六人がかりで鹿を運んできた。幅の狭い丸木橋は渡れないが、川は浅いから橋を使わずとも向こう岸まで行ける。足を太ももまで水に浸(つ)けながら、即席の担架(たんか)に乗せた鹿を運ぶ。

 秋の川の水の冷たさが、まくり上げた服の裾(すそ)にまで染みてくる。草編み靴は脱いで、担架を担いでいない側の肩に紐(ひも)で吊るして運ぶ。


 村がある側の川辺に上がってから、おれたちは担架を下ろし、ざっと足を拭いて、また草編み靴をはいた。草編み靴は柔らかくて足に優しいが、同時にとても丈夫で、しっかりと足を守ってくれた。元いた世界にはなかった、特殊な草のように思えるが、ここではその辺にいくらでも生えているただの草だ。


 村に戻ると、リンラは喜んで再び出迎えてくれて、村の他の女たちと一緒に鹿の皮を剥(は)ぐ準備を始めた。おれが持っている物と同じ黒曜石のナイフが用意され、手入れされる。黒曜石ナイフは、本当にいろいろな用途に使えるのだ。

 それにしても、おれはまだ、こうした生々しい光景に慣れないのだった。

 だが慣れなくてはならない、と思っている。元々の世界でも、肉を食う時には何かの生命をもらっていたのだ。それをはっきりと見るか、見ないで済ませていたかの違いでしかない。


「アイルーンは赤い血が苦手なんだね」

 リンラはおれを見ておかしそうに笑う。おかしい、か。そうだな、この世界の常識ではおかしいのだろう。


「そうだな、まだ見慣れないから、だな。でも慣れるようにするよ」

「魚を卸(おろ)すのは平気なのに、変なの」

 リンラは、鹿の皮を器用にはぎ始めた。おれは目を逸(そ)らさないようにする。

「おれは、魚なら、まあ割と慣れてる、と思う」


 転生前の個人的な記憶は、やや薄らいでいた。それでも思い出せる部分もある。元いた国では、魚を殺して捌(さば)くのには比較的抵抗の少ない、そんな風潮だった。

 確かに変と言えば変だ。どちらにしても、おれたちはそれを食うのである。そこに何の違いがあろうか?


「赤くて温かい血が流れるのが駄目なんでしょ? 人間と似てると思ってる。そうじゃない?」

「うん……。そう、かも知れない」

 そうか、温かい赤い血。それが原因なのか。自分では気が付かなかった。


 リンラは鹿から流れる赤い血も、土器の皿に受けて無駄にはしないようにしている。それは別の深い土器に水と一緒に入れて、野生の山芋や山菜と共に煮た。山芋と山菜はリンラたち、村の女が北の森で採(と)ってきた物だ。煮込んだ血は肝吸いの肝のような薄味で、決して生臭くはなかった。


 鹿の解体と血の煮込みの調理が一通り済むと、リンラはおれに言った。


「肉は日に干して、煙(けむり)でいぶして干し肉にするから。半分くらいを、となりの集落まで持っていってね。塩や魚醤(ぎょしょう)と交換してもらうの」

 その集落は海の近くにある。ここから小さな山一つ越えた先だ。魚醤とは、小魚を発酵させて作った調味料だ。


「リンラは付いてきてくれないのか?」

「付いてきて欲しいの?」

 リンラはいたずらっほく目を輝かせる。


「え? そりゃあ、危険な道のりでもないし、ここから近いし。朝に出かけたら、日が暮れるまでに帰って来られるだろう?」


 何だよリンラ。付いてきてくれよ。おれは内心でつぶやく。

 この楽園のような世界では、日々の糧のためにあくせく働く必要はないのだ。さして忙しくもない日々を毎日送っている。一緒に来られないはずはなかった。


「交換のための交渉が上手くいけばね、早く戻れるけど」


「そう、その交渉だよ。リンラの可愛さなら交渉も捗(はかど)るだろうなって」

 それはお世辞ではなかった。心からの言葉だ。

 こちらの世界の人々は皆見た目が良いのだが、それでもリンラの美少女ぷりは群を抜いていた。


「アイルーンだって、大丈夫だよ。悪くない顔してるもん、そこそこは」

 おれはそれを聞いて、うれしいより気恥ずかしい気分だった。


「いや、そうかな?」

「そうだよ! でも浮気しないでね」

 リンラは急におれがびっくりするようなことを言ってきた。


「う、浮気って!?」

 思わず声が裏返ってしまう。我ながらここまで動揺しなくてもいいじゃないかと思ってしまう。


「冗談だよ。でもアイルーンが女の人と仲良くしてると、ちょっと妬(や)けちゃうよ」

 リンラは少しだけ真剣なまなざしをしていた。


 や、妬ける?


 そんな。おれは浮気なんて出来るほど器用でもモテもしないぞ?

 そこは向こうの世界にいた時と変わらない。


 容姿について言えば、おれはこちらの世界では珍しい黒髪黒目である。銀髪は妖魔だけの特徴ではなく、人間にも銀髪の人はいる。ただ、どちらかというと黒みがかったいぶし銀の色で、リンラのように白銀に輝く髪はやはり珍しいようだ。

 他には金色や明るい茶色の髪が多い。目の色は緑や茶色が大半だ。黒髪黒目はいないわけではないが、とても少ないのだ。

 珍しいと言っても、幸いなことに、それが人から避けられる原因にはならなかった。だけど、自分が人を惹(ひ)き付けるほどの外見とも思えない。


 見れる顔、なのか? おれは。

 どっちにしろ、リンラがそう言ってくれるのは嬉しかった。

「じゃあ、明後日(あさって)干し肉ができたら一緒に行こう」

 リンラは、うんと言ってくれた。


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