次の日にはおれはまた石けん作りに取りかかった。
目下の目標は固形石けんを作ることだ。初めて作った時には落ち葉の灰を使った。今度は匂い消し草と木の枝を燃やした灰でやってみよう。
それぞれの灰は混ぜない。別々に作る。匂い消し草も、灰にすれば香りは消えてしまうだろう。香り付けには新鮮なのを混ぜないといけない。
そう考えながら先に匂い消し草の灰を水に溶(と)いて灰汁(あく)を作り、煮立ててから、シカの脂(あぶら)を入れる。白い固形の脂はたちまち溶けていった。しばらくかき混ぜるが、固まる様子はない。
「今回も液体石けんになってしまうな」
匂い消し草は灰になったので、予想通りほとんど香りは残っていない。おれは乾燥した匂い消し草を入れた。粉末にしたのを、少しずつ混ぜながら。混ぜるのには、柄(え)の長い木のスプーンを使う。
乾燥した匂い消し草から、熱を加えたことにより、香りが立つ。
「わあ、良い香り!」
リンラは嬉しそうだった。
「どうやら今回も固まりそうにはないけど。香りは付けてみたよ。これで洗濯すると、服に香り付けができるわけさ」
「うん、素敵だね」
匂い消し草は、用を足すための場の匂い消しと、地下の住まいの空気をキレイにするのに使っている。服に香りを付けたりはしていない。ここでこの石けんができれば。服から良い香りをさせられるってわけだよ。髪を洗えば髪からも。
「固まらなかったけど、まあこんなもんでいいか」
おれは土をかぶせて火を消した。
「冷えても固まらないんだね」
「何の灰を使うかによって固まるかどうか違ってくるんだけど、何の灰ならいいのかは思い出せないんだ」
「そっかぁ、何ならいいんだろ」
リンラは、こちらの世界での物事ならだいたい何でもできるし知っているようだ。でも、こればっかりはな。
「今回の実験でダメだったら、また海の方に行きたいんだ」
「何か交換して欲しいものあるの?」
「海草が欲しいんだよ。やっぱりただで取るわけにはいかないのかな」
「そうだね、一応あっちの集落の人には話を通しておこうよ。そんなにたくさん取るんでなければ、ただで取らせてもらえるかも知れないけど。でも海はあっちの暮らしの場だからね。ここで草や木の枝を取るようにはいかないよ」
「分かった、リンラ、それなら何か交換してもらえそうなのを持っていこう。昨日取ってきたキジの羽根はどうかな。きれいだから、本当はリンラのために取っておきたかったけど」
「海草はたくさんいるの?」
「そんなにはいらないな。固まるかどうか分からないからな。だけどもし固まったら、交換品にできるように石けんを作るには、ある程度の量の海草が必要になる」
「分かったよ。それなら羽根は最初は少しでいいよ。何か手伝えることがあったら手伝おう。そしたら食べ物にできない海草は取らせてもらえるよ」
「そうか。それなら、明日さっそくいっしょに来てくれるか?」
「うん、いいよ!」
おれはそれからまた、今度は木の枝を燃やした灰を使ってみた。おれとリンラも予想通り、やはり固まらなかった。
「やっぱり駄目か。液体の石けんは、これはこれで使い勝手も良いけど、交換品にするには固形の方が便利だろうからな。いちいち土器ごと持っていかなくていいし。保存も運ぶのも、固形の方がやりやすいだろう」
「うん、そうだね」
しかしそのすぐ後、おれたちの予想していなかった出来事があったのだ。
「え、となり村から?」
「そうです。私の名はエミット。どうかよろしく」
エミットさんは三十代後半くらいの歳に見えた。にこにこと愛想がよく、もの柔らかな態度で、それでいて芯の強さも感じさせる人物だ。
「それで、その『石けん』なる物をこちらと交換していただきたいのですよ」
エミットさんはいくつもの肉のくん製を差し出した。大きなかたまりが五個もある。
「すごいですね。狩りの獲物は大きかったですか?」
「これは狩りで手に入れた物ではありません。ブタを飼っていて、それで肉を手に入れています」
「ブタ?! 飼っている?!」
「そうですよ」
陸稲(おかぼ)の栽培に、ブタの飼育。文明だ。となり村には文明があるぞ。
「すごいですね」
おれは素直に感心して言った。元の世界で農耕や牧畜を人間がするようになったのは、要するに狩猟採集だけでは食べ物が手に入りにくかったからだ。
その後、近代になり大量生産ができるようになるまで、向こうの世界の人間の歴史は、飢えとの戦いだったと言える。
しかしこの世界では違う。充分な恵みを、自然が与えてくれるのだ。
それなのに農耕と牧畜! なぜ? なんだろう。
「そんなにはたくさん栽培しているわけでも、飼育しているわけでもないですよ。冬のあいだ、もっと楽に過ごしたかったから。それが理由でしょうか」
「なるほど。しかしありがたいですが、肉はここでも手に入れられます。できれば陸稲をもっと分けていただきたいのですよ。あれは木の実やイモでは代わりになりませんね」
「芋は野生の山イモですよね」
「そうですよ」
「よろしい。引き返して、陸稲を持ってきますよ。それだけでなく、こちらではイモも栽培しています。それも持ってきましょう」
「それは助かります。冬が近いですからね。栽培しているイモは、山芋とは違いますか?」
「違いますよ」
エミットさんは自信満々の感じで胸を反(そ)らせた。
「そのイモはですね、ジャガイモと言うのですよ」
おれは思った。
やったあ、ジャガイモだ。種イモに使えば、こちらでも栽培できるぞ、と。
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