小麦畑が広がる長閑な農村。今この平和な村に、この世で最も危険とされる存在が姿を現そうとしていた――
太陽が地平線からすっかり顔を出したある日の朝。
この村に住む農民の子と思しき幼児達が、村に設けられた広場で無邪気に鬼ごっこをしていた。
人間界最大の国の中でも最も辺境にあるこの村は、これまで危険とは無縁の平和な村だった。
そう、とある魔族がやってくるまでは。
キャイキャイと子ども達の楽しげな声が飛び交うその場所に、突如真っ黒で禍々しい靄が立ち込めた。
原因不明な突然の出来事に、遊ぶのを止め立ち尽くす子ども達。
靄からバチバチと紫電が放たれ、グニャリと空間が歪んだかと思ったその瞬間。
その捻じ曲がった空間から、赤黒く禍々しい鎌を右手に持った死神のような大男が現れ――驚き戸惑う人間達に恐怖の言葉を投げつけた。
「お前達を骨粉にして畑の肥料にしてやろうかぁあ!」
「「きゃぁあぁ〜! 魔王が来たぞぉ〜」」
悲鳴をあげて逃げ出す子ども達。
それを見てニタリと笑うツノの生えた魔族の男。
一見しただけでは目を見張るような美しい容貌を持つ男だが、意地の悪い顔をしたソイツはその恵まれた長い脚を使って蜘蛛の巣を散らすように逃げ回る子ども達を追いかけ回している。
まさに絶体絶命のピンチ!
哀れな仔羊は悪の親玉に捕まり殺されてしまうのか!?
――否!!
そこへ勇気あるうら若き美少女が駆けつけ、魔王と呼ばれた美丈夫へ名乗りをあげた!!
「……いったい何をやっているのですか魔おっ……ホルティ様? それも人間の子と勇者ごっこなどをなさるなんて」
「くっ、やはり来たな忌々しい勇者め! 今度こそ貴様の息の根を止めてやるぞ!! ……ほら、いいからお前もやれ」
「なんで私がぁ〜。わ、分かりましたよ……ンンんッ、ゴホン。黙れ、このおバカ魔王様……じゃなかった、魔王め!! 今こそ私の究極聖剣技を喰らうがいいッ!! たあぁぁあぁッ!!」
「ぐおぉおぉお!! や、やられたー!」
魔王はその辺に落ちていた木の棒で叩き斬られ、情けない声をあげながら地面にパタリと倒れ伏した。
勇気ある少女の活躍によって悪は無事に討伐され、この村に平和が戻った。
子ども達は一連の闘いを見て大喜びしている。
うつ伏せに倒れ、ピクピクとワザとらしい痙攣をする魔王だったナニカ。
それを彼らは容赦なく蹴ったり踏みつけたりしてキャッキャと遊び始めた。
その光景を呆れたように眺めていた勇者はため息をひとつ吐き出すと、ここにきた用件を自らの主に伝えることにした。
「気は済みましたか、ホルティ様? 予定ではそろそろ水遣りの時間なのでは? あまり太陽が昇ってしまうと折角の作物がダメになってしまいますよ」
その言葉に耳をピクッとさせたボロ雑巾姿の男は、突然お湯をかけられた海老のような動きで飛び起きた。
「おぉっ、そうだったな!! 俺の愛しのトメェェトゥーちゃんが待っている!! 悪いなガキんちょ共よ、お遊びはここまでだ。また会おう!!」
「「えぇーーっ!?」」
一瞬で綺麗な身形に変身した男は「はぁーはっはー! 」と高笑いをあげながら、颯爽と畑がある方向へと走り去ってしまった。
――はぁ……どうしてこんなことに。
私は片手で頭を抱えながら、彼が忘れていった草刈り鎌を拾う。
「出会った頃はあんなにカッコ良かったのになぁ……」
遠い目で青い空を見上げながら、立派だった過去の男のことを思い返す。
――これは、世に恐怖を齎していた魔王と、世界を平和に導いた勇者の物語。
……ではなく、その英雄譚が書かれた本の裏表紙に書かれた落書きのようなモノガタリである。
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