「魔王ホルティ! 今日こそは貴様の首を討ち取り、世界に平和を取り戻す!!」
蝋燭の炎が怪しく揺らめく堅牢な石造りの間。
鉄錆の匂いが赤黒く汚れた壁や床から漂ってくる。
まるで幾年もの歳月をかけて染み付いた犠牲者の怨嗟が訴えてきているかのようだ。
ここは人間界と魔界の境界にある古城。
そしてその城の主人が今、一番高い位置にある玉座で余裕の笑みをたたえながら座っている。
――そう、この男こそがこの世に混沌をもたらす最強最悪の魔王。
人々に恐怖と絶望を与える、全ての元凶だ。
人類の希望の象徴である勇者である私、レジーナは邪悪な存在から人々を解放するためにココへ来た。
「貴様がこれまで犯した罪、それをお前のその命を以って償わせてやる! さぁ、今こそ私の聖剣クラージュの錆となるがいい!」
「ふっ……クククク。罪、か。罪ねぇ……」
彼は玉座に座ったまま、魔族の王である証である立派な双角を撫でている。
「どうした? 今更ビビったのか!? それとも、私に大人しく殺される覚悟でも決めたか?」
「……ふふ。先代勇者の後をヨチヨチとくっついていたあの少女が、こうして立派に育ったと思うと感慨にも浸れるものよな。なにしろ、しょっちゅう俺に負けては泣いてお漏らししておったしなぁ? それが随分と勇ましくなったではないか。ハハハ!!」
「お、お漏らッ……黙れ!! あれから私は血の滲むような研鑽を積み、今はこうして聖剣にも選ばれて人間界の未来を背負ってここにいるんだ。あの時の私とは違う!! ……そろそろ私達に平和を返してもらおうか!!」
私は聖剣の切っ先を魔王ホルティへと向け、因縁の相手に今までの恨みを込めた最終通告を突き放った。
だが魔王は怯みもせず、余裕の態度を崩さない。
寧ろ、どこか楽しげな表情をしているようにも思えた。
「くっ。くっくっくっ……返してもらう、か。お前ら人間にとって、どこまでも悪いのは魔族ということなのだな……」
「何をさっきからゴチャゴチャと言っている! 死ぬ覚悟はできたというのか!?」
「……そう、だな。もう全てを終わらせる準備は整った。己の愛する世界のため、民のため。譲れぬものがあるのはお互い様よ。もはやそこに正義も悪もない!! いいだろう、勇者レジーナよ! 神が仕組んだ悲しき我らの因縁を! 今こそ終わらせようではないか!!」
魔王が立ち上がって両手を掲げると、可視化できるほどの濃密な魔力が迸った。
そしてそれは台風の目のように彼の周囲を取り囲む。
ビシビシと肌を刺すような殺意の篭った魔力の奔流が、相対する勇者の身体を恐怖で強張らせた。
だが、勇者であるレジーナはこの時のために厳しい修行を何年もかけてこなしてきたのだ。それこそ、死を覚悟した経験など両手でも数えきれぬほどに。
――たとえこの戦いで命を落とそうとも、世界に平和が訪れるのなら安いモノだろう!
奥歯をギリリと噛み締め、魔王断罪のための一歩を今ッ……踏み出すッッ!!
「喰らえ、我が必殺の刃。『聖なる裁きよ』!!」
レジーナは太陽のように光り輝く聖剣を掲げ、ひと思いに魔王に向かって振り下ろす。だが――
「ふっ。そんな軽い技なぞ、目を瞑ってでも避けられるさ」
魔王は一歩右脚を後ろへと動かし、半身になったただけでレジーナの必殺の一撃を避けてしまった。
全てをその初撃に込めた彼女は、思わずタタラを踏んでしまう。
その体勢を崩した僅かな隙を、彼は勿論見逃さなかった。
今度は魔王が左手に黒のオーラを纏わせ、彼女の急所へと手刀を喰らわせにかかる。
本物の強者には過剰な武器は不要とばかりに、その手刀は確実にレジーナの首元へと吸い込まれていく。
まさに絶体絶命。
しかしそこで、彼女が今まで死線で極限まで磨き上げてきた危機察知能力がギリギリのところで発動。
自ら前へと倒れ込むことによって、皮一枚のみを犠牲にして回避することに成功した。
だが、そんな幸運はこれまでだろう。
恐らくこの魔王は、本気を一ミリとて出してはいないのだから。
片膝をつき、荒い息を吐きながら白い首筋から真っ赤な血をポタポタと流す勇者レジーナ。
そんな彼女とは対照的に魔王はオーラを霧散させた左手をプラプラとさせながら涼しげな笑みをうかべている。
果たして、このまま彼女もこの城で魔王に殺された犠牲者と同じ運命を辿ってしまうのか。
「フフフ。勇者よ、また逃げ出すなら今のうちだぞ? まぁ尤も、あの時お前を逃してくれた先代勇者はもうここには居ないがなぁ? ククッ、先代が恋しければお前もアイツの元へ送ってやろうか?」
挑発しながらレジーナをニヤニヤと見下ろしてくる魔王。
そしてその挑発は、彼女の理性を吹き飛ばすにはあまりにも効果的だった。
「きっ、さまぁあァアアア!!!! 師匠を!! 私の義姉さんをどうしたッッ!!」
先代勇者であり、剣の師匠でもあった。そして孤児だった彼女の、何よりもかけがえのないたった一人の義姉。
その唯一の家族が一年前、この魔王に戦いを挑み、行方不明となった。
人類がどうの、とは言ったものの彼女にとっては義姉こそが全てだった。
血は繋がってはいなかったが、自分を愛し、ここまで育ててくれた恩人だ。
そんな大事な人がコイツのせいで……
我を失った彼女は、洗練された剣技など欠片も無い滅茶苦茶な攻撃を魔王にぶつける。
当然、彼にとっては更に都合の良い展開だ。
完全に見切ったかのように、楽々と力に任せただけの斬撃を躱ていく。
そしてそのような荒く稚拙な戦い方をしていた彼女に、体力の限界がくるまでそう長く時間はかからなかった。
「はぁ……はぁ……クッソ、何故当たらん!! ううっ、ちくしょう……義姉さん……」
ダラリと聖剣を下ろし、杖のようにしてゼェゼェと息を吐くレジーナ。
時々魔王の反撃まで喰らってしまい、身体中が細かい傷を負って流血している。
重症という程ではないが、見るからに疲労困憊な状態だ。
「どうした、もう諦めるのか?? ……それとも、お前の姉のように俺の慰み者になるか?」
――――ガキィインッッ!!
聖剣が魔王の左肩に数センチめり込み、止まった。
この時、勇者と魔王の戦いが始まってから初めて彼に傷がついた。
片腕を奪うまではいかなかったが、勇者は確実にダメージを与えたのだ。
「義姉さんを……よくもッッ!!」
ギリギリと深くまで肩を聖剣の鋭い刃が抉っていく。
それを魔王は無表情に、且つ冷静に見つめていた。
「貴様だけは……絶対にッ……私のこの手で殺してやるッッ!!!! うあぁぁあぁああ!!!!」
レジーナは再び剣を持ち上げると、己の全ての力を聖剣に込めた。それはもはや正義や義務などといった感情を捨て、ただ目の前の憎き敵を討ち果たす為だけの力。
そしてそれに応えるかのように、聖剣は清浄なる光で輝き始める。
対して魔王はそれを妨害することもなく、瞑目しながら誰にも聞こえないような声で呪文を呟いていた。
聖剣が勇者のオーラで一層の神聖さを出し始めた頃、魔王と勇者の間の床に禍々しい魔法陣が浮かんできた。
レジーナはそれを魔王の攻撃だと予測。
一刻の猶予も無いと判断し、彼女は勇者人生最高の一撃を今、魔王へと放った。
そして――――
「なぜ……避けなかったのだ……なぜ私を……殺さなかった!! 魔王ホルティ!!!!」
「ふ、ふふ……言っただろう。全てを終わりにする、と。こんな誰一人報われぬ戦いなど、いつまでも……続けていたら……」
支えもなく、ゆっくりと冷たい床に倒れていく魔王。
そして無惨に転がる一本の腕と角。
魔法陣はレジーナに発動しなかった。
否、確かに発動はしていた。
しかしそれは攻撃性を持った魔法では無かった。
彼女の人類最高峰の聖なる力と、彼の魔族最強の魔力を吸い取り、混ぜ合わせた究極の魔法。
「こ、これは……!?」
白と黒の力が併せ合い、奔流となって立ち昇る。
そしてそれは城の天井を突き抜け、天を覆い尽くした。
「どうやら成功……したようだな……」
止まらない出血に喘ぎながら、魔王が呟く。
辛そうな表情だが、どこか満足気だ。
「おい、ちゃんと説明しろ! 貴様、いったい何をした!?」
よく分からない事態に慌てふためく勇者。
先程までの怒りはどうやら霧散してしまったようだ。
それよりも今の状況の説明を求め、魔王の両肩を掴んでガクガクと揺すりながら詰問を行っている。
「何って……俺はただ、魔界と人間界の境界を閉じたのだよ。神が面白半分で始めた、種族同士の戦いを終わらせる為に……な」
「な、なんだと……!?」
いったいどういう訳なのかと詳しく聞き出そうとするが、大魔法による力の喪失か、レジーナの攻撃によるダメージで魔王ホルティの意識が遠のいていく。
「お、おい!! しっかりしろ!! 死ぬならちゃんと説明してからにしろよ!! おいっ、魔王!! ――義兄さぁぁあん!!!!」
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