「飼い犬を迎えに来たんだろうよ」
「飼い犬?」
さっぱり意味が分からない。
「ここには人間だけではなく犬まで収容されているのか? そもそも犬って逮捕出来るのか?」
「いや、まあ、生物学的には、一応人間なんだけどな……」
返答に困ったように頭を掻きながらも、面白がっている様子のレヴィを見てマーシャが不思議そうにしている。
「あいつ、自分のことを『犬』って言ってたから」
「………………」
「しかも嬉しそうに」
「………………」
マーシャは今すぐレヴィを引き摺って帰りたくなってきた。
たとえ必要に迫られようとも、自分のことを嬉々として『犬』呼ばわりするような奴とのパイプなど持ちたくはない。
本気で帰ろうかと考えた時、刑務所から一人の青年が出てきた。
あの美少女ほどではないが、なかなかに整った顔立ちをしている。
まさかアレが『犬』なのか……と内心でビクビクしていると、
「お嬢ーっ!!」
その青年が美少女に向かって飛びかかった。
ものすごく嬉しそうな表情だ。
この時のマーシャは確かに見た。
青年の頭に生える犬耳と、そして激しく振られる犬尻尾を確かに幻視したのだ。
八年ぶりに再会する飼い主を前にして犬は大喜びし、そして飼い主は……
「ぐはっ!!」
殴った。
思いっきり腰の入った素晴らしいパンチを、犬青年・タツミに食らわせたのだ。
容赦無く顔面を殴られたタツミは、一メートルほど後方に飛ばされた。
華奢な身体なのに凄まじい威力だった。
しかし殴られたタツミはへこたれない。
すぐに起き上がり、再び美少女に突撃。
「お嬢、強くなったな~。でもこれからは俺が護ってやるから、あまり強くなくてもいいんだぞ~」
美少女を抱きしめて頭をなでなでするタツミ。
最初は容赦無く殴った美少女だが、タツミにそうされるのは嫌ではないらしく、不機嫌な表情をしながらも大人しく撫でられている。
「冗談じゃないわよ。もう二度と、タツミに大量殺人なんかさせるつもりはないんだからね」
むくれながらもそう言う美少女。
彼女こそが犬の飼い主……もといピアードル大陸北部の盟主であり、キサラギ一家の当主でもあるランカ・キサラギだった。
弱冠十六歳にして数多の肩書きを持つこの少女は、幼い頃に自分を護ってくれたタツミ・ヒノミヤに対しては全幅の信頼を置いていた。
たとえ八年間一度も会いに来なかったとしても、彼女は彼をずっと信頼していたのだ。
自分が会いに行かなくても、必ずもう一度戻ってきてくれると、一度も疑わなかったのだ。
そしてかつての過去を悔やんでいる。
力が足りない所為で、弱かった所為で、タツミに人殺しをさせてしまった。
もう二度とあんなことはさせないと、自分自身に誓っていた。
マフィアである以上、他の組織との殺し合いは避けられない。
しかし自分を護る為にタツミに人殺しをさせるようなことは、絶対に容認出来なかった。
彼一人だけが手を汚して、自分が綺麗なままでいることだけは耐えられなかったのだ。
自分は護られる立場だ。
それは理解している。
だけど、それだけでは嫌なのだ。
同じように手を汚す覚悟を決めて、護られるのではなく、隣に立って、一緒に戦う立場になりたい。
大切な人が目の前で失われようとしているのに、何も出来ない自分には耐えられなかった。
だからこそ、強くなろうと決めたのだ。
しかしタツミの方は八年前と変わらない、へらへらした笑顔を見せてくれる。
軽薄に見えるが、その裏には壮絶な覚悟があることをランカは知っている。
「別に気にしなくてもいいのに。俺はもう一度同じ事になったら、やっぱり同じようにすると思う。俺はお嬢を絶対に護るって決めてるからな」
「もう、護られるほど弱くないわよ」
「確かにさっきのはいいパンチだったな~。お嬢、いつの間に格闘技なんか習ったんだ?」
「それだけじゃないし」
「へえ? 何か面白いことでもやってるのか?」
「試してみる?」
「いやいや。俺はお嬢とは戦わないし。訓練でも絶対やだ。お嬢を殴ったり蹴ったり投げたりなんて冗談じゃない。あ、でも殴られたり蹴られたり投げられたりするのは大好きだから、遠慮無くやってくれていいんだぜ」
「………………」
ランカがものすごく嫌そうな顔になった。
そんな変態全開な台詞を嬉々として言われたのでは無理もない。
はあ、と盛大なため息を吐いてから、素早く手を動かした。
「え?」
ちくっとした感覚が身体のあちこちに襲いかかった、と思った時にはもう遅かった。
タツミはその場に倒れ込む。
「え? え? ええっ!?」
身体に力が入らない。
というよりも動かせない。
喋る事は出来るが、それ以外の行動を封じられてしまっている。
信じられない、という眼でランカを見上げると、得意気に笑う飼い主の顔があった。
「これが八年間の間に身につけた新しい力よ。『針術』っていうの。身体のあちこちにあるツボを正確に攻撃する事により、致命傷を負わせたり、こうやって動きを封じたりする事が出来るの。もちろん、殺すこともね」
最後の方はひやりとした殺気を纏わせながら言う。
可憐な美少女に見えていても、彼女はマフィアの当主なのだ。
これぐらいの物騒さは標準装備である。
「お嬢……これはちょっと……強くなりすぎ……」
身体に全く力が入らないまま、恨みがましくランカを見上げながら言うタツミ。
殴られたり蹴られたり投げられたりはむしろ嬉しいのだが、一方的に動きを封じられるのはちょっと切ない。
八年間は思ったよりも長かった、という事らしい。
一度も自分に会いに来ない間、一体何をやっていたのかと思ったが、まさかこんな物騒極まりないスキルを身につけていたとは……
しかしランカはそんなタツミを見て誇らしげに胸を張っていた。
「もう、あんな真似はさせない。絶対にね」
「お嬢……」
これが彼女の決意なのだと悟るには、十分すぎる力だった。
「随分と強い飼い主だな、タツミ」
二人の様子を面白おかしく眺めていたレヴィが、倒れて動けないままのタツミへと声を掛ける。
マーシャは少しドン引きした表情になっているが、それでもレヴィの横にくっついていた。
「よお、レヴィじゃないか。そう言えば先に出所したんだったな。随分と早いけど、裏技でも使ったのか?」
「俺じゃなくて、多分マーシャが使った」
「ふふん。その通りだ」
横に居たマーシャがニヤリと笑う。
「……クロドを引き渡しただけじゃないのかよ?」
「それだけでスターウィンドの事まで知ったあいつらがレヴィを手放す訳がないだろう。あわよくば私達まで捕まえようとしていたぞ」
「簡単に捕まるようなマーシャじゃねえだろ」
「それはそうだが」
「それで、何をしたんだよ」
「金を払っただけだ」
「………………」
「惑星リネスの裏向きの法律では、殺人や傷害、誘拐などの凶悪犯罪以外なら、罪に応じて金を払えば釈放して貰える、というものがある。地元の人間にもあまり知られていない裏の法律だがな。しかし法律を見れば確かにそう書いてあるんだ。ものすごく目立たないようにしてあるが」
「いくら払った?」
「随分とふっかけられた。三百億ぐらい」
「………………」
ふっかけすぎだ。
マーシャの資産を考えればそれぐらいどうってことない金額だが、一般人からすればとんでもない金額であり、不可能だと言ってもいい。
恐らく不可能だと考えてその額を提示したのだろうが、相手が悪かった。
経済界の女王相手に金で交渉するなど千年早い。
「あっさりと支払ってやると向こうも真っ青になっていたな」
クスクスと楽しそうに笑うマーシャ。
ちょっぴりどころではなく黒い笑みだった。
ざまあみろとか思っているのだろう。
「しかしスターウィンドのことまで知って、金だけで引き下がるか?」
「そこはリーゼロックの名前を出したら引き下がったな」
「……それは引き下がるだろうな」
クロドを引き渡し、金もしっかりと払って筋を通した。
更にはリーゼロックの権力まで表に出してきたのだ。
辺境惑星の警察程度で相手になる筈がない。
先に金を払い、リーゼロックの権力を敢えて後回しに利用したマーシャの狡猾さに曖昧な笑みを浮かべておくレヴィ。
経済力を先に見せることで、リーゼロックの権力に説得力を持たせたのだろう。
虎の……もとい狼の尾を踏んでしまったことに気付いて、今頃は頭を抱えているのかもしれない。
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