最初に襲いかかってきたのは、強烈な痛覚だった。
同時に、これは夢なのだなと自覚した。
痛みの強い夢などご免被りたいのだが、見てしまったものは仕方が無い。
諦めて通り過ぎるのを待つしかないだろう。
死にそうなぐらいに身体が痛い。
これは何の夢だろう。
それとも、過去だろうか。
「オッド!!」
悲痛な声が聞こえる。
自分の声ではない。
自分を呼ぶ声だ。
「おい、しっかりしろよ……」
ぼんやりと目を開けると、そこにはレヴィの姿があった。
今よりもずっと若い。
まだ軍人だった頃の、上司の姿。
ああ、そうか。
これは三年前の夢だ。
俺たちの人生を変えた、あの悪夢。
いや、悪夢ではなく現実というべきか。
あれは間違いなく起こってしまった現実なのだから。
「嫌だ……頼むよ、頼むから、俺の前でこれ以上死ぬな……!!」
泣きそうな、苦しそうな、絶望で今にも折れてしまいそうな、レヴィの声。
「………………」
貴方のそんな声は聞きたくない。
いつだって飄々としていて、明るくて、部下を安心させてくれる、そんなカリスマを持ったレヴィには似合わない絶望の声。
このまま死んでしまうかもしれないという絶望よりも、そんな声を聞きたくないという悲しさの方が上回った。
しかしそんな声を出させているのは自分なのだ。
過ぎてしまった過去は変えられない。
だから、現実だったこの夢も変えられない。
それでも耐えられるのは、この後に救いが待っていることを知っているから。
この絶望を乗り越え、二人とも生き延び、痛みと哀しみを抱えて、何かを諦めつつも時間が過ぎていったけれど、その先にはちゃんと光があった。
レヴィを追いかけてきてくれた女の子が、希望をくれた。
今のレヴィは楽しそうに笑ってくれるし、幸せそうにしてくれる。
だから、この夢も通り過ぎるのを待つだけ。
たとえ夢であっても、今は違うと分かっていても、泣きそうなレヴィの顔は見たくなかった。
だから夢の中で更に目を閉じて、それが通り過ぎるのを待った。
★
「………………」
ようやく目が覚めた。
温かな何かに導かれた気がする。
そして目が覚めても温かな何かが触れているように思えた。
「……?」
その温かなものに触れてみると、いい匂いたした。
ふわりとした青い髪。
大きな翠緑の瞳がじっとこちらを眺めてくる。
「……何をしているんだ? シオン」
「おはようですです♪」
「おはよう」
にこっと笑うシオンの笑顔は不思議とこちらを和ませる。
この少女はまだ幼いので、その無垢さがこちらの気分を和やかなものにしてくれるのかもしれない。
起き上がると、そこがベッドではないことに気付く。
どうやらソファの上でうたた寝をしていたらしい。
「………………」
そしてここが見慣れた部屋ではないことに気付く。
といっても、移動が多いシルバーブラストのクルーになってからは、見慣れた部屋というのも使いづらい言葉になっているが。
強いて言うならシルバーブラストの船内にある自分の部屋が最も見慣れているのかもしれない。
今はマーシャの里帰り中なので、惑星ロッティにいる。
リーゼロックの屋敷内に与えられた部屋はかなり豪勢で、ソファも寝心地がいい。
手持ち無沙汰でごろごろしていたら、そのままうたた寝してしまったのだろう。
「嫌な夢でも見ていたですか?」
「まあ、そうだな。あまり見ていたい夢ではなかったかもしれない」
「怖い夢ですか?」
「怖いというほどでは無いが、嫌な夢であることは確かだ」
「大丈夫ですか?」
「ただの夢だからな。大丈夫だ」
「良かったですです」
「……ところで」
「?」
「どうしてシオンは俺の上に乗っているんだ?」
うたた寝しているところを起こしに来てくれたのだとしても、どうしてシオンの華奢な身体が俺の上に乗っているのか、その状況が理解出来ない。
しかも自分の顔を覗き込んでいるので、かなり近い位置にシオンの顔がある。
年齢的にも精神的にも幼いシオンの顔が近付いたところで、妙な気分になったりはしないが、だからこそこの状況は不味い。
端から見るとロリコンの図になっているのが非常に不味い。
「降りてくれないか?」
そんな内心の動揺は悟らせず、いつも通りに冷静な声でシオンを促す。
「はいです~」
シオンは逆らうことなく素直に俺の上から降りてくれた。
「起こしてくれたのは礼を言うが、どうして俺の部屋に入り込んでいるんだ?」
他人の屋敷内とは言え、ここは俺に与えられた部屋であり、プライベート空間として機能している。
セキュリティロックもかかっている筈なのだが、シオンの手にかかれば簡単に解除出来てしまうらしい。
しかしロックを解除してまで入り込んだ理由が分からない。
「実はオッドさんにお願いがあるですよ」
「俺に?」
どうやら何か頼みたいことがあって部屋に入り込んだらしい。
そこまでは理解した。
上に乗っかって顔を覗き込んでいたことについては全く理解出来ないが。
「俺に出来ることなら構わないが、何をして欲しいんだ?」
シオンとシャンティのおねだりに振り回されることは慣れている。
レヴィとマーシャを二人きりにして楽しんで貰う為にも、子供達の面倒は俺の担当になっている。
そのことに不満はない。
自分でも驚いたことに、子供の面倒を見ることがそこまで面倒ではないのだ。
意外と子守に向いているのかもしれないと思ったぐらいだが、それはトリスの方が明らかに向いている。
ついこの間まで復讐に走っていた亜人の青年トリスは、今はマーシャとレヴィの手によって助け出され、このロッティで平穏に暮らしている。
児童養護施設の先生という、宇宙海賊の頭目には恐ろしく似合わない仕事をしているが、子供達と接するあの青年の穏やかな表情を見ていると、あの姿が彼本来のものなのだろうと感じさせられた。
長年の戦いと復讐心によって擦り切れていった心は、少しずつ癒やされていくだろう。
トリスのクローンとして生み出されたナギという少年についても、和解して今は仲良くしているらしい。
マーシャ達がトリスとナギの為に奔走している間も、シャンティとシオンの面倒は俺の担当になったが、そこに不満は無かった。
彼らは彼らにしか出来ないことをしているのだから、自分も見えないところでその手助けが出来ればいいと考えている。
それが子守だったとしても、小さな手助けにはなっている筈だ。
俺はマーシャのような万能性も、レヴィのような天才性も持っていない、普通の人間だ。
だから、小さな事で力になれればそれでいいと思う。
……よく考えると、俺の周りには天才ばかりだ。
マーシャの万能性は言うまでもない。
レヴィの天才性もずっと見てきた。
シャンティは電脳魔術師《サイバーウィズ》としては最高峰の天才少年だし、目の前に居る少女は生まれながらの電脳魔術師素体《サイバーウィズマテリアル》であり、シャンティを越える天才性を秘めている。
このメンバーの中で凡人は俺だけだ。
そのことに劣等感を抱いていないと言ったら嘘になるが、それは気にしても仕方の無いことだ。
そんなことで苛まれるぐらいならば、とっくにレヴィの傍から離れている。
戦闘機操縦者としての腕の差は明らかで、そのことを負い目に感じていたら、レヴィの傍にはいられない。
それでも彼を上司として認め、共に戦場を駆け抜け、護りたいと願ってきたのは、才能とは関係無しに、自分がそうしたいと望んだからだ。
だから俺は凡人である自分を受け入れ、何が出来るかを少しずつ探していくことが大切だと思っている。
表に出て目立つヒーローではなく、そんな彼らを裏から助ける黒子のような存在として役立てるのなら、それで十分だ。
「オッドさん」
「なんだ?」
じーっとこちらを見てくる翠緑の瞳。
五月の新緑を思い出させる綺麗な色だと思う。
この身体が作り物だとは思えないぐらいに、自然な活力に満ちている。
最も、有機アンドロイドといってもかなり人間に近い体構造なので、人間と同じように成長したり食事をしたり出来るのだが。
こうなると作り物と自然の物との境界線が分からなくなる。
もしかしたら、考える必要は無いのかもしれない。
「お腹が空いたです♪」
「………………」
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