それから連絡先を交換して、ギルバートは帰ることになる。
連絡先の交換についてはレヴィもかなり迷ったのだが、ギルバートがこちらの事情にある程度精通している以上、関わりを保っておいた方が安全だと判断したのだ。
そして部屋から出て行くギルバートを見送ろうとしたところで、タイミング悪くマーシャが戻ってきた。
「ただいま~……」
家に戻って気が抜けているのだろう。
緩みまくった表情でドアを開けるマーシャ。
「あ」
「げ……」
「うっ……」
レヴィ、オッド、ギルバートは、それぞれの反応を示す。
レヴィはマーシャが戻ってきてくれたことで、もふもふ出来ると喜び、オッドはどうしてこんなタイミングで……とため息を吐き、ギルバートはエミリオンのホテルで締め上げられた恐怖を思い出して呻いた。
「ん……?」
どうしてそんな反応をされるのか分からなかったマーシャは、そこでようやくギルバートと目が合った。
「………………」
「………………」
自分のテリトリーに入ったことですっかり緊張を解いていたマーシャだが、それはあくまでも身内しかいないという前提の態度だった。
目の前には見覚えのある不愉快な男がいる。
確か、エミリオンでレヴィを締め上げていた男だ。
そして彼の娘はレヴィと……
「………………」
そこまで考えて、マーシャの尻尾の毛が一気に逆立った。
それ以上は考えるよりも行動のマーシャなので、すぐにギルバートとの距離を詰めて、一気に締め上げた。
「どうして貴様がここにいるっ!?」
「っ! ーーっ!!」
かなり容赦無く締め上げているのだろう。
ギルバートが苦しそうにじたばたともがく。
しかしマーシャの締め上げがそんなことで緩む訳がない。
ギルバートとしても締め上げられるかもしれないと身構えていたし、反応出来るようにもしていたつもりなのだが、まったく歯が立たなかった。
亜人の驚異的な身体能力を目の当たりにして、恐怖が加速する。
「おー、膨らんでる膨らんでる」
そしてレヴィの方は締め上げられているギルバートの心配よりも、膨れ上がって気持ちよさそうになっているマーシャのもふもふを気にしていた。
触りたくてたまらないのだが、今触ったら間違いなくレヴィも締め上げられる。
我慢を強いられてうずうずしていた。
「……感心している場合ですか。助けなくていいんですか?」
「あ、そうだった。おーい。マーシャ。その人、一応お客さんだから、あんまり乱暴なことはしない方がいいぞ」
「レヴィ! お前がこいつを連れ込んだのかっ! 女だけならまだしも、男まで連れ込むなんてどういう了見なんだっ!」
「誤解を招くような言い方をするなよっ! 秘密保持の都合上でここを選んだだけで、いかがわしいことは何もねえよっ!」
こんな誤解をされるぐらいなら、女を連れ込んだと言われる方がまだマシだった。
同性の、しかもおっさんを連れ込んだなどとは言われたくない。
「マーシャちゃん? そろそろ離してあげないと、多分死ぬぜ」
「む……」
死なれるのは困るのか、マーシャは瀕死のギルバートを離してやる。
締め上げすぎて窒息しかけていたので、実はかなり危うかったりもする。
「それで、どうしてこいつがここにいるんだ?」
落ちついてきたのは助かるが、ギルバートの態度次第ではまたいつ締め上げるか分からないので、慎重にならざるをえない。
ギルバートの方は恐る恐るマーシャを見上げた。
相変わらず恐ろしい女だとは思っているが、もちろん口には出さない。
しかしマーシャの方は銀色の瞳に冷たい光を帯びてギルバートを睨み付けているだけだった。
締め上げる手は緩めても、追求まで緩めてやるつもりはないらしい。
「実は軍に戻ってこないかと言われたんだ」
「……正体がバレたということか」
「まあ、今は変装もしていないしなあ。もっとも、エミリオンで会った段階で予想はしていたらしいけど。それで、グレアス・ファルコンとセッテ・ラストリンドについてもいろいろと感づかれている」
「ふうん」
マーシャの視線に殺気が混じる。
「………………」
殺されるかもしれない、と本気で恐怖するギルバートだが、見逃すと決めたレヴィのことを信頼するしかない。
「記憶を弄ろうかとも思ったけど、まあ表沙汰にするつもりはないみたいだから、このままでもいいんじゃないかと思ってな」
「そんな保証がどこにある?」
「まあ、ないけど。でもどこかで信じないと、人間関係なんて成り立たないだろう?」
「それはそうだが。仕方無いな」
マーシャはレヴィのそんな部分が好きなので、仕方無いと割り切った。
リスクは残るが、レヴィの人を見る目は信じている。
彼がギルバートのことを大丈夫だと判断したのなら、マーシャもそれを信じるだけだ。
「それで、軍に戻るという話は当然断ったんだよな?」
「当然だろ。今の俺はマーシャの専属だからな」
「うん。そうだな」
マーシャの専属、と言われてご機嫌になる。
尻尾がゆらゆら揺れているので、嬉しい言葉だったのだろう。
そんな尻尾を見てレヴィもデレる。
可愛いなぁ、とか思っているが、もちろん口には出さない。
しかし顔には出ている。
「個人的に仕事を頼みたいとも言われたけど、それならリーゼロックPMCを利用すればいいってアドバイスしておいたよ」
「……エミリオン連合軍の為に働くのは嫌だなぁ」
「マーシャが働く訳じゃないだろ」
「あそこの戦闘機と母艦は私の技術が流用されているんだぞ」
「あ、そっか」
「まあ、面白くはないけど、その辺りのことはお爺さまが判断することだから、私が口出しをするつもりはないけど」
「だよなぁ。面倒事はクラウスさんに押しつけておこうぜ」
「む~。レヴィがそう言うなら、まあいいか」
むくれつつもレヴィの判断に従うと決めたマーシャだった。
「という訳で、帰っていいぞ。というか邪魔だ。さっさと出て行け」
「………………」
マーシャの言葉はそっけないを通り越して酷でもあった。
しかしこれ以上ここにいたら殺されかねないとも思ったので、ギルバートは素直に出て行くことにした。
レヴィ達に見送られて、彼らの家を後にするギルバートは、深々とため息を吐いた。
「改めて思うが、恐ろしい連中だな……」
マーシャに射竦められた時は、本気で殺される覚悟をしていた。
マーシャにはそれが出来るし、それを躊躇うような性格ではないことぐらいは分かっている。
ぞっとするほど冷たい殺気をぶつけられた時は、本気で恐怖した。
現役の軍人としては許されない失態だが、それでもあの時のマーシャは怖かった。
戦場なら経験している。
人が死ぬところも、殺されるところも、数え切れないほどに見てきた。
自分が殺したこともあるし、殺されそうになったこともある。
ギルバートは現場を経験している軍人だったが、それでもあの時のマーシャは恐ろしいと感じてしまった。
人間が相手ではないのだ。
自分よりも圧倒的に優れた力を持つ相手が、全ての抵抗を封じた上で躊躇いなく殺そうとしていたのだ。
殺されるのが恐ろしかったのではない。
抗うことすら出来ないまま殺されるのが恐ろしかったのだ。
ジークスの件で亜人が人間を恨んでいるのは理解出来るし、今後も関係が緩和することは無いと考えるべきだろう。
亜人を積極的に保護しているリーゼロックは例外としても、他の組織や人間が亜人と融和する道は残されていないと考えた方がいい。
だからこそ、レヴィと交渉するのは難しい。
しかしあのままマーシャの専属にだけしておくのも惜しい。
彼はレヴィの才能を見出した張本人なのだ。
なんとかしてあの才能を、そして能力を活かしたいと考えている。
「何か、考えてみるか」
何とかマーシャを怒らせずに、レヴィを乗り気にさせる仕事についてゆっくりと考えようと決めた。
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