「トリス。準備はいいか?」
「うん。僕の方は準備完了だよ」
翌日から早速外に出ようと言ったマーシャに、トリスは快く応じた。
亜人の姿は隠していない。
獣耳と尻尾を堂々と出している。
このロッティに亜人の姿を馴染ませる為にも、二人は自分の姿を隠すつもりはなかった。
クラウスもその方がいいと言ってくれた。
二人に自分を偽るような生き方はしてもらいたくなかったのだ。
亜人であっても身分を保障される。
そんな環境を作り上げようとしていたのだ。
少なくとも、このロッティでは二人に手を出すことは出来ない。
クラウス・リーゼロックの庇護下にあると分かれば、ロッティの人間であれば手出しは出来ない筈なのだ。
そんなことをすればクラウスを敵に回すことになる。
ロッティの経済を掌握しているだけではなく、PMCとして私兵も抱えている彼に逆らうことは、正規軍であっても難しい。
リーゼロックPMCの質の高さはロッティだけではなく、この宙域でも知れ渡っているのだ。
敢えて敵に回そうと考える愚か者はいないだろう。
だからこそクラウスは安心して二人を外に出せると思っていたのだ。
少なくとも、ロッティで手を出せる人間はいないと考えていた。
「マーシャ。さっきから尻尾が騒がしいね」
「悪いか?」
「ちょっとは大人しくさせないと毛が散らかるよ。掃除が大変になる」
ぶんぶんと激しく揺れる尻尾からは、大量の毛も舞い散っているだろう。
後から掃除が大変になるとトリスは注意しているのだが、そういう彼の尻尾も少しだけぱたぱたと揺れている。
自制していても、彼も楽しみなのだろう。
「自分で制御出来るものではないから無理だな」
「開き直られても……」
「トリスだって揺れているじゃないか」
「それはまあ……」
制御しようとしても上手く出来ない。
それはトリスも同じだった。
「それにトリスの尻尾の方が大きいんだから、散らばる量もトリスの方が多い筈だ」
「う……」
それを言われると辛い。
しかしどうにも出来ないことだった。
「掃除はそこまで気にしなくていいだろう。自動機械がほとんどやってくれるんだから」
「まあ、そうかもしれないけど」
「それに自分で制御出来ないものを我慢しても仕方ない。不毛なだけだ」
「うーん。そう……なのかなぁ……」
何故か納得のいかないトリスだったが、マーシャの言うことも一応の筋は通っていた。
「でもあんまり尻尾を揺らすとスカートの中身が見えちゃうよ」
「それは困る」
ばっとスカートを抑えるマーシャ。
今日のマーシャはスカートを穿いている。
いつもはズボンを穿いているのだが、外に出るのだから少しぐらいはお洒落をしようと思ったのだ。
上着も可愛らしいリボンの付いた水色のもので、マーシャによく似合っている。
トリスの方はシンプルな黒のシャツとズボン、そして白のジャケットだった。
動きやすさ重視で選んだらしい。
お洒落とは無縁のシンプルさだが、そこが彼らしいと思う。
「そんなに気にするならズボンにすれば良かったのに」
「なんだ。トリスは私のスカート姿は嫌いなのか?」
「ううん。可愛いと思うよ」
「………………」
「でもスカートの中身が見えるのはどうかと思うし」
「目を逸らせばいい」
「もちろん僕は逸らすけど、でも他の人は見ちゃうんじゃないかな」
「……それも困る」
「だったら尻尾の動きには注意した方がいいかもね」
「……気をつける」
「うん」
こうしていると本当にマーシャが妹みたいだ。
手のかかる妹に言い聞かせる兄のような心境になっている。
マーシャもそれに気付いたのだろう。
軽くトリスを睨んでいた。
しかし尻尾の動きは簡単に制御出来ない。
妥協案として見せてもいいショートパンツを下に穿くことにした。
これなら見えても問題無い。
根本的な解決にはなっていない気がするが、下着を見せてしまうという事態は避けられそうなのでトリスも安心した。
「よし。じゃあ出かけようか」
「うん。出かけよう」
二人は早速外に出た。
クラウスが用意したリムジンに乗り込んで、運転手に任せて街に出て貰う。
車が移動すると、門の外まで出るのに五分ほどかかった。
改めてリーゼロック邸の広さに呆れてしまう。
「今度、屋敷の庭も探検したいな」
「言えてる。知らないものが一杯出てきそうで面白い」
「今度やってみるか」
「そうだね」
二人は楽しそうにしている。
はしゃいでいる子供達を見て、運転手達も口元を緩めた。
実に微笑ましい眺めなのだ。
マーシャとトリスと直に接している人たちは、二人がとても素直でいい子だということを知っているので、本心から可愛がっている。
クラウスから二人の護衛を言いつけられた時も、張り切って請け負ったぐらいだった。
実は彼らはリーゼロックPMCからの派遣なのだが、その内PMC本社にも来て貰いたいと考えていた。
そうすれば部隊内のマスコットになれるだろうと思っているのだ。
それからすぐに市街地に出た。
駐車場に車を止めてから、二人は街中を楽しそうに歩いていた。
護衛の二人はその後ろから付いてきている。
近すぎず、遠すぎずの距離を保っているので、目立つことはない。
別の二人組としての距離を保っているのだ。
だからこそマーシャ達も護衛の姿を煩わしく思うことはなかった。
彼らは自分達の邪魔にならない距離を心得てくれている。
だから安心して楽しむことが出来た。
「服を見て回るのも楽しそうだけど、まずは肉かな」
「そっちが先なのか?」
「もちろんだ。肉串の買い食い。これを最初にやりたかったんだ」
「なんで?」
「なんとなく。レヴィアースが買ってくれた肉串の屋台に行こう」
「……うん」
レヴィアースという名前に拘っているマーシャのことを、トリスが複雑な表情で見ている。
命の恩人であることは確かなのだが、もう会えないかもしれない人にそこまで拘るのはマーシャにとっても良くないことだと思うのだ。
もちろん、正式な戸籍を得た今となっては、レヴィアースに会いに行ってもそれほど危険ではないのかもしれない。
しかし何がきっかけで彼の行動が暴かれるか分からないのだ。
任務違反をしてまで自分達を助けてくれたレヴィアースには、二度と会わない方がいい。
その方がレヴィアースの為でもあるのだ。
亜人という存在に注目されてしまえば、レヴィアースにも危険が及ぶ。
それだけは避けたかった。
しかしマーシャはそんなこと関係無しに、純粋にレヴィアースともう一度会いたいと思っているらしい。
マーシャは屋台に行って肉串を二十本も注文した。
亜人の姿を見て店員も驚いていたようだが、嬉しそうに見上げるマーシャに自然と口元がほころんだようだ。
珍しい姿ではあるが、可愛らしいことに間違いない。
それに支払いもきちんとしてくれるのならば、拒絶する理由もないのだ。
店員は手早く二十本の肉串をパックに詰めてマーシャに渡してやった。
それからトリスのところに戻る。
「半分こしよう」
「うん」
二人で肉串を食べる。
尻尾がぱたぱた揺れている。
ご機嫌な証だった。
亜人の子供二人が堂々と外をうろついているが、あたりの人間はちらりと視線を向けるだけだ。
アクセサリーだと思っているかもしれないし、ちょっと珍しいものを見たと思っているのかもしれない。
あからさまな侮蔑や嘲笑の視線がないのはありがたい。
元々、ロッティには亜人を差別する空気が無いお陰なのかもしれない。
或いは、クラウスが手を回して、亜人への感情を操作したのかもしれない。
彼ならそれぐらいの影響力はある。
大切な子供達が堂々と日常を過ごせるように。
せめてこの星では安らかに過ごせるように。
そんなクラウスの気持ちが表れているのかもしれない。
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