その日のシンフォもゼストのところに泊まり込んだ。
今度は単純に整備に付き合う為だ。
自分の機体なのだから、むしろそうするのが当然という意識らしい。
ゼストの方もシンフォが泊まり込むのを嫌がったりはしなかった。
デビュー当時からのファンというだけのことはある。
困ったのは、シンフォが泊まり込むということで、俺も泊まり込むように要求されたことだ。
「是非とも食事をっ!」
「モチベーションを上げる為に食事を要求するっ!」
「………………」
熱視線を二人揃って向けられてそんなことを頼まれてしまっては、作らない訳にもいかない。
味をしめてしまったような気がするが、俺たちはもうすぐこの星からいなくなるのだし、あと少しぐらいは面倒を見てもいいだろうという気持ちになったりもする。
一日三食きっちり作ってから、二人があーだこーだ言い合うのをのんびりと眺める。
今日はシオンも一緒に泊まり込んでいる。
「そんなにシンフォのことが気になるのか?」
「ん~。どちらかというとオッドさんのご飯が目当てですです~」
「………………」
食欲優先か。
まあいいのだが。
「それになるべくオッドさんの傍に居るって決めているですからね~」
「何故だ?」
「ん~。なんとなくですです。オッドさんは最近不安定に見えるですから」
「不安定? 俺が?」
「違うですか?」
「少なくとも、自覚はないな」
「自覚がないから厄介ですです」
「む……」
確かにその通りだが、不安定なつもりはない。
むしろシンフォを応援している分、それなりに充実しているような気がしているぐらいだ。
「不安定な時は、誰かと一緒にいるのがいいと思うですよ」
「………………」
これもシオンの優しさなのだろうか。
仲間思いのシオンのことだから、不安定に見えた俺を放っておけなかったのだろう。
お守りが増えるだけのような気がするが、その気持ちはありがたく思っておくべきなのかもしれない。
そしていよいよ明日にレースを控えた夜。
シンフォがしょんぼりしながら食事をしている。
今日はパイ生地を乗せたビーフシチューなのだが、なかなかの出来だと思っている。
目の前で落ち込まれると少し凹む。
不味かったのだろうか。
いや、俺が食べている限りではそんなこともないと思うのだが。
「生地がサクサクして美味しいですです~」
シオンも上機嫌で食べているし。
「どうした? シンフォ。嫌いなメニューだったか?」
「いえ。そんなことは無いです。むしろ凄く美味しいんですけど……」
「?」
「オッドさんのご飯もこれで最後かと思うと……はぁ……」
「………………」
そんな理由で落ち込まれてもかなり困るのだが。
「はあ……。むしろオッドが女だったら嫁に貰っているのに……」
「………………」
ゼストまで恐ろしいことを言っている。
男の嫁になる趣味はない。
「これが最後の晩餐かぁ~」
「切ないよなぁ……」
「………………」
縁起の悪いことを言っている。
本番前にモチベーションを下げてどうすると突っ込みたくなるのだが、更に落ち込まれても困る。
「シンフォが一位になったら打上げ用のご馳走を作ってやる」
なので妥協案を提案した。
我ながら甘いとは思うが、このままではモチベーションが下がったままラストチャンスのレースに臨むことになるので、仕方がない。
「本当ですかっ!?」
「シンフォ! 負けたら承知しないぞっ!」
「分かってるっ! 負けないっ! オッドさんのご飯の為にっ!!」
「………………」
モチベーションが上がったのは結構だが、その理由が……
自分の将来の為ではないのか。
いちいち気にしていたら負けのような気がするので、このまま流しておくことにした。
★
そしていよいよレース当日。
シンフォはスポンサー無しの参加ということで、職員から訝しげにされていたが、機体を持っていて、参加費もきちんと払っているのだから、拒否することも出来ない。
きっと落ちぶれたレーサーの悪あがきだと思われているのだろう。
哀れみの視線を向けられていても、シンフォは特に気にしていないようだ。
というよりも、慣れているのだろう。
笑って受け流せるシンフォは強いと思うのだが、そういう強さは自分を知らず知らずに痛めつけるだけなので、いずれは改善していった方がいいような気もする。
「本番だが、大丈夫か?」
レーサーの控え室でシンフォに語りかける。
既にマーシャ達は観客席にいる。
先に席を取っておかないと立ち見になってしまうので、彼女たちに頼んでおいたのだ。
マーシャの財力があれば特別席から見ることも出来るのだが、それだと臨場感に欠けるということで、一般席を確保して貰っている。
マーシャは既にシンフォへと大金を賭けている。
今更シンフォに賭ける人など誰も居なかったので、やはり職員が驚いていた。
しかも金額がかなり大きいので、何度もマーシャを見返していた。
世界が違う人と相対すると、自分の置かれた状況が信じられなくなるのだろう。
その気持ちは分からなくもない。
「ふぁいじょーぶれふ……もぐもぐ」
「………………」
緊張感の欠片も無い。
差し入れのサンドイッチをもぐもぐさせながら、実に幸せそうにしている。
彼女は食欲優先派なのかもしれない。
「おいひいれふ……」
「分かったから、食べながら喋るな。話しかけた俺が悪かった」
俺が悪いのか? と疑問に思いながらも、食べながら話されても困るのでそう言っておいた。
「もぐもぐ……。ごっくん。す、すみません。つい夢中になって……」
赤くなりながらも食べるのを止めなかった根性を褒めるべきなのか、少し悩みどころだな。
「いや。緊張していないなら何よりだ。それよりもレース前に食べて大丈夫なのか?」
「大丈夫です。元気の素ですから」
「………………」
そういう問題でもないのだが。
大丈夫だというのなら問題無いのだろう。
そういうことにしておこう。
「大丈夫ですよ。道は見えていますから。私は、私の飛びたい空を飛ぶんです。オッドさんがそれを示してくれたから、私に迷いはありません」
「そうか。少しでも力になれたのなら、俺も嬉しい」
シンフォは立ち上がって俺の手を握ってくる。
そして俺を見上げて笑顔を向けてくれる。
「オッドさんが最初に声を掛けてくれたから、私はこうして飛べるんです。そして道を示してくれたから、迷わずに飛べるんです。今まで、ありがとうございました」
「礼は結果で示してくれればいい」
握られた手は力強い。
迷いは無い、ということだろう。
「はいっ! そのつもりですっ! 打ち上げのご馳走の為にも頑張りますっ!」
「そっちか……」
「あ、いえいえ。もちろん自分の為なんですけどね。えへへ」
「………………」
メインがついで扱いされているぞ。
だいぶ毒されているのかもしれない。
これが最後のチャンスなのだから、絶対に失敗出来ない筈なのだ。
俺の食事とレーサーとしての人生とを天秤に掛けるなら、当然のごとく後者に傾く……筈だ。
「シンフォ」
俺はシンフォに向かって拳を突き出す。
「あ……」
シンフォも拳を突き出してくれた。
俺はその拳に軽く自分の拳をぶつけておいた。
「頑張れ」
「はいっ!」
シンフォは輝くような笑顔で頷いた。
きっと大丈夫だ。
そう信じられるような笑顔だった。
★
オッドさんが居なくなって、一人になった。
「………………」
握られた手にはまだ温かさが残っている。
初めて私を助けてくれた人。
とても温かくて、優しい手。
頑張れ、と言ってくれた。
その言葉も、私の胸を満たしてくれている。
少しだけ残っていた緊張も、溶け消えてしまった。
「大丈夫。私は飛べる」
深呼吸すら必要無い。
私の心は凪のように落ち着きを取り戻している。
ラストチャンス?
そんなの関係ない。
私はオッドさんの、そしてマーシャさん達やゼストさんの期待に応えたい。
その気持ちがあれば、きっと何も迷わない。
そして私が望む空を飛び続ける。
自分を信じて、私自身の空を飛ぶ。
今までで最高の飛翔をオッドさん達に見て貰う。
それだけでいい。
「うん。それだけでいい」
もう一度自分に言い聞かせる。
同時にノックの音がした。
オッドさんが戻ってきたのだろうか。
「よう、調子はどうだ?」
「ゼストさん?」
入ってきたのはゼストさんだった。
今まで中継を見ることはあっても、直接控え室まで足を運ぶことはなかったのに、どうしたのだろう。
自分の役割は機体を万全にすることであり、それ以降はレーサー自身の仕事だと割り切っている部分があることを、私は知っている。
私のことを応援してくれていたし、励ましてもくれた。
今まで傍で支えてくれた大切な人の一人だけど、それでも直接控え室まで来てくれたのは初めてだ。
今回はそれだけ特別だと考えてくれているのだろうか。
少しだけ涙ぐみそうになった。
私は、多くの人に支えられている。
ここで失敗すれば二度と飛べなくなるのに、それでも見捨てないでいてくれる。
私は恵まれている。
恵まれすぎるぐらい、恵まれている。
ほんの少し前までは自分がとても不幸だと思っていたのに、出会いと考え方だけで、ここまで変わるのだと実感した。
「………………」
しかしゼストさんはきょろきょろと辺りを見渡している。
「どうしたの? ゼストさん」
「いや。オッドの差し入れは無いのか? てっきり今日も持ってきてくれているかと思ったんだが」
「………………」
もしかして、私を心配して訪ねてきてくれたのではなく、オッドさんの差し入れ目的でやってきたのだろうか……。
だとすればかなりがっかりだ。
気持ちは分かるけど。
分かりすぎるぐらいに分かるけど。
でも、本番前なんだから少しは空気を読んで欲しい。
ここは嘘でもいいから私の応援に来た、と言ってくれても罰は当たらないと思う。
「……持ってきてくれたけど、私が全部食べちゃったよ」
「何だとーっ!?」
案の定、ゼストさんは絶望的な表情になった。
「だって一人前しかなかったし♪」
「そういう時は後から来る俺にも残しておこうっていう心遣いは無かったのかっ!?」
「オッドさんの差し入れに関しては無い♪」
「薄情者ーっ!!」
「どっちがっ! てっきり私の応援に来てくれたと思ったのにっ! 感激してがっかりしたよっ!」
「そんなのついでに決まってんだろうがっ!」
「言い切ったっ!」
「俺の飯っ!」
「もう無いっ!」
「吐けーっ! 出せーっ!」
「却下っ!」
……レース前に醜い争いが勃発していた。
いい歳をしたおじさんが、女性に対して食い意地の張った主張をしている。
事実だけを見ればかなりどうしようもない争いになっている。
「むう。仕方ない。絶対に勝てよ」
「う、うん」
いきなり応援の台詞になったのでびっくりする。
もちろん、勝つつもりではいるけれど。
「そうすればオッドの打ち上げご馳走にありつけるからなっ!」
「………………」
私の応援をしてくれているのか、オッドさんのご馳走が目当てなのか、本気で分からなくなってきた。
私を応援してくれているだけで、ちょっとした照れ隠しだと信じたい気持ちはあるのだけれど……
「俺もグラディウスの一点買いにするから、ちゃんと儲けさせろよ」
「……まあ、期待は裏切らないつもり」
応援してくれていると信じよう。
きっとそうだと思う。
……そうだと、思いたい。
「じゃあ俺もそろそろ観客席に行くわ。最終整備もちゃんとやってるから、思う存分飛べよ」
「うん。本当にありがとう」
「気にするな。俺はお前のファンだって言っただろ」
「うん」
未だにそう言ってくれるゼストさんの気持ちが嬉しかった。
だからこそ、絶対に負けない。
私は勝つ。
勝つ為の理由がもう一つ増えた。
手を振って出て行くゼストさんを見送ってから、私も準備をする。
もうすぐ私のレースだ。
最後にならないように、頑張らないといけない。
ううん、最後になんかしない。
絶対に勝ってみせる。
「勝てるよ。だって、私は一人じゃないから。だから、勝てる」
みんなの励ましを感じることが出来る。
背中を押してくれる人がいてくれる。
だから、大丈夫。
勝利をこの手に。
空の向こうにある未来を見つける為に。
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