シルバーブラスト

水月さなぎ
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トリスの戸惑い、ちびトリスの葛藤 2

公開日時: 2021年7月29日(木) 06:59
文字数:5,746

 一方、ちびトリスの方は空の家であまり上手く行っているとは言えない状況だった。


 表向きは他の子供達と仲良くしているのだが、どうしても納得出来ないことがある。


 しかしそれは本人にはどうしようもない問題なので、不満を表に出したりはしない。


 その分のストレスはマーシャに甘えることで補っている。


「マーシャ。ただいまっ!」


 リーゼロック邸に戻ると、マーシャの部屋に駆けつけるちびトリス。


「おかえり、ちびトリス」


 飛びついてくるちびトリスをぎゅっと抱きしめて膝に乗せる。


「学校はどうだった?」


「うん。それなりに上手くやってるよ」


「それは良かったな」


「うん」


 家に戻るとこうやってマーシャに甘えるのがちびトリスの日課だった。


 マーシャもロッティに居る間は研究所などにデータを渡したり、スターウィンドのオーバーホールが残っていたりとかなり忙しいのだが、それでもちびトリスが不安定なことは分かっていたので、帰ってくる時間には家に居るようにしている。


 ちびトリスが安定するまでは宇宙にも出られないと考えている。


「トリスとは上手くやっているか?」


「………………」


 トリスの話題を振ってやると、ちびトリスはむっとした表情で顔を背けた。


「うーん。相変わらずか」


「だって、むかつくし」


「トリスが何かしたのか?」


「何もしてないけど。でも傍に居るだけでむかつく」


「うーん。困ったなぁ」


 むっとした表情でそっぽ向くちびトリスを宥めるが、マーシャにはどうすることも出来ない。


 これはちびトリス自身が乗り越えていかなければならない問題なのだから。


 ただ、アドバイスぐらいはしてやりたいとも思う。


 問題は、どんなアドバイスならちびトリスに効果的なのか、それが分からないということだった。


「それに……」


「ちびトリス?」


「ううん。何でもない」


「そんな顔をして何でもないってことはないだろう。どうしたんだ?」


「う~。マーシャに話しても解決する問題じゃないから」


「それは寂しいな。何か出来ることは無いか?」


「こうして甘えているだけでもストレスは発散出来る」


「ストレス発散に利用されてもなぁ……」


「マーシャに甘えるのは好きだし」


「気持ちは嬉しいけど」


 すりすりごろごろと甘えられると、マーシャとしても気分がいい。


 小さな弟が素直に甘えてくると、気持ちが和むのだ。


「ついでにもっと甘えて話してくれたらいいのに」


「男の子だからね。自分で頑張りたい時もあるんだよ」


「おお。男の子発言。頼もしいな」


「もっと頼もしくなって、いつかレヴィよりも俺を選ばせるから期待してて」


「えーっと。それはちょっと困るかな」


 レヴィに一途なマーシャにとっては堂々とした略奪愛宣言も困ってしまう。


 ちびトリスが本気なのは分かっているが、それは子供がお姉さんに憧れる感情とそれほど変わらないものだと分かっている。


 今の状況で遠慮無く甘えられるのがマーシャだからこそ、ちびトリスはそこに恋愛感情を錯覚しているのだと、マーシャには分かっている。


 しかしそれを指摘するほど残酷にはなれない。


 求愛されて困りつつも、自分でこの違いに気付いてくれる日がくればいいと考えている。


「いつかマーシャを振り返らせられるぐらいいい男に成長すればきっと大丈夫だから」


「いい男になることは間違いないとは思うけどな」


 ちびトリスはきっといい男になる。


 こんなに一生懸命に頑張っているのだから、そうならない筈が無い。


 マーシャはそう信じている。


「うん。俺、頑張るから」


「でも私はレヴィ一筋だからな」


「頑張る少年に水を差すの禁止」


「そんなこと言われてもな~」


 むくれたちびトリスの頭をよしよしと撫でながら、二人はじゃれ合うのだった。


「………………」


「ちびトリス? どうしたんだ?」


「ううん。こうやってマーシャにくっついてると安心出来るな~と思って」


「そうか」


「うん。もっとこうしてていい?」


「私は構わないけど、もうすぐレヴィがここに来るぞ」


「っ!!」


 びくっと身をすくませるちびトリス。


 レヴィのことも嫌いではないのだが、あの執念じみたもふもふマニアっぷりには逃げ出したくなってしまう。


「鉢合わせになりたくないなら、そろそろ自分の部屋に戻った方がいいかもしれないな」


「うぐぐ……う~……」


 本気で悩むちびトリス。


「に、逃げる」


「うん。それがいいな」


 渋々とマーシャから離れるちびトリス。


 しかし少しばかり遅かった。


「ただいま~。マーシャ。今帰ったぞ~」


 レヴィがマーシャの部屋を開けてにこやかに帰宅の挨拶をしてくる。


「おかえり、レヴィ」


「うっ!」


 そしてちょうど部屋から出て行こうとしていたちびトリスと鉢合わせることになった。


「おおっ!」


 レヴィが嬉しそうにちびトリスへと抱きつく。


「ふぎゃっ!」


「ちびトリスーっ! 今日もたっぷりもふもふだなーっ!」


「はーなーせーっ!」


 抱き上げられて尻尾をもふもふされまくったちびトリスはレヴィの腕の中で暴れるが、もちろん逃がして貰えない。


「離さん逃がさんたっぷりもふる♪」


「うわあああああーーっ!!」


 ぎゅーぎゅーすりすりもっふもっふ。


 レヴィは実に幸せそうにちびトリスをもふるのだった。


「ご愁傷様……」


 そんなちびトリスを見て、マーシャは合掌した。


 ああなったらレヴィはしばらくちびトリスを離さないだろう。


 しかし今のちびトリスにはああいう問答無用の愛情も必要だろうと思うので、敢えて止めたりはしなかった。







「うぅ……酷い目に遭った……」


 ちびトリスはふらふらになりながら自分の部屋へと移動する。


 酷い目に遭ったとは思っているが、心の底では嫌がっていない自分にも気付いている。


 やはりレヴィが向けてくる問答無用な愛情は、自分にとってそれなりに心地いいものだということだろう。


 護ってくれるという安心感だけではなく、自分のことを大好きだと示してくれるあの態度は、不思議な温かさを感じさせてくれるのだ。


 問答無用のもふもふには困りものだが、それも嫌ではない。


 嫌だと態度では示しているが、本当は嫌がっていない。


 本当に嬉しそうにもふってくれるので、なんだか嬉しくなってしまうのだ。


「なんだかなぁ……。嬉しいのと、悔しいのと、腹立たしいのと、やりきれないのと、いろんな感情が交じっていて、よく分からないや」


 一人ベッドに寝転がって考える。


 ここはとても温かい。


 セッテの実験体として扱われていた頃とは較べ物にならないぐらいに幸せだ。


 みんな優しいし、たっぷりと愛情を向けてくれる。


 しかしだからこそ、思い知らされることがある。


 自分の頭でしっかりと考えるようになったからこそ、分かってしまうことがあるのだ。


「俺は、俺だ。そう思いたいのに……」


 どうやっても逃げられないのは、自分自身がトリス・インヴェルクのクローン体だということ。


 髪の毛一本まで同じもので造られている。


 それだけならば同じ身体を持つ存在でしかないと割り切ることが出来ただろう。


 しかし自分にはトリスの記憶がある。


 完全な記憶ではないけれど、断片的なものがフラッシュバックのように襲いかかってくる時があるのだ。


 それが自分の記憶なのか、オリジナルの記憶なのか、分からなくなる時がある。


 自分自身のものではない記憶に苛まれてしまうのは馬鹿馬鹿しいと思っているのに、頭から離れてくれないこの記憶を捨てることも出来ない。


 戦いの記憶。


 幼なじみの記憶。


 まだトリスが何も知らずにいた頃の、幸せな記憶。


 そしてマーシャの記憶。


 マティルダと呼ばれていた頃の少女の記憶。


 レヴィの記憶。


 クラウスの記憶。


 その温かさと、優しさ、向けられる愛情が、今の自分とかぶってしまう。


 どちらが本当の自分なのか、分からなくなってくるのだ。


「どうしたらいいんだよ……。どうしたら俺は、俺を確信出来る?」


 自分は自分だと思い込みたい。


 信じたいのに、それが出来ない。


 自分のものではない記憶が邪魔をする。


「助けて……。誰か、助けてくれよ……」


 頭を抱えて、ベッドの上で丸くなる。


 このまま殻に閉じこもりたい。


 しかしそれは出来ない。


 だからせめて今だけは……


 ちびトリスは涙を眠りについた。





 夢の中に居る。


 いや、正確には記憶の中だ。


 それも自分の記憶ではない。


 これは、オリジナルの記憶だ。


 ちくしょう。


 また迷い込んでしまった。


 ここは俺のものではない記憶の海。


 俺の心なのに、俺のものではない記憶に支配されている部分。


 自分のものではない記憶なんていらないのに、どうしていつもここに迷い込むんだろう。


 こんなものがあるから、俺は俺を確信出来ないのに。


 本当に、邪魔だ。


 だから俺はあいつが嫌いなんだ。


 ここは、ジークスの闘技場か?


 オリジナルの中でも最も忌々しい部分の記憶だ。


 ここでオリジナルは戦わされ続け、そして仲間を出来る限り護ろうとしていた。


 命を奪わずに、手加減して戦い続けるという、意味の無い方法で。


 俺からすれば馬鹿馬鹿しいとしか言えない。


 どうせ手加減したところで、相手は殺しても構わないぐらいの気持ちで向かってくるのに、どうしてそんな気遣いをする必要があるのだろう。


 この頃にあったマティルダ、マーシャの記憶の方が俺にとってはまだ好ましい。


 生き延びる為に必死で、自分のことを最優先にして、そこから真っ直ぐに未来を勝ち取ろうとしていた。


 囚われの身でありながらも、マーシャの心は戦士のままだった。


 その眩しい在り方に、あいつは惹かれたのだろう。


 俺だってこの記憶のマーシャを見たら、やっぱり惚れ直してしまうし。


 そうなるとオリジナルはマーシャのことを好きな訳で……


 深く考えるとまた腹立たしい気持ちになってきた。


 レヴィがいる以上、マーシャに気持ちを告げるつもりはないようだけど、こんなところまでオリジナルと同じかと思うとうんざりする。


 だからといってマーシャを諦めるつもりなんてないけれど。


 ただ、俺の中で譲りたくないと願うマーシャへの気持ちですらも、オリジナルの影響だと思い知らされて、それがまた辛い。


 俺の中の、俺だけの本物は、一体何処にあるんだ?


 たった一つ。


 それだけでいいのに……




 また場面が切り替わる。


 マーシャの姿はないので、更に昔のことなのかもしれない。


 ブラウンの髪の少女が立っている。


 年齢はまだ十歳ぐらいだろうか。


 幼い顔立ちの中にも、確かな強さがある。


 そう言えば、少しだけマーシャに似ている感じがするな。




「シエル」


「トリス」


 やがてオリジナルが現れた。


 二人は仲良く話している。


 どうやらこの二人は幼なじみらしい。


 姉弟という感じでもないので、きっと幼なじみだろう。


 シエルと呼ばれた少女は心配そうに空を眺めている。


「これから私達、どうなるんだろうね」


「分からないけど、こうやって生きているんだから何とかなるさ」


「そうね。これからのことを考えると気が重くなっちゃうけれど、それでも生き延びる為に精一杯頑張らないとね」


「うん。僕も頑張る。だから一緒に生き延びよう、シエル」


「ええ」


 二人には首輪が付けられていた。


 亜人を管理する為のもので、無理に外そうとすると高圧電流が流れる仕組みだ。


 これを使われた結果は、先に見ている。


 あの悲惨な記憶がオリジナルの憎悪を形作っていることを、俺は知っている。


 その憎しみは俺のものではないのに、俺まで人間を憎みそうになるのが嫌でたまらない。


 二人はこのまま力を合わせて生きていくということにはならない。


 俺はそのことを知っている。


 マーシャと出会ってからのオリジナルの記憶に、このシエルという少女は居ないから。 きっとあの悲惨な殺し合いで死んでしまったのだろう。




 ……そう言えば。


 オリジナルは仲間を殺した人間をあれほど恨んでいたのに、シエルを殺した相手は恨まなかったのだろうか。


 それとも、仲間の手によって死んだからこそ恨めなかったのだろうか。


 悪意からではなく、そうしなければ自分が生き延びられないからという消極的な理由で殺さざるを得なかったという理由ならば、恨みたくても恨めなかったのかもしれない。




 しかし、そうではなかった。


 俺が疑問に思ったからだろうか。


 最悪の場面に切り替わった。




「死にたくない……よ……トリス……私、死にたく……ない……」


「っ!!」


 今にも息絶えそうなシエルの姿。


 鋭い爪に割かれた首筋。


 身体から流れる大量の血液。


 それはシエルがもう助からないことを示していた。


 この出血量ではどうやっても助からない。


「シエル……ごめん……僕……ただ必死で……」


「やだ……死ぬの……やだよ……」


「シエル!!」


 必死にオリジナルへとすがりつくシエル。


 オリジナルも泣きながらシエルを支えている。


 そしてその手はシエルの血で濡れていた。




 っ!!


 更にフラッシュバックしてくる記憶。


 亜人の子供同士を戦わせる悪趣味な見世物で、オリジナルとシエルは戦わされた。


 お互いにまだ死にたくなくて、生き延びたくて、でもどうしたらいいのか分からなくて、ただ攻撃をした。


 自分が生き延びる為に攻撃を繰り返した。


 大切な幼なじみを何度も傷つけていると分かっていて、その幼なじみも何度も自分を傷つけてきた。


 何も考えられない。


 考えることを拒絶していたのかもしれない。


 幼なじみ同士の、望まぬ殺し合い。


 そんなもの、正気の状態では行えない。


 だからこそ、この二人は夢見心地で戦っていたのだろう。 


 悪夢という最悪の心地の中、現実味を失いながらも、その痛みと喪失感で現実に引き戻されながらも。


 戦って、戦って、戦って、戦い続けて。


 そして、死と直面している。


 最悪の結末を突きつけられている。


 その手で殺した幼なじみ。


 誰よりも大切だった女の子。


 それを、自分が生き延びる為だけに殺した。


 殺してしまった。




「あ……あ……あぁああああああーーーっ!!!!」


 その場で発狂しかけるオリジナル。


 しかし、ひとかけらの正気がそれを許さない。


 二度と目を開かないシエルを抱きしめながら、オリジナルは嘆き続けた。




 ……もう、限界だ。


 どうして自分のものではない記憶でここまで苦しめられなければならない?


 俺がシエルを殺してしまったような罪悪感に苛まれなければならない?


 俺のものじゃないのに。


 俺の記憶じゃないのに!!


 あいつの所為で。


 あいつが居る所為で、こんなことになったのか?


 いや、違う。


 そうじゃない。


 俺こそが偽物なんだ。


 俺がいなければ、同じ記憶は存在しなくなる。




 俺がいなくなれば、いいだけなんだ……。





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