「それにしてもちょっとタツミに冷たくないか? あんなに懐かれているんだから、もう少し優しくしてあげればいいのにって思うんだけど」
「いいんです。優しくするとつけあがりますから」
「………………」
つん、と顔を逸らすランカを見て、マーシャはくすりと笑った。
素直じゃないなあ、と思ったのだ。
自分が直球な正確なので、こういう反応が新鮮に映るのだ。
「でも、ランカはタツミのことが好きだろう?」
「べ、別に好きとかそういうのじゃ……!!」
目の前で両手をばたばたさせながら真っ赤になるランカは、分かりやすいぐらいに取り乱していた。
「分かりやすい」
「~~~~~っ!!」
ぶくぶくと顔をお湯に沈ませるランカ。
いくら口で否定しても、その態度が分かりやすすぎる。
「その……そんなに露骨……ですか……?」
恐る恐る問いかけてくる様子が可愛くて、マーシャはランカの頭をよしよしと撫でた。
「端から見ている分には結構露骨かな。でもタツミはそのあたり鈍いのかもしれないな。ツンデレで冷たくしているのに、割と本気で傷ついているし」
「ツンデレじゃありませんっ!」
「ならデレデレ?」
「違いますっ!」
必死で否定する姿がより一層可愛らしい。
自分にはこういう初々しいものがなかったなぁ、としみじみ思う。
いつも直球でぶつかっていったマーシャから見ると、ランカの反応は謎であると同時に面白かった。
「好きなら好きだって言えばいいのに」
「……言えません」
「どうして?」
「怖いから」
「怖い? 振られるのが? あり得ないと思うけど」
ランカがタツミを好きなように、タツミもランカが好きだとマーシャは確信している。
タツミの態度はランカよりも更に分かりやすいし、そもそも最初から隠す気が無い。
「そうではなく、タツミにとっての私が、今以上に大切な存在になってしまうのが怖いんです」
「どういうこと?」
好きな人に大切にされるのは嬉しい。
少なくともマーシャはそう思っている。
マーシャはレヴィを大切にしているし、レヴィに大切にされていると確信している。
それはとても嬉しくて、そして幸せな事だった。
けれどランカはそれが怖いという。
訳が分からなかった。
「………………」
マーシャの問いかけに、ランカは辛そうに目を伏せるだけだった。
「別に、言いたくないなら無理には訊かないけどね」
傷つけたい訳ではない。
ただ、今の二人はもどかしいと思っただけなのだ。
タツミに対して、どうしても踏み込めない。
それも自分の臆病さだけではなく、何か深刻な理由があるのなら、これ以上踏み込むべきではないと判断した。
しかしランカはマーシャに対して縋るような視線を向けて、震えながらも口を開いた。
「私は……八年前のタツミをもう一度見るのが怖いんです」
「え?」
その声も震えている。
しかし、マーシャには聞いて貰いたかったのだろう。
あるいは、聞いて貰うことで、少しだけ楽になりたかったのかもしれない。
久しぶりに出来た友達に、甘えたくなったのかもしれない。
マーシャはそんなランカの気持ちを察して、先を促した。
「八年前、タツミは私を護る為に、ただそれだけの為に十二人もの人間を殺しました。私の目の前で……」
ぎゅっと目を閉じて、自分の身体を抱きしめるランカ。
瞼の裏には、八年前の光景が焼き付いている。
「いつもにこにこして、楽しそうで、私よりもずっと年上なのに子供みたいで、だけど私はそんなタツミが好きでした。子供の頃からずっとそんなタツミの傍に居るのが嬉しくて、そしてタツミが傍に居てくれることが嬉しかったんです。私は、それだけで良かったのに……」
変わらないと信じていた日常。
穏やかな日々がずっと続いていくのだと信じていた、幼い願い。
だけどそれは仮初めですらなくて、硝子のように脆いものでしかなかった。
「私はあの時、生死の境を彷徨いました。それがその時の傷です」
そう言って、ランカは胸の少し下にある二つの傷跡を見せてくれた。
急所にかなり近い位置だった。
もう少しだけズレていたら、ランカはきっと死んでいただろう。
「今の治療技術なら、傷跡が残らないようにすることも出来たと思うけど、そうしなかったんだな?」
白く綺麗な肌に残された傷跡はとても無惨で、痛々しいものだった。
ランカは泣きそうな顔で頷いた。
「もちろん出来ます。だけど私はこの傷を残したかったんです。自分への戒めとして」
「………………」
「撃たれて、倒れて、死の淵を彷徨いながら、それでも私の意識は現実に繋ぎ止められていました。そして見たんです。私が撃たれた後、狂ったように叫びながら、周りの人間を殺していくタツミの姿を」
「………………」
「止めて、と叫びたかった。けれど私は声を出すことも出来なくて、身体を動かすことも出来なくて……。もちろん、感謝はしているんです。あそこでタツミが速やかに敵を殺してくれなければ、私の治療は間に合わなかったでしょう。タツミは私の命を救ってくれました。だけど私の為に人を殺して、狂ったように暴れるタツミを見るのは怖いんです。もう二度と、あんなタツミは見たくない……」
「そうか……」
耐えきれずに涙を流したランカをぎゅっと抱きしめた。
自分よりもずっと脆くて儚い身体はとても温かくて、けれど強い意志を秘めていた。
「だから強くなりたかったんだな。自分で自分を護れるように。もう二度とタツミにそんなことをさせない為に」
「その通りです。だけど私にはまだ分かりません。自分が望んだ強さを手に入れられたのかどうか。まだ足りないのかもしれないって、ずっと考えてしまうんです」
その気持ちはマーシャにもよく分かる。
自分の無力さを一度でも呪ったことがあるのなら、それは永遠に消えない渇望として、心の底に残り続ける。
昔も、そして今も。
「私も、ずっと強くなりたいと思っていたよ。今も思ってる」
「マーシャさんも? あんなに強いのに?」
「うん。私は多分、普通の人間よりずっと強い。亜人としての身体能力だけじゃなくて、戦闘経験もかなりある。だけど、これで十分だと思った事は一度も無い。今も力を渇望している」
「………………」
「だからきっと、そういうことなんだと思う」
「そういうこと?」
意味が分からず首を傾げるランカ。
そんなランカを更に抱きしめてから、優しく笑いかける。
「力を求めて、それを得たとしても、ここで満足だと思える時はきっと来ないんだってこと」
「………………」
「キリが無いんだよ、こういうのって。満足したいなんて求める方が無駄だ」
「………………」
「大事なのは強くなる事じゃなくて、強く在りたいって願う事だと思う。強さは力でも、技術でも、経験でもなくて、きっとその過程にある『願い』なんだ。私はそう思う」
「力でも、技術でも、経験でもない……」
その言葉をかみしめるように呟くランカ。
マーシャの体温が身体の中に染み渡っていくようで、とても心地よかった。
「敵と戦うっていう意味では、ランカはもう十分に強いよ。だからそういう強さをこれ以上求めてもあまり意味がない。ランカに必要なのは別の力だと思う」
「それは、どんな?」
「恐怖に耐える力」
「………………」
「怖い、見たくない、二度と経験したくない。そんな気持ちと正面から向き合う強さが必要なんだと思う」
「………………」
マーシャはレヴィの苦悩を知っている。
マーシャの気持ちを知りながらも、なかなか受け入れられなかった恐怖を知っている。
もう二度と大切な存在を失いたくない。
だから大切な存在はいらない。
そう考えて心を閉ざし、一時的な安心に身を委ねていた彼を知っている。
同じように、オッドの苦悩も知っている。
二人は同じ恐怖を共有していたから。
だけどレヴィはマーシャを、そしてオッドはシオンを選んだ。
失う恐怖は消えていないだろう。
それはマーシャも同じだ。
誰よりも大切な存在であるレヴィを失うのが怖い。
だけどそれは、誰にとっても同じ事なのだ。
その恐怖を知らない人も、目を背けているだけの人も、いつかは同じ事になる。
それでも幸せになる事を諦めず、常に手を伸ばし続ける。
それこそが生きていく上で最も単純で、そして純粋な願いだからだ。
ランカの恐怖もそれと同じだ。
大切な人が変わってしまうのが怖い。
失うこと、変わること、それは抗いようのない流れである筈なのに、そこから目を逸らそうとしている。
しかしそれは無駄だということを、マーシャは既に知っている。
「ランカがどれだけ怖がっても、きっと何も変わらないと思うんだよ。タツミにとって、ランカは今でも大切な女の子で、危険が迫ったら命懸けで護ったり、狂ってでも敵を殺したりすると思う。どれだけ距離を置いたところで、タツミの意志と行動は変わらないよ」
「そんな……」
「だから素直になった方が幸せだよ。ランカにとっても、そしてタツミにとってもね」
「………………」
「まあ、無理にとは言わないけど。でも一つだけ教えておく。それは怖がっても意味が無い事なんだ」
「………………」
「私はランカが幸せになってくれた方が嬉しいな」
「………………」
ランカがマーシャの言葉をどこまで理解して、そして受け入れてくれたのかは分からない。
けれど変わるきっかけに、踏み込むきっかけになればいいと思った。
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