シルバーブラスト

水月さなぎ
水月さなぎ

釈放、そして反撃準備 11

公開日時: 2022年2月2日(水) 21:13
文字数:3,721

「それにしてもちょっとタツミに冷たくないか? あんなに懐かれているんだから、もう少し優しくしてあげればいいのにって思うんだけど」


「いいんです。優しくするとつけあがりますから」


「………………」


 つん、と顔を逸らすランカを見て、マーシャはくすりと笑った。


 素直じゃないなあ、と思ったのだ。


 自分が直球な正確なので、こういう反応が新鮮に映るのだ。


「でも、ランカはタツミのことが好きだろう?」


「べ、別に好きとかそういうのじゃ……!!」


 目の前で両手をばたばたさせながら真っ赤になるランカは、分かりやすいぐらいに取り乱していた。


「分かりやすい」


「~~~~~っ!!」


 ぶくぶくと顔をお湯に沈ませるランカ。


 いくら口で否定しても、その態度が分かりやすすぎる。


「その……そんなに露骨……ですか……?」


 恐る恐る問いかけてくる様子が可愛くて、マーシャはランカの頭をよしよしと撫でた。


「端から見ている分には結構露骨かな。でもタツミはそのあたり鈍いのかもしれないな。ツンデレで冷たくしているのに、割と本気で傷ついているし」


「ツンデレじゃありませんっ!」


「ならデレデレ?」


「違いますっ!」


 必死で否定する姿がより一層可愛らしい。


 自分にはこういう初々しいものがなかったなぁ、としみじみ思う。


 いつも直球でぶつかっていったマーシャから見ると、ランカの反応は謎であると同時に面白かった。


「好きなら好きだって言えばいいのに」


「……言えません」


「どうして?」


「怖いから」


「怖い? 振られるのが? あり得ないと思うけど」


 ランカがタツミを好きなように、タツミもランカが好きだとマーシャは確信している。


 タツミの態度はランカよりも更に分かりやすいし、そもそも最初から隠す気が無い。


「そうではなく、タツミにとっての私が、今以上に大切な存在になってしまうのが怖いんです」


「どういうこと?」


 好きな人に大切にされるのは嬉しい。


 少なくともマーシャはそう思っている。


 マーシャはレヴィを大切にしているし、レヴィに大切にされていると確信している。


 それはとても嬉しくて、そして幸せな事だった。


 けれどランカはそれが怖いという。


 訳が分からなかった。


「………………」


 マーシャの問いかけに、ランカは辛そうに目を伏せるだけだった。


「別に、言いたくないなら無理には訊かないけどね」


 傷つけたい訳ではない。


 ただ、今の二人はもどかしいと思っただけなのだ。


 タツミに対して、どうしても踏み込めない。


 それも自分の臆病さだけではなく、何か深刻な理由があるのなら、これ以上踏み込むべきではないと判断した。


 しかしランカはマーシャに対して縋るような視線を向けて、震えながらも口を開いた。


「私は……八年前のタツミをもう一度見るのが怖いんです」


「え?」


 その声も震えている。


 しかし、マーシャには聞いて貰いたかったのだろう。


 あるいは、聞いて貰うことで、少しだけ楽になりたかったのかもしれない。


 久しぶりに出来た友達に、甘えたくなったのかもしれない。


 マーシャはそんなランカの気持ちを察して、先を促した。


「八年前、タツミは私を護る為に、ただそれだけの為に十二人もの人間を殺しました。私の目の前で……」


 ぎゅっと目を閉じて、自分の身体を抱きしめるランカ。


 瞼の裏には、八年前の光景が焼き付いている。


「いつもにこにこして、楽しそうで、私よりもずっと年上なのに子供みたいで、だけど私はそんなタツミが好きでした。子供の頃からずっとそんなタツミの傍に居るのが嬉しくて、そしてタツミが傍に居てくれることが嬉しかったんです。私は、それだけで良かったのに……」


 変わらないと信じていた日常。


 穏やかな日々がずっと続いていくのだと信じていた、幼い願い。


 だけどそれは仮初めですらなくて、硝子のように脆いものでしかなかった。


「私はあの時、生死の境を彷徨いました。それがその時の傷です」


 そう言って、ランカは胸の少し下にある二つの傷跡を見せてくれた。


 急所にかなり近い位置だった。


 もう少しだけズレていたら、ランカはきっと死んでいただろう。


「今の治療技術なら、傷跡が残らないようにすることも出来たと思うけど、そうしなかったんだな?」


 白く綺麗な肌に残された傷跡はとても無惨で、痛々しいものだった。


 ランカは泣きそうな顔で頷いた。


「もちろん出来ます。だけど私はこの傷を残したかったんです。自分への戒めとして」


「………………」


「撃たれて、倒れて、死の淵を彷徨いながら、それでも私の意識は現実に繋ぎ止められていました。そして見たんです。私が撃たれた後、狂ったように叫びながら、周りの人間を殺していくタツミの姿を」


「………………」


「止めて、と叫びたかった。けれど私は声を出すことも出来なくて、身体を動かすことも出来なくて……。もちろん、感謝はしているんです。あそこでタツミが速やかに敵を殺してくれなければ、私の治療は間に合わなかったでしょう。タツミは私の命を救ってくれました。だけど私の為に人を殺して、狂ったように暴れるタツミを見るのは怖いんです。もう二度と、あんなタツミは見たくない……」


「そうか……」


 耐えきれずに涙を流したランカをぎゅっと抱きしめた。


 自分よりもずっと脆くて儚い身体はとても温かくて、けれど強い意志を秘めていた。


「だから強くなりたかったんだな。自分で自分を護れるように。もう二度とタツミにそんなことをさせない為に」


「その通りです。だけど私にはまだ分かりません。自分が望んだ強さを手に入れられたのかどうか。まだ足りないのかもしれないって、ずっと考えてしまうんです」


 その気持ちはマーシャにもよく分かる。


 自分の無力さを一度でも呪ったことがあるのなら、それは永遠に消えない渇望として、心の底に残り続ける。


 昔も、そして今も。


「私も、ずっと強くなりたいと思っていたよ。今も思ってる」


「マーシャさんも? あんなに強いのに?」


「うん。私は多分、普通の人間よりずっと強い。亜人としての身体能力だけじゃなくて、戦闘経験もかなりある。だけど、これで十分だと思った事は一度も無い。今も力を渇望している」


「………………」


「だからきっと、そういうことなんだと思う」


「そういうこと?」


 意味が分からず首を傾げるランカ。


 そんなランカを更に抱きしめてから、優しく笑いかける。


「力を求めて、それを得たとしても、ここで満足だと思える時はきっと来ないんだってこと」


「………………」


「キリが無いんだよ、こういうのって。満足したいなんて求める方が無駄だ」


「………………」


「大事なのは強くなる事じゃなくて、強く在りたいって願う事だと思う。強さは力でも、技術でも、経験でもなくて、きっとその過程にある『願い』なんだ。私はそう思う」


「力でも、技術でも、経験でもない……」


 その言葉をかみしめるように呟くランカ。


 マーシャの体温が身体の中に染み渡っていくようで、とても心地よかった。


「敵と戦うっていう意味では、ランカはもう十分に強いよ。だからそういう強さをこれ以上求めてもあまり意味がない。ランカに必要なのは別の力だと思う」


「それは、どんな?」


「恐怖に耐える力」


「………………」


「怖い、見たくない、二度と経験したくない。そんな気持ちと正面から向き合う強さが必要なんだと思う」


「………………」


 マーシャはレヴィの苦悩を知っている。


 マーシャの気持ちを知りながらも、なかなか受け入れられなかった恐怖を知っている。


 もう二度と大切な存在を失いたくない。


 だから大切な存在はいらない。


 そう考えて心を閉ざし、一時的な安心に身を委ねていた彼を知っている。


 同じように、オッドの苦悩も知っている。


 二人は同じ恐怖を共有していたから。


 だけどレヴィはマーシャを、そしてオッドはシオンを選んだ。


 失う恐怖は消えていないだろう。


 それはマーシャも同じだ。


 誰よりも大切な存在であるレヴィを失うのが怖い。


 だけどそれは、誰にとっても同じ事なのだ。


 その恐怖を知らない人も、目を背けているだけの人も、いつかは同じ事になる。


 それでも幸せになる事を諦めず、常に手を伸ばし続ける。


 それこそが生きていく上で最も単純で、そして純粋な願いだからだ。


 ランカの恐怖もそれと同じだ。


 大切な人が変わってしまうのが怖い。


 失うこと、変わること、それは抗いようのない流れである筈なのに、そこから目を逸らそうとしている。


 しかしそれは無駄だということを、マーシャは既に知っている。


「ランカがどれだけ怖がっても、きっと何も変わらないと思うんだよ。タツミにとって、ランカは今でも大切な女の子で、危険が迫ったら命懸けで護ったり、狂ってでも敵を殺したりすると思う。どれだけ距離を置いたところで、タツミの意志と行動は変わらないよ」


「そんな……」


「だから素直になった方が幸せだよ。ランカにとっても、そしてタツミにとってもね」


「………………」


「まあ、無理にとは言わないけど。でも一つだけ教えておく。それは怖がっても意味が無い事なんだ」


「………………」


「私はランカが幸せになってくれた方が嬉しいな」


「………………」


 ランカがマーシャの言葉をどこまで理解して、そして受け入れてくれたのかは分からない。


 けれど変わるきっかけに、踏み込むきっかけになればいいと思った。




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