「ただいまー……って、どうしたんだ? マーシャ」
「ん……何でもない」
部屋に戻ると、ごろりと寝転がったマーシャの姿があった。
今は耳尻尾を晒したままなので、ひたすらだらけているように見える。
「何かあったのか?」
「何でもない」
「何でもないって顔でもないんだけどなぁ」
レヴィはマーシャが寝転がるベッドの上に座ってから頭を撫でる。
「ん~……」
気持ちよさそうに眼を細めるマーシャ。
撫でられるのは心地いいらしい。
「隠し事をされるのは面白くないなぁ」
「駄目か?」
「駄目って訳じゃないけど、分からないようにして欲しい。ここまであからさまだと、問い質したくなるのは当然だろう?」
「まあ、それもそうか」
「それで、何があったんだ?」
「うーん。レヴィに言っていいものかどうか迷うんだけど」
「何だよそれ」
「あれ」
「ん?」
マーシャがテーブルの上を指さす。
そこには封筒が置かれていた。
レヴィはその封筒を手に取る。
「中身を見てもいいのか?」
「出来れば見て欲しくないけど」
「どっちだよ」
「それが隠し事の内容だから。見て欲しくないって言ったら、見ないのか?」
「どうしても見て欲しくないっていうんなら、考えるけど」
「………………」
「マーシャ?」
「見て欲しくないけど、見せないままというのも後ろめたい」
「………………」
「そういう気持ちなんだ」
どうやらなかなかに複雑な気持ちになっているらしい。
「じゃあ見る」
迷っているのなら見る。
レヴィは封筒を開く。
そして中に入っていた資料を取り出した。
「………………」
そこにあったのはトリスの資料だった。
ついさっきまで一緒に居た青年の写真。
レヴィが見た時よりもずっと荒んだ眼をしている。
これがあのトリスだとは信じたくない。
しかし本人に会っているので信じない訳にもいかない。
「ファングル海賊団……ねぇ……」
そして今のトリスはファングル海賊団の頭目をしているらしい。
犯罪街道まっしぐら。
はっきり言って今すぐにでも引っ張ってきて止めたいところだ。
しかし口で言っても聞き入れないだろう。
それはトリスと多少なりとも会話をしたからこそ分かる。
彼はもう、戻れない場所に立っている。
少なくとも、決着を付けるまでは戻れないだろう。
「マーシャの用事はこれだったのか?」
「うん」
「この情報は、リーゼロックのものか?」
「よく分かったな」
「当然だろ。あのクラウスさんがトリスをあのまま放っておく訳がないからな。常に情報を仕入れられる状態にしてあるってことは予想出来る」
「うん。トリスの活動資金はほとんどお爺さまが出している。ファングル海賊団が略奪の少なさに較べて資金に余裕があるのは、リーゼロックの財力のお陰だな」
「……いいのかよ。下手をするとリーゼロックが大打撃だぞ」
海賊団に手を貸しているとなると、如何にリーゼロックが強大な権力を持っていても危ない。
しかしマーシャは不敵に笑った。
「資金の出所がバレるようなヘマはしないよ。そのあたりはお爺さまも考えている。トリスもあからさまにリーゼロックを巻き込むと分かっていたら、そのお金は使わなかった筈だからな。トリスが今でもお爺さまの財力に頼っているのは、お爺さま自身の願いを裏切らない為だ。必要以上の犯罪は行わない。トリスはお爺さまとそう約束したんだ。だからトリスとファングル海賊団はエミリオン連合軍しか狙っていない。民間の船からの略奪は一切行っていない」
「なるほどな……」
変わり果ててしまったと思ったが、変わっていない部分もある。
いや、大切な部分だけは変わっていないのだろう。
自分を想ってくれている相手との約束を裏切れない。
本当にトリスが堕ちてしまったのなら、そんな約束などとっくに破り捨てている筈なのだ。
クラウスの想いを、未だに大切にしてくれている。
財力で頼ることを遠慮しないのは、その約束を守る為なのだろう。
「なんっつーか、相変わらず不器用な奴だな……」
「うん」
「随分様変わりしていたけど、相変わらず脆そうだったし」
「………………」
「マーシャ?」
「まるでトリスに会ったみたいな言い方だな」
「いや、ついさっきまで一緒に居たぞ」
「っ!?」
がばっと起き上がったマーシャがレヴィの胸ぐらを掴み上げる。
いきなりそんなことをされたレヴィはかなりびっくりしてしまうが、毛を逆立てた猛獣に逆らうほど愚かではない。
「お、落ち着け。偶然だから。別に狙い澄ました訳じゃないから」
「う~……」
「か、噛みつくなよ?」
今にも噛みつきそうな表情で睨んでくるマーシャにそんなことを言う。
逆効果かもしれないが、本当に噛みつかれそうな気がしたのだ。
肉食獣に噛みつかれたら洒落にならない。
「詳しく言わないと、首に噛みつく」
「吸血鬼かっ!」
「血の滴るレア肉も美味だよな」
「怖いわっ!」
吸血鬼じゃなくて生肉好物の肉食獣だった。
恐ろしすぎる。
「いや、本当に偶然なんだってば。屋台で蟹食ってたら偶然トリスが飯を食いに来たんだ。で、飯を奢ってやった」
「……本当に嫌になるぐらいの偶然だな。しかも、奢ってやったのか」
「そりゃあ、あんな姿を見せられたら飯の一杯ぐらいは奢ってやりたくなるだろう」
「……あんな姿って。そんなに酷かったのか?」
「すげー荒んだ眼をしてたな」
「………………」
「でも俺と別れるころにはちょっと昔に戻ってたぞ。いろいろ話も聞いたけど、なかなか大変そうだった」
「どんな話をしていた?」
「屋台だからなぁ。大雑把なことしか話せなかった。でも、あいつが何か厄介なことをしようとしているのは伝わってきたけど」
「……だろうな」
「死ななければいいんだけどな」
「誰が死なせるか」
きっぱりと断言するマーシャ。
ということは、マーシャはトリスが何をしようとしているのか知っているのだろう。
「首を突っ込む気満々だな」
「当然だ。でもエミリオン連合軍を正面から敵に回すことになるからな。レヴィ達は一時的に船を下りてくれて構わないぞ」
「却下」
「……まあ、そう言うだろうと思ってたけど」
「当然。エミリオン連合を敵に回すとか、今更だろ」
「レヴィがレヴィとして戦えば、絶対に正体がバレるぞ。ついでに言うと手加減して勝てるような戦力差でもない。つまり、戦闘を切り抜けたとしても、政治的な身の安全は確保出来なくなる。それでもいいのか?」
「トリスを見捨てるよりはいい」
「そうか」
はっきりと言うレヴィ。
本当に変わらない。
誰かを助ける為に、自分が危険に晒されることを受け入れている。
自己犠牲、とは少し違うのだろう。
ただ、譲れないものがあるだけなのだ。
その為に自分の安全をある程度無視出来る。
譲れないものを自分の安全の為に譲ってしまったら、自分自身ではいられなくなる。
それでは生きていても意味が無い。
それは誇りとか、矜持とか、そういうものなのだろう。
だからこそマーシャはそれを尊重したいと思う。
「レヴィの気持ちは分かったけど、他はどうなんだろうな。シルバーブラストの機能をフルで使う予定だからシオンは一緒に来て貰うとしても、オッドやシャンティは本人達の同意を得ずに巻き込む訳にはいかないだろう」
「問題無いと思うぜ。あいつらもそういったことは気にしないと思うし」
「まあ、一応確認はしないとな」
「そうだな」
オッドはレヴィ一人を危険に晒すことは絶対に了承しないだろうし、シャンティも電脳魔術師《サイバーウィズ》としての能力をフルに発揮出来る戦場から逃げる理由は無い。
可愛い顔をして、恐ろしいぐらいに肝が据わっている少年なのだ。
「トリスはずっとエミリオン連合軍を襲っている。それはファングル海賊団のメンバーの復讐心を満たす為でもあるけれど、ずっと情報を追っていたんだ」
「情報?」
「セッテ・ラストリンド」
「誰だ?」
「エミリオン連合が密かに匿っている研究者だ」
「………………」
「研究対象は、亜人。私達の身体能力や、その他の能力を人為的に引き出す為の研究をしているらしい」
「つまり、自分の身を守る為に?」
或いは、生き残ったマーシャの身を守る為にそうしているのだろうか。
「違う。身を守る為なら、トリスは飛び出したりはしなかった。私を守る為なら、傍に居た方が確実だからな」
「だろうな」
トリスは自分のことよりも、マーシャのことを一番に考える少年だった。
だからこそ、マーシャの傍を離れてまで成し遂げたいことは、自分以外の理由に関わっているのだろう。
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