レヴィにとって予想外だったのは、早すぎるマーシャの行動だった。
もう少し檻の中に居る事になるだろうと予想していたし、その覚悟もしていたのだが、入って三日後には外に出られる事になったのだ。
看守の不機嫌そうな声は実に不本意だと言いたげであり、それでも釈放だとぶっきらぼうに告げられた時は唖然としたものだ。
檻から出て看守について行き、ピアードル第一刑務所の外に出た時は、シャバの空気は実にいいものだなぁ、と自分で笑いたくなった。
ほんの数日で本格的な囚人の気持ちになっていたのがおかしかったのだ。
太陽の光が眩しくて眼を細めていると、すぐ目の前には猛獣が居た。
「………………」
もとい、マーシャがいた。
怒りのオーラを噴き上げながら仁王立ちでふんぞり返っている自分の恋人を見て、ちょっぴり逃げ出したくなってしまった。
他の奴らは誰も来ていない。
二人きりにさせてやろうという気遣いなのか、それとも今のマーシャに近付きたくなかっただけなのか。
恐らく理由は後者なのだろうなぁ、と思いながらも二人きりになれるのは嬉しかったので、素直に感謝しておいた。
「よう。久しぶり……ってほどでもないか」
レヴィがそんなマーシャを見て片手を挙げて挨拶をする。
別れてから四日ほど経過しているが、たったそれだけの間でも随分と寂しかった。
あのもふもふに触れないのがこんなにも辛いとは自分でも予想外だ。
一週間ぐらいは我慢出来るつもりだったが、この日に出して貰えなければ禁断症状が出るところだった。
これぞまさしく麻薬だ、と内心で呆れつつも、そんな自分に満足していた。
しかし会えて嬉しいのは確かなのだが、その前に怒れる猛獣を宥めるという大仕事が待っている。
怖いので逃げ出したいのだが、そういう訳にもいかない。
やや怯んでいるレヴィにずかずかと歩み寄り、マーシャはむくれた表情で迫ってくる。
「簡単に捕まるな、馬鹿」
怖いオーラが一転して、ふて腐れたものになる。
寂しい気持ちを味わっていたのはマーシャも同じなのだと思うと、急に愛おしくなった。
「悪かったよ」
ぎゅーっと抱きしめてからその頭を撫でてやる。
残念ながらカツラで耳は隠れているが、それでも久しぶりに触れたマーシャの体温が嬉しかった。
「それにしてもどうやって俺を釈放されたんだ?」
麻薬の事だけではない。
スターウィンドの事もあるのだ。
その技術を手に入れる為にも、レヴィという切り札は簡単に手放さないと思っていたのだが、しかしどんな手を使ったのか、マーシャはあっさりとレヴィを取り戻したのだ。
そんなレヴィの質問にマーシャは得意気に返答した。
「ふふん。もちろん正面から交渉したとも」
大胆不敵、という言葉が相応しい無敵全開態度だった。
「具体的には?」
「クロドを売った」
「売ったっ!?」
物騒な物言いにぎょっとするレヴィ。
「あ、間違えた。警察に引き渡した、だった」
「同じだろうがっ! 何やってんだよっ!」
せっかく助けたのにどうしてそんなことをするんだっ! と憤慨するレヴィだが、マーシャの方はびくともしなかった。
「文句を言われる筋合いは無いぞ。元々はクロドが騙されたのが原因なんだ。その所為でこっちまで巻き込まれていい迷惑なんだ。命は助けてやったんだから、これ以上庇ってやる理由も無いし、そんな義理も無い。少なくとも私には」
「それはそうだろうけど……」
マーシャは自分達が巻き込まれた事よりも、レヴィが逮捕された事に腹を立てていた。
その気持ちは嬉しいのだが、しかしはいそうですかと引き下がる訳にもいかない。
レヴィは弱り切って盛大なため息をついた。
冤罪だと分かりきっているのだから、せめてもう少し庇ってやって欲しかった、というのがレヴィの希望だった。
しかしマーシャの気持ちも分かるので、これ以上責めるのも酷だった。
レヴィだって巻き込まれた事自体には腹を立てているし、その面ではクロドに文句を言いたい気持ちもある。
「レヴィの気持ちも分からなくはないけど、でも私にとってはレヴィを取り戻す事の方が大事だから、他は知らない」
「………………」
気持ちは嬉しいのだが、しかしこのままクロドを見捨てるのも目覚めが悪い。
どうしたものかと悩んでいると、マーシャがやれやれと肩を竦めた。
「分かってる。私もこのままにしてやるつもりはない。落とし前はきっちりとつけてやる」
「……あははは。そりゃ助かる」
物騒に唸りながらそんなことを言うので、頼もしいと思うべきか、恐ろしいとドン引きするべきか、少し悩んでしまう。
しかしレヴィもこのままで済ませるつもりはなかった。
どういう意図があったとしても、こんなやり方で自分達を陥れようとした相手には、きっちりと落とし前を付ける。
それがレヴィの決意だった。
マーシャもそんなレヴィの決意を理解してくれているからこそ、協力の意志を示してくれているのだろう。
彼女が本気になれば鬼に極大金棒だ。
心強いが、同時に恐ろしくもある。
「さあ、早く帰ろう。オッドが腕によりをかけて出所祝いの料理を作ってくれているぞ」
「それは楽しみだ。でももう少し待ってくれ」
「?」
本音を言えば早く戻りたかったレヴィだが、しかし少しだけ耐えた。
ピアードル第一刑務所の食事は『飯』というよりも『餌』と表現したくなるような有様で、腕のいい料理人のお陰で贅沢に慣れてしまったレヴィにはかなり辛かったのだ。
正直なところ、檻の中に閉じ込められた事よりも、食事の酷さの方に心が折れそうになった。
贅沢に慣れるとこういう時に辛いな、と涙が滲んでしまったのは内緒だ。
悲しくなるほど侘しい餌を口にしながら、美味しいものぷりーず、と切実に焦がれていただけに、ここですぐにでも帰りたくなる気持ちと奮闘していた。
「何故だ?」
そんなレヴィの葛藤を知らないマーシャは不思議そうに首を傾げている。
「ちょっと野暮用というか。知り合いがもうすぐ出てくると思うから、挨拶だけでもしておきたいんだよ」
「知り合い?」
「ああ。檻の中で知り合った」
「犯罪者なのか」
レヴィのような冤罪で檻の中に入れられるのを除けば、その他は何らかの罪を犯してそこにいる犯罪者だ。
どんな理由であっても、悪意から他人を踏みにじるような人種に対しては、心から軽蔑するマーシャだったので、レヴィに対しても少しだけ非難がましい視線を向けている。
そんな奴に会いたいと思う理由が分からないと言いたいらしい。
「まあ一日で十二人ぐらいぶっ殺したらしいから、凶悪と言えば凶悪なんだが、一応は正当防衛だから、悪意の犯罪者とも言えないぜ」
「………………」
どうやらちゃんとした理由があるらしいと分かって、マーシャも表情を緩める。
人殺しに関しては他人を責める資格など無い。
マーシャもレヴィも、沢山の人間を殺してきたのだから。
「自衛としての殺人だけど、八年も檻の中に居たらしい」
「自衛なら仕方無いな。というよりも殺すのが当然だろう。敵を生かしておいたら、その後が危険だ」
「マーシャも結構物騒な考え方してるよな」
「物騒な世界で生きてきたんだから、考え方が物騒になるのは当然だ」
「リーゼロックに行ってからは結構平和じゃなかったのか?」
「もちろん平和だったさ。でもレヴィに再会する為に、自分から危ない方に首を突っ込み続けたからな」
「………………」
気持ちは嬉しいのだけれど、そう言われるとレヴィの所為だと言われているみたいで複雑だった。
「まあ俺も人のことは言えないけど」
軍人として生きてきた時代だけではなく、運び屋として生きてきた時間も、それなりに物騒なことに巻き込まれ続けたのだ。
自然と物騒な考え方になるのも当然だった。
似たもの同士の二人なので、こういう部分は共感出来る。
「とにかく、今後の落とし前を付ける為にも、あいつとのパイプは保っておきたいんだ」
「誰なんだ?」
マーシャが問いかけると、その目の前を黒塗り高級車が横切った。
高級車は刑務所の門の前で止まった。
そして車の中から出てきたのは、美少女と形容するに相応しい存在だった。
年齢は十六歳ぐらいで、意志の強い瞳をしている。
「うわ。すげえ可愛いな」
「………………」
レヴィは素直な感想を漏らすと、少しだけマーシャがむくれた。
しかしその美少女を見ると、マーシャも息を呑んだ。
「本当に可愛いな」
緋色の和装があつらえたように似合う美少女だった。
一部を下ろして綺麗に結い上げている黒髪はとてもつややかで、揺れる黒が水の流れのように美しい。
静謐さを感じさせる黒い瞳は宝石のような煌めきと、そして揺らめきがある。
思わず守ってあげたくなるような儚さと、つい従ってしまいたくなるような威厳、その二つが矛盾無く同居している。
なんとも不思議な美少女だった。
そしてレヴィが面白そうに口元を吊り上げる。
「恐らくあの子が飼い主だな」
「飼い主?」
意味が分からないマーシャは再び首を傾げる。
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