「そっちのデータにもあるけど、彼らが動き出すのは三日後だ。それまでにクレイドルを出ておいた方がいいぞ」
「分かっている」
「船の偽装は上手くいっているみたいだけど、あっちもフォルティーンには当たりを付けているみたいだから、今日にでも出て行った方がいい。明日にはクレイドルの封鎖を行うみたいだからな」
「……そこまで調べたのか?」
フォルティーンのことも怪しまれているとは思っていたが、他にも怪しい船はいくらでもある。
それら全てを調べるよりは、泳がせるだろうと思っていたのだが、トリスが予想していたよりもずっと早い展開が待っていたらしい。
手遅れになる前に教えて貰えたことは幸いだった。
しかしエミリオン連合軍の動きは部下の電脳魔術師《サイバーウィズ》にも調べさせていたのに、情報精度ではマーシャ達の方が圧倒的に上回っているらしい。
そのことが少しばかり面白くないトリスだった。
「うちには腕利きの電脳魔術師《サイバーウィズ》が二人いるからな。一人は電脳魔術師《サイバーウィズ》という存在に特化して造られた存在でもあるし、もう一人は経験豊富な天才だ。並の腕の電脳魔術師《サイバーウィズ》じゃ歯は立たないよ」
「どこからそんなキワモノを……」
「まあ、こっちにもいろいろと伝手はあるんだ。全部終わったら紹介してやるよ。見たらきっと驚くぞ」
「………………」
トリスが想像しているのは、経験豊富な天才、つまり気難しそうな成人男性の電脳魔術師《サイバーウィズ》の姿だった。
しかしその正体があどけない少女と少年の組み合わせだと分かったら、しばらく開いた口が塞がらないぐらいの衝撃を受けるだろう。
その時を楽しみにしながら、マーシャは続けた。
「それからそっちの電脳魔術師《サイバーウィズ》に軍艦へのハッキングを仕掛けるつもりならやめておけ。すでにうちの連中が罠を仕掛けているからな。巻き添えを食らうぞ。船の管制と戦闘制御に割り振った方がいい」
「罠とは?」
「それは企業秘密。まあトリスに対して不利になるようなことじゃないから安心していい。どちらかというとかなり有利になると思うぞ」
「………………」
思った以上に手出しをされている。
これは自分の戦いだという意識があるので、トリスは険しい視線をマーシャに向ける。
「心配しなくても、邪魔はしない。そう言っただろう? 私達がやるのはサポートだ。トリスの戦力がピンチになったら適度に助けるし、トリスが死にそうになったら、まあ明確に邪魔をするだろうけど」
「………………」
「トリスの目的と私の目的はぶつからない。私だってセッテは殺したいと思っているし、仲間の遺体はこれ以上弄ばれたくないと思っているよ」
「なら、自分の手で殺して、取り戻したいとは思わないのか?」
「私にその資格は無いだろう」
「………………」
「ずっと自分をすり減らしてまで、壊れそうになってまで、その目的の為に進んできたのはトリス自身だ。今更、そこから目を背けてきた私がしゃしゃり出ていい問題じゃない。私の目的は、あくまでもトリスを死なせないこと。セッテのことも、仲間の遺体のことも、トリスが望むようにすればいいと思っているけど、そこだけは譲れない。私はもう一度、あの頃の生活を取り戻したいんだ」
「俺は死んでもいい。そう思っているのに、邪魔をするのか?」
「するに決まってる。私はトリスに死んで欲しくないんだからな」
「余計なお世話だ」
「それ、レヴィの前で言えるか?」
「………………」
自分を危険に晒してまでトリスとマーシャを助けてくれたレヴィ。
かけがえのない恩人で、今でも感謝している。
そんなレヴィに対して、命を助けられた側のトリスが、その命を捨てようとする発言をぶつける。
そんなこと、出来る筈が無かった。
そんなことを言えばレヴィが悲しむ。
彼にはいつも笑っていて欲しい。
そう思っているのに、その笑顔を自分が曇らせることなど、出来る筈がない。
「言えないだろう?」
ニヤリと笑うマーシャ。
トリスは再びマーシャを睨む。
しかし今度は剣呑な目つきではなく、拗ねたようなものだった。
その表情を見て、マーシャも少し嬉しくなる。
ほんの少しだけでも、過去の自分を取り戻してくれたのならば、生き残ろうとしてくれるかもしれない。
そう期待出来るからだ。
「それに、お爺さまへの借りが山ほどあるんだから、死に逃げは良くないと思うぞ。ちゃんと生きて返さないと」
「う……」
確かにその通りだった。
経済面から技術面、そして情報まで、クラウスには世話になりっぱなしだった。
リスクを受け入れてまで、密かにトリスを手助けしてくれていたクラウスに対して、出来る限りの恩返しをしたいという気持ちはあったのだ。
「という訳で、私達は勝手に動く。邪魔をするつもりはないけど、そうだと思える行動に出た場合は、見ていられなくなったということだからな。弱いトリスが悪いってことで」
「む……」
そう言われると意地でも手を出されたくないと思ってしまう。
これでもかなり負けず嫌いなのだ。
「全部終わったら、いろいろ話そう。話したいこと、沢山あるんだ」
「……分かった」
「うん」
マーシャはふわりとした動作でトリスに抱きついた。
「マーシャ……?」
意図が分からないまま、トリスはマーシャを抱き締め返す。
ずっと求めていた温かさだった。
一度手にしたら手放しがたくなってしまうほどに、焦がれたものでもある。
そんなマーシャが、今は自分の腕の中にいる。
それが不思議だった。
どうして彼女はこんなことをするのだろう。
「トリスはすぐに死にそうになるからな。心配だからおまじないをしてやる」
「え?」
少しだけ背伸びをしてから、トリスの顔を自分の方に引き寄せる。
「………………」
まさかキスをされるのだろうかと焦るトリス。
しかし逆らえない。
かつてマーシャに抱いた恋心は、トリスの中にまだ残っている。
その気持ちが、逆らうことを許さない。
「………………」
「………………」
しかし、予想に反して、マーシャの唇はトリスの唇には合わせられなかった。
マーシャの唇が接触したのは、トリスの額だった。
「………………」
トリスが拍子抜けした表情でマーシャを見る。
マーシャはそれを見て悪戯っぽく笑った。
「唇にされるかと思ったか?」
「………………」
真っ赤になったトリスが顔をそっぽ向ける。
期待していなかったといったら嘘になる。
しかしそれは口に出来ない気持ちだった。
マーシャの気持ちがレヴィにあるから、という理由だけではない。
かつてのトリスがマーシャよりも復讐と死んだ仲間を選んだからだ。
だからこそ、今更マーシャを求める資格など無いのだと、自分に言い聞かせる。
「冗談だ。ちょっと本で見たことを真似しただけだ」
「?」
「なんか、勝利や無事を祈る時に、ヒロインが主人公の額とか頬にキスをして、祝福を送るって奴だったな」
「ありきたりだな……」
「なんだ。トリスも知っていたのか?」
「リーゼロックの家で読んだ本の中にそういうものがあった」
「……確か恋愛小説だったと思うんだが、そんなものを読んでいたのか?」
意外な事実に驚くマーシャ。
しかしトリスの方は好奇心旺盛だったので、ジャンルを問わずいろいろなものを取り敢えず読んでみようという気持ちだったのだ。
「言われるまでは忘れていた」
「また思い出せるさ。ゆっくり暮らそう。それにお爺さまがトリスに任せたい仕事があるって言ってたからな。その為にも生き残ってくれないと困るんだ」
「任せたい仕事……? 戦う以外のことは出来そうにないが、PMCの仕事か?」
「あはは。それも頼もしいけど、もっと平和な仕事だよ」
「マーシャは内容を知っているのか?」
「知っているけど、今は内緒だ。生き残ってからのお楽しみってことで」
「仕事なのに、楽しみなのか?」
「トリスならきっと楽しみながらやってくれると思う」
「………………」
マーシャがそう言うのなら、きっとそういう仕事なのだろう。
恩人であるクラウスが任せたいと言ってくれる仕事なら、トリスとしても全力で励む気持ちはある。
しかしそれも生き残ることが前提だ。
「トリス」
「………………」
「みんな、トリスを心配してる。生き残って欲しいって、帰ってきて欲しいって、思ってる。だから、その気持ちを、心の片隅にでもいいから、覚えていて欲しいんだ。今は、それ以上を求めたりはしないから」
「……努力する」
燃え尽きたいと思っていた。
死んだら楽になれると信じていた。
だけど、自分はこんなにも想われている。
一人で生きてきた訳ではない。
自分の力だけでここまでやってきた訳ではない。
それが分かるほどには、トリスも大人になってしまった。
だからこそ、彼らの願いを踏みにじれない。
約束は出来ない。
それでも、努力はしてみようという気持ちになった。
そしてそれこそが、小さくとも、大切な変化なのだ。
「うん。それでいいんだ」
マーシャはにっこりと微笑んでトリスから離れた。
「………………」
離れた温もりを名残惜しく思う。
しかし今はこれでいいのだ。
「じゃあ私はこれで行く。健闘を祈るよ、トリス」
「ああ」
マーシャはそのまま踵を返した。
トリスは一人その後ろ姿を見送る。
温かさを貰った気がした。
すり切れていた心に、仄かな光が灯っているのが自分でも分かる。
命を賭けた戦いにこの温もりは邪魔になるだけなのかもしれない。
それでも失いたくないと、切実に思った。
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