シルバーブラスト

水月さなぎ
水月さなぎ

トリストレヴィ 2

公開日時: 2021年6月21日(月) 09:53
文字数:3,649

 弱さは全部置き去りにしたつもりだった。


 ただ復讐を。


 そして仲間を取り戻す。


 それ以外の全てを捨てて、自身を燃やし続ける。


 いつか燃え尽きてしまったとしても、それが自分の選んだ生き方なのだと、そう言い聞かせた。


 だから憎悪に堕ちることはあっても、人の心を取り戻すことはないだろうと、そう思っていたのだ。


 大切な人に背を向けて、悲しませて、それでも自分の願いを優先させたのだから、当たり前の幸福など、弱さなど、許されない。


 そう思ってきた。


 それなのに、懐かしい金色に再会出来ただけで、自分はこんなにも揺らいでいる。


 まだ純粋さを残していた少年の心が表に出ようとしている。


 自分はもうあの頃とは違うのに。


 それなのに……


「トリス。久しぶりだな」


「…………はい」


 あれから七年は経っている。


 それなのに変わらない。


 屈託の無い笑顔も、傍に居るだけで安心させてくれる不思議な温かさも。


 何一つ変わっていない。


 自分はこんなにも変わってしまったのに……


「それにしても驚いたな。まさかトリスがクレイドルにいたなんて。マーシャからはあの後すぐに飛び出してしまったって聞いていたけど」


「マーシャに、会ったんですか?」


 再び、懐かしい名前。


 かつて、誰よりも大切だと思った少女の姿が思い出される。


 彼女は、今も元気にしているだろうか。


 どれだけ堕ちてしまったとしても、幸せを願わずにはいられなかった少女。


 幸せで居て欲しいと、今も願っている。


「ああ。元気だぞ。成り行きで一緒に旅をすることになってな。今もクレイドルにいるぞ。ああ、そうだ。マーシャに連絡しようか。きっと会いたがるだろうし」


「………………」


「トリス?」


「それは、止めて下さい」


「今はまだ、会えない」


「………………」


 今にも泣き出しそうな表情のトリスに、レヴィは携帯端末を持つ手を止めた。


「んー……まあ、いっか」


「レヴィアースさん……?」


 放っておけない気持ちにさせられる表情だが、トリスがそれを望まない事も分かっていた。


 もしも誰かの手助けを望むのならば、彼はリーゼロックを飛び出したりはしていない。


 一人きりで成し遂げたいことがあるからこそ、巻き込みたくないからこそ、変わり果てるまで一人で立ち続けたのだから。


「今はレヴィって呼ばれてるんだ。トリスもそう呼んでくれるか?」


「レヴィ……さん」


「ああ。それがいいな」


 屈託なく笑うレヴィを見て、トリスもくしゃりと顔を歪めた。


 あまりにも変わらない、懐かしすぎる笑顔。


 過ごした時間は僅かなのに、こんなにも心を揺さぶる存在になっている。


 トリスにとっては、それこそが意外だった。


「一つだけ確認してもいいか? トリス」


「……?」


 トリスは怪訝そうに首を傾げながらも頷いた。


 レヴィを前にすると調子が狂わされてしまう。


 部下の前では見せられないほどに弱々しい姿だった。


「助けは、必要か?」


「………………」


 その言葉に、また泣きそうになる。


 この人は、何一つ変わっていない。


 自分はこんなにも変わり果ててしまったのに。


 困っている弱者を見捨てられない。


 手を差し伸べずにはいられない。


 そんな優しさに、かつての自分達は間違いなく救われたのだ。


 だけど今の自分は違う。


 弱者のままではいられなかった。


 だからこそ、強者になれなくても、強者を食いちぎる狂気の牙になると誓っていた。


 強者になれなくても、獣にならなれる。


 それが本来の姿なのだから、そうすることに躊躇いはなかった。


 以前のレヴィなら何も言わずに助けてくれただろう。


 そして今のレヴィがわざわざ確認してくるのは、トリスの力をある程度認めているからだ。


 自分一人でも目的を遂げられる強者の一人だと、認めてくれているからだ。


 それでも今のトリスを見て、手を差し伸べずには居られない。


 それほどまでに弱い姿を晒してしまっているのだろう。


 いや、違う。


 弱くなった訳ではない。


 ただ、紙一重の脆さを秘めているだけだ。


 それは自分でも分かっている。


 心を壊して歩き続けた自分は、いつ崩壊してもおかしくない。


 壊した心が粉々になって、生きていく事すら出来ないほどに狂ってしまう日はそう遠くはないことも分かっている。


 それでも、目的を遂げるまでは立ち止まれない。


 燃え尽きても構わない。


 死んでも後悔しない。


 そう決意して、ここまで進んできたのだ。


 今更、過去には戻れない。


 戻る訳にはいかない。


「……大丈夫、です」


「そうか。じゃあ、それでいいや」


「………………」


 訊きたいことは沢山あるだろう。


 今のトリスを見て放っておけないと思うのは、レヴィにとって不自然なことではない。


 その気持ちを呑み込んで、トリスの意志を尊重してくれている。


 それが嬉しかった。


「ありがとう……ございます……」


「いいさ。色々あったんだろ?」


「………………」


「あと、昔みたいに話してくれると嬉しい。よそよそしくなると寂しいからな」


「……分かった」


 つい敬語で話してしまっていたが、確かに子供の頃はもっと距離が近かった。


 トリスにとっては変わり果ててしまった後ろめたさからついそうなっていたが、レヴィにとってはそれこそが寂しかったのだろう。


「よっしゃ。じゃあ今日は俺が奢ってやるよ」


「え……?」


「久しぶりの再会だしな。まあ安上がりで悪いけど、ここの飯は美味いからな」


「あ、ありがとう……」


「いいっていいって。好きなもの頼めよ。ああ、そうだ。蟹がお勧めだぞ。ブレヒト蟹料理をこの値段で出してくれるような店は多分ここだけだ」


「わ、分かった……」


 レヴィに勧められるまま、次々と料理を口に運んでいくトリス。


 レヴィの方も満腹に近い状態だったが、トリスと会話している内に少し余裕が出来たので、軽くつまむようになっていた。




 食事をしながらレヴィの近況について知りたがったので、差し障りの無い範囲で話してやることにした。


 流石にオープンスペースでは言えないことも多すぎるが、それでもトリスには知っておいて欲しいことが沢山ある。


「表向きには姿を消したことになってるけど、まあスターリットでのんびりとしていたところを、マーシャがいきなり突撃してきたんだ。いや~。びっくりしたのなんの。あいつ、すっげー美女になってたし」


「マーシャらしいな」


 いきなりレヴィに突撃していくマーシャの姿は簡単に想像出来たらしく、トリスも少しだけ笑っていた。


 そして笑っていたことに気付いて驚いた。


 自然な笑みが漏れるなど、何年ぶりだろう。


 しかし、弾む気持ちは止められない。


 心を壊しても構わないと思っていたのに、二度と戻れないと覚悟していたのに、こんなにもあっさりと取り戻している。


 レヴィといるとそれが自然なことに思える。


 それが不思議で、そして辛かった。


 かつての決意を鈍らせてしまいそうで怖かった。


 それでも、この心地いい時間が一秒でも長く続いて欲しいと願ってしまう自分がいることも認めていた。


「いきなり問答無用で依頼してきて、軍とやり合わせて、最終的には最新鋭の戦闘機に乗せたんだぜ。しかも俺に合わせた特別機《エクストラワン》。いやもう、ここまでお膳立てされたら乗っからない訳にもいかないよな」


「確かに」


 マーシャはずっとレヴィに会いたがっていた。


 レヴィと再会する為にあらゆる努力を惜しまなかった。


 そして願いを叶えたのだ。


 再会するだけではなく、ずっと一緒にいられるように、徹底的にお膳立てを整えた。


「レヴィさん」


「ん?」


「その、今のマーシャとは、どういう関係なんだ?」


「あー……その、こういう関係、かな?」


 レヴィは少しだけ照れくさそうに首に掛けた指輪を取り出した。


 銀色の指輪がチェーンにかけられている。


 マーシャの瞳を示す色だった。


 その指輪を見て、少しだけ心が痛んだ。


 マーシャに対する淡い想いが、二度と届かないものだと悟ったからだ。


 元より、届かせるつもりなどなかった。


 それでも、こうして示されてしまうと、多少は傷ついてしまうものなのだと自覚してしまう。


「そうか。マーシャもようやく、レヴィさんと一緒になれたんだな……」


「いや、結婚はしてねえよ。つーか出来ねえからなぁ。俺の場合、戸籍の問題があるし」


「でも、一緒に生きていくことには変わりないんだよな?」


「それはまあ、そうだな」


 少しだけ照れた表情で答えるレヴィに、またトリスの心が痛む。


 しかし表情には出さなかった。


 ただ、マーシャとレヴィが幸せで居てくれることが嬉しかった。


 それからマーシャの武勇伝……もとい暴走ネタを話したり、少しだけ嫉妬深いことも話題にしたりして、それなりに盛り上がった。


 時間はあっという間に経過した。


 あまりにも楽しい時間は、忘れるぐらいに流れが加速する。


 レヴィの携帯端末が鳴ったことで、それは一区切りついたようだ。


「ちょっと待ってくれ」


「ああ」


「お、マーシャからだ」


「っ!」


 マーシャからの連絡だと知って、トリスの表情が強ばる。


 会いたいという気持ちはあるのに、会えないという気持ちが強いのだろう。


「………………」


 その気持ちを正確に察したレヴィは、通話をスピーカーモードにした。


 これならば、少なくとも声は聞こえるはずだ。



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