「んにゅ……」
翌朝、マーシャはレヴィの腕の中で目を覚ました。
「………………」
目を開けると、すぐにレヴィの顔があった。
まだ眠っているようで、すうすうと規則正しい寝息が聞こえてくる。
「っ!!」
頭を動かそうとすると、強烈な痛みに襲われた。
「うぐぅ……」
頭がガンガンする。
明らかに二日酔いだった。
「痛い……」
水でも飲んですっきりしたいところだが、レヴィにがっちりと抱きしめられているので動くことが出来ない。
腕を外せばいいだけなのだが、レヴィに抱きしめられているこの状況がもう少し続いて欲しいという気持ちもあるので、動けなかったのだ。
「………………」
頭痛に耐えるか、それとも抱きしめられ続けるか。
悩むまでもないことなのだが、そこで悩んでしまうのがマーシャの乙女心だった。
「ん……?」
そうして悩んでいると、レヴィの方も目を覚ましたようだ。
「おはよう、レヴィ」
「おはよう、マーシャ」
「水を飲みたいから離してくれると助かるんだが」
「ああ、そうか。やっぱり二日酔いか」
「……うん」
「あれだけ飲めば当然だよなぁ」
「………………」
呆れたように視線を向けるのは、テーブルの上にある空瓶の数々だった。
あれをマーシャが一人で、しかもストレートで飲み干してしまったのだから、二日酔いになってもおかしくはない。
いや、ならない方がおかしい。
むしろなって当然。
いや、なるべきだ。
「まあいいか。ほら。水飲んでこいよ」
レヴィはマーシャを抱きしめる腕を開放してから促した。
「ん」
マーシャは起き上がってそのまま水を飲みに行く。
ついでに携帯していた二日酔い用の薬も飲んだ。
即効性の液体薬なので、すぐに頭がすっきりしてくる。
「ふう……」
リーゼロック製薬部門特製の二日酔い薬なので、効果も抜群だ。
「……もう治ったのか?」
すっきりした顔のマーシャを見て呆れるレヴィ。
二日酔いとはもう少し長い間苦しむものではないのだろうかと、そんな疑問があるのだが……
「この薬はよく効くんだ」
「いや、効き過ぎだろ」
「リーゼロックの製薬部門の即効性二日酔い薬を、更に亜人の身体で効果が高まるように改良したものだから」
「……亜人向けの製薬部門があるってことか?」
「正確には趣味の部門だけどな。お爺さまの趣味」
「趣味……?」
「ロッティに移住する亜人の数も増えてきたから、亜人向けの薬が必要になるだろうってお爺さまが作ったんだ。ちなみにスタッフはレヴィの同類だ」
「ど、同類?」
「もふもふマニア」
「なんと。この世界にそんな素晴らしき同志諸君がいるのかっ!」
「……その呼び方は止めた方がいいと思う」
同志諸君はなんだか怪しげな感じで嫌だ。
「とにかく、これで二日酔いは大丈夫だ」
「それならいいけど。あれだけ飲んで大丈夫だっていうのは、逆に怖い気もするなぁ」
「あの程度ならどうってことない」
「………………」
やっぱり怖い。
亜人はみんなウワバミなのだろうか。
マーシャはレヴィをじっと見る。
「どうした?」
「うん。昨日のことなんだけど」
「ああ」
「気にしなくていいからな」
「………………」
「私はレヴィに今以上の関係を求めるつもりはないんだ」
「………………」
「それが出来ない理由も分かっているつもりだ」
「………………」
「だから、今のままでいいんだ。傍に居られれば、それで十分だから」
儚げに笑うマーシャの姿が痛々しかった。
普段はとことんまで強引な癖に、肝心な部分では遠慮してくる。
それがもどかしくもあり、ありがたくもあった。
「ごめんな、マーシャ」
今は何も言えない。
覚悟は定まったが、それでも、まだ言えないのだ。
ただ、マーシャの頭をそっと撫でる。
レヴィの恐怖も、躊躇いも、すべて理解してくれているマーシャに少しでも安心してもらいたくて、頭を撫で続ける。
「いい。私はレヴィに苦しんで欲しい訳じゃないから。笑っていて欲しいんだ」
「………………」
笑っていて欲しい。
それはレヴィがマーシャに対して抱いている気持ちと同じものだった。
「そうだな。お互いに笑っているのが一番だな」
「そうだぞ。それが一番大事なことなんだ」
「同感だ」
一番大事なことは間違えない。
それこそが重要なのだ。
だからこそ、レヴィの迷いも綺麗さっぱりなくなった。
マーシャの笑顔が見たい。
これから先も、ずっと。
その気持ちがあれば、大丈夫だと確信出来た。
★
それから朝食を摂る為にレストランへと向かう。
バイキング形式だが、流石に使われている食材のレベルが他のホテルとは段違いだった。
「これ、無駄になる食材がすげーもったいないよな」
もっちりとした甘いパンをかじりながら、レヴィが呆れたように呟く。
向かいに座っているマーシャの方は慣れた様子でぱくついている。
リーゼロック家に居る間にこのレベルの食事は当然になってしまったのかもしれない。
恐ろしい教育環境だが、上流階級としての教育も受けているマーシャの仕草は一つ一つが洗練されていて、食べるだけでも見惚れてしまいそうなぐらいだった。
改めて、あの時クラウスと出会えて幸運だったと思う。
もう一人の少年については残念なことになってしまったが、それでもいつかは再会出来ると信じている。
その時に、自分に出来ることがあれば手助けしてやりたい。
「高い宿泊料でそれなりの利益は出している筈だから、無駄にはなっても損は無い筈。余った食材も従業員が持って帰ったりするから、無駄になる分も最小限に抑えられているんじゃないかな」
「そうなのか?」
「少なくとも、リーゼロック系列の高級ホテルはそうなってる」
「なるほど」
リーゼロックの経営状況までほぼ把握しているらしい。
しかし面白い知識でもある。
「まあ、俺としては美味しいものを満足するまで食べられればそれで問題無しなんだけどな」
「言えてる。美味しいは正義だ」
「同感」
「そして肉も正義だ」
「まあ、同感……かな」
肉食獣の本性がちらりと垣間見えた。
いつか自分の肉までかじられるかもしれないと考えると、ちょっとだけ震える。
「この後はすぐにエミリオンを出るのか?」
クラウスとも再会したし、エミリオンに留まる為の義務は果たした。
後は早々にこの国から脱出したいのだが、マーシャは首を振って否定した。
「もうちょっと居るつもりだ。ちょっと博士と相談したいこともあるし」
「博士?」
「私のブレーン」
「ああ、そういえばそんなものがいると言っていたな」
マーシャの保有するシルバーブラスト、そしてシオン、更にはスターウィンドまでもが、そのブレーンとの共同開発だという。
マーシャだけでも、その博士だけでも駄目だったのだろう。
「相談したいことっていうのは、昨日の件か?」
「そう。資金援助の件」
「跳躍技術、つまりワープ航法についてだよな?」
「うん。昨日資料を預かったんだけど、私が見ても分からない部分が多いんだ。分かる部分もあるけど。博士と相談して、見込みがあるかどうかを検討したい。その答えが出たらミスター・ハーヴェイともう一度接触する必要があるから、エミリオンから出る訳にはいかないんだ」
「まあ、そういうことなら仕方ないな」
跳躍技術についてはレヴィも興味がある。
シルバーブラストに実装出来たら面白そうだと思っている。
エミリオンに長居するのはご免被りたいが、それでも個体情報は消しているし、変装を続けていればなんとかなるだろうと気楽に考えていた。
「まあ、コストを考えるととんでもないことになりそうなんだけどな」
「そうなのか?」
「ざっと千兆」
「ぶっ!」
「最低限の予算でそれだから、満足のいく研究をしようと思えばその三倍はかかるだろうな」
「……マジで?」
「マジで」
「それを、資金援助するのか?」
「出来るからな」
「………………」
堂々と言い切るマーシャに、レヴィは冷や汗をだらだらと流す。
昨日は弱々しく見えた女の子が、今はとんでもない怪物に見えてしまう。
本質は変わらないのだろうが、経済感覚が恐ろしすぎる。
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