「わたしはレティシアっていうの。レティーでいいわよ」
一緒に回るのなら名前ぐらいは教えておくべきだろうと判断したのか、女性がそう名乗ってくれた。
「……マーシャ」
マーシャも多少むくれながらも名前を教えておいた。
フルネームでも良かったのだが、レティシアもファーストネームのみだったので、それに合わせたのだ。
「ふうん。マーシャちゃんか。可愛い名前ね」
なでなでと頭を撫でられてしまう。
「あまり子供扱いするな。多分、年はそんなに変わらない」
「そうなの?」
きょとんとするレティシアにマーシャがむくれた。
「レティシアはいくつだ?」
「レティーでいいってば。今年で二十五だけど?」
「私は今年で二十歳だ。ほら、あまり変わらない」
「ええっ!? 十五、六に見えたっ!!」
「………………」
徹底的に失礼な女性である。
そこまで子供っぽいつもりはないのだが、どうしてそう見えてしまったのかは今後の参考の為にも訊いておきたい。
「うーん。確かによく見るとそれぐらいかな。多分、寂しそうにしていた所為だと思うわよ。寂しがり屋の女の子って、何だか幼く見えちゃうことがあるじゃない?」
「………………」
そんな風に言われると反論出来ない。
寂しそうにしていたのは事実だし、そんな姿を想像すると、確かに子供っぽく見えてしまう気がする。
「そうか~。それなら確かに子供扱いは怒るよね。立派な成人女性なんだから」
「その通りだ」
「でも頭を撫でられている時はなんとなく嬉しそうだったように見えたけど?」
「そんなことはない」
断じてそんなことは無いと反論したが、悲しいことに心当たりはあるのだった。
マーシャはレヴィに頭を撫でられるのが好きなのだ。
撫でられると、ついそのことを思い出してしまったのだ……とは流石に言えない。
言えばまた子供扱いされてしまう。
「ごめんってば。機嫌直して、ね?」
そう言いながら、また頭を撫でてくるレティシア。
「撫でるなっ!」
がうっ! と威嚇しながら離れるマーシャ。
「あはは、まるで狼みたいね」
「う……」
無意識に正体を言い当てられて黙り込んでしまうマーシャ。
亜人だと見抜いている訳ではないだろうが、狼だという印象を与えている自分が少しだけ嬉しかった。
自分の本質は、やはり牙を保つ狼だと思っているからだ。
「怒らせたお詫びにお昼は奢るわよ。この先に美味しいお店があるから行きましょ」
「う~」
奢られるほど懐は寒くないのだが、しかしお詫びと言われては受け取ることも吝かではない。
ちょうど空腹になってきたところだし、ここは素直に奢られておこう。
そしてマーシャはあっさりと餌付けされてしまった。
「美味しいっ!」
銀色の目をキラキラさせながらスペアリブにかぶりつくマーシャ。
焼き窯で焼いたスペアリブは、辛みの効いたタレとの相性が絶妙だった。
表面はカリッとしていて、中はほどよく焼けていて、中心には赤身の部分も僅かに残っている。
肉食獣としてはかなりそそられるメニューだった。
腰巻きの内側で尻尾が激しく揺れている。
「ふふふ。ここのスペアリブは、絶品なのよね。マーシャちゃんもきっと気に入ってくれると思ったわ」
「うん。気に入った。いい店を紹介してくれてありがとう」
美味しいお肉を食べてすっかり機嫌が良くなったマーシャは、素直にお礼を言う。
今度はレヴィと一緒に来ようと決めた。
「どういたしまして。やっぱり笑った方が可愛いわね。怒った顔も可愛いけど」
「うぐ」
同性相手にそんなことを言われても困る。
レティシアも美人だとは思うのだが、本人はあまりそういうことを気にしていないらしい。
「レティシアはここが地元なのか?」
美味しい店に詳しいのでそんな質問をしてみたのだが、レティシアは首を横に振った。
「違うわよ。わたしの出身はセントラル星系。あと、レティーって呼んでくれないと撫でるわよ」
「……分かった。レティー」
妙な脅し方だが、何だか怖かったので従っておくことにした。
「そうか。レティーはセントラル星系出身なんだな」
「といってもエミリオンではないけれどね。周辺惑星の一つよ」
「ふうん」
「今はロッティを拠点に仕事をしているんだけどね」
「……奇遇だな。私もロッティが拠点だ」
「そうなのっ!? じゃあロッティでまた会えるわねっ! 出身もロッティなの?」
「違うけど」
「教えて貰ってもいい?」
「駄目」
「残念」
ジークス出身だと言えば亜人だとバレてしまうかもしれない。
個人情報なので、レティーもそこまで踏み込もうとはしなかった。
慣れ慣れしくはあるけれど、決して無神経ではない。
適度な距離感にマーシャも少しずつ慣れ始めていた。
マーシャもレティーの詳しい出身地については訊かなかった。
「でもロッティを拠点にしているのなら、今は長期休暇なのか?」
ロッティからイシュタリカまではかなり遠い。
通常航行では一ヶ月ほどかかってしまう。
往復だけで二ヶ月もかかるので、休暇を取るにしても長すぎる。
マーシャ達のようにフラクティール・ドライブを実装した船に乗っている筈もないので、かなり長い間拠点を開けていることになる筈だ。
「ううん。一応は仕事中よ」
「遊んでいるようにしか見えないけど」
「失礼ね~。こうやって素敵なものを見て回ったりするのがわたしの仕事なの」
「意味が分からない」
ウィンドウショッピングが仕事だというのなら、利益はどこから発生しているのだろう?
マーシャが首を傾げていると、レティーはちっちっち、と得意気に指を振った。
「つまりね、わたしは貿易商みたいなことをやっているのよ。まあ娯楽も兼ねているんだけどね」
「貿易商? 輸出入?」
「そうそう。あらゆる場所で良さそうな商品を見繕って、買い付けをして、店で販売するの。結構好評なのよ」
「へえ~。当たり外れが激しそうだけど、商売になっているのか?」
「当たり前でしょ。そうでなければこんなに悠々としていられないわ」
「それもそうか」
どうやらレティーは貿易商の社長らしい。
社長といっても小規模な個人事業主のようだが。
「小規模なのは確かね。従業員も店番一人だけだし」
「店番兼留守番?」
「そうね。アレでも顔はいいから販売には向いているのよ」
「もしかして男の人?」
「そう。わたしの彼氏。結婚はもうちょっと先の予定だけど」
「そうなんだ。早く出来るといいな」
「別に焦っている訳じゃないけどね」
「ふうん」
「マーシャちゃんは? 今は仕事で別行動の彼氏とは結婚しないの?」
「あまり考えたことはないなあ。一緒に居られればそれだけで満足だから」
「健気っ! 可愛いっ!!」
「抱きつくなっ!」
マーシャがあまりにも可愛いことを言うので、つい抱きしめてしまうレティー。
子供扱いされているような気持ちになって、マーシャとしては不満だった。
「ふふふ~。まあこっちの結婚はまだ先でいいのよ。最近、ロッティで発表された新型跳躍装置のこと知ってる? といっても、リアルタイムでロッティにいた訳じゃなくて、ダーリンからメールを貰って知ったんだけどね」
「知ってるけど……」
というよりも、開発側だし……とは言えなかった。
「あれが一般で実用かされたらもっともっといろいろな場所に行けるようになるのよね。航路が安定すればもっと遠出も出来るだろうし。いろいろな商品を仕入れられるようになる。それが楽しみで、結婚どころじゃないのよね」
「……民間船への実用化はまだかなり先になると思うけど」
フラクティール・ドライブの優先権はもちろんリーゼロックにあるのだが、大金を積んでその権利を獲得しようとしているエミリオン連合軍が邪魔をしてくるだろう。
まずは軍艦への実装を優先して、民間に行き渡るのはその後だろう。
当然、一番はリーゼロックPMCで、二番目がロッティ軍、そして三番目がエミリオン連合軍、という順番になるだろうが。
他の国もフラクティール・ドライブについての取引が殺到しているらしいので、今頃はユイ達を始めとする関係者部門も大忙しだろう。
大本の投資者であるマーシャについての問い合わせも殺到しているのだが、当然のように無視している。
リーゼロックのお嬢様であるマーシャにはその権利があるのだ。
自分は金を出しただけ、取引の面倒事は全部リーゼロックに任せると投げているので、関係部門が苦労しているだけだ。
そしてマーシャはフラクティール・ドライブの利権も丸ごとリーゼロックに譲っているので、取引を丸投げしたからといって、どこからも文句は出ない。
「そうなの? 一年ぐらいで実用化されると思っているんだけど」
「それは甘いよ。まずは軍が最優先。ドライブの稼働実験は済んでいるけど、肝心の航路が確立されていない以上、民間にフラクティール・ドライブが行き渡ることは無いと思うよ」
「ええ~。楽しみにしてたのにぃ~……」
恨めしそうに唸られても困る。
開発関係者として、微妙な罪悪感が芽生えてしまうのがなお困る。
「まあ、リーゼロックが開発元だから、関連の宇宙船には優先的に実装されるだろうけど」
「なるほど。リーゼロックの旅行会社を利用するようにすればいいのね」
「まあ、そうなるな」
航路が安定していなくとも、開発元であるリーゼロックの宇宙船ならば、実装しても問題は無い筈だ。
フラクティール・ゲートの安全性を確認されたら、リーゼロックが優先的にそれらを利用することになるだろう。
「だから結婚はすぐにしてもいいと思う」
「そうねぇ。戻ったら考えてみようかしら」
「まあ、応援はしている」
「ありがと。マーシャちゃんも相手の人と結婚すればいいのに」
「わ、私はいいんだ。結婚とか、考えたことないし」
「でもしてみたいでしょ?」
「別にそれは無いなあ」
「無いの?」
「形にはこだわっていないし」
それにレヴィは社会的に死んでいる人間なのだ。
偽装身分である『レヴィン・テスタール』では正式な入籍は出来ない。
そしてマーシャ自身はクラウスが用意してくれた『マーシャ・インヴェルク』という名前でれっきとした戸籍を得ているが、レヴィはそうではないのだ。
それが必要になれば、本格的に偽装身分を創り上げる為に出生登録をでっち上げることも出来るのだが、そんな偽りで固められたことをしでかしてまで入籍したいとは考えていない。
大事なのは形ではなく中身なのだから、マーシャは今のままで十分に満足している。
それに、形として大切なものもちゃんと持っている。
マーシャの胸元に光る金色の指輪がそうだった。
ずっと一緒に居る。
途切れることの無い絆。
二つの指輪がそれを証明し続けてくれる限り、マーシャは結婚という形にこだわったりはしないのだろう。
「マーシャちゃんってば、無欲なのね」
「そんなことは無いと思うけど」
マーシャは自分の欲求に忠実に生きているつもりだ。
望むものに対しては強欲であるとも言える。
それがレティーの価値観とは少しだけズレているだけなのだ。
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