リーゼロック・グループの勢力はそれなりに大きい。
エミリオン連合加盟の惑星にそれぞれの部門の支部が置かれているだけではなく、仕入れや情報収集の拠点として、産業コロニーにも支部が置かれていることも珍しくはない。
そしてここクレイドルにもリーゼロックの支部が置かれていた。
「ここだな」
マーシャはクラウスから送られたメールの住所表示に従って、目的地へとやってくる。
ここはリーゼロックの宇宙船開発部門の子会社だった。
看板にもリーゼロックの社名が書いてあるし、特に正体を隠すようなことはしていない。
主にクレイドルにおける技術開発と情報収集、そして材料の仕入れを目的としている支部だった。
マーシャは正面入り口から入り、受付の女性に声を掛ける。
「いらっしゃいませ。本日はどういったご用件でしょうか」
マーシャのことを知らない受付嬢がにこやかに笑いかけてくる。
アポイントを取っていない相手でも、問答無用で追い返したりはしないあたり、リーゼロックの教育が行き届いている。
「ラルゴ支部長に会いたいんだが、今はここにいるかな?」
「恐れ入りますが、お約束はいただいておりますか?」
アポイントを取っていない客をいきなり支部長に会わせる訳にもいかないので、受付嬢はそう問いかけてくる。
予想通りの反応だ。
「約束はクラウス会長が取り付けてある筈だ。私は彼の指示でここに来ている。名前はマーシャ・インヴェルク。ただし時間指定はしていないから、支部長の時間が空いていないのならまた出直す。確認を取って貰っても構わないかな?」
「少々お待ち下さい」
流石にクラウスの名前を出されてはこれ以上の確認は出来ない。
受付嬢は早速ラルゴ支部長へと連絡を取る。
いくつかのやりとりを終えた後、受付嬢はマーシャへと笑顔を向ける。
「確認が取れました。支部長室へご案内します」
「ありがとう」
どうやら時間は大丈夫だったらしい。
もっとも、クラウスから直々の要請なので、滅多なことでは断られないだろうなと思っていたのだが。
エレベーターに乗って支部長室まで案内される。
受付嬢が戸をノックしてから、そのまま入る。
そして中に通されてからソファに座った。
更に奥の部屋から壮年の男性が出てきた。
「初めまして。クレイドル支部のラルゴ・ノウゼルです」
歳の頃は五十代の前半ぐらいだろう。
髪の毛はまだ黒々としていて、しっかりと整えられている。
顔立ちは整っている訳ではないが、不思議な愛嬌を感じさせる。
しかし支部長を務めるだけあって、愛嬌だけではない鋭さが琥珀の瞳に表れている。
「初めまして。マーシャ・インヴェルクです」
マーシャも立ち上がってから挨拶をする。
ラルゴと握手を交わしてから、お互いにソファへと座る。
「本社のマーシャ嬢の噂は聞いています。お会い出来て光栄ですよ」
「こちらこそ、今回は情報提供にご協力いただきありがとうございます」
マーシャの噂というのは、いろいろなものが含まれているのだろう。
宇宙船開発者としてのマーシャ。
そして投資家としてのマーシャ。
更にはPMCの遊撃隊員としてのマーシャ。
リーゼロック・グループの全ての部門において自由自在に動き回ることを許されているマーシャの武勇伝はかなり凄まじいものがある。
自由自在に動き回れるだけならば、ただの我が儘なお嬢様なのだが、その結果、全てのことにおいて明確な成果を出しているというのだから、マーシャ・インヴェルクという女性がただ者ではないことが嫌でも理解出来るだろう。
開発者、投資家、そして戦闘能力者。
これら全てを兼ね備えている存在など、超人レベルの有り得無さだ。
しかしマーシャという存在がここに居る以上、否定することも出来ない。
マーシャ自身が亜人であることはリーゼロック・グループの中では周知の事実だが、それを理由に彼女を差別したり、侮ったりする者は一人もいなかった。
今のマーシャは他の人の目を気にして亜人の特徴である耳尻尾を隠しているが、その状態であっても大変な美人なので、見る者の目を楽しませることも出来る。
逆にこの外見で耳尻尾があれば、そこに可愛らしさがプラスされて無敵だろうと思えるのが実に微笑ましい。
「構いませんよ。彼の情報については会長からも言い含められていますからね。大切なご家族なのでしょう?」
「ええ。血の繋がりはありませんが、私にとってはかけがえのない同胞です」
「ではこちらをご覧下さい」
ラルゴは一枚の写真と調査報告書をマーシャに渡す。
「………………」
写真を見た途端、マーシャの表情が痛々しいものに変わる。
覚悟はしていた。
しかし、そんな覚悟では足りないほどに様変わりしている一人の青年。
黒い髪。
アメジストの瞳。
十九歳ほどの青年。
「トリス……」
それは間違いなく、トリス・インヴェルクの姿だった。
しかし最初にそうだと知らされていなければ、本人だとは思えないぐらいに様変わりしてしまっている。
顔立ちが変わっている訳ではない。
整った容姿は幼い頃の面影をきちんと残している。
しかしあどけなさを残していたアメジストの瞳は濁ってしまい、荒みきってしまっている。
刃のような鋭さと、近付く者全てを切り裂くような荒々しさ。
あの優しかった少年の面影は完全に消えてしまっている。
この七年間の間に何があったのか。
どんな想いで生きてきたのか。
陽だまりを捨ててまで闇に堕ちることを選んだトリスが、どんな経験をしてきたのか。
考えただけで寒気がした。
「間違いなくトリス・インヴェルクですか?」
「はい。カードの使用記録からも、それは証明出来ます」
「そうですか……」
やはりこの青年がトリスであることは間違いないらしい。
出来れば信じたくなかった。
しかし、信じるしかないのなら、受け入れるしかない。
マーシャは改めて調査書に目を通していく。
彼の活動記録が載っている調査書だが、目を覆いたくなるような有様だった。
ファングル海賊団。
トリスは現在、その海賊団のリーダーになっているらしい。
そしてエミリオン連合軍から特に目を付けられているのがこのファングル海賊団らしい。
トリスが犯罪行為に走るのを避ける為に現金を引き出せるカードを渡していたクラウスの思惑は大きく外れることになる。
しかしこれはトリスがクラウスを裏切ったとも言えない。
ファングル海賊団が狙う獲物はあくまでもエミリオン連合軍の軍艦なのだ。
つまり彼らは海賊としてはあり得ないことだが、敢えて軍と敵対しているのだ。
軍のみを襲う海賊団として名を馳せている。
そしてエミリオン連合の軍艦を襲った後は、ごっそりとその機密や技術などを、他の国に売り渡すことで利益を得ている。
よほどの実力がなければ出来ないことだろう。
そして何よりも、エミリオン連合軍への憎悪が成せることだった。
「ファングル海賊団はメンバーのほとんどがエミリオン連合への恨みを抱いているようです。執拗にエミリオン連合軍ばかりを狙っています」
「なるほど……」
軍艦を襲うというリスクの高すぎる仕事を他のメンバーに容認させているのは、それこそが全員の欲求を満たす行為だからだろう。
トリスは人間を憎んでいる。
その人間を従えて海賊団のリーダーなどをしているのは業腹だが、目的の為ならばある程度割り切っているのだろう。
エミリオン連合軍への憎悪。
それは間違いなくトリスの奥底にある感情だ。
しかし第一の目的はそれではない。
彼が本当に取り戻したいものは、仲間の遺体なのだ。
その昔、目の前で奪われていった仲間の遺体。
切り刻まれて、弄ばれた、同胞の身体。
実験の為に、欲望の為に、ただひたすら弄ばれた仲間の身体を取り戻すことを望んでいる。
セッテ・ラストリンドと名乗った研究者は、エミリオン連合軍の支援を受けて、亜人の研究を行っている。
かつてマーシャを狙い、トリスを攫っていったセッテの目的は、亜人の身体能力と天才性を人工的に再現させること。
マーシャの例を見ても分かるように、亜人は可能性の塊なのだ。
開発者、投資家、戦闘技能者。
様々な分野に挑戦出来る多様性、そしてそれら全てを極められる天才性。
亜人にはその可能性がある。
エミリオン連合の一部はまだその研究を諦めていないのだろう。
そしてセッテを保護しているエミリオン連合軍を執拗に狙うトリス達ファングル海賊団。
その情報がここに入ってきているということは、この近くにファングル海賊団が、そしてトリスがいるということになる。
「彼は、いま何処に?」
「はっきりとしたことは分かりません。ただ、このクレイドルにいることは確かだと思います。偽装していますが、ファングル海賊団の船がこのクレイドルに停泊していますから」
「……堂々と?」
海賊船が堂々と産業コロニーに停泊しているというのも驚きだった。
偽装しているといっても、限度がある。
マーシャもエミリオンに降りる時は似たようなことをしているが、それでも海賊船という肩書きでそこまでの暴挙は不可能だ。
「アルザス社と取引していますから、その関係で見逃されているのでしょう」
「……そうですか」
アルザス社は戦闘機開発の大手企業であり、恐らくはトリスが持ち帰ってくる情報が目的で協力しているのだろう。
犯罪者に協力してでも自社の利益を確保しようとする逞しさはある意味で感心するが、バレた時のリスクを考えると賢いやり方ではない。
トリスの方は何かあった時にアルザス社を庇ったりはしないだろう。
間違いなく切り捨てる筈だ。
それはアルザス社の方も同様だろう。
海賊団と関係していたことを嗅ぎつけられたら、真っ先にトリス達を切り捨てる筈だ。
「相変わらず、危ないことをしているな。あいつは……」
リスクなどどうでもいい。
ただ、仲間の遺体を取り戻す。
その為だけにここまでやってきたのだろう。
人間を利用して、手を組んで、内心では怒り狂って。
自分の心をすり減らしながら、ここまで来ている。
限界が近いことはあの眼を見れば分かる。
心が壊れる寸前、いや、既に壊れているのかもしれない。
だけど、壊れたものは治せばいい。
きっと治せる。
そう信じることぐらいは許される筈だ。
「引き続き、彼らの情報が上がったら私の方にお願いします」
「ええ。しかしどうするつもりですか?」
「どうする、とは?」
「彼は大切な家族なのでしょう?」
「その通りです」
「だとすれば、彼を助けるつもりですか?」
「そうだと言ったら?」
「貴女が共犯者扱いされたら、リーゼロックも大打撃を受ける。それは理解していますか?」
「ええ。もちろん」
理解している。
トリス・インヴェルクを庇うことのリスクは呑み込んでいる。
マーシャ自身だけではなく、リーゼロックについても呑み込んでいる。
「お爺さまはそれでもトリスを助け出すことを望んでいます。私も同じです」
「そうですか……」
クラウスにとってもトリスは大切な家族なのだ。
このままにはしておけない。
「具体的にはどうするつもりですか?」
「どうもしません」
「え……?」
助ける為に何らかのアクションを起こすと思っていたのだが、ラルゴの予想に反してマーシャは首を振った。
「これは彼の復讐であり、目的ですからね。同意出来なかった私が手を出していい問題ではないんですよ」
「では、どうしたいんですか?」
「手は出せません。ですが、トリスを確保されそうになったら、彼らから奪い取ります。共犯者ではなく、第三勢力として。リーゼロックの名前もなるべくならば隠し通すように努力します」
「出来ますか?」
「なんとかしてみますよ。私の方も腕のいい電脳魔術師《サイバーウィズ》を抱えていますからね。情報隠蔽にはそれなりの自信があります」
「そうですか」
そんなことを堂々と言われても困るのだが、リーゼロック・グループも綺麗な仕事だけでここまで勢力を広げてきた訳ではない。
裏の仕事も、そして汚れ仕事もそれなりにこなしている。
ラルゴはその汚れを呑み込むだけの下地があるのだった。
「では、私からは何も言いません。会長が認めているのなら、口を出していい問題でもありませんからね。指示通り、情報提供だけさせていただきます」
「ありがとうございます。助かります。こちらでも彼の動向は調べますが、何か新しいことが分かったらまた教えて下さい」
「分かりました」
マーシャは書類を仕舞ってから立ち上がる。
無駄話をする時間は無い。
マーシャに時間が無いのではなく、ラルゴに時間が無いのだ。
彼は忙しい中で無理に時間を捻出して、この場を設けてくれている。
だからこそマーシャは早急に立ち去る必要があるのだ。
これ以上、リーゼロックの業務は妨害出来ない。
これはリーゼロックの仕事ではなく、マーシャの私用なのだから。
「忙しい中時間を作っていただきありがとうございました」
「いいえ。構いませんよ。また何かありましたら連絡させていただきます」
「お願いします」
マーシャは頭を下げてから出て行く。
外に出てから盛大なため息をついた。
「はぁ……」
トリスの情報があると聞いたのでここまで出向いてきたのだが、知ったところで何が出来る訳でもない現状に嘆きたくなるのは当然だった。
「知らない方が良かったとも言えないのが困りものだな……」
海賊行為を働いていることにも驚きだが、それを成功させ続けているトリスの技倆にも驚きだった。
エミリオン連合軍は決して弱くはない。
シルバーブラストとレヴィという切り札があると忘れそうになるが、本来ならば海賊を取り締まる側であり、それだけの戦闘能力を持っている軍隊なのだ。
それなのにエミリオン連合軍をターゲットにし続けた海賊行為を、常に成功させている。
それだけ執拗に狙い続けるのは、エミリオン連合軍に対する復讐もあるのだろうが、それ以上にそこにセッテ・ラストリンドの情報があるからなのだろう。
どうしても取り戻したいものがある。
その為にはどんな犠牲も厭わない。
そんな覚悟がひしひしと感じ取れる。
多くの人間を巻き込んで、殺し続けて、トリスはここにいる。
そんな彼に会ったところで、どんな言葉を掛けられるだろう。
止めることは出来ない。
あの時、トリスが出て行くことを知っていて、それでも止められなかったマーシャには、今更トリスに掛ける言葉など持たない。
トリスも、今更マーシャの言葉など聞き入れてくれないだろう。
「どうしたらいいのかな……」
放っておきたくない。
今までは割り切れていたものが、今は手放せない。
レヴィの影響だろうか。
お人好しなレヴィ。
困っている人がいたら、つい手を伸ばしてしまうあの優しさ。
彼に救われたからこそ、今の自分達がある。
だからこそ、同じように助けられた筈のトリスを、もう一度こちら側に戻したい。
しかしそれはマーシャのエゴでしかないのだ。
トリスは全てを覚悟して堕ちたのだから。
同じ覚悟を持てなかったマーシャがトリスに手を伸ばす資格は無い。
少なくとも、マーシャ自身はそう考えている。
「うー……。レヴィには言えないなぁ、これ」
トリスが出て行ったことは言えても、現状の情報は盛らせない。
荒みきってしまったトリスの写真。
こんな姿は見せられない。
見せたらきっと悲しむし、放っておいてくれなくなる。
だからしばらくは自分だけの秘密にしておこうと決めた。
レヴィに隠し事をするのは気が引けるが、言わなくていいこと、言わない方がいいことも、世の中にはあるのだ。
マーシャは無理矢理に自分を納得させた。
しかし、その納得は無駄に終わるのだった。
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