「む~」
「どうどう。悪かったよ、マーシャ」
ギルバートが帰った後も、むくれているマーシャを宥めるのに苦労しているレヴィは、よしよしと頭を撫でる。
「あそこで殺しても良かったのに」
「それは物騒だから止めておこうな」
「む~」
「大体、あの人を殺したらティアベル嬢が悲しむだろうし」
「……そこで他の女の名前を出すのがレヴィの残念な部分だよな」
むくれていたマーシャは脱力しつつもため息を吐く。
浮気の心配はしていないが、やはり他の女の名前を出されるのは面白くない。
しかしそんなお人好しなレヴィが好きなのだから、これ以上文句を言うのも不毛だと思ったのだ。
この部分に関しては割り切るしかない。
心情的には割り切れないが、理性で割り切るしかないのだ。
「まあいいか。例がそう判断したのなら、私はそれを信じるよ」
「うん。流石は俺のマーシャだ」
レヴィはマーシャを抱き上げてから、すぐにもふもふする。
「……尻尾以外も撫でて欲しいんだけど」
「あ、そうか」
よしよし、と頭を撫でるレヴィ。
「………………」
ついでみたいな扱いなのがなんとも悲しい。
しかしこれがレヴィなのだから仕方ない。
「マーシャは凶暴だから宥めるのが大変だよな」
「人を暴れ馬みたく言うな」
「暴れ馬というよりは暴れ狼かもな」
「う~……」
狼という表現は好きだが、凶暴扱いされるのは面白くない。
しかし何かにつけて手や足が出てしまうことも否定出来ないので、むくれるしかないマーシャだった。
「それで?」
「え?」
マーシャはレヴィに抱っこされたまま、銀色の瞳でじっと見つめてくる。
「他に何か言われたのか?」
「まあ、言われたかな」
「どんなことを?」
マーシャはレヴィを心配して訊いてくるので、隠すのも気が引ける。
しかしこれを言うとまたマーシャが怒りそうで怖い。
しかし隠すと後がもっと怖い気がしたので、レヴィは正直に話すことにした。
「ティアベル嬢のことを引き合いにして、婿に来るなら歓迎する、みたいなことも言われたかな」
「………………」
マーシャの視線の温度が一気に氷点下にまで下がった。
銀色に殺気が混じる。
「いやいやいや。もちろん断ったぞ。俺にはマーシャがいるからな。だ、だから浮気なんてしてないぞ。してないしてないしてない。だから睨まないで下さいお願いします」
ビクビクしながら説明するレヴィ。
後ろめたいことはなにもないのに、マーシャの嫉妬が恐ろしすぎる。
しかしその嫉妬すらも心地いいのだから、板挟みの感情で困り果てる。
嫉妬されて怒られるのが怖い。
しかし嫉妬してくれるマーシャの気持ちが嬉しい。
ど、どうすればいいんだ……と内心で焦るレヴィ。
どうするも何も、割とどうしようもない。
「よし。一発殴ってこよう。まだ遠くには行っていない筈だ」
マーシャはレヴィからすぐに離れて出て行こうとする。
パシパシ、と拳を打ち鳴らしながら動いているのが恐ろしい。
「うわーっ! それは駄目だってばっ! 折角穏便に済ませられたのに、また火種を起こそうとするなーっ!」
そんなマーシャを慌てて止めるレヴィ。
嫉妬は嬉しいが結果が恐ろしい。
このバランスがなんとも言えないスリルを与えてくれる。
後ろからぎゅっと抱きしめ……もといホールドして止めるしかなかったのだが、それだけで大人しくなってくれたので、もしかしたら本気ではなかったのかもしれない。
「で、他には?」
「そ、それだけだよ。軍に戻って来い、婿に来い、後はリーゼロックの調査である程度のことは承知している、みたいなことを仄めかされた程度だな」
「む~……」
そこまで知っているとなると、リスクの方が大きいような気もするのだが、レヴィが殺す必要は無いと判断したのなら、それを支持したい気持ちもある。
しかし感情だけで判断するのは危険だという理性も存在する。
「殺したり記憶を操作したりはしないけど、しばらく監視と調査はさせてもらう。私達のリスクが上がりそうな行動を取ったら、容赦はしない。それが私に示せる妥協点だ。文句はあるか?」
「いや。それでいいと思うぜ。当然の行動だと思うしな」
「そうか」
レヴィがマーシャの判断も支持してくれたことにほっとする。
物騒なことをしているという自覚はあるので、お人好しなレヴィには反対されるかと思ったのだ。
しかし自分達の安全がかかっていることは理解しているので、レヴィとしても否定する理由は無かった。
「まあ、知っていて気を遣ってくれていることは確かだと思うよ。軍に戻るのも婿に行くのも論外だが、あの人と関わりを保っておくことは、そんなに悪くないと思っている」
「どうして?」
「エミリオン連合の情報もある程度探れるからさ」
「その程度ならリーゼロックの調査でなんとかなると思うけど」
「そうかな。潜り込んでいるリーゼロックの諜報員の能力を過小評価するつもりはないけど、あの人はエミリオン連合軍の重鎮だからな。機密情報も扱える立場にある。入ってくる情報のレベルで言えばあの人の方が上なんじゃないかな」
「そんなレベルの情報を素直に教えてくれるとは思えないけど」
「俺達に危険が迫るレベルの情報なら、教えてくれるんじゃないかな。そうしないと自分の身が危なくなるって分かっているだろうし」
「なるほど」
もしもエミリオン連合軍がリーゼロックに、そしてマーシャ達に危害を加えるような行動を起こせば、その情報はギルバートから漏れたと判断するかもしれない。
だからこそギルバートは自分の身を護る為に、その情報に関してはリークしてくれる可能性が高いということだ。
「だから連絡先ぐらいは交換しておいた」
「ふうん。まあいいけど。ちなみにあのお嬢さんの連絡先は?」
「そ、それは知らない。本当だ」
どさくさに紛れてティアベルの連絡先まで教えられたのではないかと疑うマーシャだが、レヴィは慌てて否定した。
押しつけられそうになったことは確かだが、必死で断ったのだ。
断らないとマーシャが怖い。
「……信じる」
「ほっ……」
マーシャは嫉妬深いが、疑り深くはない。
レヴィがそうだと言えば、素直に信じてくれる。
そういう部分が可愛くなって、抱きしめる手に力を込める。
「マーシャは素直で可愛いなぁ」
「ん」
ぎゅっと抱きしめられると、マーシャも嬉しそうに身を委ねてくる。
「………………」
そしてそんな二人の様子をオッドが呆れ混じりに眺めている。
自分がいることを完全に忘れられているような気がするのだが、元々はサポートだったり、影に徹するのが役割だと思っているので、不満はそれほど無かったりする。
いちゃいちゃタイムが始まった二人をそっとしておくべく、オッドは自分の部屋に戻るのだった。
★
「まあ、一応はトラブルにならずに済んだということかな」
ギルバートがあそこまで知っていることには驚いたが、問題はなさそうなのでほっとした。
トラブルにならないことは安心だが、しかし頭の隅で警戒は解かない方がいいだろう。
「う……」
軽いめまいを覚えた俺はそのままソファへと寝転がる。
最近はいろいろとありすぎてストレスも溜まっているようだ。
精神的にも疲れていると自覚している。
限界が近いのかもしれない。
「………………」
そろそろ発散しておいた方が良さそうだ。
飲みに行くか、それとも体温を求めるか。
一眠りして、夜になったら決めよう。
そっと目を閉じて、一時の眠りに身を委ねる。
目を覚ますと既に夕方だったので、そのまま外出することにした。
食事については各自でなんとかするだろう。
まずは適当に飲み歩いて、それから適当な店に入ろう。
ロッティの繁華街は店の種類も豊富なので、食べるにしても、女性を求めるにしても、なかなかに迷うことになる。
まずは軽く腹ごしらえ……にしても、どの店に入るのかを迷ってしまうのだ。
「………………」
あまり考えて決める方ではないので、歩いていて、美味しそうな匂いがした店に入ることにした。
串焼きと酒を出してくれる小さな屋台に入り、丸太の椅子に腰を下ろす。
こういうアナログな雰囲気の店は俺にとっても好ましい。
故郷とは何の関係も無い風景なのに、何故かノスタルジックな気分にさせられるのだ。
謎ではあるが、悪い気分ではない。
適当に串焼きと酒を頼んで、グラスを傾けながら考え込む。
「………………」
ぼんやりと考えて、真っ先に思い浮かんだのはシオンのことだった。
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