あたしは博士のところに向かいました。
シルバーブラストのドッグがあるリーゼロック専用のエリアはかなり広いので、移動だけでも時間がかかってしまいます。
でも自動運転の送迎車を利用すれば、その時間を大幅に短縮することが出来ます。
最高機密エリアに入り込んで、博士を呼び出します。
ここに入れるのはマーシャとお爺ちゃんとあたしだけです。
将来的にはレヴィさん達も入れるようになるかもしれません。
「博士~。いるですか~?」
部屋の自動ドアを開けて中に入り込むと、すぐに博士のホログラムが出てきました。
今日は水色のビキニでした。
とっても気持ち悪いですけど、最近は慣れてきた感じがするですよ。
似合わないといつも思いますけど、まあこれから頼み事をする立場としては口を噤むのが正解なのかもしれません。
「あら、シオンじゃない。どうしたの?」
「こんにちは、博士。今は忙しいですか?」
「まあ忙しいと言えば忙しいけど、趣味の忙しさだしね。時間を割けないこともないわよ」
「助かるです」
あたしは部屋に置いてあるソファに座ってから辺りを見渡します。
ここには博士が研究を続けたり、ホログラム化する為に必要な設備がいろいろと整っています。
つまり、すっごくお金のかかっているエリアなのです。
ソファや来客用のテーブルなどは本来必要無いのですが、あたし達が居心地のいい空間にする為に敢えて置いてあります。
「博士。実はちょっと協力して欲しいことがあるですよ」
「何かしら?」
「あたしの身体を成長させて欲しいです」
「ん……ん~……どうしていきなりそんなことを言うのかしら? マーシャの判断で当分はその姿のまま、ということで話がついていなかったかしら?」
「そうなんですけど、気が変わったですよ」
「マーシャの?」
「あたしの気が変わったです」
「マーシャの許可は?」
「少なくとも、止められなかったですよ」
「………………」
博士は難しい顔で考え込んでいます。
あたしのことを心配してくれているのが分かります。
その気持ちは素直に嬉しいと思いますけど、それでもあたしは決めたんです。
「でもどうしていきなり成長したいってことになったの? 今から人間と同じように成長しても、中身が追いつくとは限らないわよ」
「違うです」
「え?」
「人間と同じように成長したい訳じゃないです」
「どういうこと?」
「一気に大人になりたいですよ」
「………………」
博士は再び黙り込みます。
今度は厳しい視線を向けてきます。
かなり怒っているようです。
「本当に、マーシャは止めなかったの? アタシには信じられないんだけど」
「本当は止めたいみたいですけど、あたしが本当に望むなら止めないって態度でしたね」
「……身体の成長は本来、自然に任せるべきものだわ。必要があってその年齢にまで成長させたけれど、仮に大人になりたいとしても、人間と同じ速度で、ゆっくりとやっていくべきよ。それは分かっているでしょう?」
「もちろん、分かっているですよ。人格が変質するかもしれないリスクも分かっているつもりですです」
「………………」
「でも、あたしはこのままだと苦しいですよ。心が壊れてしまいそうですです」
「………………」
「人格が変質するとしても、心が壊れるとしても、どちらにしても苦しいのなら、希望がある方に賭けたいと思うのは、そんなにおかしなことですか?」
「うーん。言いたいことは分かるんだけどねぇ」
「お願いですです。あたしを強制的に成長させて欲しいですよ」
「うぅ……」
なりふり構わずにお願いするあたしに、博士も困っているみたいです。
恋する乙女に何を言っても無駄だということぐらいは分かっているのでしょう。
今のあたしはは視野が極端に狭くなっているし、冷静さを失っていることも分かっています。
いざとなれば博士が拒絶しても、あたし一人でなんとかしてしまうことも出来ます。
元々、博士とマーシャの所有する技術についての知識や取り扱い方法は、あたしも熟知しているのです。
自分で調べて、自分で処置してしまうことも不可能ではありません。
ただ、なるべくいい結果にしたいからこそ、協力を求めているのです。
「取り返しはつかないのよ」
「分かってるですです」
「………………」
軽々しく言ってしまうあたしに、博士は厳しい視線を向けてきます。
「人格の変質がどういうものなのか、本当に分かっているの? 確かに以前の記憶は記録として残るかもしれない。だけど人格そのものが別人みたいになってしまうということが、どういうことなのか、本当の意味では分かっていないわ」
「そうですね。でも、他に方法が無いです」
博士の言いたいことは分かっているつもりです。
生前のヴィクター・セレンティーのと、今の博士は別人であるということを、誰よりも知っているのは博士本人でしょう。
同じものから始まった別の存在であるという事実に、博士自身も何も感じていない訳ではないでしょう。
だけど博士はきっと知っているのです。
自分はそのように生まれてしまったのだから、それを嘆くのは時間の無駄だと、きっと割り切っているのです。
それは自分ではどうしようもないことでした。
生前の記録と、今の性格との乖離に、もしかしたら苦しんできたのかもしれません。
博士はそんな様子を絶対に見せたりはしませんけど、きっといろいろあったのでしょう。
子供であるあたしにはその辺りの機微を察することが出来ません。
「軽い気持ちならやめておいた方がいいわよ。これはある意味において、精神の自殺に等しい行いなんだから」
「そんなつもりはないですよ。あたしはあたしです。たとえ変わってしまったとしても、大事なものはちゃんと残ると信じてるですです」
「それだって絶対の保証がある訳じゃないのよ」
「絶対の保証があるですよ。だって、あたしがそう信じてるです。それが何物にも勝る絶対の保証になるですです」
「………………」
それが子供じみた拙い思い込みであることは、あたしにも分かっています。
だけど、それ以外に出来る事が無いのです。
でも、信じる力は何よりも強いって、あたしは考えています。
「………………」
「あたしは子供です。考え無しに暴走することしか出来ないですです。でも、それでもたった一つ、叶えたい望みがあるですよ。その為には今のあたしじゃ駄目なんです。違うあたしとして生まれ変わる必要があるです」
「……そんなにオッドちゃんのことを気に入っているの?」
博士はあたしの事情をきちんと知っています。
あたしがオッドさんのことをどれだけ好きなのか、きちんと分かってくれています。
だからこそ、しっかりと頷きました。
「大好きですよ。誰よりも、大好きですです」
世界で一番大好きな人です。
「シオンが無理矢理に成長しなければ好きになってくれないような相手でも?」
「そうじゃないですよ。オッドさんがあたしを受け入れられないのは、きっと別の理由です。それが何なのかは分からないけど、でも、あたしが成長すれば、ハードルの一つはきっと越えられるですよ」
成長したからといって好きになって貰えるとは限りません。
それぐらいのことはあたしにも分かっています。
でも、好きだからこそ、出来ることをしたいのです。
出来ることなら何でもしたいのです。
だからこそ、暴走だってするのです。
出来ることは、全部やるって、決めたのです。
「人格の変質を経験すれば、シオンはオッドちゃんのことをそれほど好きではなくなるかもしれないわよ」
「可能性としては否定出来ないのが辛いですけど、でも好きな気持ちはきっと残るですよ」
「………………」
「だって、今のあたしの中でこんなにも大切だと思える気持ちだから。だから、きっと大丈夫です」
「それが過去のものになったとしても?」
変質した人格がオッドさんを一番に考えてくれるかどうかは、きっと賭けになるでしょう。
それでも、信じてるですよ。
「確信しているですよ。変わってしまってもあたしは間違いなく『あたし』なんです。だからきっと、もう一度オッドさんを好きになるですよ」
「………………」
「オッドさんだから、きっと何度でも好きになるですよ。あたしはそう信じてるです」
あたしは目を閉じます。
瞼の裏に映るのは、いつだってオッドさんの顔でした。
好きだと自覚したきっかけとなった、少年のような笑顔。
困ったような顔も、仕方無いと諦めた顔も、ほっとしたような顔も……
全部が、あたしにとってかけがえのない記憶です。
オッドさんを振り向かせる為ならば、何でもやります。
何でも出来ます。
そんな万能感があたしの中で渦巻いているのです。
それは時として無謀な行為に走らせることもあるかもしれません。
それでも、あたしは後悔をしないでしょう。
恋する自分の暴走を、どこまでも加速させることを望んでいるのですから。
「やっぱり、あたしは大人になるですよ」
「本気なのね」
「もちろん。出来るですよね?」
「出来るけどね。でも、処置に時間がかかることはどうしようもないわよ」
「どれぐらいかかるですか?」
「一ヶ月ぐらいかしら」
「さっそくお願いするですよ」
「少しぐらい迷いなさいよ」
「いっぱい迷ったですよ。でもあたしは子供だから、難しいことを考え続けることは出来ないですよ。悩むよりは行動ですです」
「そうやって、取り返しの付かないことになったらどうするつもりなのよ」
「もちろん、選んだあたしが責任を負うですよ」
「………………」
考え無しの子供が引き起こす暴走であることは間違いありません。
あたしにだって、それぐらいのことは分かっています。
それでも、自分が選んだことに対して責任を取るぐらいの覚悟は出来ています。
そんなあたしの決意に、博士はこれ以上掛ける言葉は無いようです。
「分かったわよ。処置はしてあげる」
「ありがとうですです」
「………………」
あたしは早速処置室へと移動します。
博士のオートマトンも付いてきています。
ベッドに横たわって、それから目を閉じます。
「とりあえず意識を封じさせてもらうわよ」
「よろしくですです」
「一度準備の為に眠らせて、それから処置の内容を決めるわ。それでいいわね」
「博士にお任せなのですよ」
あたしはそっと目を閉じます。
意識がゆっくりと遠ざかっていくのが分かります。
目が覚めて、そしてもう一度眠って、その時にはきっと、新しいあたしになっているでしょう。
姿だけではなく、きっとこの心も変わっているでしょう。
そうしたら、オッドさんは驚くでしょう。
そして、今までとは少しだけ違う目であたしを見てくれるかもしれません。
そんな期待に胸をときめかせながら、あたしは眠るのでした。
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