それからシンフォの案内で『ランファン・モーターズ』という店に移動した。
レーシング用スカイエッジを製造する工場兼販売店らしい。
「ここは修理と改良も行っていて、現役のレーサーからも高い評価を得ているんですよ」
「ということは、知り合いの店か?」
「新人だった頃にはかなりお世話になったんですけど、今のスポンサーがついてからは専任の整備士任せになっていたので、疎遠になったままなんですよね。だからここに来るのは本当に久しぶりなんです」
「そうか」
本当はここで世話になり続けたかったのかもしれない。
シンフォの表情は寂しさと嬉しさの入り交じったものだった。
中に入ると、全体的に油臭い印象だった。
しかしそれはこの場所によく似合っているものであり、客もこの状態を気に入っているようだ。
多少の小汚さは雰囲気の内として受け入れられているし、逆に業者を呼んで正装した次の日などには違和感の方が大きくなるだろう。
小汚くとも不潔ではなく、整備場所としての好ましい荒れ具合、という奇妙なバランスで構成された場所なのだ。
腕のいい整備士の居場所、という感じがする。
「うん。いい場所だな」
マーシャもそれは認めている。
「そうだな。ちょっと懐かしいかも」
レヴィも嬉しそうだ。
自分の機体を整備士と一緒に弄っていたころを思い出しているのかもしれない。
俺も少しだけ懐かしい気持ちになっている。
「よく分かんないけど、多分いい場所っぽいですね~」
「僕にもよく分かんないけど、面白そうな感じだね」
シオンとシャンティはそういった感覚には馴染みが無いようで、よく分からないながらも面白がっている。
しかし店内に従業員の姿は無い。
恐らく作業場の方に居るのだろう。
しかし客が来ると呼び鈴が自動的に鳴る仕組みになっているようで、シンフォが呼びかけてからすぐに店員がやってきた。
「いらっしゃい……って、シンフォじゃないか。久しぶりだなっ!」
出てきたのは三十代後半ほどの男性で、灰色の髪と茶色の瞳をしていた。
灰色の髪は機械油で荒れているが、腕のいい職人だということは雰囲気だけで分かる。
苦労はしているようだが、充実した毎日を送っているのだろう。
生き生きとした目は年齢に似合わない若々しさで溢れている。
「ゼストさん。久しぶり。最近は顔を出せなくてごめん」
「いいってことよ。スポンサーの意向に逆らうとレースに参加出来なくなるからな。事情は理解している。まあ、寂しかったことは確かだけどな」
申し訳なさそうにしているシンフォの頭を撫でようとしたようだが、すぐに油で汚れていることに気付いて止めた。
どうやら二人は気心の知れた関係らしい。
本当はこういう人間に一から十まで整備して貰うのが、一番いいのだろう。
しかしレーサーとスポンサーの関係を無視する訳にもいかないので、今までは少し疎遠になっていたようだ。
「実はロンタイさんからスポンサー契約を切られちゃって……」
シンフォは言いにくいことから先に切り出した。
そしてゼストの顔色も変わった。
「マジか」
ゼストは気の毒そうな視線をシンフォに向ける。
スポンサー契約が切られるのがどういうことか、よく知っているのだろう。
これでシンフォのレーサーとしての人生は終わった、と思ったのかもしれない。
「まあ、しばらくは引き摺るだろうが、あまり気を落とすなよ」
最近のシンフォの成績も知っているので、新しいスポンサーを見つけるのは難しいと思っているのだろう。
しかしシンフォは笑顔で首を横に振った。
「大丈夫。まだ終わってないから」
「え?」
「期間限定だけど、新しいスポンサーが付いてくれた。だから、私はもう少しだけ飛べるよ」
「そうなのか?」
シンフォはマーシャを振り返る。
本当なら俺がスポンサーになる筈だったが、ここは彼女に譲るべきだろう。
マーシャが嬉しそうな表情で前に出ていく。
「初めまして。マーシャ・インヴェルクだ」
「こりゃまた、えらい美人さんがスポンサーになったもんだな」
ゼストもマーシャの美貌に見とれているらしい。
迫力と可愛さが同居している美貌というのは、なかなかに珍しいのだろう。
「ゼスト・ランファンだ。この店でスカイエッジの整備と販売を行っている」
「よろしく」
マーシャはゼストに手を差し出す。
油で少し汚れていても気にしないようだ。
それが分かっているからこそ、ゼストもマーシャの手を握った。
彼女が自分と共通する価値観の持ち主であることを理解したのだろう。
「こいつにチャンスを与えてくれてありがとうな。感謝してる」
しっかりとマーシャの手を握ってから、感謝の言葉を告げてくる。
マーシャも少しだけぴんと来たようだ。
「ゼストさんは彼女に何か特別な思い入れでもあるのか?」
もしかしたら恋愛関係を想像しているのかもしれない。
二十代前半のシンフォと三十代後半のゼストではそれなりに年齢差があるが、マーシャ自身はレヴィと恋人同士なのでそんなことを気にする理由もない。
むしろ全力で応援しようとするだろう。
「思い入れっつーか、ファンなんだよ」
「ファン?」
「不思議そうな顔をしているな」
「まあ、最近はビリ続きだと聞いているし。それでもファンでいられるものなのかっていうのが不思議かな」
マーシャの言葉は俺も同感だ。
「結果が全てじゃないだろう?」
「それは認めるけど。でも観客にとっては結果が全てじゃないかな」
「そりゃそうだ。でもこちとらシンフォがデビューした当時から見てきたからな。デビュー当時のこいつはかなり凄かったんだぜ」
「そうなのか?」
マーシャがシンフォに振り返る。
俺たちもシンフォを注視する。
彼女が凄かったという姿を想像出来ないのだ。
昨日の落ち込みようを見ていると尚更、想像出来ない。
「す、凄かったというか、それなりの成績は残していましたけど……」
シンフォが赤くなりながら頷いた。
当時のシンフォはデビューして間もない立場でありながらも、驚異的な成績を残していたらしい。
体力的に不利な女性レーサーでありながらも、レースに出ればほぼ必ず一位を獲っていた。
獲れない時もあったが、それは本人の技倆の問題ではなく、機体トラブルや接触事故などという外的要因によるものだった。
順当にレースが進めば、シンフォは必ず勝利したらしい。
シンフォ・チャンリィは半年前まで、スカイエッジ・レースのトップスターだったのだ。
「それが今は……か……」
思わず苦々しい声で呟いてしまった。
「う……まあ……色々ありまして……」
俺の視線に耐えかねたのか、シンフォは気まずそうに目を泳がせた。
自分が無謀なことをしようとして成績を落としているという自覚はあるのだろう。
「こいつが今までとは違うコースを飛び始めたのは半年ぐらい前からだ。当時は関係者の間でも話題になったけどな。お陰で成績はがた落ち。上手く飛べずに浮島との接触事故なんていうレーサーとしては最低の事件まで起こしちまって、一気に転落って訳だ」
「うう……」
容赦無く説明されてシンフォは縮こまっている。
しかし悪いとは思っていても、止めるつもりはないらしい。
「それでもこいつは飛び方を変えようとはしなかった。頑ななまでに外れたコースを飛ぶことに拘っていた。だから何か理由があるんだろうとは思っているが、残念ながら結果には繋がっていないな」
「うぅ……」
更にぐさぐさとやられている。
それでもシンフォはめげない。
意外と頑丈なメンタルの持ち主なのかもしれない。
「り、理由はあるよ。あの『道』を飛び続ける理由が、私にはある」
ゼストの疑問に対して少しだけ反論するシンフォ。
彼女にとってそこは譲れないものなのだろう。
「だろうな。お前はそこまでアホじゃない筈だ」
「アホって……酷い……」
しょんぼりしてしまうシンフォ。
ニヤニヤしながらそれを眺めるゼスト。
どうやらからかっているだけらしい。
そして否定もしていない以上、理由は分からなくともシンフォのことは信じているのかもしれない。
彼女が自分の新しい機体の調達先にここを選んだ理由がよく分かった。
ここならば信頼出来る機体を用意して貰えると確信しているのだろう。
マーシャにもそれは分かったらしい。
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