シルバーブラスト

水月さなぎ
水月さなぎ

惑星ヴァレンツ 4

公開日時: 2021年8月19日(木) 06:17
文字数:3,687

「いっそ変態さんとして開き直るという手もあるですよ?」


「………………」




 ずびしっ!




「あうっ!?」


 少しばかり強めにチョップを食らわせた。


 とんでもないことを言うお子様にはこれぐらいのお仕置きが必要なのだ。


「何か言ったか?」


 少し低めの声でシオンに問いかける。


 怒っている、ということを少しはアピールしておかなければ、同じ事が繰り返されるだけだ。


 ついでにチョップの第二撃の準備もしておく。


「ご、ごめんなさいです……」


 痛む頭をさすりながら涙目で謝るシオン。


 冗談が通じないタイプをからかうと痛い目に遭うと彼女も学習したようだ。


 それでも懲りずにくっついてきているので、シオンの決意は本物だということだろう。


「じゃあそろそろ戻るか。俺もこれ以上荷物を持つのは限界だ」


 重量的にはまだいけるのだが、精神的にはそろそろ限界だった。


 ブドウみたいになっている持ち手の下の紙袋は、かなりギリギリの強度を保っていると思う。


 いつ破裂してもおかしくない。


 そうなる前にホテルへと戻っておいた方がいいだろう。


「はいです~。あ、でもちょっと待って欲しいです」


「……まだ何かあるのか」


「そこまでげんなりした顔をしなくてもいいのに~」


「この状況でよくそれを言えるな」


 全ての荷物を俺に持たせておいて、そんなことを言える神経はある意味で驚嘆に値する。


「えへへ~。オッドさんは頼りになるですよ」


「………………」


 褒められているのに嬉しくない。


 しかしシオンはお構いなしに店へと入っていく。


 どうやらウィンドウの外から何かを見つけたようだ。


 また荷物が増えるのか……とげんなりしそうになるが、一つぐらいならシオンに持って貰うというのもいいだろう。


 というよりも、本来は彼女の荷物なのだから、それが筋というものだ。


「……エプロン?」


 自分用の買い物かと思ったのだが、シオンが手に取ったのは大きめのエプロンだった。


 メンズ用のエプロンのようだが、描かれているのはデフォルメ化された猫だ。


 かなり可愛らしい猫だが、このプリントでメンズ用のサイズというのはある意味で酷だと思う。


「……まさか」


 嫌な予感が再び襲いかかってくる。


「えへへへ~」


 嬉々としてそのエプロンを持って俺の方に寄ってくるシオン。


 まさか……


 猫エプロンを俺に合わせてご機嫌に笑うシオン。


「やっぱり似合いそうですです~」


「……勘弁してくれ」


 つまり、このエプロンを俺に着させるつもりなのだ。


 猫だけではなく、猫の足跡もところどころにプリントされた、実に可愛らしいエプロンを。


「嫌ですか?」


「男には可愛すぎるだろう」


「オッドさんは可愛いのが似合うですよ」


「………………」


 全く嬉しくない。


 男としての何かを否定されたような気がする。


「じゃあちょっと買ってくるですです~」


「あ……」


 止める間もなくレジへと向かうシオン。


 すでに会計を済ませてプレゼント袋へと詰め込まれていた。


 そして戻ってくるシオン。


「今日一日付き合ってくれたお礼にプレゼントですです~」


「………………」


 プレゼント?


 嫌がらせではなく?


 これをつけて、俺に料理をしろと?


「嬉しくないですか?」


「う……」


 上目遣いで見上げてくるのは止めて欲しい。


 しかし三十路過ぎの男がデフォルメ猫エプロン。


 考えただけで凹みそうになる。


 しかしシオンはお構いなしに続ける。


「やっぱり料理人にはマイエプロンが必須なのですです♪」


「マイエプロン……」


 というか、いつから料理人という扱いになったのだろう。


 確かに料理は担当しているが、それは雑用の一環であり、本格的な料理人になった覚えは無いのだが。


 強いて言うなら胃袋管理人だろうか。


「これをつけて料理して欲しいですよ」


「うぅ……」


 上目遣いは卑怯だ。


 ここで拒絶すれば子供を虐めているような気分になってしまう。


 かなりいたたまれない。


「ど、どうして猫なんだ?」


 苦しまぎれにそんなことを訊いてみる。


「可愛かったので一目惚れしたのですです」


「………………」


 それだけの理由か。


 自分が可愛いと思うことと、俺に似合うかどうかは完全に別物なのだが、シオンはその辺りは気にしていないらしい。


 深く考えるのが馬鹿らしくなってきた。


 その無意味さを悟ったとも言う。


 もう、いろいろと諦めるしかないだろう。


「分かった。受け取っておく」


 あって困るものでもないし、シオンが俺の為に選んでくれたエプロンをこれ以上拒否するのも気が引ける。


 猫のエプロンという事実が少しばかり抵抗があるのだが、それもまあ、いずれは慣れるだろう。


 人間、諦めが肝心だ。


「えへへ~。早くオッドさんがそのエプロンを着けた姿を見てみたいですです~」


「………………」


 俺は見たくない。


 いい歳したおっさんが猫エプロン……。


 考えただけで凹みそうになる。


 こうして俺はシオンからのプレゼントとして、猫エプロン……もといマイエプロンをゲットすることになった。




 結局、自分の買い物は全く出来なかった。


 シオンが満足そうにしているのでまあいいかと考えてしまうあたり、俺も子供に甘いのかもしれない。


 あまり甘やかしすぎるのもよろしくないと思うのだが、子育ての経験など無いので、どこまでが最適なのか、その線引きが分からない。


 まあ、あまり深く考えなくてもシオンは素直ないい子なので、特に問題はないと思う。


「ただいまですです~」


 シオンは居間として利用している部屋に入った。


 一部屋一泊が恐ろしい値段の高級ホテルだが、マーシャは更に恐ろしいことに、共用スペースの部屋も一つ借りている。


 メンバー全員が自由に出入り出来る部屋として、それぞれの部屋の位置のちょうど真ん中あたりの場所に『居間』があるのだ。


 全部でいくらになるかなど、想像したくもない。


 しかしその程度でマーシャの懐は痛まないのだろう。


 この恐ろしい金銭感覚に巻き込まれる方はたまったものではないのだが、自分の懐が痛まないのなら、貴重な経験として楽しんでおくのがベストなのだろう。


 少なくともレヴィは既に開き直っている。


 適応性が高すぎるとは思うが、マーシャの恋人としてやっていくつもりなら、その程度のことで動じていたら身が保たない。


「あ、おかえり~。シオン。すごい荷物だね」


 俺が抱えている荷物を見て呆れたように苦笑するシャンティ。


「いっぱい欲しいものがあったですよ~」


「ふうん。僕は本を何冊か買ったぐらいかな」


「へえ~。いいのあったですか?」


「うん。ギリギリエロ系がいっぱいあった」


「後で見せて欲しいですです~」


「いいよ」


「………………」


 見るな、と言いたいところだが、ギリギリならまあ、許容範囲か?


 シャンティの悪影響をあまり受けさせたくはないのだが、そのあたりの教育を俺が担当するつもりはないし、なるようにしかならないだろう。


 それにいくら見るなと言ったところで、好奇心旺盛なシオンは見てしまうだろうし。


 止めても無駄なら、労力の無駄遣いはしない方がいい。


 マーシャもその辺りは気にしていないようだし、諦めるしかないだろう。


 はしゃぐ子供達に視線を移しながら、俺は小さくため息をついた。


 俺の手に持たせた荷物のことは忘れているみたいなので、勝手に部屋に届けておこう。




 シオンの部屋に買い物の荷物を全て置いてから、再び居間に戻る。


「うっわ~。すっげ~。こんなにエロエロな表現なのに、ギリギリで規制に引っかからないようにしてる。でもこれは下手な十八禁よりもずっとエロいよ。イデア先生ぐっじょぶっ!」


「はわわ~。エロいですね~。ギリギリエロの挑戦ですね~」


 戻ってきたらシャンティとシオンがギリギリエロ本を読みながらはしゃいでいた。


「………………」


 かなり酷い絵面だとは思うのだが、突っ込むと疲れそうなので堪えた。


 シャンティの奴も男の子なのでエロに興味があるのは理解出来るのだが、二次元ばかりに目が行くのはどうかと思う。


 隣に三次元の美少女がいるのだから、少しぐらいはそちらに目を向けてもいいのではないか。


 ……余計な心配だが。


 まあ、あの二人は友達としての関係が一番自然なのかもしれない。


「イデア先生凄いですね~。エロいですね~」


「でしょでしょ~? 規制表現の境界線に挑戦する作家の一人なんだよ~。いまはそういう作家も増えていて、かなり面白い作品がわんさかあるんだよね~」


「なるほど~」


「………………」


 問題作がわんさかある、の間違いじゃないのか?


 子供が悪ふざけの材料として使いそうで恐ろしい。


「あ、オッドさん。何かおやつないですか? お腹空いたですです」


「僕も何か欲しいな」


「………………」


 居間には冷蔵庫もあり、そこにはマーシャが手配した食材がたくさん入っている。


 俺に夕食も作れという主張なのかもしれないが、レストランがあるのだからそちらを利用すればいいのにと思わなくもない。


 冷蔵庫を開けると、買い置きのケーキが入っていたので、それを持っていってやることにした。


「オッドさんの手作りを期待していたのに~」


「まあいいんじゃない? ケーキだって美味しいよ。アネゴが買ってきたものだし」


「ですね~」


 読書を中断してケーキを食べ始める二人。


 俺も動いて空腹だったので、一緒に食べることにした。


 和んだり、疲れたり、なかなかに忙しい。





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