「マーシャ」
「ん……」
「俺はマーシャの本音が聞きたい」
「………………」
「今なら言えるんじゃないか?」
「………………」
強さの裏側に隠した弱さが表に出ている今なら、普段は自制していることでも言える。
レヴィはそう促している。
しかしそこで強いマーシャが少しだけ表に出てくる。
言ってはいけないことなのだと、自制している。
「言う権利……無い……」
「俺が認めているのに?」
「………………」
そんなことを言う権利は無いとマーシャは主張する。
しかしその権利はあるとレヴィが言う。
ならば、言ってもいいのだと、そう思える。
どれだけ筋違いなことでも、受け入れてくれる。
今ならば、言いたいことを言えるのだ。
そう思わせてくれた。
それでも銀色の瞳は戸惑う。
本当に言っていいのかどうか、迷う。
「全部吐き出しちまえよ。溜め込んでいる気持ち。俺はそれが聞きたい」
「どう……して……?」
「マーシャの本音が聞きたいから」
「私は……嘘なんか……ついていない……ぞ……」
「分かってる。マーシャはいつだって本当のことしか言わない」
嘘は吐かない。
いや、吐けないのだろう。
真っ直ぐすぎる性格故に、嘘を吐いてもすぐにバレてしまう。
ならば本当のことだけで挑むしかない。
いろいろなことをこなす器用さを持っている癖に、こういう部分では酷く不器用なのだ。
「それでも、言いたくても言えないことはあるだろう?」
「それは、言いたくないこと……だから……」
「俺はそれが聞きたい」
「どう……して……」
「どうしても」
「………………」
「私は、言いたくないのに……それを、暴くのは……趣味が……悪い……」
「そうだな。趣味は良くないな」
「じゃあ、諦めろ……」
「嫌だ♪」
「………………」
「じゃあ俺から少しぶちまけようか。そうすればマーシャの口も軽くなるだろう?」
「……?」
何をぶちまけられるのだろう、と首を傾げるマーシャ。
しかしレヴィがぶちまけてくれることなら、一言一句聞き逃さないと耳を立てる。
「俺も嫉妬ぐらいはするぞ」
「……?」
意味が分からないらしく、レヴィをじっと見る。
何に嫉妬しているんだ? と問いかけている。
「さっき、他の男と一緒に戻ってきただろう?」
「ミスター・ハーヴェイのことか?」
「そうそう。ドレス姿のマーシャと一緒に戻ってきたあの研究者。俺はそいつにちょっとだけ嫉妬したぞ」
「……なんで?」
ユイと会うことはレヴィにも言ってある。
あくまでも資金援助の話であり、男女の関係ではない。
それは分かりきっている筈だ。
嫉妬する理由などどこにもない。
だからレヴィが嫉妬する理由が分からなかった。
「もちろん分かってる。だけど理屈じゃない。そういう状況そのものが面白くない。マーシャのもふもふは俺のものだからな」
「……そこにもふもふは……いらない」
どうせなら『マーシャは俺のもの』だと言って欲しかった。
肝心なところで残念すぎる。
しかしそれがレヴィらしさでもある。
「わははは。まあそんな感じで、分かってはいても面白くないと思う程度には妬く訳だ」
「………………」
「だったら今回の件は誤解にしても、マーシャが妬くには十分な状況だろう?」
「………………」
「俺はそれが聞きたい」
「どう……して……?」
「どうしても」
「………………」
「誤解だって分かっていても、嫉妬ぐらいはするだろう? マーシャがそんな気持ちになったところで、俺は責めたりしないし、筋違いだって文句を言ったりもしない。だからたまにはぶちまけちまえよ。マーシャが嘘をつかないのは知っているけど、でも言わないことだって、我慢していることだって、山ほどあるだろう? 俺はマーシャにそんな我慢はして欲しくない」
「………………」
「マーシャ」
「うー……」
金色の瞳がじっと銀色を見つめる。
この色に見つめられると弱い。
本音を聞きたいと言うのなら、言ってしまいたくなる。
言ってもいいのだろうかという気持ちにさせられる。
大量に摂取したアルコールがいつもの理性を奪い取っていく。
だからこそ、本音が漏れた。
「もう一度会えた」
「うん」
「一緒に居てくれる」
「うん」
「それだけで満足するべきだって思ってる。それは本当なんだ」
「もっと求めてくれてもいいぐらいだぞ」
ここまで真っ直ぐに追いかけてくれたのだ。
だからこそもっと求めて欲しい。
それがレヴィの本音だった。
「でも、一緒に居るとどんどん欲張りになる。レヴィを独り占めしたくなる」
「すればいいじゃないか」
「出来ない……」
「なんで?」
それぐらい妬いてくれた方がレヴィとしても嬉しい。
そう思えることに自分で驚いた。
やはり、自分はマーシャに参っている。
過去の誓いが揺らぐほどに。
それを自覚していても、まだ踏み込めない。
「出来ない……よ。私とレヴィは仲間だけど、それだけだから」
「………………」
「私の気持ちは言ったけど、レヴィからは何も言って貰っていない。だから、私達の間には何の約束もない……。独り占めする資格も、嫉妬する資格も、今の私には……無いんだ……」
「………………」
マーシャはレヴィに好きだと言った。
身体も重ねた。
今だって恋人同士みたいに抱き合って、甘えている。
だけどそれはマーシャが望んだからであり、レヴィはそれに応じているだけなのかもしれないのだ。
少なくとも、マーシャはそう考えている。
レヴィもマーシャに好意を抱いているのかもしれないが、それでも決定的なところまでは踏み込まない。
他に想う相手がいるのかもしれないと考えたこともある。
望みに応えることは出来ても、気持ちには応えることが出来ない。
レヴィはマーシャに何も言わないから。
ただ、傍に居てくれるだけでいい。
一緒に居られるだけでいい。
マーシャはそう自分を納得させている。
いや、納得させようとしている。
それで十分だと納得しようとしていても、それだけじゃ嫌だという気持ちが表に出てくるのを止められない。
「………………」
マーシャはレヴィの着ているバスローブをぎゅっと握りしめる。
いつもからは考えられないぐらい、弱々しい声だった。
「でも時々、それがどうしようもなく寂しくなるんだ。レヴィを、自分のものにしたくなるんだ……」
「マーシャ……」
強くて、凜々しくて、飄々としていて、完全無欠の美女。
レヴィの目に映るマーシャはそういう存在だった。
それは彼女が乗り越えてきた過去を強さに変えてきた証であり、それこそが本来の強さだとレヴィは考えていた。
だが、それは間違いだった。
最初から強い人など、誰も居ない。
ただ、強く在ろうとしているだけ。
それは分かっているつもりだった。
しかし、本当の意味では分かっていなかった。
いや、分かろうともしなかった。
マーシャ自身の強がりがちょっとやそっとじゃ崩れないほどに完璧だったから、今まで気付くことが出来なかった。
マーシャ・インヴェルクは当たり前の弱さを持つ女の子であるということに、本当の意味で気付こうとしなかった。
このタイミングでなければ、聞くことは出来なかっただろう。
本音を聞けて嬉しかったかと問われれば、否と答えるしかない。
聞きたくなかった。
知りたくなかった。
出来ることなら、聞かされるのではなく、自分が気付いてやりたかった。
言われる前に、見抜いてやりたかった。
本音を求めておいて情けない限りだが、それがレヴィの本心だったのだ。
「……さっきの女の子のことだって、本当はもっと文句を言いたいし、詰りたい」
「まあ、それは受け入れる」
「後、殴りたい。蹴りたい」
「いや、暴力だけはマジで勘弁してくれ。俺、勝てないし」
「………………」
責められるのも詰られるのも構わないが、殴られるのと蹴られるのは遠慮したい。
嫉妬で理性を無くしたマーシャからそんな仕打ちを受けたら、病院送りになるのは確実だった。
エミリオンでそんなことになれば個体情報も採取されてしまうし、何処でレヴィアース・マルグレイトの情報と一致するか分からない。
それだけは勘弁して貰いたかった。
「レヴィの気持ちが知りたい」
「………………」
「言葉が欲しい。約束が欲しい。もっと、ちゃんとした絆を結びたいんだ」
「マーシャ……」
「でもそれは、私だけの願いだから……」
「………………」
「だから……言えない……」
すぅ……すぅ……と寝息を立てるマーシャ。
どうやら意識を保つのが限界だったらしい。
「やれやれ」
マーシャを抱いたまま盛大なため息を吐くレヴィ。
眠るマーシャの目元には涙の痕。
泣いた訳ではない。
ただ泣きそうな気持ちになっただけだろう。
「こりゃあ、どう考えても俺が悪いよなぁ……」
なんとなくあやふやにしていたことが、ここまでマーシャを苦しめているとは思わなかった。
そういうことを気にするタイプには見えなかった。
相手が自分をどう思っていようと関係ない。
自分が相手をどう思っているのかを重視する。
そういうタイプに見えていたのだ。
そしてそれは間違いという訳ではない。
マーシャがそう在りたいと願った自分自身がその姿なのだから。
望んだ自分を演じて、演じることすら忘れるぐらいに『自分』として刻みつけている性格でもある。
だけどその中にも確かに存在する弱さ。
そこから目を背けず、逃げ出さず、きちんと向き合って、自分自身で折り合いをつけようとしている。
だからいつも一人で苦しむのだ。
器用な癖に、どうしようもなく不器用な性格。
レヴィもマーシャを好ましく思っているし、好きだと確信している。
しかしそれは過去の誓いを破っていいほどの気持ちなのかと問われれば、躊躇いが生じてしまう。
再会してから日が浅いというのも、理由の一つだろう。
それでも放っておけないという気持ちだけは本物だった。
たった一人で苦しんでいるマーシャを少しでも安心させてやりたいと思ってしまうこの気持ち。
それは、過去の誓いと天秤にかけて、どちらに傾くのだろうかと自問する。
「うーん。いや、しかし……それとこれとは……うぐぅ……」
再び唸るレヴィ。
マーシャを安心させることは簡単だ。
好きだと言ってやればいい。
確かな約束をすればいい。
お互いに同じ気持ちを抱いて、絆を確かめさせてやれば、きっとマーシャは安心してくれる。
寂しい思いをさせなくて済む。
「あー……うー……」
レヴィは本当に困っていた。
本当に今更ではあるが、自分はそのあたり、かなり不器用であるらしい。
いい歳をして、今更気付かされた。
その事実にもショックを受ける。
来る者拒まずの生活を送ってきたレヴィは、もっと恋愛関係に対して器用な方だと思っていたのだ。
それが本気の相手を前にすると、とことんまで不器用になる。
自分自身に呆れてしまう。
マーシャに甘い言葉を囁く自分というものを想像してみた。
「………………困った。想像出来ん」
そして失敗した。
そもそも、他の女相手にも甘い言葉など囁いたことはないのだ。
そういうことが出来る性格ではないと自覚している。
しかし甘くなくても、それなりに誠実に接してきたつもりだ。
何よりも、レヴィはマーシャに対して踏み込めない致命的な理由がある。
それは、恐怖。
絆を失うことへの恐怖。
記憶に蘇るのは、護らなければならないと信じていた人たちの屍の中心に立つ自分の姿。
生き残ったのは偶然だった。
だけどあの時死んでいれば良かったと後悔する瞬間もある。
そうすればこんなに苦しまなくて済んだのに。
自分だけ生き残っていたら、とっくに耐えられなかっただろう。
オッドが生き残ってくれたからこそ、一人ではないと信じられたからこそ、その苦しみにも耐えられた。
そして今はシャンティがいる。
マーシャがいる。
シオンがいる。
オッドと二人生き残ってから、二度と仲間はいらないと思っていたのに、気がつけばこんなに沢山の仲間が傍に居てくれる。
きっと自分は変わったのだろう。
変わることが出来たのは、時間の所為だろうか。
それとも、傍に居てくれた人たちのお陰だろうか。
今の時間が楽しいと思うと同時に、怖いと感じる気持ちも本物だった。
それでも、恐怖だけでは前に進めない。
生きているのだから、前に進まなければならない。
「………………」
それでも、怖い。
意識的に踏み込もうとする度に、あの地獄が蘇る。
記憶の中で、容赦なく襲いかかってくる。
「………………はぁ」
情けない。
本当に情けなさ過ぎる。
マーシャは迷わず自分を目指してくれたのに、自分はこんなにも臆病だ。
いい歳をして女一人安心させてやることが出来ない自分の不甲斐なさを、心の底から呪いたくなる。
自分で自分を殴り倒したくなってくる。
「うー……」
意味不明な呟きばかりが漏れる。
視線を落とせば、涙の痕が残るあどけない寝顔。
言葉も、絆も、約束してやれない。
それでも、傍に居たいと願ってくれている。
そんな気持ちに応えられない自分は、正しいのだろうか。
「………………」
そんな筈はない。
これ以上泣かせたくない。
笑顔が見たい。
その気持ちは、あの恐怖よりも下回るものだろうか。
「それは、ないな」
過去は、捨てられない。
逃げることも出来ない。
だけど、それは現在《いま》から逃げることとは違う筈だ。
過去を理由にして現在《いま》から逃げるのは間違っている。
少なくとも、これ以上マーシャを泣かせたくないという気持ちは本物なのだ。
そして、マーシャに傍に居て欲しいという気持ちも、間違いなく本物だ。
「まあ、仕方ないかな……」
眠るマーシャの頭をそっと撫でる。
獣耳がぴくんと動いて、それでもそれがレヴィの手だと分かると安心したように口元が緩む。
世界で一番安心出来る場所だと思っているのかもしれない。
そんな気持ちを向けられて応えないのは、男として最低すぎる。
だからこそ、レヴィは決意する。
マーシャの願いを叶える為に、らしくないことをしてみようと決めたのだ。
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