「お嬢さん」
「え?」
「ちょっと外に出ようか。その格好だともう会場は歩き回れないだろう?」
「えっと……あなた、誰ですか?」
「ただの通りすがりだよ。ちょっと放っておけなくなったんでな」
レヴィは自分が着ていた上着を少女にかけてやる。
「その姿は目立つからな。まあこれも目立つけど、少しだけ我慢してくれ」
「あの……」
少女はまだ訳が分からないようだ。
いきなり知らない男に声を掛けられたのだから、当然の反応だとも思う。
しかしレヴィは構わなかった。
少女を促して会場を出る。
「いいから付いてこい。どのみちそのままじゃいられないだろう?」
「あ、はい……」
確かにその通りなので、大人しく付いてくる少女。
「確か最上階だったよな」
マーシャから預かったルームキーの番号を確認して、レヴィはエレベーターへと乗った。
パーティー会場も眺めのいい高層階だったので、部屋のある階まではすぐに到着した。
そしてカードキーに表示された部屋の前までやってくる。
そして戸を開けて中に入った。
「おお。すげー豪華だな」
流石は最上階フロアというべきか、中もかなり広くて豪華だった。
一泊の料金もかなり恐ろしい数字になりそうだ。
「どうした? 入って来いよ。そのままじゃ風邪を引くからな。シャワーでも浴びるといい」
「あ……あの……その……」
しかし入り口で少女は硬直している。
中に入ることも出来ない。
ただ真っ赤になっておろおろしている。
いきなり見知らぬ男の部屋に連れてこられて、シャワーを浴びろと言われているのだ。
誤解をしてしまうのも無理はなかった。
「あー……何か誤解しているような気もするが、手を出すつもりはないからな?」
「え?」
「俺は君の名前も知らないし。そんな相手にいきなり手を出すほど、俺は女の子に餓えているつもりはないんだ。そのままじゃ外も歩けないだろう? ここでシャワーでも浴びて落ちついて、それから着替えをすればいいんじゃないか? 必要なら俺が何か服を買ってきてやるけど」
「あの……どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「気紛れだ」
「き、気紛れ?」
「ああ。それ以上の理由はない」
「………………」
飄々としたレヴィの態度に何かを感じたのか、少女は恐る恐る部屋の中に入る。
見知らぬ男の部屋に入るのは気が引けたが、それでもレヴィからはそういう危うさを感じなかったのだ。
人懐っこいレヴィの笑みになんとなく惹かれたからなのかもしれない。
「あ、あの……」
「なんだ?」
「ありがとうございます」
「気にしなくていい。それよりも早くシャワーを浴びた方がいい。身体がべたべたして気持ち悪いだろう?」
「あ、はい」
一度気を許すと素直に中に入る少女。
レヴィは部屋の中を探ってシャワールームの場所を確認した。
「あった。ここだな。うわ。こっちもかなり広いな」
「あの……ご自分の部屋ではないのですか?」
「ここに泊まるのは初めてだからな。知らないことの方が多いんだ」
「そうなんですか」
「ああ」
「着替えはひとまずそこのバスローブを使ってくれ」
「分かりました。ありがとうございます」
「じゃあ俺は部屋の中にいるから、のんびりとシャワーを浴びてくれ」
「そうさせてもらいます」
少女はシャワー室へと移動した。
レヴィは部屋の中を探ってソファに座った。
冷蔵庫から持ってきた酒を開ける。
「やれやれ。マーシャに怒られるかな?」
一緒の部屋に泊まれることを喜んでいたマーシャの表情を思い出す。
しかし自分達が泊まる前に、レヴィが他の女の子を招き入れて、シャワーまで使わせているのだ。
後からマーシャが怒るのは当然なのかもしれない。
しかしあそこで見捨てるのも気分が悪い。
後でマーシャに説明して許して貰おう。
きっとマーシャなら許してくれる。
レヴィは気楽にそう考えていた。
「あの~。バスローブ、お借りしましたけど、本当にいいんでしょうか?」
「………………」
しかしシャワールームから出てきた少女の姿を見て、少しだけヤバいと思っってしまった。
下心など微塵も無いのだが、バスローブ姿の少女はなんとも……色っぽい。
整った容姿も相まって、かなりゾクゾクさせられてしまうのだった。
もちろん手を出すつもりなどないのだが、この状況でマーシャが戻ってきたら誤解されかねないということに、今更ながら気付いた。
「まあ、それは構わないけどな。ドレスはどうした? すぐに洗濯しないと汚れが落ちなくなって大変だろう」
「そ、そうですね。あの、ランドリーボックスをお借りしてもいいでしょうか?」
「ああ。遠慮無く使ってくれ。フロントには連絡しておく」
「ありがとうございます」
少女はいそいそと浴室に戻り、ランドリーボックスを抱えてきた。
宿泊客がホテル側に洗濯を頼む為のもので、宿泊料金の内に含まれている。
専門のクリーニングスタッフが担当してくれるので、ドレスのような特殊な服を任せても大丈夫だろう。
レヴィはフロントに連絡して入り口に置いてあるランドリーボックスを取りに来て貰う。
そしてようやく一息吐いた。
少女に対して酒を出すのも気が引けたので、レヴィはジュースを用意した。
「グレープフルーツジュースでも大丈夫か?」
「あ、はい。いただきます」
喉が渇いていたらしい少女は嬉しそうにジュースを受け取る。
ごくごくと喉に流し込んでいき、ほっと一息吐いた。
「はふぅ。ありがとうございます」
「どういたしまして。とりあえず、連絡を取る相手はいるか? ああいう場所に来ていたのなら、一人ということはないと思うんだが」
「あ、はい。父に呼ばれて来ていました」
「なるほど。ああいう場所は初めてか」
「はい。どうして分かるんですか?」
「見ていれば分かる。慣れていないのが丸分かりだ」
「……あう。すみません」
「別に俺に謝る必要は無いけどな。お父さんが呼んだということは、ああいう場所に慣れておく必要があるお嬢さんってことでいいのかな?」
「父はそう言っていますけど……。正直、私はああいう場は苦手なんです」
「だろうな。まあ、無理はしなくていいと思うぞ。嫌なら嫌と、お父さんにそう言えばいい」
「そうですね。今度、言ってみます」
「それがいい。じゃあお父さんに連絡を取れば君を引き取りに来て貰えるってことかな?」
「はい。心配しているでしょうし、すぐに連絡を取ります」
「それがいいな」
レヴィとしてもこの少女に長居されるのはありがたくない。
少女には何の非もないことだが、戻ってきた時にバスローブ姿の少女が部屋に居たという事実はあまり面白くないだろう。
出来ればマーシャが戻る前にお引き取り願いたい。
「ああ、そういえばまだ名前も聞いてなかったな。俺はレヴィン・テスタール。そちらの名前も教えて貰っていいかな? お嬢さん」
「あ、すみません。名乗るのを忘れていました。私はティアベル・ハイドアウロといいます」
「……ハイドアウロ?」
その名前は聞き覚えがある。
もちろん、ティアベルとは初対面だ。
しかし『ハイドアウロ』は聞き覚えがあるのだ。
このエミリオンで、しかも上流階級で、ハイドアウロという名前。
偶然だと思いたいが、こういう嫌な予感はまず外れない。
レヴィは恐る恐る問いかける。
「あのさ、もしかして、お父さんの名前はギルバート?」
「父を知っているんですか?」
「………………」
やっぱりか……と頭を抱えるレヴィ。
不味いことになってきた……と盛大なため息まで吐き出す。
「なら君はギルバート・ハイドアウロ少将の娘さん?」
「そうですけど、父は去年に中将に出世しました」
「そうか」
やはり間違いないらしい。
しかもいつの間にか出世していたらしい。
ギルバート・ハイドアウロ。
直接の面識は無いのだが、エミリオン連合軍の重鎮でもある。
元々は戦闘機部隊の指揮官らしいので、レヴィのことも知っているだろう。
顔を合わせることになるのはありがたくない。
髪の色も瞳の色も変えているし、眼鏡も掛けている。
しかし顔立ちは変わっていないので、見る者が見ればレヴィアース・マルグレイトとの相似に気付いてしまうかもしれない。
出来れば顔を合わせたくない。
しかしバスローブ姿のティアベルを外に放り出すことも論外だった。
「やれやれ。仕方ないな」
顔を合わせることは諦めよう。
ただし、なるべくバレないように振る舞わなければならない。
書類上は死んでいるし、個体情報を一致させることも不可能になっている筈だが、それでも軍関係者とはあまり関わりたくないというのが本音だった。
「あの、レヴィンさん? 父がどうかしたんですか?」
「あ、いや。軍人は苦手でね。ちょっと気が重くなっただけだ」
「え? でもレヴィンさんも軍人じゃないんですか?」
「……どうしてそう思う?」
「間違っていたらごめんなさい。でも、身体を見れば鍛えているのは分かりますし、それに、雰囲気がそれっぽかったので」
「………………」
軍人の家で育てられただけあって、そういう眼力は侮れないということだろうか。
しかしレヴィは苦笑しながら否定した。
「いや、俺は軍人じゃないよ。宇宙生活者ではあるけどな」
「そうなんですか?」
「ああ。個人の船に雇われている」
「じゃあ船乗りなんですか?」
「正確には戦闘機乗りだな。仕事は雇い主の護衛」
「戦闘機に乗るんですね」
「まあな。それよりも早くお父さんに連絡をした方がいいんじゃないか? 心配していると思うぞ」
「あ、そうですね」
ティアベルはすぐに携帯端末を取り出してから連絡を取る。
「あ、お父様? ティアベルです。すみません、途中で退出してしまって。ちょっとアクシデントに見舞われてしまいまして。はい。飲み物がドレスに付着してしまいまして。今は助けてくれた人のお部屋に居ますので、着替えを届けて貰えませんか? このままだと外には出られないので。え? いいえ、シャワーをお借りしただけですよ。バスローブ姿なので外には出られないだけで……って、お父様っ!? ち、違いますよっ!? って、お父様っ!? ちょっとっ!?」
慌てて説明をしようとするティアベルだが、通話は切れてしまったらしい。
「ど、どうしよう……」
「……あまり聞きたくはないんだが、どうしたんだ?」
嫌な予感がする。
可能ならば今すぐにでも逃げ出したい。
しかしここはマーシャが取った部屋であり、逃げ出すことは許されない。
ティアベルを一人置いて出るのも論外だ。
もちろん、放り出すことも論外。
「その、男性の部屋でシャワーを借りてバスローブ姿でいると言ったら、誤解されてしまったようで……」
「……それはティアベル嬢の説明に問題があると思うんだが」
「すみません……」
げんなりするレヴィを見てひたすら縮こまるティアベル。
つまり、もうすぐここにやってくるのは娘に手を出したことに対して怒り狂う父親だということだ。
そんなものとは間違っても対面したくない。
しかし誤解だということを理解して貰わなければ話が進まない。
「とりあえず、お父さんを抑える役は任せていいかな? 俺は君に手を出すつもりはないし」
「も、もちろんです。その、ご迷惑をおかけします」
「まあ、仕方ないな。それにしてもハイドアウロ少将……じゃなくて中将がそこまで娘さんを溺愛しているとは思わなかったな」
「その、一人娘なので、どうしても……」
「そうなのか」
「それにしても、軍人ではないのなら、どうして父のことを知っているんですか?」
「あのクラスになれば軍人じゃなくても知る機会はあるだろう」
「そういうものですか?」
「そういうものだよ」
元軍人だから知っているとは言えないので、適当に誤魔化しておく。
そんな会話をしている間に、部屋の呼び出し音が鳴った。
どうやら到着したようだ。
怒り狂う父親と対面することは恐ろしいが、だからといって出ない訳にもいかない。
レヴィはやれやれとため息をつきながらも立ち上がる。
そしてドアを開けると予想通りに怒り狂った父親の姿があった。
「ぐっ!?」
いきなり胸ぐらを掴まれるレヴィ。
現場を離れたとは言え、れっきとした軍人の力なので、かなり苦しい。
「貴様よくも娘を傷物にしてくれたなっ!?」
「ぐ……う……っ!!」
じたばたともがくレヴィ。
誤解だと訴えたかったのだが、締め上げられすぎて声を出すことすら封じられてしまっている。
「お、お父様止めて下さいっ! それは誤解なんですっ! この人は私を助けてくれたんですっ!」
慌てて止めに入るティアベルだが、父親の耳には届いていない。
背後にはギルバートの付き添いの男も二人ほどいたが、止められずに困っていた。
怒り狂う父親を止められる人間は誰も居ない。
「う……」
レヴィとしては掴みかかってまで止めるぐらいのことはしてもらいたいと思ったのだが、如何にも大人しそうなティアベルにそれを求めるのは酷なのかもしれない。
「うぐ……」
そろそろ締め上げられすぎて気絶してしまいそうだった。
本気で抵抗すればなんとかなったかもしれないが、そうなるとレヴィも手加減出来なくなる。
手加減出来なくなるということは、エミリオン連合軍で仕込まれた軍人としての動きを見られるということで、それはありがたくない。
気絶覚悟で締め上げられ続けるしかないのだった。
まったく、人助けをして締め上げられるなど、報われないにもほどがある。
しかしそれは真っ黒な暴風によって中断された。
「あ」
「え?」
思わず声を漏らすレヴィと、きょとんとなってしまうティアベル。
「人の連れに何をしているっ!」
「っ!?」
気がついたらギルバートの方が思いっきり殴られていた。
華奢な女性の拳に殴られたギルバートは思いっきり吹っ飛ばされてしまう。
そして倒れたギルバートの前に仁王立ちしていたのは、怒れる猛獣マーシャちゃんだった。
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