「まったくもう……」
この状況でも駄犬っぷりがブレないタツミに、がっくりと肩を落とすランカ。
感謝しているし、褒めてあげたい気持ちもあるのだが、本人がそれを悉く台無しにしてくれるのだから困りものだ。
それでもランカは嬉しかった。
絶体絶命のピンチから自分を救ってくれた事。
そして地上の人間を救ってくれた事。
何よりも、タツミ自身が無事で居てくれた事が嬉しかった。
これでようやく今回の事件に終わりが見えてきたかと思うと、少しぐらい気を抜いてしまっても構わないだろうという気持ちになる。
まだ全てが終わった訳ではないけれど、ほんの少しだけ嬉しいと思って笑う事ぐらいは許されるだろう。
『お嬢~。黙ってないでちゃんと言ってくれよ~。キスさせてくれよ~』
「う、うるさいわねっ! 誰もそんな約束はしてないでしょうっ!!」
『そんなぁ~……』
しょんぼりした声がより一層ランカを脱力させる。
これはキスではなく、パンチの一発でも食らわせた方がいい薬になるだろう。
もちろん感謝はしているけれど。
大好きだという気持ちもあるけれど。
それでもタツミを調子に乗せることだけはしてはならない、という危機感がランカの中にはある。
彼に主導権を握らせてしまったら、後は振り回されるだけ、好き放題にされてしまうだけになってしまう、という予感があるのだ。
主として犬に主導権を握られるのは遠慮したい。
主導権は絶対にこっちが握る、とランカは決めている。
「………………」
それでも、頬がにやけるのだけは止められない。
やはり嬉しいのだ。
キスぐらいはさせてあげてもいいと思うぐらい、嬉しいのだ。
だけどそんなことを口にすれば調子に乗ってしまうので、必死に自制しておく。
「くっ……」
その様子を少し離れた位置から見ていたのは、ランカに倒されて拘束されているヴィンセントだった。
彼は今までの人生で一番の屈辱に苛まれている。
全てが思い通りになっていたのだ。
ランカの事以外、全てが自分の望む通りに進めて来られた。
欲しいものは手に入れてきたし、手に入らない場合も奪い取ってきた。
ランカのことは手強い相手として認識していたが、それでも今回は万全の準備を整えてやってきた筈なのだ。
それを檻から出てきたばかりの駄犬に邪魔をされた。
八年間も離ればなれになっていた癖に、彼女から最も信頼されている。
そして最も深い愛情を注がれている。
それはランカの表情を見れば分かることだった。
それは自分が手に入れるべきもので、あの笑顔も、あの愛情も、自分だけに向けられるべきものなのだ。
全てを思い通りに支配してきたヴィンセントは、疑うことなくそう思い込んでいた。
欲しいものがこの手からすり抜けていく。
絶対に手に入らないと思い知らされる。
それどころか、最も忌々しい奴にかっ攫われていく。
そんな事を我慢出来るほど、ヴィンセントのおつむは成熟していなかった。
「ふざけ……やがって……」
拘束された身体の、それでも動く部分を何とか駆使して、ポケットの中からあるものを取り出す。
本当なら、こんなものを使うつもりはなかった。
使ってしまえば、いくら軍や警察に影響力を持っているラリーであっても無事では済まないと分かっているからだ。
万が一に備えた脅しのつもりで用意した物だ。
この状況でそれを脅しに使えば、ランカは自分を見逃してくれるだろう。
保身を考えるならそうするべきなのだ。
しかし怒りで我を忘れていたヴィンセントは、後先などどうでも良くなっていた。
保身すらも二の次だ。
これでラリーが、エリオットが、そして自分がどんな状況に追い込まれてしまうかなど、敢えて考えないようにしていた。
「あいつさえ……死ねばいいんだ……」
呪うような声は、ぞっとするほどの殺意に満ちていた。
「ヴィンセント?」
その様子に気付いたランカがハッと振り返る。
しかしもう遅い。
ヴィンセントは左手に持ったスイッチを勢いよく押した。
「っ!?」
それが何のスイッチなのか、ランカは何も知らない。
だけど取り返しのつかない何かが起きてしまったのだという事だけは理解した。
「何をしたのっ!?」
ヴィンセントに駆け寄ったランカがその胸ぐらを掴み上げる。
倒れたままのヴィンセントは持ち上げられたまま、奇妙な笑い声で肩を震わせる。
「くひ……くひひひひ……ひゃはははははははっ!! 僕を馬鹿にするからこんなことになるんだっ! 最初から君が僕のものになっていれば、あいつは死なずに済んだのになっ!」
「何ですってっ!?」
ごろん、と手に持っていたスイッチのある装置を落とすと、ご丁寧に説明を開始してくれる。
「くひひひっ! いいことを教えてあげよう、ランカ。これは自爆システムのスイッチだよ」
「っ!?」
「どこの? とは訊くなよ? もちろんあの迎撃衛星の自爆システムさっ! 後数分で爆発するっ!」
「ーーっ!!」
ランカは通信機で再びタツミへと連絡を取る。
「タツミ!! 今すぐ逃げなさいっ! ヴィンセントが自爆システムを作動させたわっ! すぐに爆発してしまうっ!!」
『なっ!? 普通そこまでやるかっ!?』
「いいから早く逃げてーっ!!」
流石のタツミも驚いていたが、今はそれどころではないと分かってくれたようだ。
『分かったっ! すぐに脱出するっ!』
タツミはすぐに発着場へと走った。
けたたましい足音が通信機越しに届く。
「くひゃやひゃひゃっ! 無駄無駄っ! 万が一の為に発着場にも爆弾を仕掛けておいたからねっ! もちろん自爆システムと連動しているから、一緒に起爆スイッチが入ったよっ! 脱出口を見事に封じてやったんだっ! あの駄犬には爆死以外の選択肢は残されていないのさっ! けひゃひゃひゃひゃひゃっ!!」
「なっ!?」
『マジかっ!?』
この瞬間、発着場へと向かっていたタツミは慌てて踵を返した。
このまま向かえば爆発に巻き込まれる。
しかし他の出口が分からない。
それでも今は爆発から逃れることが第一だった。
「全部君の所為だよ、ランカ。君の愚かな選択があの駄犬を死なせるんだっ! ひゃひゃ……ひゃはははははははっ!!」
「ーーっ!!」
それ以上ヴィンセントの声を聞きたくなくて、ランカはそのまま彼の首を絞める。
「ぐひゃ……ぐぐぐ……この……ぼぐを……ごろずぎが……?」
「うぅ……うぅぅぅううううううっ!!」
ランカの瞳からはぼろぼろと涙がこぼれていた。
折角取り戻したタツミが、こんなにも早く失われるとは思わなかった。
もう一度この手の中に戻ってきて欲しいのに、それが叶わないと告げられてしまった。
それが悲しくて、苦しくて、その原因を作ったヴィンセントの事がこの上なく憎かった。
「ぐ……ぐひびび……」
ヴィンセントの顔が真っ青になっていく。
もう少しだけ絞め続ければ彼は死ぬだろう。
ランカがこの手で殺すのだ。
許せない。
絶対に殺してやる。
その憎悪だけが、ランカの手を動かしていた。
『お嬢っ!!』
「っ!」
それを止めたのはタツミの声だった。
見えなくとも、ランカが何をしているのか、直感的に悟ったのだ。
『お嬢。そいつを殺すな』
今も走って出口を探しているタツミは、目の前の事よりもランカを心配していた。
「どうしてっ!? こいつの所為で、タツミが……タツミが……」
『いいか、お嬢。自分や仲間、大事な人たちを護る為に誰かを殺すことを止めるつもりは無い。俺達が立っているのは、そういう残酷な場所だ。むしろ躊躇えば命取りだし、余計な犠牲が出る。だけどな、だからこそ、俺達は憎しみで人を殺したら駄目なんだ。それをやったら、もう二度と戻れない場所に堕ちてしまう。俺の言いたいこと、分かるよな?』
「……分かる……けど」
「でも……タツミが……」
それでもランカはヴィンセントを許せない。
八年前、タツミがランカを殺そうとした人間を許さなかったように。
彼が憎悪によって周りの人間を一人残らず殺したにもかかわらず、それでもまだ取り返しの付かない場所に堕ちていないのは、そこにはランカを護るという揺るぎない意志があるからだろう。
だけどランカの行動は違う。
ヴィンセントを殺したところで、タツミを護ることは出来ないのだ。
そんなことをしても、何も変わらない。
ただ、ランカの気がほんの僅かに晴れるだけだ。
そんなことの為に手を汚すべきではない、とタツミは言っているのだ。
堕ちなかったタツミの言葉だからこそ、ランカの心にも届く。
『もう一度言うぞ、お嬢。俺を信じろ』
「………………」
『必ず戻る。だからその時、血まみれの手で俺を迎えないでくれ』
「本当に……信じていいの……? 出口も塞がれているのに……本当に、生きて帰ってきてくれる……?」
『約束する。少なくとも、どんな状況でも諦めない』
「分かった。待ってる。待ってるから……」
『おう』
ランカは涙を拭って通信機を切った。
繋がったままだと、どうしても声を聴きたくなってしまう。
だけどそれでは脱出に全力を振り絞っているタツミの邪魔をしてしまう。
今は僅かな可能性に賭けるしかない。
ランカはタツミを信じることにした。
「戻ってきて。お願いだから。そうしたら、今度こそ言うから……」
気絶したヴィンセントを放り出して、ランカは宇宙港に向かった。
タツミが戻ってきた時、一番に出迎える為に。
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