最初はもちろん基礎からだ。
といってもただ説明するだけでは味気ないので、簡単なものを実践で作ることにした。
「卵焼きから作ってみようか」
おにぎりから……というのは流石にあんまりだと思ったので、卵焼きからチャレンジしてもらうことにした。
あれは簡単なように見えて、基礎に必要なことがかなり詰まっているメニューだったりする。
「まずはお手本を見せてくれ」
「そうだな。ではまずは俺がやってみるから、よく見ていてくれ」
卵焼きぐらいなら簡単に作れそうなものだが、マーシャにはそれすらも分からないのかもしれない。
肉切り包丁しか握ったことがないのなら、それも当然だし、そんな物騒な状態からは一刻も早く脱却させてやりたいという気持ちになる。
せめてナイフなら慣れている、という台詞なら戦闘職人っぽくて感心も出来るのだが、肉切り包丁は少しばかり血生臭すぎる。
こういうものは百聞は一見にしかずという言葉通り、見て覚えるのが一番効果的な方法だ。
俺はマーシャの希望通り、卵焼きを作り始めた。
卵をボウルに溶いてから調味料を加え、油を落とした卵焼き器に流し込む。
そのままくるくると卵を巻いていくのを見て、マーシャは興味深そうにこちらを覗き込んでくる。
あっという間に綺麗な焦げ目の付いた卵焼きが出来上がり、皿に載せられる。
そして包丁で六等分に切り分けた。
ほかほかとした湯気と共にいい匂いが鼻腔をくすぐる。
マーシャの尻尾がぱたぱたと揺れている。
食欲をそそられたのだろう。
「食べてもいいか?」
「どうぞ」
まるで餌付けだな、と思いながらも、卵焼きをマーシャに差し出した。
「いただきます」
マーシャは卵焼きを手で摘まんで、そのまま口に放りこんだ。
「うん。美味しいっ!」
尻尾が更にぱたぱた揺れているので、本当に美味しいと思ってくれているのが分かる。
こういう感情表現が素直な部分が亜人のいいところだと思う。
人間だったらお世辞かもしれないと疑うところから始まることもあるし、お世辞を前提としていると決めつけることもある。
そんな尻尾の動きを見ていると、つい触りたくなってしまうがもちろん我慢する。
レヴィと同じもふもふ狂いになるつもりはない。
多少、うずうずしてしまう程度だ。
卵焼きを二人で半分ずつ食べてから、今度はマーシャが挑戦することになった。
「よしっ!」
マーシャは戦場に立つような緊張感で事に臨んだ。
そこまで緊張する必要はないと思ったのだが、マーシャにとっては大事な問題なので好きにさせておいた。
卵をボウルに溶いて調味料を入れ、温めた卵焼き器に油を落とし、そのまま流し込む。
温度に気をつけながら、おっかなびっくりながらも、丁寧にくるくると卵を巻いていく。
流石にマーシャは器用だった。
一度見ただけで、俺と遜色ないものを作ってしまった。
無惨なことにはならないだろうと思っていたが、この飲み込みの速さにはかなりの驚きがある。
これも亜人の天才性というやつだろうか。
それともマーシャの天才性なのか。
レヴィへの愛情ということにしておくのが、一番説得力がある気がする。
焦げ目を綺麗に付けることは出来なかったようだが、そこは慣れていくしかないだろう。
俺が焼いた分は焦げ目もかなり綺麗に付いていたが、マーシャの焼いた分は多少の偏りがある。
しかし味はそれほど変わらないだろう。
食べてみると、普通に美味しかった。
「初めて作ったにしては上出来だ」
「うん。でもオッドの方が美味しい」
自分が作った卵焼きを食べながら、マーシャが不満そうに言う。
気持ちは分かるが、一日で追い抜かれたら俺の方が立ち直れない。
「それは仕方がない。経験の差があるからな」
「そうだな。仕方ないか」
納得出来ることなので、マーシャもそれ以上悔しがったりはしない。
「やっぱりオッドは料理上手だなぁ」
「俺のは慣れているだけだ。マーシャも本格的に学べばすぐにこれぐらいは出来るようになる」
「うん。そうだといいな」
マーシャは前向きな笑顔で頷く。
これならば本当にあっという間に成長してくれるだろう。
それから基本となる野菜の切り方、各材料の下準備のやり方、出汁の取り方、ご飯の炊き方、計量のコツなどを教えていく。
これらの基本を押させることで、出来る料理の幅が広がっていくからだ。
もちろん最初の一品を作るのにそこまで仕込む必要は無いのだが、俺の予想を越えてマーシャの物覚えが良かったので、そこまでの手間ではなかったのだ。
「なるほど。料理とは手間の塊だな」
そして一通りの基本を覚えたマーシャは難しい表情で唸る。
いつも手軽に食べているものがここまで手をかけられているものだとは、考えもしなかったらしい。
「手間を掛けた方が美味しく出来ることは確かだからな。俺も作る時はなるべく手抜きをしないようにしている」
「うん。オッドの料理はいつも美味しい」
美味しいという言葉は何度言われても嬉しいものだった。
食べてくれる人の喜びと笑顔が、料理人にとってのモチベーションでもある。
「なら次はレヴィの好物に挑戦してみようか。まずは俺が作ってみせるから、マーシャはそれを見ておくといい」
「うん。分かった。ガン見しておく」
「……出来れば普通に見てくれ」
ガン見は少し困る。
「ガン見した方が覚えられるような気がするんだが」
「見られている方はかなり居心地が悪いぞ、それは」
「我慢出来ないか?」
「どうしてもというのなら、努力はするが」
マーシャの言うことにも一理あるような気がするので、ガン見するなとも言えなかった。
ガン見するということは、それだけ集中して見ているということでもあるのだから、その方が覚えられるような気がするという言葉は恐らく正しい。
これから作るのは俺がピリ辛チキン丼と呼んでいる物だ。
鳥のもも肉を唐揚げにして、オリジナルソースを掛けた物で、レヴィはこれを好んで食べている。
「まずはもも肉に下味を付ける」
「うんうん」
マーシャは宣言通り、ガン見をしている。
その間にも尻尾はぶんぶん揺れている。
ワクワクしているのかもしれない。
その動きがつい気になってしまうが、敢えて意識から逸らしておいた。
触りたい……とは少ししか考えていない。
「下味を馴染ませている間にソースを作る」
「うんうん」
ニンニクと赤唐辛子をみじん切りにして混ぜていく。
熱したフライパンにそれらを投入してから、各種調味料とバターを加えていく。
「あ、いい匂いだ」
辛みとバター、そしてニンニクの香ばしい匂いがしてくる。
マーシャが嬉しそうに鼻をひくひくさせている。
そうしているとまるで犬みたいだ……と思ったがもちろん口には出さない。
まだ殺されたくはない。
殺されることは免れても、半殺しぐらいにはされそうな気がする。
ソースが出来上がったところで、今度は肉を揚げる準備をした。
下味を付けたもも肉に衣を付けて、熱した油に入れる。
じゅわっと音を立てて鶏肉が油の中に入る。
五分ぐらい上げると、きつね色に変化した。
鶏肉を取り出して、六等分に切り分ける。
上げている間にどんぶりに入れていたご飯の上に肉を載せる。
そして保温状態にしておいたピリ辛ソースを上からかけた。
これで完成だ。
「食べるか?」
出来立てのピリ辛チキン丼を目の前に出されて、マーシャは嬉しそうに頷く。
箸を受け取って、そのまま勢いよく食べ始めた。
「美味しいっ! すごく美味しいっ! 今まで夕食のメニューに出てこなかったことを恨みたくなるぐらいに美味しいぞっ!」
どうして出してくれなかったのかと文句を言うマーシャだが、こればかりは仕方無い。
「仕方がないだろう。食卓には全員が食べられるものを出す必要があったからな。あまり辛すぎるとシオンとシャンティが食べられない」
「あ、そうか。確かにこの辛さは子供にはきついかもしれないな」
「シャンティは辛いものが苦手だからな。シオンはどうか知らないが」
「うーん。どうだろう。特に好き嫌いがある訳ではないと思うぞ。詳しく調べたこともないけど。おいおい理解出来るんじゃないか? でもオッドが作ったものなら何でも喜んで食べると思うぞ」
「………………」
その言葉に何らかの含みを感じ取ってしまって、つい黙り込む。
マーシャはそんな俺をちらりと見たが、すぐに食べる方へと集中した。
食べ終わってから俺に向き直ったマーシャは、真っ直ぐな視線で俺を見る。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!