ギルバート・ハイドアウロ中将。
エミリオン連合軍の重鎮であり、かつて故郷で兵役中だったレヴィを、任期が終了する前に強制的に軍へとスカウトした人間でもある。
レヴィの運命を大きく変えた相手だが、誰よりもレヴィの才能を認めている人でもある。
そして偶然ではあるが、死んだ筈のレヴィが生きていることを知っており、愛娘であるティアベル・ハイドアウロとの出会いを通じて繋がった関係を維持しようとしている。
連絡先を知りたいと言われたので教えてやったのだが、まさか本当に連絡してくるとは思わなかった。
マーシャにはかなり酷い目に遭わされており、その恐怖を押し切ってまで連絡をする度胸があるとは思わなかったのだ。
「出るぞ」
「………………」
今度は頬を膨らませた。
ぷくっと膨れた頬を見るとつついてみたくなるのだが、そんなことをすれば指を噛み千切られそうなので自制した。
そしてマーシャに背を向けたまま通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「………………」
せっかく背を向けたのに、マーシャはレヴィの肩に顎を乗せてきた。
背中から抱きつかれている形になるのだが、会話を聞き逃すまいと耳をそばだてられているので、嬉しさよりも恐怖の方が上回っている。
『久しぶりだな、レヴィアース』
「……その名前で呼ばないで下さい」
『ではレヴィン・テスタールでいいか?』
「それでお願いします。それで、何かご用ですか?」
『もちろん、用があるから連絡した。今はイシュタリカに居るんだろう?』
「よく知っていますね」
『実は私達も同じ場所にいる』
「え?」
『軍事訓練だ。この付近には訓練に適した小惑星帯があるからな。知っているか?』
「知りませんって。現役時代にはこの辺りに来た事なんて無いですし」
『そうか。とにかくこちらは二個中隊をイシュタリカに駐屯させている。これから一週間、みっちりと訓練をするつもりだ』
「へえ。それはご苦労様です」
『そこで相談なんだが』
「?」
『臨時教官をやるつもりはないか?』
「………………」
『任務をこなしてくれと言うつもりはないし、そんなことを引き受けてくれるとも思っていない。だが次世代の操縦者を育てる為に手を貸して欲しいという願いならば、君も優れた操縦者として引き受けてくれるかもしれないと思った』
「教官ですか。あまりガラじゃないんですけどね。というよりも、俺の正体をどうやって隠すつもりです? まさか素顔のまま生徒の前に出すつもりじゃないでしょうね? もしもそうだというのならお断りですよ」
『もちろんそこは配慮する。君には変装をして貰うつもりだ。身分はフリーの運び屋で、海賊退治にも実績のある戦闘機乗り、ということにするつもりだが、どうだろう?』
「……今回の生徒の中に『星暴風《スターウィンド》』の事を知っている奴はどれぐらいいますか?」
『本気で訊いているのか? 新米の戦闘機操縦者にとって、『星暴風《スターウィンド》』レヴィアース・マルグレイト少佐は英雄も同然だぞ。今でも訓練校の語り草になっているぐらいだ』
「いやだああああーっ!! そんな中に変装しただけで姿を晒すなんて冗談じゃないですよっ!!」
自分を英雄視する新米操縦者の中に堂々と姿を現して、別人として接しながら自分への憧れを口にされるなんて、考えただけで恥ずかしすぎる。
そんな状況で「へえ。『星暴風《スターウィンド》』って凄いみたいだな」などと、しれっとした顔で言えるほど、レヴィは自分大好きな性格ではないのだ。
戦闘機操縦者としての腕前は一流以上だと自負しているが、だからといってそれを人様に自慢して回りたいなどとは、これっぽっちも考えていない。
『いや、それは大丈夫だ。語り草になっているだけで、訓練中に堂々と口にしたりはしないだろう。どうだ? 引き受けてくれないか?』
「うぅぅ……」
レヴィも新人育成の重要性は理解している。
誰かを殺すような物騒な任務はお断りだが、こういう依頼ならば出来るだけ引き受けたいとは思う。
軍人時代にも何度か戦技教導を引き受けたことはあるが、あれは結構楽しかったのだ。
自分が教えた事を生徒が吸収してくれて、更には教える前よりも確実に成長してくれているのを目にすることが出来る。
それはレヴィにとっての歓びだった。
自分の一部を誰かに受け継いで貰えるような、弟子の中に自分の証を残していけるような、そんな気持ちになるのだ。
物騒な任務を続ける職業軍人ではなく、純粋な教官として軍に在籍し続けていたのなら、レヴィはもう少し前向きに働けていたのかもしれない。
そうすればあんな悲劇に巻き込まれて社会的に殺されるようなこともなく、今も教官としてそれなりに平和な軍人生活を送っていたのかもしれないと一瞬だけ考えるが、そうなると今の生活も無くなってしまう。
マーシャと出会わず、トリスと出会わず、シャンティやシオンとも出会わず、この楽しい旅を続けることもなく、もふもふも出来ない。
それを考えると身震いしてしまう。
冗談ではない。
もふもふが出来ない生活なんて、今のレヴィにとってはあり得ない。
教官なんてどうでもいい。
一度殺されたとしても、もふもふがある今の生活の方が遙かに大切だ。
レヴィは改めて今の状況に感謝していた。
しかし一時的な教官、つまり臨時の仕事ということならば、少しばかり興味がある。
引き受けてみたいという気持ちにはなっている。
「少し待って下さい。マーシャに訊いてみるんで」
『……相変わらず尻に敷かれているのか』
呆れたようなギルバートの声。
しかしレヴィは堂々としていた。
「尻ではなくもふもふに敷かれて……痛えっ!!」
途中でマーシャに殴られた。
ごいん、という鈍い音が電話越しにも聞こえて、ギルバートが同情のため息を吐くのだった。
通話を保留モードにしてから、レヴィは恐る恐るマーシャを見る。
「ど、どうだろう? 引き受けてもいいか?」
「むー……」
ぷくっと膨れているマーシャはちょっぴり不機嫌そうだ。
レヴィの教官仕事が不満なのではなく、ギルバートの仕事を引き受けるのが嫌なのだろう。
「やりたいのか?」
「まあ、ちょっとはやってみたい。教官は久しぶりだからな。新人を育てるのって結構楽しいんだ」
「むー……」
マーシャは唸りながらも駄目だとは言わなかった。
弟子を育てる歓びというのは、マーシャにも少しだけ理解出来るものだったからだ。
レヴィの希望で格闘訓練に付き合い始めてから、教えれば教えるほどにメキメキと腕を上げていくのを見るのが楽しかった。
自分が彼を成長させているのだという実感が何よりも誇らしかった。
それと同じ気持ちなのだと思うと、駄目だとは言いづらかったのだ。
「期間はどれぐらいなんだ?」
「ちょっと待て。訊いてみる」
保留モードを戻してギルバートに期間を訊くと、二週間と帰ってきた。
二週間もあればかなり仕込めると判断する。
臨時教官としてはやり甲斐のある仕事だった。
レヴィがやりたそうにしているのなら、マーシャも反対は出来ない。
「別に。やりたいなら好きにすればいい」
「マーシャがどうしても嫌なら断るつもりだぞ」
「嫌だなんて言ってない」
「顔が言ってるぞ」
むにーっと膨れた頬を摘まんでみる。
「言ってないっ!」
その手をべしっと叩いてから、マーシャはそっぽ向いた。
嫌だとは思っていない。
それは本当だった。
ただ、寂しかっただけなのだ。
二週間もの間レヴィと離れてしまうことが、寂しかっただけなのだ。
しかしそんなことを堂々と言うのは憚られる。
二週間離れるといっても、夜には戻ってくるのだから、それを寂しいと言うのなら子供と同じだ。
大人としてそれぐらいは聞き分けなければならない。
つまりこれは、理性では納得していても、感情では納得出来ない、という問題なのだ。
その折り合いを上手くつけたいのだが、どうしても表情には出てしまう。
そこが可愛いとレヴィは思うのだが、マーシャはそんな子供っぽい自分が嫌だった。
もっと物わかりのいい女になりたいと思っているのだが、なかなか思うようにはいかないのが歯痒かった。
「それで、やってもいいか?」
「好きにすればいいっ!」
「………………」
駄目だと言われているようなものだが、しかしここでやめると言っても、マーシャは怒るのだろう。
なかなか難儀な性格だと思いながらも、自分に対してそこまで心を乱してくれる姿を見るのは好きなので、レヴィも苦笑して肩を竦めた。
「いいですよ。引き受けます。二週間限定で」
『ありがたい。これで今回の新人はかなりの成長が見込めるな』
「それは新人次第ですけどね。俺はあくまで教えるだけですから。身につくかどうかは本人がどれだけ真剣にやってくれるかによるでしょうし」
『そんな不真面目な奴は一人も連れてきていない。どいつもこいつも戦闘機が大好きな奴らだ』
「へえ。それは気が合いそうですね」
『では明日から頼む』
「了解です」
それだけ言って通話を切った。
背中に寄りかかっているマーシャを膝抱っこしてから頬ずりする。
「拗ねるなよ、マーシャ」
「拗ねてない」
「何だったら見に来るか? 教官権限で、見学ぐらいなら出来ると思うぞ」
「出来るか、馬鹿。軍事施設だぞ。よほどのことが無い限り一般人の立ち入りなんて許される訳が無いだろうが」
「うーん。駄目かな。リーゼロックの名前を使えば出来そうな気はするけど」
「それに軍は嫌いだ。近付きたくない」
「そうか。なら仕方が無いな。夜には戻るから、マーシャは観光を楽しんでくれ」
「そうする」
こうしてレヴィは臨時教官のアルバイトをすることになった。
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