そして後にはウルトラ不機嫌なマーシャと、大変気まずい様子のレヴィが残された。
「まったく。酷い状況だな」
「すまんすまん。俺もまさかこんなことになるとは思わなかったんだ」
「まあいいけど」
「……いいのか?」
てっきりティアベルの件についてもっと責められると思っていたし、その覚悟もしていたのだが、予想外にマーシャは大人しく引き下がってくれた。
「いいも何も、レヴィの女性関係について私が口を出す権利は無いだろう」
「………………」
「私はレヴィと何も約束はしていないんだ。だから何も言う権利は無い」
「………………」
「ただ、助けたことを責めるつもりはないけど、私が取った部屋に連れ込むのは止めて欲しいな。仕方ないと分かっていても、やっぱり面白くない」
「それは悪かったよ。とにかくあのままにはしておけないと思ったんでな。あの姿のままフロントに連れて行って新しい部屋を取る訳にもいかなかったし」
「まあ、今回は仕方ないか」
「そういうことで許して貰えるとありがたい」
「分かった」
マーシャはそのまま浴室に移動してシャワーを浴び始めた。
レヴィはそんなマーシャを見送るしかない。
「うーむ。怒られないのは助かるが、物分かりが良すぎるというのもなんだか寂しいものだな……」
妬いて欲しいという気持ちがあることに驚いてしまった。
そして妬いていても割り切ることが出来てしまうことが寂しかった。
私が口を出す権利はない。
マーシャははっきりとそう言った。
そこがマーシャの線引きなのだろう。
決定的なところまで踏み込めない理由でもあるのだろう。
そしてしばらくするとマーシャがバスローブ姿で出てきた。
ぴょこんと三角耳が出ている。
尻尾はバスローブで隠れてしまっているが、ゆったりとした格好なのでマーシャもようやく気が抜けたようだ。
表情がゆるっとしている。
「レヴィも入ってきたらどうだ?」
「そうする」
いい加減、正装を保つのもしんどくなってきたので、早めに脱いで楽な姿になりたい。
しかしシャワーを浴びる寸前でマーシャが意地悪く笑った。
「ちなみにバスローブはもう無いぞ」
「え?」
「レヴィがあのお嬢さんに貸しただろう? ここは二人部屋なんだから、二着しか用意されていない」
「あ……」
「タオル一枚で出てくるか?」
「それはちょっと……」
腰にタオルを巻いたまま出てくるのは少しばかり情けない。
しかし着替えがなくなったのは自分の責任なので仕方ない。
裸のまま出てくるのは論外だった。
情けない表情になるレヴィを見て、マーシャもクスクスと笑う。
少しだけ機嫌が直ったのかもしれない。
「フロントに追加を頼んでおくから、入ってこい」
「すまん。頼む」
「ああ」
少しだけレヴィを虐めて気が済んだのか、マーシャは楽しそうに背を向けた。
そしてレヴィもシャワーを浴びる。
熱いお湯に顔を打たせながら、今日一日のことを考える。
「なんか、いろいろあったなぁ……」
クラウスとの再会。
慣れないパーティーと正装。
そしてギルバートやティアベルとの遭遇。
いろいろあったし、気まずいこともあった。
それ以上にレヴィの頭を占めていたのは、マーシャのドレス姿のことだった。
「まあ、ああいう装いも可愛くていいな」
いつもの自然体なマーシャもいいのだが、ああいうドレス姿も新鮮でいい。
マーシャもレヴィの正装を気に入ってくれたようだが、それはレヴィにとっても同じことだった。
同時にマーシャを独占したいという気持ちもある。
それはレヴィの中にある迷いだった。
もう二度と、大切な存在は作らない。
これ以上、何も失いたくない。
そう決めた筈なのに……
「はぁ……」
マーシャが欲しいと思ってしまう気持ちが抑えられない。
しかしそれでは自分自身の誓いと反してしまう。
気持ちのままに行動出来たらどんなにいいだろう。
しかしそれは出来ない。
それが臆病さの現れだということは理解している。
それでも、どうしても出来なかったのだ。
あの恐怖を、あの喪失感を、二度と味わいたくないと思うのは、人としてそこまで責められることだろうか。
いや、そんなことはない。
そんなことはないと思いたい。
「………………」
答えが出ないまま、レヴィはシャワーを終えた。
宣言通り用意されていたバスローブを着て、部屋へと戻る。
するとマーシャは既にベッドに潜り込んでいた。
「おーい。マーシャ。もう寝てるのか?」
「………………」
獣耳がぴくんと動いただけで、後は何も反応がない。
答えるつもりはないという意思表示なのかもしれない。
「マーシャ?」
なんとなくシーツをめくると、マーシャの顔は真っ赤だった。
真っ赤なまま目を閉じている。
「おい、マーシャ? 大丈夫か?」
真っ赤になっていたが、気分が悪そうという訳でもない。
「らい……じょーぶ……」
「呂律が……」
気分が悪い訳ではないが、明らかに普通ではない。
テーブルに視線を移すと、瓶が四本ほど転がっていた。
「……もしかして、あれは全部酒か?」
「ちょっと……ねざけ……」
「……明らかに寝酒って量じゃねえし」
グラスが転がっていないところを見ると、全てストレートで飲んだらしい。
普通なら急性アル中でぶっ倒れるところだ。
しかしマーシャの酒豪っぷりは知っている。
このぐらいは飲まないと『寝酒』にはならなかったのだろう。
中にはとんでもない度数のものも含まれている。
割って飲むものだろうと突っ込みたくなるが、しかし何も言わなかった。
盛大なため息をついてから同じベッドに潜り込む。
「何やってんだよ」
「べつに……なにも……」
ぼんやりとした答えしか返ってこない。
頭がはっきりしていないのだろう。
いくらマーシャでもあれだけの度数、そしてあれだけの量の酒を一気飲みし続ければ、酔っ払い状態になって倒れるのも無理はない。
寝酒というよりはふて寝酒なのかもしれない。
同じベッドに入り込んで、マーシャを自分の上に乗せる。
「ん……」
レヴィの胸板に心地よさそうに頬をすり寄せるマーシャ。
拗ねていても、レヴィといちゃつけて嬉しいという気持ちは変わらないらしい。
こういう素直さが愛おしいと思う。
「あのな、マーシャ」
「ん?」
「ちょっとは妬いてくれてもいいぞ」
「やいて……ほしいの……間違いじゃないのか?」
ぼんやりとした口調で答えるマーシャ。
頭ははっきりしていなくても、考えることは出来るらしい。
「まあ、そうとも言う」
「どうして……私が……レヴィの思うとおりに……しないといけにゃい……?」
「にゃいって……なんか可愛いな」
呂律が本格的に怪しくなってきているが、可愛いので許す。
むしろもっとプリーズという気持ちになる。
レヴィもいろいろ駄目な感じだった。
「……何をしてるんだ?」
「もふもふ♪」
抱き上げたままマーシャの尻尾をもっふもっふするレヴィ。
彼はもふもふ出来ればそれだけでご機嫌なのだ。
「………………」
マーシャの方も呆れつつも諦めているようで、素直にもふられている。
甘やかしてくれるのが嬉しくて、尻尾がぱたぱた動く。
そんな尻尾を捕まえてもふもふするのがレヴィも楽しいようだ。
「マーシャ」
「ん……?」
とろんとした銀色の瞳がレヴィを見る。
いつもの強い光は無い。
どこか弱々しい感じがする。
マーシャらしくないと思ったが、案外、これが彼女の隠れた本質なのかもしれないと思った。
マーシャは強い。
その心も、身体も。
在り方そのものが強い。
絶望の中でも決して諦めず、未来を信じて、ただ、力の限り前に進む。
幼い頃からそんな強さを持つ少女だった。
そしてそれは今も変わらない。
欲しいものがあって、望んだ未来があったのなら、マーシャはひたすらそこを目指す。
そうやって、二度と会えないと覚悟していたレヴィに会いに来た。
同じ場所に立って、同じ宇宙《ソラ》を飛んで、旅をしようと言ってくれた。
存在そのものが輝いている。
マーシャの真っ直ぐさ、そして強さは、レヴィにとってとても眩しいものだった。
同時に強烈な憧れも抱かせた。
マーシャはレヴィに憧れている。
しかしレヴィの方もマーシャに憧れていたのだ。
強いマーシャに対する憧れ。
しかしそれは、弱さを見ていないということでもある。
強さの裏には、弱さがある。
それはレヴィ自身もよく知っていることだった。
マーシャは強い。
だけど、ただ強いだけではない。
きっと、レヴィと同じなのだ。
強く在ろうとしている。
だから強く見える。
その裏側、そして奥底には、脆くて弱い自分自身が隠れている。
そこから目を逸らさない。
全て受け入れた上で、それでも強く在ろうとしている。
だからこそマーシャを眩しいと思ったのだ。
そんなマーシャが今は弱さを見せてくれている。
いつもは隠している弱さを、ほんの少しだけさらけ出してくれている。
だからこそ、今ならいつもとは違う答えが聞けると思った。
今しか聞けないことなのかもしれない。
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