機体は一切破損することなく、その動きも淀みがなかった。
計器類が狂った様子もない。
ただ自然に、その場から消えた。
破壊の後はどこにも無い。
白の機体は傷一つ付かずに、宇宙のどこかへ消えたのだ。
「これは、どこへ消えたんだ……?」
マーシャが食い入るように画面を見つめたまま、ユイへと問いかける。
興奮を抑えられない口調だった。
「まだ分かりません。それを調べる為には更に大がかりな観測装置を積む必要があります。恐らくかなりの長距離を移動したのでしょう。移動先さえ分かればその場所に向かうのですが、現状ではそれもままなりません。とにかく機材を用意する予算が足りないのです。現状の僕に出来たのはここまでが限界なんです」
「………………」
まだまだやりたいことはあるのに、予算が足りないせいで実行出来ない。
研究者としてはもどかしくてたまらないのだろう。
しかし予算がなければ研究は行えない。
利益を生み出すかどうかも分からない研究に多額の予算を費やせるとは限らないのだ。
「あのフラクティールは確実にどこかの空間に繋がっています。あの機体の消失現象がそれを証明しているんです。その先を解明するには、どうしても資金が必要なんです。これが実用化されれば、人類の宇宙開拓は更なる拡大を見込めるでしょう。宇宙船航行における革命を起こすことが出来るんです」
「少し確認したいことがある」
「はい」
「この話をしたのは私が最初か?」
「いいえ。最初はエミリオン連合軍の技術顧問に、次は重工業をあちこち回りました。しかし誰一人としてまともに対応してくれた方はいません。絵空事だと鼻で笑われました」
「だろうな」
この消失現象だけではワープの確証としては弱すぎる。
ただ消えてしまっただけであり、二度と戻れない空間を彷徨っているだけということも有り得るのだ。
「ちなみにこの先へ進む為に必要な予算はどれぐらいだと見ている?」
「およそ千兆です」
「………………」
流石にマーシャの顔が引きつった。
それは研究予算として消費していい金額の限度を遙かに超えている。
「ミスター・ハーヴェイ。こう言っては何だが、もう少し抑えることは出来ないのか? いくら画期的な研究だといっても、その金額では誰も協力してくれないと思うぞ」
クラウスが協力を拒否した理由も納得してしまう。
クラウスならば興味を持ちそうな内容だと思ったが、流石に金額の桁が違いすぎる。
下手をするとリーゼロック・グループが傾いてしまう。
並の企業では無理だろう。
国家で取り組むにしても博打の要素が大きすぎる。
成果が上がらなかったら目も当てられない。
天才的な投資の手腕を発揮するマーシャにしても、その金額を稼ぎ出すのは容易ではない。
容易ではないだけで、不可能ではないというのが複雑なところだが。
しかし実現出来るのならば、出してもいいと考えている。
中小国家の年間予算を軽く上回る金額だが、成果が上がった時の恩恵は計り知れない。
現状でマーシャが保有する資産の約七分の一だが、これで済むとも思えない。
簡単には決断出来ないことでもあった。
「そうですよね。分かってはいるんです。でも必要な機材の調達や開発費用、改良費用を考えると、どうしてもそれぐらいは必要になるんです」
「………………」
それは理解出来る。
研究とはとにかく金食い虫なのだ。
マーシャ自身にも覚えがあることなので、それは嫌というほど理解出来るのだ。
彼女に協力してくれているブレーンも、恐ろしく金食い虫だ。
先ほどユイが言った金額など、軽く消費してくれている。
だから実用の見込みがあるのなら、是非とも協力したいと思っている。
総資産の七分の一といっても、マーシャはその気になれば更に増やすことが出来るのだから。
だからこそ、より確かなものが欲しい。
「他に資料はあるか?」
「え?」
「画像データだけではなく、この研究に対する理論固めをしている資料を見せてもらいたい」
「あの、でも、かなり専門的なことになりますが、大丈夫ですか?」
ユイはマーシャの事を宇宙船操縦者にして投資家だと認識している。
専門用語の羅列で埋め尽くされた研究資料を見ても理解出来ないかもしれないと心配しているのだろう。
「いいからそれを見せて貰いたい。私に分からなくても、分かる人間に心当たりがある。それに私も多少は分かるつもりだ」
「分かりました。少し待って下さい」
ユイはタブレット端末を操作してから、研究データを表示させる。
専門用語が八割を占めていて、素人には何が書いてあるかさっぱり分からない資料だった。
ユイは心配そうな表情でマーシャにそれを渡す。
「本当に大丈夫ですか?」
「問題無い。私も多少の知識はあるからな。自分が乗っている宇宙船の開発にも多少は関わっているし」
「そうなんですか? それは凄いですね。操縦者にして投資家にして研究者って……かなり多才だと思うんですけど」
「否定はしない」
多才である為に勉強もしたし、努力もした。
その結果を、マーシャ自身は否定しない。
それが今の自分を形作っているものだと、胸を張って断言出来る。
そしてマーシャはそれらに目を通していく。
そこに書かれている理論はとんでもないものだったが、それでも宇宙船がどういうものかを熟知しているマーシャにとっては、全く読み解けないほどのものでもなかった。
ある程度は意味が理解出来る。
そして出来てしまうからこそ、その価値にも気付いてしまう。
ここに書かれていることは、一見すれば荒唐無稽な夢物語だ。
しかし読み解ける者にとってはきちんと筋道が立った理論であり、研究を進めていけば実用化も不可能ではない、と思わせる内容だった。
しかしそこにかかる予算もとんでもない金額になると予想出来る代物でもあるのだが。
「ど、どうですか?」
ユイが不安そうにマーシャを見ている。
本当に理解出来ているのか、そして資金援助の見込みがあると思ってくれているのか。
それが心配だった。
緊張するのも無理はない。
しかしマーシャは即断したりはしなかった。
見込みはあると思う。
しかしこの内容を全て読み解ける訳ではないマーシャは、自分だけでは判断材料が足りないと思ったのだ。
「悪くない理論だとは思う。しかし私だけでは判断がつかないのも事実だ。だから前向きに検討する、とだけ言っておく」
「本当ですか!?」
興奮気味にユイが顔を上げる。
望んだ返答には届かなかったが、それでも見込みはあると言って貰えた。
他の相手には見向きもされなかった研究を、少しだけ認めて貰えた。
それが嬉しくて堪らないようだ。
「ああ。見込みはあると思う。しかしそれを確信する為には、私よりも詳しい専門家にこの資料を見て貰う必要がある。機密情報だということは理解しているが、その為にもこのデータのコピーを預かっても構わないか?」
「それはもちろん構いません。アドレスさえ教えて貰えば今すぐにでも送信しますよ」
「いや。少し落ちつこう。いくらなんでもそれは不味い。一応は機密データだろう? ネットワークを介して送るのは危険過ぎる」
「あ、そうですね。ですが予備の外部メモリーは現在持ち合わせがないんです。ミス・インヴェルクは持っていますか?」
「いや。私も持っていない。だが部屋に戻れば端末がある。それに直結してコピーさせてもらうのはどうだろう?」
「あ、そうですね。その方が確実ですね」
「では私の部屋に招待しよう」
「はい。って、えええええっ!?」
マーシャの提案に頷きかけたのだが、その意味を誤解して慌てるユイ。
どうやら妙な勘違いをしているようだ。
「じょ、女性の部屋にいきなりお邪魔するのは不味いですよっ! そ、その、心の準備がっ!!」
「………………」
なかなか愉快な勘違いをしていると思った。
この流れでどうしてそんな勘違いが出来るのかと不思議な気持ちになるのだが、女性経験が乏しいのだろうと思うことにした。
女性の部屋にお邪魔したことすらないのかもしれない。
研究一筋のタイプにはよくあるパターンだ。
「部屋に招待するとは言ったが、あくまでも端末を直結する為だぞ。変な意味は無い。一切無い。これっぽっちも無い。欠片ほども無い」
「あ……う……?」
勘違いをしかけているユイにグサグサと容赦なく事実を突き刺していく。
困惑気味のユイはグサグサと突き刺される度に正気を取り戻していく。
一切、これっぽちも、欠片ほども。
これ以上無く分かりやすく事実を突き刺していく。
そしてとどめを刺した。
「それに部屋には私の連れもいるんだ。だから妙な心配はしなくていい」
「つ、連れ?」
「ああ。私はこれでも一途だからな。変な心配はしなくていい。連れの前で他の奴と絡むほど節操なしでもない」
「そ、そうなんですか……」
「そうなんだ。だから安心していいぞ」
「は、はい……」
安心したのか、少しだけがっかりしたのか、ユイは複雑そうな表情だ。
本気でそういう期待をした訳ではないのだが、言われてドキドキしてしまう程度には期待してしまった。
マーシャは美人だし、スタイルもいい。
そういう相手から部屋に招待されてしまったのだから、ほんのちょっぴりそういう期待をしてしまっても、それは仕方がないことだろう。
きっぱりと否定されてしまったので、それは粉々に打ち砕かれてしまったが。
研究一筋で対人スキルがほぼゼロであっても、異性に興味が無い訳ではないらしい。
「それでは私の部屋に行こうか。そろそろ連れも戻っているだろうし。ちょっとアホに見えるかもしれないけど、あまり気にしないで貰えると助かる」
「アホ?」
「ああ。アホにしか見えないけど、悪い奴じゃないから」
「どんな人なんですか」
「だから、アホな人だ」
「……?」
部屋で待っているであろうレヴィのことをアホだと言い切るマーシャ。
そこに込められた親愛の情を感じ取って、ユイは首を傾げた。
罵っているのに嬉しそうだ。
身近で大切な人だからこそ遠慮が無い態度というものに、彼は慣れていなかったのだ。
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