一度グラディウスから降りてから、休憩する。
「お疲れさん。ほら」
「あ、ありがとうございます」
レヴィさんが珈琲を持ってきてくれた。
紙コップに入ったホットコーヒーは高空を飛び続けて冷え切った身体を温めてくれた。
「美味しい……」
「そりゃ良かった」
隣にレヴィさんが座る。
「マーシャさんと一緒に居なくていいんですか?」
「実はさっきぶん殴られたばっかりでな~。怒っているから距離を置くことにした」
「殴られたって……何をしたんですか?」
「ちょっともふも……じゃなくてセクハラを……」
「………………」
それは殴られても仕方ないと思う。
いくら恋人同士であっても、こんなところでセクハラをしたら殴られるのは当然だ。
しかしセクハラか。
私は大丈夫だよね?
女らしいとは言えないけれど、セクハラで殴られたと聞くとちょっと警戒心が湧き上がってしまう。
「ああ。大丈夫だ。俺は基本的にマーシャにしかセクハラしないから」
「そ、そうですか……」
一途というべきか、変態というべきか、ちょっと悩む。
マーシャさんにしか興味が無いということならば、一途なんだなぁと褒めたいところだけど、そこにセクハラが混じるとなんだかいろいろ台無しになるような……
「それよりも、行き詰まっているみたいだな」
「……はい。機体性能は悪くないんです。いいえ。ゼストさんが調整してくれたので、今までで一番思い通りに動かせている実感があります。流石ゼストさんの仕事です。でも、何でだろう。上手く行かないんです……」
求めるものを得る為に何かが足りないことは分かっている。
でも、何が足りないのかが分からない。
だからこそ行き詰まっている。
「うーん。答えは分かりきっているんだけど、教えていいものかどうかが悩みどころなんだよな」
「え?」
レヴィさんには答えが分かっている?
同じ操縦者だから?
「お、教えて下さい」
「うーん。言葉で伝わるものでもないんだよなぁ」
「え?」
「おーい、オッド」
レヴィさんは少し離れた場所にいるオッドさんを呼ぶ。
オッドさんはシオンちゃんの相手をしているところだった。
相手というか、あれはきっとお守りなのだろう。
「何ですか?」
「ちょっとアレで飛んで見せてやれよ」
「え?」
「シンフォが行き詰まっている原因についてはお前も分かっているんだろう?」
「それはまあ、分かっていますが。しかし自分で見つけた方がいいと思うんですが」
「それは同感だけどな。見せてやるぐらいならいいだろう。そこからシンフォが何かを掴むのなら、ちゃんと自分の力になると思うし」
「……それでしたら、レヴィの方が適任だと思いますけど」
「そう言うなよ。シンフォに最初に関わったのはお前だろ? だったらそれぐらいの責任は果たしてやれよ」
「む……」
責任を果たせ、と言われるとその通りだと思ったのか、オッドさんは少しだけ居心地が悪そうにしながらも了承してくれた。
「分かりました。レヴィがそう言うなら従います。シンフォ」
「は、はい」
「今から俺が飛んでみせる。多分、シンフォのやりたいことをある程度示せると思う。そこから何かを掴めるなら、掴んでみてくれ」
「わ、分かりました」
オッドさんは静かな足取りで自分が乗ってきた機体へと向かう。
レンタルの機体で、レース用ではあるけれど、グラディウスには到底及ばない性能だけれど、それでもオッドさんなら何とかしてくれそうな気がした。
滑らかな動作で起動していく。
やはりオッドさんは操縦者なのだろう。
その操作の的確さに感心してしまう。
オッドさんがスカイエッジを浮上させる。
そしてすぐに加速した。
「あっ!」
そして信じられないものを見た。
オッドさんの機体はぐんぐん進んでいく。
散らばる浮島をギリギリの位置で避けながら、減速するべき場所で加速を行い、時に接触すら恐れない操縦を続ける。
私が選んだのとよく似たコースを駆け抜けているが、それでも腕が違う。
速度が違う。
見えているものが全く違う。
私にはそれがよく分かった。
機体を巧みに操り、本当の意味で己の手足としている操縦だということが。
私もそうしているという自負はあるけれど、オッドさんの技倆はそれ以上だった。
オッドさんは、私が目指している世界を知っている。
ううん、きっと何度もその世界を経験している。
だからこそ、あの操縦はこんなにも私の心を惹き付ける。
「……そうか。これが、きっと、私の目指していたもの」
気がついたら涙がこぼれていた。
足りないものを示してくれたオッドさんに感謝したいという気持ちはあるけれど、自分だけでそれが分からなかったことが悔しかった。
オッドさんが最初に渋っていたのも、私にそれを期待していたからだろう。
だからこそ、応えきれなかったのが情けなかった。
「ううん。それでもいい。私は一人じゃないから」
寄りかかってもいい。
頼ってもいい。
手を差し伸べてくれる人がいるだけで、きっと幸せだから。
私はこれからも、きっと真っ直ぐに飛んでいける。
★
オッドの操縦を見たマーシャは感心したようにため息をついた。
「いい腕だな。砲撃手にしておくのがちょっと勿体なくなってきたぞ」
「当然だ。オッドだぞ」
いつの間にか隣にレヴィも来ていた。
「オッド自身は自分を並の操縦者だと言っていたけど」
「あいつは自己評価が低いのさ。俺が宇宙で背中を任せていた相手だぞ」
「……それは凄いな」
マーシャの声には僅かな羨望が混じっている。
レヴィに追いつく為にずっと頑張ってきた彼女にとって、その間に背中を任せられていたオッドのことが少しだけ羨ましいと思ってしまったのだ。
もちろん、今は誰よりも隣に居る存在として、自分自身のことも認めているが。
「まあ俺には劣るけどな」
「自分で言うと台無しだぞ」
「わはは。いいじゃないか。これでも最強だっていう自負ぐらいはあるつもりだし」
「まあ、それは私も認めているけどさ」
「ならいいじゃんか」
「まあ、いいけど」
なんだかんだでレヴィには甘いマーシャだった。
それに彼が最強であることは今も昔も疑いようがない。
自分でちょっと台無しにするぐらいは許してあげるべきなのだろう。
★
「………………」
久しぶりの感覚に俺の神経が高ぶっていく。
先ほども操縦桿を握っていたが、あれはあくまでも移動の為の緩やかな操縦だ。
今みたいにリスクを無視した操縦ではない。
シンフォが見ている道。
それは娯楽の飛翔ではない。
命懸けの飛翔だ。
一つでも扱いを間違えれば機体は大破して、自分自身も命を落としてしまうような操縦。
危険過ぎて誰も行えない。
いや、真っ当なレーサーならば行おうとすらしない、考えることすら避けるものだった。
戦場と同じコース取り。
それが俺の知る答え。
速く飛ぶ為の操縦ではなく、魅せる為の操縦でもなく、敵を追い詰める為の操縦。
これはレーサーのやり方ではない。
こんなことをしても、シンフォの命を危険に近付けてしまうだけだと分かっている。
だからこそ自分で気付いて欲しかった。
そしてその危険と向き合うだけの覚悟を、自分自身でもう一度考えてもらいたかった。
いや、本当は分かっている。
だけど彼女はレーサーだ。
軍人ではない。
だからこそ、見えている筈の道から目を逸らしている。
飛びたいのに、飛べない。
自分自身でも分かっていないその恐怖を、今度こそ正面から突きつけることになるだろう。
彼女が目指した道。
それは命懸けで到達出来る、加速の先にある世界だった。
たった一人、違う『道』を夢見た彼女。
どうしてレーサーである彼女がその道を見出そうとしたのか、俺には分からない。
だけど、きっと何か理由があるのだと思う。
彼女自身も自覚出来ない、心を揺さぶる理由が。
俺に出来るのは、ただ示すことだけ。
レヴィには及ばない操縦であっても、俺自身も戦場を駆け抜けた戦闘機操縦者としての矜持がある。
きっかけぐらいは与えられるだろうという自負もある。
俺とシンフォの違い。
それは操縦に対する『意識』の違いだ。
そこをクリアすれば、シンフォの技術は俺を遙かに凌ぐ筈だ。
シンフォが五分かけて駆け抜けたコースを、俺は僅か二分で駆け抜けた。
レヴィならば一分と少しぐらいで駆け抜けるだろう。
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