「………………」
身体を拭いてバスローブ一枚になった俺は、最悪の気分を味わっていた。
いくら精神的に限界だったとはいえ、怒鳴りつけるのはやりすぎだったのかもしれない。
しかしあそこで歯止めを掛けておかないと、更にエスカレートするような気がしたのだ。
それはシオンの為にも良くない。
「………………」
自分にそう言い聞かせているが、やはり罪悪感だけは拭えない。
シオンの泣き顔が頭の中から離れない。
「はぁ……まったく……どうしようもないな……」
やりきれなくてどうしようもない気持ちになった俺は、棚の上にあった酒に手を伸ばす。
酒でも飲まなければやってられなかった。
普段は深酒をしない程度に留めているが、今だけは頭がおかしくなるぐらいに飲みたかった。
グラスに叩きつけるように氷を放り込んで、溢れるぐらいに酒を注ぐ。
そのまま勢いよく口の中に流し込んだ。
嫌な気持ちも、このまま流れてしまえばいいと思いながら。
二時間ぐらい飲んだだろうか。
とにかく飲み続けていたので、流石に頭がぼんやりとしてきた。
「……そう言えば、シオンの奴、まだ出てきていないんじゃないか?」
今更ながらそんなことに気付いてしまい、舌打ちして立ち上がる。
俺が気付いていないだけで浴室からはとっくに出て、部屋からも出て行ってくれていればいいのにと思うが、こういう時の嫌な予感というものはなかなか外れてくれないのだ。
ふらつく足で再び浴室へと向かう。
浴室の明かりはまだついたままだった。
しかし水音一つ聞こえない。
そのことに対して更なる苛立ちが募る。
放っておけないことが腹立たしい。
「………………」
扉を開けると、シオンがまだ湯船の中に居た。
泣きはらした目でぼんやりと虚空を見つめながら、ただそこに居る。
「シオン」
「………………」
俺の声が聞こえていないのか、シオンは顔を上げることすらしなかった。
「そのままだと風邪を引く。さっさと出てこい」
「……あたしは、人間じゃないですから、風邪なんか引かないです」
抑揚の無い声でそれだけ答えると、シオンは再び俯いてしまう。
「………………」
ふて腐れているだけの子供に付き合うつもりはなかった。
俺はそのまま強引にシオンを立たせてから、熱めのシャワーを頭から掛ける。
「っ!? 何するですかっ!」
「目が覚めただろう?」
温くなった湯に浸かっていたのだから、身体はそれなりに冷えている。
熱めのシャワーは身体を温めるのにちょうどいい。
「別に眠っていた訳じゃないです」
「だったら心配を掛けるな」
「……どうしてあたしを心配するですか? 怒っていたんじゃないですか?」
「もちろん怒っている。しかしそれとこれとは話が別だ。いつまでも浴室から出てこなかったら心配になるに決まっているだろう」
「………………」
じんわりと身体に温かさが戻ったのか、シオンがほっと息を吐く。
十分に暖まったと判断した俺は、そのままシオンを浴室から連れ出した。
丁寧に髪の毛と身体を拭いてやり、小さめのバスローブを着せる。
これだけすれば十分だろうと考えた俺は、再びソファに戻って酒を飲む。
動いた所為でかなり酒が回っているが、それでも控えようという気にはならなかった。
浴びるように飲んでいるので、思考もそろそろぼんやりとしてきている。
「オッドさん。飲み過ぎです」
「放っておけ。飲まずにやっていられるか」
「……あたしの所為ですか?」
「それを俺に言わせるのか?」
「ごめんなさいです」
結局シオンは俺の深酒を止めることは出来ない。
ソファの上で眠り込む俺を心配そうに見つめている。
心配を掛けられていたのは俺の方なのに、今度は俺が心配されている。
しかしそれは、嫌な気分ではない。
シオンはベッドから毛布を持ってきてくれて、俺に掛けてくれた。
「悪いな」
寝ぼけながらもその気遣いに例を言う。
シオンは絨毯の上に座り込んでから、眠りかけている俺を見ている。
酒が回ってきて、本格的に眠くなっている。
今はあまり難しいことは考えられそうにない。
「あたしは、オッドさんに迷惑をかけてばっかりですです……」
「………………」
「好きだっていう気持ちは確かにあるのに、どうして上手くいかないんですかね……」
「………………」
「マーシャみたいに上手くやれればいいのに……あたしはいつも失敗ばかりです……」
「………………」
「やっぱり、子供だからですか?」
「それは……」
何かを言いかけて、それでも明確な言葉に出来ず黙り込む。
いつもならはっきりと拒絶出来るのに、今は酒が入っていて気分がふわふわとしている。
傍にある体温が心地いいと、素直に求めてしまう。
勝手に握ってくる手を握り返してしまうほどに、今の俺は自分を見失っていた。
「でも、あたしは子供にしかなれないです。いきなり大人にはなれないです。あたしは、あたしだから……」
「それは、当たり前のことだろう」
シオンはシオンにしかなれない。
大人にもなれない。
ゆっくりと、シオンのペースで成長していってくれれば、それが一番いい。
「もっと時間が経てば違うあたしになれるですか? いつかはあたしも、オッドさんが受け入れてくれるような大人になれるですか?」
「………………」
そんなこと、俺に答えられる訳がない。
それを決めるのはシオンだ。
シオンが自分自身で納得して、答えを見つけるしかない。
「身体も、心も、大人になったら、オッドさんはこんな態度じゃなくて、あたしをちゃんと女の子として見てくれるですか?」
「出来もしない事を……言うな……」
「そうですね。出来もしないことです。今のあたしには、出来ないことです。でも……」
「……?」
「オッドさんをどうやっても振り向かせられないのなら、あたしは、変わってみせるですよ」
「どういう……意味だ……?」
「内緒ですです」
「………………」
シオンはろくに動けない俺に近付いてから、唇を近付けてきた。
「おい……」
気付いて避けようとするが、今の状態ならシオンの方が強かった。
そのまま唇を合わせられてしまう。
「………………」
「………………」
少しだけ寂しくて、幼くて、温かい唇だった。
「えへへ。ほんの少しだけ、望みが叶った気がするですよ」
シオンは少しだけ吹っ切れたように笑う。
勝手に奪っておいて、勝手に吹っ切れないで欲しい。
「大好きですです」
「………………」
「振り回してごめんなさいです。困らせてごめんなさいです。あたしの気持ちは、オッドさんにとって迷惑でしかなかったですね」
「シオン……」
そんなことはない。
シオンの気持ちは……いや、それは考えてはいけない。
俺にはシオンを受け入れることなど出来ないのだから。
シオンは泣き笑いの表情で俺の頬に触れる。
「勘違いしないで欲しいですです。あたしは、諦める訳じゃないですよ。ただ、オッドさんに迷惑を掛けたり困らせたりしないあたしになってから、もう一度出直すです」
「だから、どういう……意味だ……?」
「内緒ですです。知ったらきっと、オッドさんはまた怒るです。もう、怒られたくないですです」
「………………」
怒られるようなことをしようとしている時点で既に手遅れだ。
「今日はゆっくり休んで欲しいです。お休みですです」
「シオン、待て……」
「待たないです」
立ち上がったシオンは俺の部屋から出て行く。
最近はずっと入り浸りっぱなしだった俺の部屋から出て行き、あまり利用していない自分の部屋へと戻るのだろう。
唇に残った切ない感触だけが、先ほどのことが夢ではないと証明していた。
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