幻だろうか。
いや、違う。
このクレイドルにはレヴィがいる。
だったら、ここにいるマーシャが幻だとは考えにくい。
彼女も同じ場所にいるのだから。
そしてレヴィがトリスと再会したことをマーシャに話したのだとしたら、彼女が自分に会いに来るのは予想出来ることだった。
最期にもう一度だけ会いたいという願望が形になっただけなのかもしれないが、それでも会えたことは嬉しかった。
「久しぶりだな」
マーシャは穏やかな笑みで笑いかけてくる。
「………………」
昔はこんな笑い方は出来ない少女だった。
レヴィに助けられてからはいつも楽しそうにしていたが、感情が極端で、楽しい時は楽しい、嬉しい時は嬉しいというように、分かりやすすぎるぐらいに明確な子供だった。
しかし今は違う。
穏やかな笑みの中に悲しみと寂しさが織り交ぜられており、複雑な感情を覗かせている。
時間の流れというものを嫌というほどに感じさせられる姿だった。
会えて嬉しい。
しかし、一緒に過ごせなかった時間の長さを思い知らされて、辛い気持ちにもなるのだった。
「ああ、久しぶりだな」
トリスは荒んだままのアメジストの瞳をマーシャに向ける。
自分はこんなに変わってしまった。
マーシャも驚くほどに変わった。
それでも、お互いに変わっていない部分も残っている。
「俺を止めに来たのか?」
トリスが死ぬつもりなら、マーシャはきっと見捨てない。
見捨てる自分を許さない。
だからこうやって会いに来たのだと思った。
ここで邪魔をするつもりなら、たとえマーシャでも許さない。
そういう意志を込めて彼女を見る。
「まさか。止めるつもりなら、七年前に止めてるよ」
しかしマーシャは否定した。
あっさりとした態度だった。
そのことが嬉しくもあり、少しだけ寂しくもある。
しかし寂しいという気持ちは身勝手なものなので、表に出さないように自分を戒める。
「そうだな。あと、言い忘れていた。御守り、ありがとう。何度も助けられた」
「御守り……ああ、あれか。しかしあれは気休め程度のものであって、実際に助けられるような構造じゃないだろう」
金属製のものならば、たまたま心臓に当たる筈だった弾丸を防いでくれた……等というエピソードも期待出来るが、尻尾の毛をアクセサリーにしただけのものにそれは期待出来ない。
自分の一部がトリスを護ってくれるようにという祈りを込めたことは確かだが、それでも明確な効力を発揮するとは思えなかった。
マーシャにとっては気休め以上のものはなかった。
トリスは苦笑しながら御守りを取り出した。
漆黒の毛で作られた小さな尻尾の御守り。
マーシャの尻尾の一部がトリスの胸に納められている。
「そうでもない。何度も救われた。折れそうになる度、狂いそうになる度、この温かさに救われたんだ」
「……それは、複雑だな」
狂ってしまうのは困るが、折れてくれれば連れ戻すことも出来た。
だからこそ複雑な気持ちになるのだった。
「俺にとってはこれがあったからこそここまで来られたようなものだ。本当に、感謝している」
「……まあ、いいけど」
この七年間で、トリスは自分の意志がそこまで強くないことを思い知らされた。
憎悪の気持ちは本物だ。
殺意も本物だ。
しかし七年も手がかりを追い続けて、そしてすり抜けていく内に、心はどんどんすり切れていく。
全てを諦めて、狂いそうになることも決して少なくはなかった。
そんな時、マーシャの一部であるこの御守りを握りしめると、別れた時の気持ちを思い出すことが出来たのだ。
気持ちをリセットして、折れそうになる心を元に戻して、再び立ち上がる。
この御守りは、トリスにそういう力を与え続けてくれたのだ。
「マーシャ」
「ん?」
「何をしに来た?」
「うん。実はちょっと情報を渡しに来たんだ」
「何?」
「セッテ・ラストリンドはエミリオン連合軍で匿われている」
「………………」
「そして今はこのクレイドル付近にいる」
「………………」
「そんな顔をするなよ。セッテは私にとっても因縁のある相手なんだ。自衛の為にもその動向を調べるのは当然だろう」
「だったら近付かなければいい。マーシャの正体を知られたら、今度はエミリオン連合軍を使って攫われかねないぞ」
「今の私がそんなヘマをすると思うか?」
「………………」
今のマーシャは昔とは違う。
軍人をも圧倒する戦闘能力を身につけ、宇宙船の操縦技術においても天才性を発揮し、その能力を最大限に活かせる最新鋭の宇宙船を持っている。
それに加えてレヴィという最強の戦闘機操縦者と電脳魔術師《サイバーウィズ》達を抱えている。
エミリオン連合軍の艦隊を相手にしても勝利出来るぐらいの力を手にしている。
「アンノウンの宇宙船について知りたくないか?」
「……知っているのか?」
「あれは私達だ」
「何だと?」
「正確にはリーゼロックPMCの精鋭部隊だな。宇宙船がアンノウンなのは、お蔵入りの試作船だからだ。といっても、リーゼロックの開発部門の遊び心がたっぷり詰まっているから、性能は破格だけどな。安全基準を満たしていないから商品化出来なかっただけで、ピーキーさを活かせば軍艦すらも圧倒出来るぞ」
「………………」
リーゼロックの技術の高さはよく知っている。
クラウスからの助力は未だに続いており、ファングル海賊団の旗艦であるフォルティーンにもリーゼロックの最新技術が流れている。
というよりも、安全基準を満たせずにお蔵入りした技術をクラウスがトリスに流してくれているのだ。
クラウスの身も危うくなるような所業だが、彼もただトリスの力になっている訳ではなく、海賊活動による実戦データをフィードバックするように要請してきている。
試運転よりも実戦、訓練よりも戦場。
どちらがより多くのデータが採れるのかは、言うまでもない。
それらの実戦データはトリスの手によってクラウスへと送られ、リーゼロック開発部門の参考資料となっているだろう。
トリスも出来るだけ多くのデータを取ってから、クラウスに返すようにしている。
自身にもメリットのあることとはいえ、トリスにずっと力を貸してくれたクラウスに、少しでも返せるものがあるのなら、全力でそれを成し遂げたいと考えていたからだ。
そして安全基準を満たしていない、商品化出来なかった製品の凶悪さを、トリスはよく知っている。
自分達で活用し続けてきた力を、今度は別の勢力が活用してきているのだ。
邪魔をしてくるのだとしたら、恐ろしい敵になることは分かりきっていた。
「邪魔をするつもりなら、お前でも許さない」
「だから、邪魔をするつもりは無いんだよ。私はただ、トリスを取り戻したいだけだ」
「………………」
「もちろん、トリスの目的を果たしてからでいい。帰ってきて欲しいんだ。ちゃんと生きたまま、リーゼロックに」
「………………」
「死ぬつもりだっただろう? 死んでもいいと思っていただろう?」
「………………」
「でも私は嫌だ。近くにいてそんなことを見過ごすのは嫌だ」
「変わったな」
昔のマーシャはそんなことを言わなかった。
トリスが自分で選んだことなら、その意志を尊重してくれた。
それなのに今は、トリスの意志を無視してでも、彼を助けようとしている。
自分のことだけ考えて、未来に目を向けていた頃のマーシャとは明らかに変わっている。
「そうかもしれないな。私も、レヴィのお人好しが少し移ったのかもしれない」
「………………」
「でも、悪い気分じゃない。私はそんなレヴィが好きだし、手助けをしたいと思う。だから今の私はこれでいいんだ」
「……そうか」
昔よりもずっと穏やかに笑うようになったマーシャ。
それを見て、本当に彼女は変わってしまったのだと思い知る。
「これが現在エミリオン連合軍が集めている戦力と、作戦詳細。精々役立ててくれよ」
マーシャがトリスにメモリースティックを渡す。
そのデータを受け取ったトリスが怪訝そうにマーシャを見る。
「情報料は?」
「それは私じゃなくてレヴィに払ってくれ」
「何?」
「思ったよりも簡単にその情報を得られたのは、レヴィが立案した作戦のお陰だからな。報酬は彼に与えられるべきだ」
「つまり、次に会った時に金を渡せばいいのか?」
「いや。金は受け取らないと思うぞ」
「………………」
嫌な予感がした。
子供の頃のことを思い出したのだ。
「まさか……」
少しばかり青くなるトリス。
何を求められるのかを悟ったのだろう。
マーシャは意地悪くニヤリと笑った。
自分がいつもうんざりするぐらいもふもふさているのだ。
マーシャよりも立派な尻尾を持つトリスが更にもふもふされるのは分かりきっている未来だった。
「そのまさかだな。精々たっぷりもふられろ♪」
「………………」
「といっても、トリスにも頭目としての立場があるだろうからな。支払いは全部終わった後のプライベートタイムで構わないぞ」
「……しかしそれでは」
「その為にも生き残って貰わないと困るんだ。レヴィがもふもふ出来ないと残念がるからな」
「理由が……」
理由がしょうもなさすぎる。
しかしそういう理由があるからこそ、気軽な調子で力を貸してくれようとしているのだろう。
深刻な理由よりも、アホらしい理由ぐらいの方がちょうどいい。
そういう気分なのかもしれない。
「ふふん。レヴィのもふもふ狂いはこの七年で悪化しているからな。覚悟しておいた方がいいぞ」
「………………」
真っ青になるトリス。
久しぶりに素の表情が見られて嬉しくなるマーシャだった。
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