エリオット・ラリーは自宅でやけ酒を飲んでいた。
万全の準備を整えた作戦が失敗に終わり、ランカ・キサラギを亡き者にするか取り込む事が出来る筈だったのが、気がつけば大逆転、人質は全員救出、迎撃衛星は破壊、それを行ったのがヴィンセント・ラリーだという証拠までバッチリ押さえられ、息子が警察に捕まるという最悪の事態にまで発展した。
それだけならヴィンセントを切り捨てれば済む話なのだが、問題は迎撃衛星の乗っ取り、そして軍を動かしたこと、更にはフォートレス社の遊撃および社員を人質にランカを脅迫した事、それらの人員を動かす際に使用したミアホリックの流通経路まで証拠を押さえられてしまったことだ。
ランカ・キサラギにそこまでの調査能力は無いと侮っていたし、その評価は間違っていなかったのだが、しかし不確定要素が予想外の働きをしてしまった。
これらの証拠の大部分を揃えたのはランカではなく、その友人であるマーシャ・インヴェルク達であることは分かっている。
マーシャ・インヴェルク自身について調べたが、セントラル星系ではかなり名前が知られた投資家であり、更にはロッティの経済を支配しているリーゼロック・グループ会長であるクラウスの身内だということも判明した。
その能力、そして資金力、技術力は一国に匹敵する、というのが改めて下した評価だ。
それほど技術力が高いとは言えないが、それでもれっきとした一国の軍であるリネス宇宙軍第三艦隊をたった一隻で証拠も残さず壊滅させただけではなく、無理矢理宇宙港から飛び出した小さな戦闘機が、いざという時の保険として待機させておいた第二艦隊までをも壊滅させたと聞かされた時は怖気が走ったものだ。
化け物集団、という表現が相応しい。
せめてランカが彼女たちと接触を持つ前にけりを付けられれば、と今更悔やんでも遅い。
エリオットはリネス警察から出頭を命じられている。
警察組織はそのほとんどがラリーの支配下にある筈だが、それでも頑として従わない勢力もある。
どうせ小規模な反抗勢力であり、大きな流れに逆らう事など出来ない愚か者達、と見下していたが、今回は決定的な証拠を与えてしまった為、勢いも半端ではない。
支配下にある者達も、この証拠を武器にされては、警察組織の人間として、エリオットを庇うことは不可能だ。
更にはランカの根回しにより、これらの事件を大々的にテレビや雑誌、新聞やネットなどで取り上げて、ラリーを批判する空気をこのピアードル大陸に作り出している。
絶体絶命、ラリー一家は崩壊寸前、という有様だった。
忌々しげにグラスを壁に投げつけ、瓶ごと酒を呷る。
脳を溶かすほどに酒を飲めば、少しは悪夢を薄れさせることが出来るだろうか。
「タイミングが……いや、運が悪かったのか……いや、八年前にあの小娘を殺せていれば……」
何が悪かったのかと、過去ばかり遡る。
それでも答えは見つからなかった。
そんな風に出口の無い葛藤に苛まれていると、ふと窓から風が流れ込んだ。
「……?」
窓は閉めていた筈だが、と思った時にはもう遅かった。
背後の壁には一人の女性が立っている。
「っ!?」
静かな佇まいでそこに立っていたのは、先ほどまで思考の片隅にあったマーシャ・インヴェルクだった。
「何をしている? ここは私の家だぞ」
「知っている」
マーシャは静かな声で答える。
「それならば何の用だ? 私が警察に捕まるのは時間の問題だ。それとも自分で捕まえに来たのか?」
彼女の戦闘能力は映像記録で知っている。
とてもではないが、エリオット一人で立ち向かえるような敵ではない。
しかし目的が分からなかった。
エリオットを追い詰めるだけならば、そのまま放っておけばいい。
わざわざ不法侵入の危険を冒してまでこんなことをする理由が分からない。
「どちらも違う。私はお前を殺しに来たんだよ、エリオット・ラリー」
「………………」
静かな声で答えるマーシャだが、その姿からは抑えきれない憎悪が噴き出していた。
マーシャがここまで負の感情に支配されることは珍しいが、そんな事はエリオットには分からない。
亜人としての特徴を露わにしているマーシャは、獣の脅威そのものの戦闘力を秘めている。
そして殺気を放つ彼女の姿は、エリオットを恐怖させるのに十分過ぎるものだった。
「何故だ? 確かに宇宙軍をけしかけたりもしたが、そんなものはお前達にとって蚊に刺された程度のものだろう? わざわざ殺しに来るほどの事か?」
エリオットはマーシャ達にリネス宇宙軍を二度けしかけている。
軍はマーシャ達の技術を奪う為、そしてエリオットは邪魔者を排除する為、両者の利害が一致した結果だ。
しかしそんなものは歯牙にもかけなかったマーシャが、単身でこの場所に乗り込んでまで自分を殺そうとする理由が分からなかった。
「レヴィを騙して逮捕させただけならば、腹立たしいがここまでするつもりはなかった。だが、お前は彼らの古傷を刺激した」
「……?」
言葉の意味が理解出来ない。
古傷、というのは彼女の連れ、レヴィという男についてだろう。
しかしそんな事情が分かる筈もない。
「軌道上からの超長距離狙撃。お前は、それだけはするべきではなかった」
「………………」
マーシャが怒っているのはその一点のみだ。
エリオットにとってはランカの反撃を封じた上で確実に殺す最適な手段だったが、それに関わったレヴィ達にとっては、最悪の記憶を刺激する結果となった。
多くの部下を殺されて、そして自分も殺されそうになったあの記憶を。
忘れた訳ではないし、忘れられるものでもない。
そして忘れていいものでもない。
だけど考えないようにする事は出来ていたのだ。
辛い記憶を楽しい思い出で上書きして、自分自身を赦して、そして幸せになろうとする権利が、あの二人にはあるのだ。
マーシャはほんの少しだけ、その手助けが出来ていると思う。
幸せそうなレヴィを隣で見ているのが一番好きだった。
それはシオンも同じだろう。
そして何よりも辛いのは、レヴィが過去の記憶に苛まれるところを見る事だった。
唐突な自責によるものではなく、他人が馬鹿な事をした所為で過去の記憶を刺激されてしまった。
あれからレヴィは何度か辛そうな表情を見せる。
マーシャには無理をして笑いかけてくれるが、それでも隠しきれない辛さがあるのを彼女はしっかりと感じ取っている。
しばらくあの状態が続くだろう。
マーシャにはそれが許せなかった。
だからそれを行った者だけは殺すと決めていたのだ。
「何も分からなくていい。お前には関係の無いことだし、教えてやるつもりもない。だけど私はお前を許せない。だから、こうする」
「っ!!」
マーシャが懐から取り出したのは、レーザーガンだった。
頭に狙いを定めれば、確実に人間を殺す凶器。
レーザーガンの特徴は殺傷設定・非殺傷設定に切り替えられる事だが、今回は殺傷設定、最大出力にしてある。
「さようなら」
憎悪を心に秘めながら、それでも無表情でエリオットを見下ろす。
エリオットは懐から銃を抜いて応戦しようとするが、マーシャの指が引き金を引く方が速かった。
音を立てずに頭を貫通したレーザーは、あっさりとエリオットの命を奪った。
「………………」
ふう、とマーシャはため息を吐いて、レーザーガンを懐にしまう。
やるべき事はやった。
長居は無用なので、窓からひらりと身体を投げ出す。
四階建てだが、この程度ならば問題無い。
獣のように四つ足で着地してから、マーシャはその場から立ち去った。
エリオットの部屋を含めた、屋敷のあらゆる場所に監視カメラが設置してあったが、マーシャの姿がそこに映る事は無い。
予め屋敷中の監視カメラを強制停止させてあったからだ。
屋敷を出ると同時に停止信号を解除して、再び作動させる。
いきなりエリオットの死体が映っているので、チェックした人間は驚愕しているだろうが、マーシャの知った事ではない。
「はあ……」
許せない相手だったが、やはりこの手で直接人を殺すのは気分が悪い。
どれほど憎い相手でも、この気分の悪さは変わらないのだろう。
変わるべきではないものだという事は分かっているのだが、それでもあんな外道の為に自分が落ち込むのは何だか不毛な気がして、マーシャは無理にでも元気を出そうとした。
今頃は盛り上がっているランカの屋敷に戻って、そこでご馳走をいっぱい食べて元気を出そう。
こんなものはさっさと記憶の片隅に追いやるに限る。
といっても、北部からいきなり南部に遠征してきたので、ランカの屋敷に戻るまではかなり時間がかかってしまうのだが。
大陸横断道路をかっ飛ばしても六時間はかかる。
シャトルを使えればもっと早いのだが、その場合はマーシャが南部へ来たという記録が残ってしまう。
そうなると殺した事に対する後処理が面倒だったので、敢えて利用しなかったのだ。
行きは自動運転の快速タクシーでやってきたので、帰りも同じ物を利用しようとした。
しかし少し歩いた先で、大型バイクが彼女を待っていた。
「………………」
二人乗りになっていて、後ろの席はもちろん空いている。
そして前にはレヴィが乗っていた。
「お嬢さん。よかったら乗っていかないか?」
ふざけた口調でそんなことを言うので、マーシャは軽く噴き出してしまった。
「もしかして、ずっとつけていたのか?」
それに気付かなかったのは迂闊だったが、レヴィが相手ならば腹も立たない。
「つけていた訳じゃないぞ。マーシャが居なくなったのに気付いたから、なんとなくこの辺りに居るだろうなと思って、バイクを飛ばして来たんだ」
「なるほど」
つまりマーシャの行動を見抜いた上で、迎えに来てくれたらしい。
「全部終わったんだろう?」
「一応は」
「なら帰ろうぜ」
「うん」
マーシャはレヴィの後ろに乗って、ぎゅっとしがみついた。
背中の体温が、冷え切った心を少しずつ温めてくれる。
そしてバイクが発進した。
「ひゃっほーう♪」
レヴィがかなり飛ばすので、ちょっとした絶叫マシーン並の速度になっている。
普通の人間が乗っていたら阿鼻叫喚になってしまうが、レヴィの腕を信用しているマーシャは、そのスリルを心から楽しんでいた。
「もう少し飛ばすか? 風が結構きつくなるけど」
「もちろんっ!」
「オッケー」
そしてバイクが再び唸りを上げる。
更に上がったスピードで、身体に当たる風はまるで叩きつけるかのようだったが、マーシャは楽しそうにはしゃいでいた。
大陸横断道路を走っている車の運転手がぎょっとした表情を見せてくれるが、二人は気にせず、流星のようにすいすいと追い抜いていく。
一瞬でもハンドル操作を誤れば大事故に繋がるような運転だが、レヴィはそれを鼻歌交じりにこなしていた。
この程度のスピード近くなど、スターウィンドで暴れている時に較べたら楽なものだ。
亜光速で駆け抜ける戦闘機と、時速数百キロで走り抜けるバイクを同列に扱うことが間違っているとも言うが。
六時間はかかる筈だった帰り道が、なんと二時間まで短縮されていた。
流石は『星暴風《スターウィンド》』の運転だ。
「ちなみにこのバイクはどうしたんだ?」
「ああ、駐車場にあったのを適当に借りた」
「ランカのバイクなのかな?」
「いや。彼女の父親の趣味らしい」
「そうか」
「父親が死んだ後もきちんと整備を続けているみたいだ。よく走ってくれるよ」
「だろうな」
父親の思い出の品ならば、本人が居なくなった後もまめに手入れをするだろう。
ランカはそういう性格だ。
そしてそんな大事なバイクをあっさりとレヴィに貸してくれていることからも、自分達を心から受け入れてくれているのだと分かる。
その気持ちも嬉しかった。
帰り道、レヴィは何も訊かなかった。
エリオットを殺したことを責めたりもしなかった。
もしかしたらマーシャのやることを否定されるかと思ったが、それをされなくて少しだけほっとしていた。
レヴィが止めたとしても、マーシャはエリオットを許すつもりなど無かったのだから。
そしてレヴィ自身は少しだけ複雑な心境になっていた。
自分の為にマーシャが手を汚したことは気分が悪かったのだが、同時に嬉しくもあったのだ。
「気にするな、平気だ」と言ってやるのは簡単だが、レヴィ自身、それを本心から言える自信は無い。
未だにあの記憶に苛まれる瞬間がある。
その時、自分は辛そうな顔になっているだろう。
マーシャはそれを知っている。
だから許すつもりなど無かったのだろう。
実際、エリオットが死んだことでほっとしている自分もいる。
あんな手段を取る奴がいると考えるだけで酷く気分が悪い。
死んだというのなら、ようやく安心出来る。
「………………」
よくやったとは言えないけれど、それでも感謝する気持ちは存在していた。
だから後ろからマーシャの頭を軽く撫でてやった。
「?」
マーシャはきょとんとした表情で首を傾げているが、それでも撫でられるのは好きなのでそのまま笑った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!