そして出て行ったトリスを追いかけたレヴィは、トレーニングルームにいた。
トリスがトレーニングルームに移動したからだ。
「なんで付いてくるんだ?」
「もふもふしたいからっ!」
「………………」
嫌そうに一歩遠ざかるトリス。
理由がどうしようもない。
「ち、違う。もとい心配だったからだ」
「とってつけたような言い訳が……」
「わはは。ま、まあ気にするな」
「………………」
「大丈夫か?」
よしよし、とトリスの頭を撫でる。
自分と同じぐらいの身長にまで成長してしまったトリスにこんなことをするのはバランスが悪いが、それでもレヴィの記憶の中にあるトリスは小さい少年のままなのだ。
だからこういうことをしたくなる。
「……大丈夫だ」
そしてトリスもそれを嫌がらない。
本人は認めたがらないかもしれないが、トリスにとってはレヴィこそが唯一弱みを見せられる相手なのだ。
護るべき相手ではなく、護って貰えると信じられる相手。
無条件で自分を寄りかからせることが出来るかけがえのない存在。
それがトリスにとってのレヴィだった。
「まあ、トリスが大丈夫だというなら、その通りなんだろうな」
「………………」
本当に平気だとは思っていない。
それでも、トリスなら自分で乗り越えることを選ぶだろうと、レヴィはそう思うのだ。
「……レヴィさん」
「ん?」
トリスはその場に座り込む。
レヴィも同じように座り込んだ。
背後には壁があり、お互いに壁に寄りかかっているが、トリスはレヴィの方にも寄りかかった。
今は少しだけ寄りかからせて欲しい気分だったのだ。
もちろん、それを拒否したりはしない。
それどころか、トリスの身体を倒してから、膝枕をさせた。
「こ、これはちょっと……」
「いいじゃないか。マーシャもよくこうやるぞ」
「そ、そうなのか?」
「ああ。気持ちよさそうに眠ってくれるから俺も嬉しくなる」
「………………」
「トリスも眠っていいぞ」
「………………」
眠るつもりは無かったが、確かにレヴィの膝の上は心地よかった。
安心して身を委ねられる、そんな場所なのだ。
マーシャがこの上で気持ちよさそうに眠ってくれるというのも理解出来る。
不思議な安心感に包まれるのだ。
「レヴィさん」
「ん?」
「どうしたら、あの子をちゃんと助けられると思う?」
「ちゃんと助けるか。それは、難しい問題だな」
命を助けるというのなら、現時点で達成している。
しかしちゃんと助けるということは、これからのことも含まれている。
偽物として、消耗品として創られたちびトリスにとっては、これからのことを考えるのは難しい。
周りがどれだけ幸せを願っていても、本人に偽物だという意識があれば、どうしても負い目が出来てしまうのだ。
「あの子が自分自身として生きられるようになるには、本人の意識を変えるしかないからな。周りの言葉はあまり効果が無い。本人が何を感じて、何を求められるようになるのか。それこそが重要な鍵になると思う」
「俺も、そう思う」
「自分が思い詰めている時っていうのは、他人の言葉なんか耳に入らないからな」
「………………」
確かにその通りだった。
自分自身の経験として、それはよく分かっている。
「ちびトリスが自分自身として生きる為には、自分だけの何かを見つければいいと思う」
「自分だけの、何か」
「トリスにとってのそれは何だった?」
「俺は、仲間の復讐、そして遺体を取り戻すことしか考えられなかったから、強いて言うならそれかな」
「なら、マーシャは?」
「レヴィさんに再会することだったと思う」
「うーん。まあ、そうなんだろうけど、改めて言われると照れるよな~」
「レヴィさんでも照れることがあるんだな」
「人をなんだと思ってるんだ?」
「もふもふマニアのアホだと思っている」
「……トリスにまでそういう扱いをされ始めたか。マジで凹むな」
「凹むぐらいなら少しぐらいは自重すればいいと思う」
「それは無理だ」
えっへん、と胸を張るレヴィ。
開き直りにしてもいろいろ酷い。
「じゃあレヴィさんだけの理由は?」
「マーシャとトリスとちびトリスをもふもふしまくることだっ!」
「………………」
ブレないなぁ……と呆れるトリス。
しかしこういうレヴィにかつて救われて、そして今も救われているのだから、それはそれで受け入れるしかないのだろう。
「あのちびトリスにも、自分だけの理由が見つかれば、もっとちゃんと前を向けるし、トリスにも前向きに接することが出来るんだろうけどなぁ」
「やっぱり、何か理由というか、やりたいことを探す必要があるんだろうか」
「うーん。そんなに難しく考えなくても、自分を確信出来るものがあればいいと思うんだよ。シンプルイズベスト」
「シンプル……」
「要するに、簡単なものでいい」
「たとえば?」
「そこは自分で考えないとな」
「………………」
確かにその通りだった。
レヴィにだけは甘えられるといっても、どこまでも甘えていい訳ではない。
それは分かっている。
しかしそれでも、困り果てている時はもう少し助けて欲しかった。
「マーシャが相手ならもっと簡単に教えてやるんだけどなぁ。トリスは男だしな」
「男女差別って言わないか? それ」
「言うけど。でも男ならやっぱりなるべく自分の力で成し遂げた方が自信に繋がるだろ?」
「……確かに。じゃあ女は自信に繋がらなくてもいいってことか?」
「繋がるならその方がいいけどな。でも女の子には一つの特権がある」
「特権?」
「そう特権だ。これは女の子にしか使えない。いや、強いて言うなら可愛い女の子が使えば無敵だな」
「さっぱり分からない……」
「そうか? トリスなら分かると思ったんだけどな」
「どういう根拠で?」
「だってトリスはマーシャに甘いだろう?」
「む……」
「つまり、そういうことだ。可愛い女の子が甘えるのは萌えるっ! そして萌えるならとことん甘やかしたくなるのが男の性って奴だっ!」
「………………」
分かりたくはないのだが、分かってしまうのが複雑だった。
トリス自身もマーシャには弱いし、それに甘えられると少し気分がいい。
というよりも、ドキドキする。
これが萌えるということならば、確かにレヴィの言うことは当たっている。
かなりくだらない理由に自分が当てはまるのは少しばかり釈然としないが、男なんてそんなものだと言われれば、その通りなのだろう。
「といっても、マーシャの場合はほとんど自力で解決してしまうのが問題なんだけどな。頼ってくれない……」
「ああ、それは分かる」
「何でも出来る奴だからなぁ……」
「それも分かる」
「甘えてくる時は結構腹黒い打算がある場合が多いし……」
「それも分かる……」
それでも甘やかしてしまうのは、その可愛さに逆らえないからだろう。
にまにまと腹黒い笑みを浮かべているのを目の当たりにしてなお、その笑顔に萌えてしまうのが男という生き物なのだから。
「とまあ、そんな感じで女の子には特権がある。しかし男には無い」
「確かに、無いな」
「まあ、トリスなら可愛いかもしれないけど。試しにやってみるか?」
「断る」
「即答か」
「当然だ」
そんな真似は断じてご免だった。
「トリス」
「?」
「焦らなくていいからな」
「………………」
大きな手が頭をそっと撫でてくる。
優しくて温かい、安心出来る手のひら。
マーシャもきっとこういう気持ちで撫でられているのだろう。
トリスは気持ちよさそうに目を細めた。
「自分のことも、ちびトリスのことも、焦らなくていい。無理に焦らなくても、案外、時間が解決してくれる場合が多いんだ。ある日突然、ちびトリス自身が理由を見つけて、トリスと打ち解けてくれるかもしれない。だから、あんまり重く考えなくてもいいんだからな」
「うん……」
そういう訳にもいかないと、頭のどこかでは考えている。
しかし焦っても意味が無いということも分かっている。
だからレヴィの言葉はすんなりとトリスの中に受け入れられた。
レヴィの言葉だからなのかもしれない。
「それに、ちびトリスのことも大事だけど、トリス自身のこれからも大事なんだからな」
「………………」
「トリスはいつも誰かのことを優先してきた。それはトリスの長所だとは思うけど、短所でもある」
「駄目……か……?」
不安そうにレヴィを見上げるトリス。
誰かのことを思いやるのは、そこまで悪いことなのだろうか。
自分の為だと言い聞かせ続けた復讐ですら、仲間の為という理由が根底にあった。
振り返らずに生きてきたなら、トリスはもう少し楽になれた筈なのだ。
「駄目とは言わないけどな。でもトリスはもう少し自分を大事にした方がいいと思う。そうじゃないと、周りが心配するからな」
「……すまない」
それについては自覚があるらしい。
今回の復讐についても、死んでも構わないと、ある種の投げやりさを持っていた。
燃え尽きて楽になりたいと、心の底では願っていた。
誰かを恨み、憎み続ける生き方に、自分自身をすり減らし続けて、ここまでやってきたのだ。
それを見たマーシャやレヴィがどれだけトリスを心配して心を痛めていたのか、分からないほど愚かではない。
「いいさ。今のトリスはそれを分かっているからな。だからこうやって俺にも頼ってくれるし、寄りかかってくれる。前よりはずっといい傾向だよ」
「そう……かな……」
「ああ。マーシャもきっと安心してる」
「……だと、いいな」
「大丈夫だ」
「うん……」
トリスは目を閉じてそのまま眠った。
人前で眠るなど、ここ何年も無かった筈なのに、レヴィの近くでなら安心して眠れる。
「やれやれ。やっとか。手間のかかるもふもふだなぁ。まあそこが可愛いんだけどさ」
すう、すう、と膝の上で寝息を立てるトリスを見て、レヴィが苦笑する。
安心したように眠ってくれるのは嬉しいが、それでもここまでするのかなり手間を掛けてしまった。
悩んでいるトリスを安心させるのは難しいのだ。
ちびトリスの言葉に傷ついていても、殺そうとした自分には好かれる資格など無いと思い込んでいる
確かにそういう事実もあるのかもしれないが、あれはちびトリスを救おうとしてのことだと、本人も分かっている筈なのだ。
だからこそ、この二人はちゃんと打ち解けられると信じている。
時間はかかるかもしれないが、その時間こそが今のトリス達にとって必要だと分かっているからこそ、焦らずに進んでいって欲しい。
レヴィは眠るトリスの頭を撫でながら、そう願うのだった。
……ちなみに、頭を撫でていたのは最初の五分ほどで、すぐに大きな尻尾へと移行して、優しげな顔からだらしない顔になって、マーシャに発見されて見下げ果てた視線を向けられるのだが、それもまたいつものことである。
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