シルバーブラスト

水月さなぎ
水月さなぎ

トリスの気持ち

公開日時: 2021年2月28日(日) 07:33
文字数:5,719

 それからマティルダ達はクラウスの孫のような存在としてリーゼロック家に養われることとなり、幸せな日々を過ごしていた。


 欲しいものは何でも手に入るし、望めば最高の教育を受けさせて貰える。


 トリスは特に学ぶことに熱心だった。


 自分の知らないこと、そして知るべき事に対する欲求が大きい。


 力だけでは何も出来ないことを痛感しているからだろう。


 そしてマティルダの方は興味のあることならば何でも学んだ。


 欲しい本があればいくつも取り寄せたし、リーゼロック家の書斎の本もかなり読み漁っている。


 学ぶことに熱心というよりは、好きなことを知るのが楽しいといった感じだ。


 モチベーションにズレはあるが、二人とも知識を吸収することに関してはかなり貪欲だった。


 そして物覚えの良さも、理解力の高さも、半端ではなかった。


 クラウスはマティルダ達が望むならば家庭教師を付けると言ってくれたが、二人ともそれは断った。


 クラウス自身のことは信頼しているが、他の人間のことをそこまで信じることは出来ない。


 人間の悪意に晒され続けてきた二人にとって、それは当然の反応だった。


 しかし本で学ぶだけの知識には限界があることも知っている。


 だから二人が望んだのは仮想空間を利用した通信教育だった。


 自分の意識ごとネットワークにある仮想現実空間に入り込んで、そこで自分が学びたい科目をチョイスしていくというものだった。


 この方法ならば自分の分身であるアバター作成の際に、亜人であることは隠せる。


 といっても、仮想空間で行われる授業の最初は自動再生プログラムの教師アバターでしかないのだが。


 マンツーマンに見えるが、実際は人形が喋っているだけだ。


 予め録画された動画授業のようなものだろう。


 それを仮想空間のアバターで行っている。


 しかし実際に口頭で説明して貰えるのと、ボードによる細かい補足があったりするので、学校で授業を受けるのと変わらない。


 質問が出来ないのが難点ではあるが、それについても別口で対応してくれるようで、質問エリアに行けば何でも答えてくれる。


 授業で学んだことで疑問点をまとめ、後でまとめて質問を行う。


 その際はアバターの中にきちんとした人間の意志が入り込んでいるので、どんな質問にも万全に答えて貰えるという仕組みだ。


 マンツーマンとして長時間縛り付けるよりも効率的なシステムだった。


 トリスもマティルダもそうやって知識を増やしていった。


 トリスが優先して学んでいたのは、一般の学生が身につけるべき基本科目だった。


 その傍らで社会情勢や経済学なども学び、更には宇宙関係の知識も貪欲に吸収していった。


 マティルダの方も基本科目を学びつつ、経済学や投資関連の知識に興味があるようだ。


 そしてレヴィアースが戦闘機の操縦者であることを知ると、そちらにも興味を示して学び始めた。


 そんな二人の学習意欲に、レヴィアースも嬉しそうだった。


 しかしマティルダ達は勉強時間を最低限にして、レヴィアースがいる間は一緒に過ごす時間を優先している。


 特に何をする訳でもないのだが、マティルダの方はレヴィアースに甘えるのが好きらしく、膝の上にちょこんと座ったり、膝枕で寄りかかったりしている。


 そんな様子をトリスが苦笑しながら眺めつつも、マティルダが嬉しそうにしているのは自分にとっても嬉しいという気持ちになっていた。


 あまり外出はせずに、リーゼロック家の敷地内で過ごしていた。


 屋敷は広いし娯楽に使えるゲームや映像作品なども揃っている。


 望めば食事もお菓子も出てくる。


 更には外を散歩したり自然を見たくなったり、スポーツをしたくなった時なども、庭先で全て完了してしまう。


 つまり、敷地外に出る必要が無い。


 至れり尽くせりすぎる環境だった。


 リーゼロックにとってはこれが当然なのだろうが、些か恵まれすぎているようにも感じる。


 過酷すぎる環境で育ってきた二人にとっては、受け入れるのに時間がかかるのではないかと心配になったが、それはそれとしてすんなりと適応してしまうのだった。


 どうやら勉強だけではなく、環境に対する適応力もかなり高いらしい。


 クラウスの方は忙しい立場なので夜にしか帰ってこないが、それでも夕食は一緒に摂っていたし、その後もボードゲームなどをマティルダ達と行い、遊ぶことにも余念が無かった。


 ちなみにクラウスはボードゲームに精通していて、マティルダとトリスも惨敗していた。


 レヴィアースに至っては惨敗どころか、瞬殺だった。


 知性派ではないと自覚しているだけに、悔しいと思ったりはしなかったが、それでもクラウスのゲーム最強っぷりは少しだけ恐ろしかった。


「まあこの手のゲームは先読みが基本じゃからな。経営に置き換えて考えてみると、なかなか面白いのじゃよ」


 というのはクラウスの弁。


 なるほどと納得出来る台詞でもあった。


 クラウスからすれば、一人を相手にした状況と戦略の先読みなど、朝飯前ということなのだろう。


 彼は経営の場で大規模な状況判断と先読みが必要とされる戦場で戦い、勝ち抜いてきたのだから。


「ゲームに関しては息抜き代わりじゃな」


「………………」


「………………」


 そして息抜きと言われたマティルダ達は少しだけむくれた。


 相手にもならないのが悔しいらしい。


 気持ちは分かるが、一代でここまでの財を築き上げた大人物に対して、真っ向から張り合おうというのは無謀すぎる。


 経験が違うし、スキルも違いすぎる。


 それでもマティルダ達ならこれから身につけることが出来るだろう。


 これから二人が何になるのかは分からないけれど、望んだ道の先に幸せな未来が待っているといい。


 レヴィアースは心からそう願っていた。




 しかし気になることもあった。


 それはトリスのことだ。


 マティルダは今の状況を心から楽しんでいる。


 これから先の未来のことも、きちんと考えている。


 しかしトリスは少し違うような気がした。


 今の時間を楽しんでいることは間違いない。


 しかしふとしたきっかけでその表情が曇る。


 マティルダを眺める優しげな表情。


 そして自分自身が楽しいと思える、安堵の表情。


 その表情とは別に、泣きそうな顔になる時があるのだ。


 レヴィアースはそれが気になった。


 マティルダとは違い、トリスにはまだ納得出来ないことがあるのかもしれない。


 そこが心配になったレヴィアースは、別れる前にトリスから話を聞いておきたかった。


 ロッティからの出発を翌日に控えた夜、レヴィアースはトリスの部屋を訪れる。


 クラウスはマティルダとトリスに一つずつ部屋を与えていて、その部屋を好きに使っていいと言ってある。


 個室には一通りの家具が揃っていて、トリスの部屋にもそれなりに物が増えていた。


 その大半は学習に必要な書籍だったりするのだが、彼にも別の楽しみが見つかればいいと思ったりもした。


「トリス、少しいいか?」


「レヴィアースさん? どうぞ」


 戸をノックすると、トリスが返事をした。


 レヴィアースはトリスの部屋に入ると、彼はどうやら勉強中だったらしい。


 今は経済関連の本を読んでいたようだ。


「面白いのか? それ」


「面白いというよりは、難しい。今まで全く知らなかった知識だから」


「だろうな。ちなみに、俺にもさっぱり分からない」


「そうなの? 大人って何でも知ってると思ってたけど」


「それは大人を買いかぶりすぎだ。知らないことの方が圧倒的に多いさ。自分にとって必要なことを学べば、それ以上は積極的に勉強したりはしないのが大半だからな」


 仕事に必要なことなら別だろうが、レヴィアースも学校を卒業してからは勉強をしたりはしなかった。


 戦闘機の基本的な操縦などは興味もあって意欲的に学んだが、士官に必要な軍知識などというのは、どちらかというと忌避していた。


 出世願望の強い士官などは積極的に学んでいるし、休日に行われる講義などにも参加しているようだが、レヴィアースはそんなものに参加したことは一度も無い。


 休日は休日としてのんびりしたり、楽しんだりしなければ勿体ないと考えている。


 元々は出世どころか軍人にすらなりたくはなかったのだから、これは当然の結果と言えるだろう。


「そうなのか……」


 不思議そうに言うトリス。


 どうやら彼は大人というものに過剰な幻想を抱いているらしい。


「まあ、だからといってトリスが勉強するのを止めたりはしないけどな。学ぶのはいいことだと思うし」


「そう思うなら、どうして大人は勉強しなかったのかな」


「さあな。勉強がしんどいからじゃないのか?」


「しんどい? 学ぶのは楽しいことなのに」


「………………」


 レヴィアースにとって勉強はしんどいものだったが、トリスにとっては楽しいものらしい。


 これも環境の違いだろう。


 当たり前のように学校に通い、教育の機会を与えられたレヴィアースと、生き抜くのに必死の過酷な環境で、教育すら望めなかったトリス達の違い。


 それはこんなにも勉強に対する考え方を変えている。


「まあ、人それぞれだ。勉強が好きな奴もいれば、嫌いな奴もいる。みんなが同じようになれないのは分かるだろう?」


「……そうだね」


 トリスの表情が曇る。


 話を聞きに来たつもりだが、どうやら今の話題が彼の内心に対する核心を突いてしまったらしい。


「トリス」


「?」


「俺は明日で居なくなる」


「うん。マティルダが寂しがるね」


「まあ、マティルダは随分と懐いてくれたからなぁ。トリスはあんまり懐いてくれなかったから、少し寂しかったけどな」


「……男に懐かれるよりも女の子に懐かれた方がいいんじゃないかな」


「それは確かに」


 トリスが懐いてくるというのは想像出来ないが、確かに言われてみればその通りだった。


 しかしトリスが懐いてくれなかったのが寂しかったというのは本心でもある。


「レヴィアースさんには感謝してる。それは本心だよ」


「ああ。それは知ってるよ。そう思ってくれていることは嬉しい」


「うん」


「トリス」


「………………」


「何を抱えている?」


「………………」


「俺には言えないことか?」


「………………」


「俺じゃ役に立てないかな?」


「そんなことは……ない……と思う」


「……曖昧だなぁ」


「ごめんなさい」


「いや、謝らなくてもいいんだけどな」


 謝ってもらいたい訳ではない。


 ただ、頼って貰えないのが寂しいだけだ。


「でも、出来れば抱え込んでいることを話して欲しい。このままじゃ心配なんだよ」


「……話したところで、どうにもならないことなのに?」


「それは聞いてみないと分からないだろ」


「分かるよ」


「俺じゃ力になれないってことか?」


「レヴィアースさんが力不足って訳じゃないよ。でも、終わってしまった過去は、誰にもどうにも出来ないってことだよ」


「……もしかして、他の子供達のことを気にしているのか?」


「うん……」


「助けられなかった俺を恨んでいるのか?」


「そんなことない。マティルダを助けてくれたことも、僕を助けてくれたことも、感謝してる。他の仲間達については、どうしようもなかったって、分かってる。助けようとしても手遅れだっただろうし、それに、あそこで他のことに時間を取られていたら、マティルダも僕も逃げられなかった。レヴィアースさん達だって、ただでは済まなかった。それぐらいのことは、分かってる」


「………………」


 そこまでは分からなくて良かったのだが、どうやら相当に気を遣ってくれているらしい。


 気を遣いたいのは大人であるレヴィアースの方なのだが、トリスの方は常に誰かを気遣っているようだ。


 自分のことよりもマティルダのことを第一に考えて行動していることといい、この少年は他人の為に生きているのかもしれない。


 他人の為にしか生きられない、そんな性格なのかもしれない。


 それは自分の望みを持てない、危うい生き方にも繋がる。


 出来れば今のうちになんとかしてやりたいと思うのだが、どうしたらいいのかが分からない。


 この手の問題に正解は無いのだから。


 人それぞれで、出すべき答えと、進むべき道がある。


 共通の正解など、どこにも存在しないのだ。


「でも、助けたかったんだ」


「トリス……」


「仲間の死体が、その光景が、頭から離れない。毎日夢に見る。少し前まで生きていたのに、物言わぬ死体になってしまった。あの時は逃げることしか出来なかった。それが最善だったって、分かってる。でも、あの時、僕はみんなを見捨ててしまったのかもしれない。そんな気持ちを止められないんだ……」


「お前は悪くないよ。もちろん、マティルダも」


「……それも、分かってるつもり」


「………………」


「一番嫌なのは、自分の中にある憎しみなんだ」


「人間が憎いのか?」


「うん」


「俺のことも?」


「………………」


 トリスは答えなかった。


 すぐには答えられなかった。


 違う、と口で言うのは簡単だ。


 レヴィアースもクラウスも、マティルダとトリスには良くしてくれている。


 感謝している気持ちは本当なのだ。


「いい人達もいっぱいいるって、分かってる。でも、僕は……僕の仲間達を殺した人間を許せない。ずっと僕たちを弄んで、殺す時ですらゴミを捨てるみたいに、あっさりと……それが……どうしても許せないんだ。どうして、僕たちが、あいつらが、こんな目に遭わなければならなかったんだって……そう思う気持ちが、憎悪が止まらない」


「トリス……」


 気持ちは分かる、などとは言えない。


 レヴィアースは虐げられた経験も、理不尽に殺された経験も無いのだから。


 自らの意志に反して軍人にさせられたが、それでも待遇はまともだし、給料もしっかりと出ている。


 不満はそれなりにあるが、それでも命を弄ばれた経験は無いのだ。


 命懸けの戦場には何度も出ているが、軍人である以上、お互いに納得ずくで殺し合いをしている。


 トリス達のように、殺したくないのに、傷つけたくないのに、戦いを強制されていた訳ではない。


 地獄にいた経験が無いレヴィアースは、トリスに対して掛けられる言葉を持たないのだ。


「俺やクラウスさんのことは、好きでいてくれてるって考えていいのか?」


「当たり前だよ。恩人だし、それに、好きだって思える」


「それは良かった」


 そこだけは安心出来た。


 憎悪に染まった者は、憎むべきではない者にまでその感情を向けてしまう場合がある。


 しかしトリスにはまだ好意を抱く人間がいる。


 だからこそ、まだ間に合う。


 まだ取り返しは付くと思った。




読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート