シルバーブラスト

水月さなぎ
水月さなぎ

加速の先にある世界 8

公開日時: 2021年9月10日(金) 05:12
文字数:4,174

 食べ終わるとシンフォはシャワーを浴びていた。


 昨日はそのまま眠ってしまったので、身体が汗でベトベトしている筈だ。


 それを許容出来るのは女性としてどうかと思うが、何かに熱中している人というのは案外そういうものなのかもしれない。


 ゼストもシンフォにシャワールームを貸すことに異論はなかったようだが、困ったことに女性用の着替えなどが存在しなかった。


 タオルにしても男の一人暮らしがずっと使っていて、しかもまともにたたまれていないものを使わせるのは気が引けた。


 幸い、シンフォは長風呂のようなので、マーシャに連絡を取って、ここに向かってくる途中に必要なものを買ってきてくれるように頼んでおいた。


 流石に女性用の下着や衣類などを俺が買いに行くのは抵抗がある。


 同じ女性であるマーシャの方がまだハードルは低いだろう。




 その間に俺はもう一度買い物に出た。


 シンフォの着替えではなく、新たな食材を買い足す為だ。


 あの二人の食欲をかなり甘く見ていた。


 俺の見込みよりも遙かに食べる。


 マーシャぐらいの食欲を発揮しているので、それを基準にして材料を用意した方がいいだろう。


 かなり大量に買い込んでから、冷蔵庫いっぱいに詰め込む。


 酒しか入っていない癖に、冷蔵庫の容量だけはかなりのものだった。




 それからマーシャがやってきて、シンフォの分の着替えとタオルを持ってきてくれた。


「ありがとう。助かる」


「気にするな。私も熱中していると入浴を忘れることもあるしな。シンフォにはちょっと親近感を覚えるよ」


「………………」


 それもどうかと思う。


「駄目だ駄目だ駄目だっ! そんなことをして俺のもふもふが荒れたりしたら大変じゃないかっ!」


 そしてレヴィがアホな理由で憤っている。


 もう少し女性らしい理由を責めたらいいのに、と思わなくもない。


 しかしレヴィに対してそれは愚問なのだろう。


「それよりもオッド」


「どうした?」


「私達はオッドのご飯が恋しいぞ」


「……それは、すまん」


 そこまで恋しがられても困るのだが、雑用担当としては、本来の雇い主であるマーシャをほったらかしにしていることに対して罪悪感があったりもする。


「という訳で今日は手作り昼食を所望する」


「え……」


「大丈夫だ。必要な設備はこっちで準備した」


「準備って……」


「昨日の練習場にはキッチン付きトラックを運び入れてある」


「………………」


 準備が良すぎる。


「いつの間に練習場まで行ってきたんだ?」


「うん? 自動運転設定だぞ」


「そうか……」


 確かに目的地を設定すれば自動運転でも可能だが、そこまでするか。


「材料もぎっしり詰め込んであるから、オッドの好きな物を作ってくれ。もちろん私達の好きな物も大歓迎だ」


「……分かった」


 そこまで準備されておいて断るのも気が引けるというか、無理だった。







 それからシンフォと一緒に練習場まで向かう。


 今度は三機ではなく二機で向かう。


 俺が飛翔を見せる必要がなくなったので、シンフォと、後は全員が乗れる機体があれば十分だったのだ。




 練習場は相変わらず閑散としている。


 そしてシンフォはすぐに飛び始めた。


 俺もそれを見続けていたいのだが、食事の準備に追われる羽目になっている。


 健啖タイプが最低でも二人いるので、量を作らなければならない。


 そして設備もあるので、手抜きをする訳にもいかない。


 風で身体が冷えるので、鍋物にすることにした。


 材料もちょうど揃っているので、問題無いだろう。


 材料を切って下処理をする。


 肉類は臭みを取って、更に下味を付けておく。


 ついでに熟成室に放り込んで、ある程度熟成させておく。


 短時間で熟成出来る新型のコンパクト熟成室なので、エイジングミートを作るにはかなり便利かもしれない。


 このコンパクト熟成室は通常の設備ではなく、マーシャが追加料金を払った分だろう。


 設備の整い具合からしてかなりの値段がした筈だが、彼女の懐はまったく痛んでいないのかもしれない。


 いや、確実に痛んでいない。


 リーゼロックの財力も含めると、マーシャの懐具合は天井知らずだ。


「まあ、ここまで設備が整っていると俺も楽しいけどな……」


 限られた環境下よりも、思う存分腕を振るえる状態の方が楽しいことは確かだ。


 いろいろなことにチャレンジ出来るというのは、心弾むものがある。


 料理が趣味という訳ではないが、その内趣味になるかもしれない。


 最近はそれなりに楽しいと思い始めているし。


 大きな鍋に出汁を取っていく。


 合わせて六人なので、大きめの鍋で囲めば十分だろう。


 六人掛けの折りたたみテーブルまでトラックに入っているし。


 準備が良すぎる。




 一通りの準備を終えて、鍋に蓋をする。


 後は食べる前に火を入れるだけだ。


 シメ用の麺類も準備したので、これで俺の仕事は完了だ。


 後は安心してシンフォを眺めることにしよう。




 シンフォは気が済むまで飛んだのか、生き生きした表情で戻ってきた。


「凄いですっ! シャンティくんとシオンちゃんに弄ってもらった後、反応速度が劇的に向上しましたっ!」


「えっへん。もっと褒めていいよ~」


「褒め殺し大歓迎ですです~」


 子供達二人はかなり得意気だ。


 確かに得意気になってもいい部分なのだが、調子に乗せると厄介そうなのでこれぐらいにしておいて貰いたい。


「良かったな」


 シンフォの飛翔は俺が見ても滑らかなものだった。


 自分の飛びたい『道』を思う存分飛んでいる。


 危険と隣り合わせの操縦だが、その恐怖に打ち勝ったシンフォはこれから劇的に変わっていくだろう。


 ただし、彼女の真似をする操縦者が現れる心配も残るが。


 そこはもう仕方のないこととして諦めるしかないだろう。


 人前で飛ぶ以上、それを模倣しようとする人が現れるのは避けられないのだから。


 その後のことは自己責任にしてもらうしかない。


「はいっ! これで思う存分飛び回れますっ!」


 シンフォは本当に嬉しそうだ。


 こうやって無邪気に笑っている姿こそが彼女本来のものなのだろう。




 そろそろ昼食時なので、用意していた鍋を振る舞う。


 時間を見計らって火を通し、全ての具が食べられる状態になっている。


 テーブルに用意した鍋の蓋を開けると、ほかほかとした湯気が上がる。


「うわあ~っ! 美味しそうですっ!」


 シンフォが大喜びしている。


 ここまで喜んでくれると、俺としても作った甲斐があったと思える。


「流石オッドだな。いい匂いだ」


 マーシャもくんくんと鼻をひくつかせている。


 犬っぽい。


 口にしたら怒られそう……もとい殴られそうなので言わないが。


「………………」


 レヴィの方は鍋よりもマーシャの尻……もとい尻尾が密かに揺れているのを観察している。


 微妙に腹立たしいのは何故だろう。


「もうお腹空いちゃったよ~」


「早く食べたいですです~」


 食べ盛りの子供達二人は既に待ちきれないようだ。


 じたばたしながら食べるのを待っている。


 六人でテーブルを囲んで、屋外で鍋を楽しむという一風変わった昼食になるのだった。


「いよいよ明後日が本番レースだが、大丈夫か?」


 練習を重ねているが、本番も近付いている。


 シンフォの飛翔はほぼ完璧に近いものだが、本番のコンディションや緊張感まではこちらでなんとか出来るようなことではない。


「はい。大丈夫です。ゼストさんもきっちり整備してくれますし。オッドさんのお陰で飛び方も分かりましたし、シャンティくんやシオンちゃんに弄ってもらったお陰で反応速度のタイムラグも無くなりましたし。マーシャさんが居てくれるお陰で金銭面の心配が要らなくなりましたし。今は絶好調ですっ!」


「わはは。悪いな~。俺だけ何もしていなくって」


 レヴィが気まずそうに頭を掻く。


 確かに彼だけ何もしていない。


 マーシャの隣でデレデレしているだけだ。


 といっても、レヴィが本気で活躍するような時は来ない方が平和でいいのだが。


「い、いえっ! すみません。そんなつもりじゃなかったんですけど……」


「いいっていいって。確かに俺は何もしていないしな~。でもシンフォの応援はしているから頑張れよ」


「はい。頑張りますっ!」


 頷きながらも鍋の具を頬張るシンフォ。


 かなり健啖だった。


「もぐもぐ。美味しいな~。まあ今回のレースがラストチャンスで、私はシンフォにある程度の大金を賭けるから、その利益分を今後の活動資金にするってことで。厳しい条件ではあるけど、シンフォなら出来るさ」


「ありがとうございます。スポンサーは見つからないかもしれませんが、今となってはその方がいいかもしれません。飛び方を指定されたり、機体を自由に弄れないのは、やっぱり嫌ですから」


「その気持ちは分かる。自分の命と運命を預ける機体なんだから、思い通りに動かしたいよな」


「マーシャさんにもそういうのがあるんですか?」


「もちろん。だから私の宇宙船は自分で造ってメンテナンスしているし、レヴィの戦闘機だって彼の希望を可能な限り聞き入れて改良しているぞ」


「へえ~。というか、開発や改良もするんですね」


「もちろん。といっても、実際の作業はオートマトン任せだけどな。精密作業は人の手よりも機械任せの方が正確だし手も早い。まあ、高性能な機械に限るけどな」


「なるほど~」


「もちろんゼストみたいな職人の手も貴重だ」


「はい。ゼストさんはいい整備士だと思います」


「うん。いい手をしていた」


 いい整備士というのは手を見れば分かる。


 どんな手をしているかで、大体のレベルが分かってしまうのは、どんな風に手を使うかを俺たちが理解しているからだろう。


「活動資金があれば無理にスポンサーについてもらう必要もないんだよな?」


「はい。今の私のスポンサーに付こうという人も居ないかもしれませんけど」


「結果を出したら殺到するかもしれないぞ」


「かもしれませんね。私を自由に飛ばせてくれる人がいれば、それもいいかもしれませんけど。企業利益が絡むとそれも難しくて。それにスポンサー企業は大体がスカイエッジの製造メーカーなので、きっとこのグラディウスは使わせて貰えませんね。それは困るんです」


「なるほど。そういうことか」


 マーシャがニヤリと笑う。


 きっと悪巧みを思い付いたのだろう。




 それからシンフォの練習と機体の微調整にシャンティとシオンが付き合ってから、その日は終了となった。


 機体の整備を万全にする為、明日は一日中ゼストがつきっきりで整備することになっているので、練習はこれでお終いだ。


 当日のコースはまるで違うものになるかもしれないが、シンフォなら大丈夫だろう。


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