その夜、トリスは眠れなくなって部屋を出た。
亜人の子供は一定のエリアから出ることは許されていないが、それでも庭に出ることぐらいは出来る。
外回りには脱走防止用の迎撃装置があるので、人間の見張りはいない。
もとより、奴隷に人間の見張りなど勿体ないと考えているのかもしれない。
人の目が無いのは助かるが、逃げられないのならあまり意味は無い。
左手には包帯が巻かれている。
珍しく怪我をしてしまった。
迷いながら闘った所為だろう。
相手も驚いていたが、その隙を突いてすぐに昏倒させたので決着はむしろ早かったぐらいだ。
しかし今後もこんな状態で戦い続けたら、自分が壊されてしまう。
しかしどうすればいいのかも分からない。
悶々とした悩みを抱えながら、トリスは外に出る。
「うっ……ぐぅっ!」
「え……?」
少し離れた位置から呻くような声が聞こえた。
苦しみに耐えるような声だ。
「誰かいるのか?」
トリスは心配になって声が聞こえた方へと向かう。
もしかしたら誰かが体調を崩しているのかもしれない。
戦いの傷が悪化しているのかもしれない。
だったら治療しなければならない。
そう考えたのだが、そこに居たのはマティルダだった。
「マティルダ……?」
壁の向こうに隠れていたマティルダは、膝をついて呻いている。
「トリス……?」
マティルダの方も驚いたようにトリスを見ている。
こんな時間に誰かが来るとは思っていなかったらしい。
「何をしているんだ? 随分と苦しそうだったけど」
「お前には関係ない」
「………………」
ばっさりと拒絶されて落ち込むトリス。
やはり嫌われているのだろう。
トリスの方はマティルダを憎からず思っているので、この反応は辛かった。
「はぁ……はぁ……」
マティルダは呼吸を整えている。
やはり調子が悪そうだ。
「どこか悪いのか?」
「………………」
心配して声を掛けたのだが、無視された。
少しだけむっとなったが、ここで言い合いを始めたらマティルダからはより一層嫌われてしまうような気がしたので堪えた。
これ以上嫌われたくはないのだ。
「………………」
「………………」
気まずい沈黙が続く。
マティルダの銀色の瞳は今すぐ立ち去れと訴えていたが、体調が悪そうな彼女を置いて立ち去るという選択肢は存在しない。
そんなことが出来る性格ではないのだ。
「……はぁ」
マティルダはため息交じりに諦めたようだ。
こういうところでは頑として引き下がらない相手だということは、うんざりするほどに理解してしまっているのだ。
出来れば誰にも知られたくはなかったが、トリスならば他人に話すようなことはしないだろうと思ったので、お構いなしに続けることにする。
マティルダは大きく息を吸って、そして覚悟を決めた。
自分の首輪に手を伸ばし、そして触れた。
「マティルダ!?」
この首輪は自分達を縛り付ける為のものだった。
触れるぐらいならなんともないが、無理に外そうとすると電気が流れる仕組みになっている。
遠隔操作も可能な代物で、リモコン一つで即死級の電撃を流されることもある。
言うことを聞かない亜人を調教する為に作られたものらしいが、最初の方はトリスも随分と酷い目に遭ったことを覚えている。
何度も電気を流され、身体が動かなくなったことも数え切れないほどに経験している。
だからこそ、今は触れることすら恐ろしい。
それはマティルダも同じ筈だ。
ここに来たばかりのマティルダはトリスと同じぐらい反抗的な子供だった。
何度も電気ショックを受けて、倒れている。
その時のトラウマが解消されたとは言えない状況だ。
それなのに、自分から首輪に触れようとしている。
無理に引っ張れば電気が流れるのに、それでも躊躇わずに。
いや、躊躇ってはいる。
その顔には恐怖が張り付いている。
あの頃の恐怖が消えた訳ではない。
そして、克服出来た訳でもない。
それでも、足掻くことはやめない。
意志の強い銀色は、決して諦めない。
「マティルダ!!」
「うあっ!!」
ぐっと引っ張ったマティルダは電気ショックを受ける。
目に見えるほどの電気が流れ、そのまま膝をつく。
「大丈夫か!? マティルダ!!」
トリスが慌てて駆け寄るが、触れた瞬間に感電してしまい、手を引いた。
「うっ!」
びりっとした刺激が手に残っている。
マティルダはこの何倍もの刺激を全身に浴びた筈だ。
「マティルダ。どうしてこんなことを……」
「お前には関係ない」
「マティルダ」
「………………」
答えを聞くまでは引き下がらない。
そういう態度だった。
マティルダは盛大なため息を吐く。
彼は自分を嫌っている相手であっても、心配せずにはいられない。
そういう性分なのだ。
心配されていることは分かっている。
しかし、何も出来ない癖に心配ばかりされても腹立たしいだけなのだ。
そしてそれと同じぐらい、自分を心配してくれる相手がいるということに、少しだけ救われてもいた。
トリスのことは大嫌いだったが、彼が自分を思いやってくれていることは、少しだけ救いになっている。
誰にも想われないというのは、辛いことだから。
自分は誰のことも想っていないのに、誰かからは少しだけ想われたいなどというのは、虫のいい話だということは分かっている。
だから自分からそんな気持ちを求めたりはしない。
だけどトリスは仲間に等しくその気持ちを向けてくれる。
それに少しだけ救われている。
だから、突き放せなかった。
嫌いであっても、このまま突き放すことだけは出来なかったのだ。
「心配しなくてもいい。ただの訓練だから」
だから何をしているのか教えてやることにした。
トリスになら知られても問題はないだろうと判断したのだ。
「訓練?」
案の定、トリスは不思議そうに首を傾げている。
「電撃に慣れていけば、いざという時に使われても生き延びられるかもしれないだろう?」
「……それで、普段から電撃を受ける訓練を?」
「………………」
こくりと頷くマティルダ。
呆れるトリスに対して、マティルダは大真面目だった。
「随分と無茶をするね。大体、電撃なんて絶縁体でしか防ぎようが無いじゃないか」
「そうでもない」
「え?」
「人間の身体はどうか知らないが、私達亜人の身体は適応力が高い。電撃にも慣れるということだ」
「そう……なのか……?」
「少なくとも、同じ電撃でも最初よりはマシになってる」
「………………」
そう言えるほどに何度も試してきたという事実が恐ろしかった。
「最初は一撃で立ち上がれなくなったけど、今は一日に十回ほど受けても耐えられるようになっている。ちなみに、今ので十二回目」
「………………」
呆れるのを通り越して、ドン引きした。
あの恐ろしい電撃を十二回も自分から受ける神経が信じられない。
「そんなことをしていたら、そのうち死ぬぞ」
電気ショックの恐ろしいところは、外傷ではない。
その心臓を止めてしまう可能性があることだ。
逆を言えばその刺激で止まってしまった心臓を動かすことも可能だ。
そういう応急処置もあると聞いたことはある。
しかし自分達はそんな治療法など知らない。
心臓が止まれば、そのままなのだ。
それが分かっていてこんな恐ろしい訓練を続けているマティルダが理解出来なかった。
「理解出来ないなら、それでいい」
「マティルダ……」
「少なくとも、私の身体はだいぶ電撃に慣れてきた。逃げ出すことは絶望的であっても、それでも出来ることを諦めるつもりなんてない。それに状況が変わればあいつらはこの首輪を使って私達を一気に処理する筈だぞ。トリスにだってそれは分かっているだろう?」
「それは……」
分かっていることではあった。
しかしだからといって、死ぬかもしれない訓練を続ける理由にはならない。
誰だって、死の運命は先延ばしにしたいに決まっているのだから。
「どうせ死ぬのなら、最期まで足掻きたいだけだよ。諦めるのは性に合わない」
「………………」
「この訓練をしておけば、致死の電撃を受けても生き残れるかもしれない。少なくとも、私はその可能性に賭けようと思ったからこそ、こうして訓練をしている。そして成果も出ている以上、やめるつもりは無い。運悪くその前に死んだとしても、何もしないよりはマシだからな」
「強いな、マティルダは……」
「トリスの方が強いじゃないか」
「僕が強いのは戦闘だけだよ。それ以外では、弱い。マティルダよりもずっと弱い」
「まあ、そうだな」
「………………」
少しぐらいは慰めて欲しかったのだが、マティルダは容赦なく肯定した。
それがかなりのダメージになってトリスの心に突き刺さる。
同時に、否定して慰めて欲しかったと思っていた自分にも驚いた。
弱いと分かっていたが、ここまで弱っていたのかと自分で呆れてしまう。
「慣れることに気付いているなら、他の奴にも教えてやればいいのに」
「そんなことをしたら隠しきれないじゃないか」
「え?」
「みんなが同じ訓練をしていたら、人間の方が警戒する。こうやってこっそりやる分には監視カメラの死角で行えばいいけど、全員をその状況で訓練させることは出来ないだろう?」
「それはまあ、そうかな」
「人間に警戒されたら、もっと酷いものを装着させられるかもしれない。電撃の出力を上げられるかもしれない。そんなリスクは冒せない」
「それは、他の仲間を見捨ててでも?」
「もちろん」
「助けようとは思わないのか?」
「助かる努力は自分でするべきだ。少なくとも、私はそう思う。こんな地獄で誰かの助けを夢見ているなんて、おめでたすぎるだろう。自分のことは自分で助ける。その為に出来ることなら何でもする。そうやって足掻いた先に、自分だけしか助からなかったとしても、それは仕方のないことだと割り切っているさ」
「………………」
マティルダの言うことは正しい。
他人のことに構う余裕が無い以上、自分を助ける努力を最優先にすることは当然だった。
そして自分を助ける努力を怠り、他人の助けを夢見てしまうのはただの甘えだ。
「トリス。言っておくけど、この状況はお前の所為でもあるんだからな」
「え?」
「お前がみんなを助けようとしているからこそ、みんなはそこに救いがあると思ってしまうんだ。錯覚でしかないのにな」
「………………」
「希望を持たせて、責任を取れとは言わないけど。でも縋られている以上、あいつらが希望を持ったまま死んだなら、その責任はお前にある筈だぞ」
「それは……」
「まあいいけど」
「おい」
「だって私には関係ないし。まやかしの希望を与えたのがお前であっても、何も考えずに縋ったのはあいつらの責任でもあるからな。まあ、公平に考えて半々ぐらいか」
「………………」
随分と厳しい意見だった。
しかし間違ってはいない。
「…………はあ。今日はもうやめる」
「え?」
「気分じゃなくなったし、これ以上は明日の戦闘に響くからな」
「……そこまで計算しているのか」
「当然だろう。こんなことに耐えたとしても、その前に私が壊されたら意味がないからな」
「ごもっとも」
どんな時でも冷静さと冷徹な計算を崩さない。
こういう部分はトリスにはない、羨ましいと思えるところだった。
そのままマティルダは立ち去ると思ったのだが、立ち止まってから口を開いた。
トリスの方は振り向かないままだ。
どうしても気になっていたことがあった。
「トリス」
「なに?」
「一つだけ、訊きたいことがある。答えたくないなら答えなくてもいい」
「僕に答えられることならいいよ」
「どうして、みんなを助けようとするんだ?」
それは、トリス自身の心に突然刺さった質問だった。
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