部下が着替えを持ってくる間、ギルバート達は部屋に入れて貰うことになった。
ギルバート達はともかく、バスローブ姿のティアベルをいつまでも廊下に出しておく訳にはいかなかったからだ。
マーシャも渋々了承した。
「………………」
成り行きで付いてきたユイはまるで状況を理解出来なかったのだが、マーシャの指示に従って中に入る。
ギルバート達を無視して、自分の荷物から端末を取り出してから直結する。
そしてすぐにデータのコピーが完了した。
「ミスター・ハーヴェイ。くだらない騒ぎに巻き込んでしまってすまない。ひとまず返答は保留ということで、後日連絡をさせて貰う。それでいいかな?」
「あ、はい。ありがとうございます、ミス・インヴェルク」
ユイの方は状況が分からないながらも、必要な手続きが済んだのでほっとしている。
連絡先を交換してから、そのまま部屋を出た。
「なあ、今のは誰だ?」
レヴィがマーシャに問いかける。
「ああ、お爺さまから紹介された人だ。資金援助の話」
「随分と若い研究者だな」
「うん。でも面白そうだから検討してみようと思う」
「へえ。後でどんなものか教えてくれよ」
「構わないけど、現状でレヴィが見てもよく分からないと思うぞ」
「そうなのか?」
「うん。まあ、実用化出来る頃にはどんなものか分かると思うから、楽しみにしているといい」
「ということは、うちの船に実装出来そうなものなのか?」
「もちろん。その為に資金援助を検討しているようなものだからな」
「なるほど」
流石はマーシャ。
シルバーブラストの性能向上の為ならば資金を惜しまないという姿勢は、宇宙船操縦者として立派なものだと感心した。
そして改めてハイドアウロ親子とその部下と向かい合う。
「えーっと……」
レヴィはどう対応していいのか困ってしまう。
締め上げられたのはお互い様だが、状況に対する説明はティアベルが済ませてくれたので、レヴィが言うべき言葉は何もないのだ。
しかしギルバートの方が立ち上がってレヴィに頭を下げた。
「すまなかった。そして娘を助けてくれて礼を言う」
「あ、いえ。どういたしまして」
素直に礼を言われるとは思わなかったのでレヴィも戸惑う。
締め上げられた直後にこの対応というのも、なかなかに困ってしまうらしい。
「その、誤解とは言え申し訳ないことをした。詫びも兼ねて何かお礼がしたいのだが」
「気にしなくていいですよ。お嬢さんを助けたのはただの気紛れですから。礼を期待してやった訳じゃない」
「しかし……」
それではギルバートの気が済まないと言いたいのだろう。
礼も言わずに締め上げてしまったこと、それ以上にマーシャから締め上げられてしまったことを気にしているのかもしれない。
気持ちは分かるが、あまり長く関わっていたい人でもないので、早々に切り上げたいという本音には気付けない。
「私からもお願いします。レヴィンさんにはどうしてもお礼をさせてもらいたいんです」
「レヴィン?」
レヴィンという名前にギルバートが反応する。
「彼の名前です。レヴィン・テスタールさんというらしいですよ」
「レヴィン……か……」
「う……」
じっとレヴィを見つめるギルバート。
何かを思い出しているような表情だった。
「………………」
困ったような表情を取り繕いながらも、内心では冷や汗だらだらなレヴィだった。
視線を泳がせたいのを必死で堪えている。
出来ることなら今すぐにでも逃げ出したい。
しかしそれをしてしまえば疑念を膨らませるだけだと分かっているので、必死で堪えるのだった。
まさかギルバートほどの大物が現場の叩き上げでしかないレヴィアース・マルグレイトのことを覚えているとは思わなかったのだ。
確かに佐官まで出世はしたが、所詮は現場の人間だ。
『星暴風《スターウィンド》』の知名度とレヴィアース・マルグレイトという名前が一致したとしても、細かい顔立ちなどを記憶しているとは考えづらい。
ましてや今は変装中だ。
髪の色も瞳の色も変えているし、念の為に眼鏡まで掛けている。
この状況で死んだ筈のレヴィアース・マルグレイトと認識を一致させるということは、レヴィアース自身をよく知っているということになる。
レヴィ自身はギルバートと直接顔を合わせたことはないので、そんな筈はないと思っているのだが……
ギルバートはじっとレヴィを見つめる。
「金銭というのも誠意に欠けるだろうし、何か私に出来ることはあるだろうか? 可能な限り力になりたいと思っているのだが」
「と言われましてもね。特には思い付かないんですけど。軍人さんの力が必要なことは何一つ行っていないので」
「そうなのか? どんな仕事をしているのかまでは分からないが、このパーティーに出席しているのなら、人脈などでも力になれるぞ」
「それも必要ないですね。人脈が必要な仕事でもないので。俺自身はただの雇われですしね。雇い主の方も人脈には困っていないでしょうし」
「失礼だが、どんな仕事をしているんだ?」
「ただの護衛ですよ。雇い主は彼女です」
レヴィは苦笑しながらマーシャを示す。
マーシャは不機嫌そうにギルバートを睨んでいる。
美女が機嫌を悪くしているとなんとも恐ろしいので、早く笑顔になって欲しいと思うのだが、今はどう考えても無理だった。
「護衛……?」
「一応は」
しかしマーシャを見たギルバートが疑わしそうな目を向けてくる。
護衛というにはギルバートに簡単に締め上げられてしまうし、マーシャ自身は護衛が必要なほど弱々しい女性には見えないということだろう。
それは事実なのだが、レヴィの仕事は地上の護衛ではなく、宇宙の護衛だ。
戦闘機操縦者として、マーシャとシルバーブラストを護る。
それが仕事なので、正しく『護衛』なのだ。
しかしそれは言えない。
レヴィアース・マルグレイトと関連して考えているかもしれない現状で、自分が戦闘機操縦者だということを明かすのは危険すぎる。
「随分と若い雇い主だな」
「ええ。まだ十代ですからね」
戸籍上の年齢は十九歳。
まだ二十歳にもなっていない。
実年齢はマーシャにも分かっていないらしいので、十九歳という認識で問題無いだろう。
「そちらのお嬢さんの名前は?」
「自分から名乗れ」
「………………」
名前を訊かれたマーシャは不機嫌そうに言う。
確かに自分から名乗るのが筋だった。
バタバタしすぎて自己紹介すらしていないのだ。
出来るような状況でもなかったというのが正しい。
「……ギルバート・ハイドアウロだ」
「あの、娘のティアベル・ハイドアウロです」
不承不承名乗るギルバートと、おろおろしながら続くティアベル。
それでもマーシャの機嫌は直らなかった。
レヴィが締め上げられたことだけではない。
バスローブ姿のティアベルが部屋に居たことが面白くないのだ。
しかしそれは言えない。
マーシャ自身の線引きとして言えないと判断している。
言いたいことを我慢しているのは、どうにもムカムカしてくる。
しかしレヴィにそれを言えば八つ当たりだ。
何とか堪えておく。
「マーシャ・インヴェルクだ」
「……もしかして、投資家か?」
「ああ。一応は」
経済界の女王とまで噂されている腕利き投資家としてのマーシャはそれなりに知名度が高い。
ギルバートも投資家としてのマーシャのことは知っていたようだ。
そして彼女の立場ならば護衛が必要だということも納得した。
「なるほど。金も人脈もある。確かに私に出来ることはなさそうだな」
マーシャを前にすると、ギルバートに出来る礼など無いと言わざるを得ない。
少なくとも経済面や人脈面ではマーシャの足下にも及ばないことが分かっているからだ。
逆にこちらが人脈を紹介して欲しいぐらいだということは言わないでおく。
マーシャが持つ最も大きな人脈にはクラウス・リーゼロックの名前がある。
リーゼロック・グループはエミリオン連合軍にとっても魅力的な取引先だ。
最先端の宇宙船製造技術や戦闘機製造技術を持っている。
それらを優先的にエミリオンへと流して欲しいのだが、リーゼロックはどの国に対しても中立の姿勢を保っており、平等に取引を行っている。
独占契約が出来ないというのが困りものだった。
しかしリーゼロックの高い技術力から目を逸らすことも出来ない。
「そういうことだ。彼に対する所業については謝罪のみで結構。礼をしたいというのなら、早めに引き上げてくれる方が助かる。私は疲れているのに、こんなくだらないことに対応させられて、非常に面白くない」
「……なんでマーシャが仕切ってるんだ?」
「雇い主の特権だ。文句あるか?」
「ありません」
レヴィの口からは言いづらいことを言ってくれたのでむしろ助かっている。
早めに帰ってくれた方が助かる。
それはレヴィも同じ気持ちだった。
しかしティアベルの前でそれを言うのも気が引けたのだ。
女の子を泣かせるのは嫌だった。
しかしその所為でマーシャが不機嫌になっているのも困るのだ。
「どうしても何かをしたいというのなら、相互不干渉をお願いしたい」
「………………」
やはりマーシャが仕切るようになっているが、口は出さなかった。
相互不干渉はレヴィにとってもありがたいからだ。
しかしレヴィの口からは言えない。
マーシャに任せてみることにした。
「私も彼も何も望まない。それに私は軍人が大嫌いだ。関わり合いになりたくない。近くに居るだけで不愉快だ」
「………………」
将官の前で堂々と言うのだからマーシャの度胸には頭が下がる。
しかし彼女が軍人を嫌うのは当然のことだと思っているので口は出さない。
「しかしそれではこちらの気が済まないのだが」
娘を助けられて、しかも誤解からその相手を締め上げたのだ。
何かをしなければ気が済まないという気持ちは理解出来る。
しかしそんな気持ちすらもマーシャはバッサリと切り捨てた。
「それはそちらの事情だ。私達には関係ない。そちらの体面に斟酌してやる必要性を欠片ほども感じないからな」
「………………」
あまりにも明確すぎる拒絶にギルバートが言葉を失う。
どうしてマーシャにそこまで憎まれているのか、彼には分からなかったのだ。
マーシャの正体が亜人だと分かれば理解出来たのかもしれないが、今はその正体も隠している。
軍人と何か因縁があるのだろうということぐらいしか分からない。
何も言えずにいると、そのタイミングでティアベルの着替えを持った部下が戻ってきた。
着替えを受け取ったティアベルはそっとレヴィを窺う。
レヴィも頷いてティアベルを部屋の中に入れる。
着替えをする為に場所を貸す為だ。
ティアベル一人を部屋に残して、残りは廊下に戻る。
「………………」
「………………」
「………………」
待っている間は全員沈黙だった。
何も言うことが無いのだ。
「お、お待たせしました……」
恐る恐る部屋から出てくるティアベル。
淡い水色のワンピースに着替えたティアベルは、年相応の可愛らしさを持っていた。
ドレスも似合っていたが、こういう服も似合っているなと感心するレヴィ。
そんなレヴィに気付いてマーシャの気配が更に物騒なものとなる。
「う……」
「………………」
何も言わないからこそ恐ろしい。
「分かった。引き上げよう」
ギルバートの方もマーシャの物騒な気配が恐ろしかったのか、冷や汗混じりに言う。
ティアベルの方もかなり怯えていた。
マーシャがその気になれば全員を締め上げるどころか、瞬殺すらも可能なので、怯えるのは無理もない。
しかしレヴィはそんなマーシャの素直さが気に入っていた。
意地を張られるよりもずっと可愛い。
睨まれるのは怖いが、妬かれるのはちょっと気分がいいのだ。
しかしギルバートは最後にレヴィを見た。
「?」
「レヴィン・テスタールだったか?」
「そうですけど」
ティアベルと同じ琥珀色の瞳がじっとレヴィを眺める。
偽装された茶色の瞳の中に、金色を探すかのような視線だった。
「………………」
「………………」
先に苦笑したのはギルバートの方だった。
「君によく似た男を知っている」
「………………」
レヴィは表情一つ変えずにギルバートを見つめ返した。
バレる筈がない。
管制システムに記録されている個体情報データは既に書き換えているし、レヴィ自身もバレないように変装している。
多少顔立ちが似ていたとしても、確信を持たれるには至らない。
しかしギルバートがそこまでレヴィのことを知っているということが意外でもあった。
「彼は宇宙で生きるのが相応しい男だった。残念ながら不幸な事故で死んでしまったがね」
「そうですか」
自分達で殺しておきながら『不幸な事故』と言い張ることに僅かな怒りを覚えたが、それも誘いかもしれないと考えて曖昧に聞き流しておいた。
自分には関係ない人間の話を聞かされているという態度を崩さない。
ギルバートもそれ以上は何も言わなかった。
騒がしい親子とその部下はそのまま一礼して引き上げていった。
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