「………………」
マーシャとレヴィ達に助けられたトリスは、シルバーブラストで大人しくしていた。
しかし大人しくしているだけで、何もしていなかった。
まるで動力が切れた人形のように、ぼんやりとしている。
復讐を果たして、仲間の遺体も塵に還して、やるべきことが無くなったからこそ、何をしたらいいのか分からないのかもしれない。
トリスの部屋として宛がわれているのは客室だが、部屋数に余裕がある訳ではないので、シデンとトリスのクローンは医務室に放り込んである。
トリスだけ客室扱いなのは、もちろん家族と他人の差だろう。
クローンに関しては生体反応をモニタリングする為に医務室にいてもらっている。
シデンの方に面倒を見てくれるよう頼んでいるので、そちらは問題無いだろう。
リクライニングベッドによりかかり、ぼんやりと宙を眺めるトリス。
何をしたらいいのか分からないし、何をするべきなのかも分からない。
帰ってきたという実感はある。
安心して、緊張の糸が途切れてしまったのかもしれない。
生きる気力が無くなった訳ではない。
しかし何かをする気力も湧き上がってこないという、自分でもちょっと困った状況に陥っていた。
「トリス」
「マーシャ」
ぼんやりとしていると、マーシャが部屋に入ってきた。
食事のトレイを持っているので、トリスに食べて貰う為に持ってきたのだろう。
トレイの上にはバケット類と肉類、そして珈琲が載せられている。
「食事にしないか?」
「……ああ」
食べる気力も無い、という訳ではないらしい。
トリスは起き上がってからトレイを受け取る。
そしてバケットを手に取ってもくもくと食べ始める。
ただ義務的に食事をしているだけに見えた。
「余計なことをしたのかな。私は」
「?」
「トリスは、本当は死にたかったのかな」
「……分からない。だが、死んだ方が楽になれたと思うのは確かだ」
「だったら私はやっぱり余計なことをしたのかな」
「そんなことはない」
「え?」
そんなことはありえない。
トリスの中で、その答えだけははっきりとしていた。
「トリス?」
じっとマーシャを見るトリス。
アメジストの瞳にはわずかな揺らぎがあった。
「マーシャやレヴィさん、そしてリーゼロックPMCのみんながいてくれたから、俺はセッテを殺すことが出来たし、みんなの遺体を塵に還すことが出来た。俺やファングル海賊団だけの力じゃどうしようもなかった。だから、感謝している」
「そうか」
トリスは出来る限りの戦力を揃えて戦いに臨んだつもりだった。
しかしクローンの操るキュリオスや、デジタル人格を搭載したAI戦闘機達が立ちはだかった時、自分達だけではどうしようもなかったということを理解していた。
最初は余計なことをしてくれたと恨みたい気持ちもあったが、マーシャ達の協力が無ければ、トリスは無念の死を迎えるだけに終わっていただろう。
目的を果たし、未練も何も無くなり、穏やかな気持ちでいられるのは、マーシャ達が協力してくれたからだ。
それだけは間違いないし、感謝もしている。
「ただ、何もすることがなくなったから、どうしていいのか分からないんだ。気力が湧き上がって来ないというか」
「まあ、そうだな。いきなり生き方を変えるのは無理かもしれないな。焦る必要は無いから、のんびりでいいと思う」
「ああ」
「トリス」
「?」
「自分の為だけに生きるのは難しいかな?」
「……分からない」
「うん。自分の為だけに生きろと言っている訳じゃないよ。ただ、自分のことを一番に考えて、そして周りのことも考える。そんな生き方を探していけたらいいと思うんだ」
「そうだな」
「という訳で、ロッティに戻ったらトリスにぴったりの仕事があるんだ」
「仕事?」
「そう。仕事だ。お爺さまがトリスに任せたいと言っているから、引き受けてくれると嬉しいな」
「もちろん引き受ける」
「随分とあっさりしているな。内容も聞いていないのに、いいのか?」
「クラウスさんには世話になりっぱなしだから。恩返しはしておきたい」
「うーん。出来ればそういう気持ちでやって欲しくはないんだけどな」
「え?」
「トリス自身が望んでその仕事に就く。そういう形が望ましいんだ」
「……内容も聞いていないのにそれは無茶だと思う」
「あはは。確かにな。内容はまあ、後からのお楽しみということにさせてくれ。でも、きっと気に入ると思う。お爺さまも、トリスがもう一度ちゃんと笑えるように、考えてくれているから」
「そうか」
自分はこんなにも想われている。
飛び出して、自分勝手に生きてきたのに、こんなにも想ってくれる人たちがいる。
「俺は勝手にし続けたのに、どうしてみんな、こんなにしてくれるんだろう」
「馬鹿だな。家族だからに決まってるだろ」
「………………」
少しだけ悩んだものの答えは、シンプルなものだった。
「そういうものか?」
「そういうものだ」
首を傾げるトリスにしっかりと頷くマーシャ。
他の答えなどまったく考えていないという表情だった。
「逆に訊くけど、昔のトリスは仲間を護るのに何か理由を考えていたのか?」
「……いや。仲間だから。護らなければならない。死なせたくない。そういうシンプルな理由だったと思う」
「そうだろう? それでいいんだ。私も今は同じ気持ちだから」
「………………」
「昔の仲間に対してはそこまで想えない。それはあの頃、自分が生きるのに精一杯だったからというのもあるけど、大事に想えるものが一つも無かったというのが一番大きな理由だと思う」
「………………」
「だけど今は違う。レヴィに助けられて、お爺さまに助けられて、リーゼロックのみんなと過ごすようになって、幸せだって思えたんだ。だから、その幸せをくれたみんなを護りたい。大事な仲間を、家族を。それだけだよ」
「変わったな、マーシャ」
「うん。自分でもそう思う」
「でも、変わってない部分もある」
「それは当然だ。私は私なんだから。変わらない芯はあるに決まってる」
「そうだな」
「トリスだって変わっていない部分はあるだろう?」
「あるのかな。俺は、自分でもかなり変わったと思っているんだが」
「あるさ。仲間の為にずっと折れずに走ってきた。そして終わってしまった今でも、私達の願いに応えようとしてくれている。自分の望みじゃなくて、私達の望みを優先してくれている。それは私が知るトリスの姿と重なるんだ。それが変わっていない部分だと、私は思う」
「……そうか」
言われてみれば、その通りなのかもしれない。
昔からマーシャには弱かった。
そしてマーシャの言葉に応えるのが嫌いではない。
むしろ応えたいと思える。
マーシャが笑ってくれると嬉しいし、クラウスにも早く会いたいと思う。
ようやく、本来の自分を取り戻しつつあるのかもしれない。
「ゆっくりでいいよ」
「………………」
「ゆっくりでいいから、トリスのなりたい自分になっていってくれたら嬉しい」
「昔に戻って欲しい、とは言わないんだな」
「それは無理だろう。私達は未来を生きているんだから。いい意味で変わってくれれば、過去と同じにする必要は無いんだ」
「そういうものか」
「そういうものだと私は思う」
「そうか」
「そうだよ」
はっきりと断言するマーシャの姿が眩しかった。
ゆっくりでいい。
そう言って貰えたのも嬉しかった。
無理をせずに、ゆっくりと、トリスのなりたい自分を探していければ、それでいいのだと、そう思えた。
「そう言えば……」
「ん?」
「俺のクローンとシデンはどうなっている?」
「ああ、そうか。まだ会えていなかったな。やっぱり気になるか?」
「シデンのことは割とどうでもいいが、クローンのことは気になるな」
「……シデンに対する扱いが酷いな。命の恩人だろう?」
「それはそうだが、あいつは放っておいても大丈夫な気がするから」
「なるほど」
それはある種の信頼なのかもしれない。
マーシャと過ごした以上の時間をシデンと過ごしてきたトリスは、心を開けなくても、何か通じるものを形成出来ていた可能性がある。
「それよりもクローンの方が気になる。まだ小さいのなら尚更だ」
「うーん。まあ、年齢はレヴィに助けられた頃の私達と同じぐらいだと思うけどな。少なくとも外見はそうだった」
「十二歳ぐらいか? しかし七年でクローンがそこまで育つか?」
「促成処置を受けていたらしい。こっちで出来る限り調べてみたら、その痕跡があった」
「そうなると、寿命が心配だな」
「それについては問題無い。加速させていた成長を止めて、普通に歳を取っていけるようにしたからな。細胞にちょっと細工を加え続けるから、体内にナノマシンを注入する必要があったけど、普通の人と同じように、これからはゆっくりと歳を取っていく事が出来ると思う」
「そうか」
それならば安心だった。
「会えるか?」
「もちろん。ただ、会ったらちょっとびっくりするかもしれない。トリスの昔とはかなり違うから」
「そうなのか?」
「うん。なんというか、ちょっと扱いに困っている」
「……なんか、すまん」
「いや。いいけどな。トリスも協力してくれると嬉しい」
「もちろんだ」
問題はトリス自身のクローンなのだ。
だからこそ、最も近い存在であるトリスの協力が不可欠なのかもしれない。
出来る限りのことをしようと決めた。
「じゃあ食事が終わったら案内するから」
「頼む」
急いで残りを食べようとするトリス。
しかしマーシャが慌てて止めた。
「待て待て。慌てなくていいから。クローンは逃げないから、のんびり食べよう。ちゃんと消化しないと」
「う……」
気が急いて、つい焦ってしまった。
マーシャの呆れた視線を受けて気まずそうに顔を背けるトリス。
ちょっと恥ずかしいのかもしれない。
「やっぱり変わらないな」
「え?」
「大事な誰かの為なら自分を省みなくなる。危なっかしいけど、変わっていないことが少し嬉しい」
「………………」
少し赤くなるトリス。
照れているのかもしれない。
「べ、別にそこまで危なっかしいつもりはない」
「うん。そうだな」
「………………」
にこにこ笑いながら頷くマーシャ。
絶対にからかわれている。
しかしここで反論しても無駄だと悟ったので、トリスは大人しく食事を続けることにした。
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