落ちついたようなので後は一人で考えさせてやろうと、部屋を出て行こうとするレヴィアース。
出て行く前にトリスが声を掛けてきた。
「レヴィアースさん」
「ん?」
「ありがとう」
「ああ」
レヴィアースはその礼を素直に受け取った。
礼を言えるのは素晴らしい。
トリスの感情がまだマイナスに堕ちていない証拠だからだ。
レヴィアースはトリスに優しく笑いかけてから、部屋を出た。
レヴィアースに宛がわれた部屋に戻ると、マティルダがベッドですやすやと眠っていた。
「えーっと……」
そこはレヴィアースのベッドであり、マティルダの寝室は別にある筈なのだが。
それ以前に鍵がかかっていた部屋にどうやって入り込んだのだろう。
「マティルダ?」
「ん……おはよう、レヴィアース」
「夜だけどな」
「待ちくたびれた」
「勝手に忍び込んでおいてそれか」
「だって部屋にいなかったから」
「そういう問題か? っていうか鍵はどうした?」
「電子ロックなら解除方法を覚えた」
えっへんと胸を張るマティルダ。
手には携帯端末を持っている。
マティルダが望み、クラウスが与えた業務用携帯端末であり、かなり高性能な代物だった。
どうやらあれを使って電子ロックにハッキングを掛け、この部屋のロックを解除したらしい。
恐るべきハッキング能力だった。
「泥棒スキルを磨いてどうするんだ……」
凄いことは認めるが、泥棒スキルを磨くのはどうかと思う。
幸せになってもらいたいのであって、犯罪者になってもらいたい訳ではない。
「悪いことには使わないよ。ただ、試してみたかっただけ」
「人の部屋に勝手に忍び込むのは悪いことだぞ」
「レヴィアースの部屋ならいい」
「何でだよ」
「仲良しだから」
「………………」
そう言って貰えるのは嬉しいが、しかしだからといって勝手に部屋に入られるのはよろしくない。
「それで、何の用だったんだ?」
「うん。明日、戻るんだよな」
「ああ」
「また、会える?」
「それはちょっと難しいな」
「………………」
マティルダが不満そうな顔になる。
しかしその理由も分かっている。
彼女はとても賢い。
だからレヴィアースの言葉の裏までしっかりと理解してしまっているのだ。
「まあ、仕方ないのかな。私だけじゃなくて、トリスやレヴィアースまで危ないとなると」
「分かってるなら、納得はするよな?」
「う~……」
銀色の目が不満そうにレヴィアースを見上げる。
「そんな目で見られても困るんだが……」
「だって……これっきりなんて、寂しすぎるし……」
うるうるとした銀色の瞳は寂しさを訴えている。
マティルダが強引な手段を用いてまで部屋にやってきたのは、この寂しさを紛らわしたかったからなのかもしれない。
「トリスがいるだろう? たった二人きりの同胞が」
「トリスは駄目だ」
「え?」
「トリスは、いつかいなくなる」
「マティルダ……」
気付いていたのか。
いや、この子も勘は鋭い。
自分が気付く程度のことにはとっくに気付いている筈だ。
「幸せになることが、トリスにとっての苦しみなら、いつか居なくなるよ」
「そんなことはないさ」
「なんでそんなことが言える?」
「トリスも迷っているからさ」
「え?」
「どうして迷っているか、分かるか?」
「………………」
ふるふると首を横に振るマティルダ。
こういう部分は本当に鈍い。
だけどそれでいいのだと思う。
お互いを大事に想うからこそ、お互いのことが分からない。
近すぎて分からないからこそ、決定的なところまで踏み込まずに済んでいる。
それはトリスにとっても救いになっているだろう。
「マティルダがいるからさ」
「私が……?」
「ああ。トリスがその望みを叶えようとしたら、マティルダが一人きりになってしまうだろう? トリスはそれを心配している」
「……私を一人にするのは心配、か。私はトリスに心配されるほど弱くないつもりなんだけどな」
「大切な相手だったら、強かろうと弱かろうと関係ないだろ。大切だからこそ、心配なんだよ」
「………………」
「マティルダだってトリスのことを心配しているだろう? でもトリスは強い。違うか?」
「違わない」
「だったらそういうことだ」
「うん」
「出来るだけあいつを見ててやってくれよな、マティルダ」
「分かってる。でも、トリスが決めたことなら、私は止められないぞ」
「そうだな。でも、マティルダがブレーキになってくれることを願ってる」
「なんか、足枷っぽくなってる」
「守る為の足枷ならアリじゃないか?」
「アリかな」
「俺はアリだと思う」
「ならアリでいいや」
レヴィアースが言うのならマティルダはあっさりと頷いた。
彼がそう信じてくれるのなら、その通りの自分でいようと思える。
そうすれば、この縁が続くような気がするのだ。
しばらく会えなくても、いつか会えるような気がしてくるのだ。
だからこそマティルダはレヴィアースの望みに添いたいと思う。
「出来る限りのことはする。それは約束するよ」
「ありがとう、マティルダ」
トリスの時とは違い、マティルダの頭は優しく撫でる。
女の子相手の時はこうやって優しくしている方がいいと思ったのだ。
ぱたぱたと揺れる尻尾が面白い。
「ちょっと触ってもいいか?」
「え?」
「尻尾。揺れまくって面白い」
「別に、面白くないと思うけど」
「じゃあブラッシングでもしてやるよ」
「え?」
「ほら、膝に来いよ」
「うん」
ブラッシングをして貰いたい訳ではないのだが、膝に寝転がって甘えられるのは大歓迎なので、マティルダはうきうきした表情でレヴィアースの膝に寝転がった。
尻尾がぶんぶん揺れている。
「ちょっと、大人しくならないか?」
揺れすぎてブラッシングが出来ない。
それだけ喜んで貰えているのは嬉しいのだが、ブラッシングが出来ないのは困る。
「自分の意志で動かしてる訳じゃないから無理」
「そうなのか?」
「自分の意志で動かせるけど、勝手に動く時がほとんどだし」
「へえ」
「嬉しいと揺れる」
「犬みたいだな」
「犬じゃないっ! 狼だっ!」
「そこはこだわるのか」
「こだわる。狼の方が格好いい」
「女の子なんだから可愛い方でいいと思うんだけどなぁ」
「可愛格好いい方がいい」
「なるほど。そりゃ無敵だ」
無敵すぎて怖いぐらいだった。
確かにマティルダには可愛いと格好いいが同居しているような部分がある。
将来はいい女になるだろうという確信もある。
大人になったマティルダに会えたら嬉しいが、そんな機会があるかどうかはまだ分からなかった。
暴れる尻尾を何とか宥めて、ブラッシングを開始する。
荒れていた毛並みは少しずつふさふさになる。
見た目も素晴らしい毛皮……もとい尻尾になったところで、レヴィアースはその尻尾に触れた。
「へえ、もふもふしていて気持ちいいな」
「そうか?」
「うん。このままずっと触っていたくなるぐらいだ」
「ずっとは困るなぁ」
尻尾を喜んでくれるのは嬉しいのだが、ずっと触られるのは困る。
しかしマティルダの尻尾はそれほどまでに触り心地が良かった。
「こうなるとトリスの尻尾も気になるな」
「え?」
「トリスの尻尾はマティルダのそれより大きいだろう? だからもっともふもふしているのかなと思って」
「む~。私のじゃ物足りないってことか?」
「そういう訳じゃない。尻尾は全て良い。それぞれの良さがあるってだけだ」
「………………」
言っていることは理解出来るのだが、なんだか浮気性の男の台詞みたいで微妙だった。
マティルダがジト目でレヴィアースを睨んでいると、流石に気まずくなったのか、困ったように頭を掻いた。
「あ、あはは。まあ、せっかくだからトリスの部屋に行くか? ブラッシングついでに」
「ついでじゃなくてそれが目的だと思うけど」
「はっはっは。細かいことは気にするな」
これから数年後に、レヴィアースが『もふもふ狂い』と言われるきっかけとなる出来事でもあったが、それは随分と先の話なので、今は置いておく。
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